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MAYDAY メーデー!ナショジオコミュのSLAMMED TO THE GROUND Delta191便 着陸失敗事故

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1985年8月2日、気温華氏100度の蒸し暑い夕刻、米Texas州Dallas Fort Worth空港へ乗客152名と乗員11名を載せたL-1011型Tristar(N726DA)DL191便は、他の16機と隊列をなして、18時前に着陸予定でRWY17Lに向かってapproachしていた。前方に2つの雨雲があり、その間をすり抜ける形でLearjetの後方を180ktで後続した。途中、激しい雨と雷光があり、前機との間隔が詰まったので、同機は150ktに減速し、Learjetが着陸した時点で高度1,000AGLまで降下していた。地上の風090度5ktで突風25ktと強い横風が時折り吹くなか、Rundie Price副機長が操縦桿を握った。地上550ft付近で速度が180ktへ上昇し、Ed Conner機長からWatch your speed!と注意された。throttleを引いて150ktへ戻したら、今度は高度を急速に失った。機長は自ら右手をthrottleに添えて、Push up full!と推力全開にさせた。機体は一旦水平飛行に戻り、速度も150ktを維持していたが、その後再び急降下して、機体は横風を受けて右へ傾いた。機長ははTo-ga!とコールして着陸復行を試みたが、滑走路端2km手前に落着し、滑走路手前を横切る道路で自家用車を付き飛ばして、RWY17L北側に接地。時速350kmの速度で燃料タンクに衝突。機体後部がもぎ取れる形で爆発炎上した。雨も上がって、空港の消防が1分以内に到着して消火にあたったが、両パイロット、航空機関士、客室乗務員5名、乗客128名、それに道路で突き飛ばされた自動車運転手の1名が死亡。機体後方に乗っていた27名が生存した。
NTSBのBud Laynor調査官らは、機体の故障、竜巻への巻き込まれ、落雷による火災の可能性から進めた。事故機の実地検証や回収されたFDRとCVRの解析では、これらは何れも否定的であった。先行機のRufus Lewis機長への聞き取りでは、前方と後方からのwind-shiftingが著しく、豪雨の中を滑走路全長を使って着陸したとのこと。調査官らは、FDRのデータからも、当時NASAで研究が進められていたmicro burstに巻き込まれて操縦不能となって着陸失敗したと結論した。

コメント(2)

第二次大戦後からの民間航空機事故史の十指に入る本事故は、micro burstという概念を世界中に広め、その後実用化したdoppler radarを世界中の主要な空港に配備する後押しとなった。このレーダーシステムは、積乱雲内部の風向きの変化を検知することが出来、micro burstの存在を予測する事が出来る。しかし地上のDRでは10−20秒間の変化を乗務員へ瞬時に伝えることは難しい。近年では機首に装備されたレーダーをdoppler化して、この時間差を埋める努力が続けられている。多大な犠牲の上に多くの教訓を残した事故であった。
Conner機長役は貫禄があり、徐々に余裕を失って、操縦に必死となり、最期は絶叫して衝突する場面まで好演している。ただ事故状況の再現で、機体高度の説明が不明確で、ハッキリ理解できなかった。事故当時は機内での喫煙がOKで、煙草が吸いたいため後席へ移動した乗客が命拾いした逸話も興味深い。こんなに重大な天候急変の最中なのに、事故当時DFW空港の気象担当者は、食事で離席していたそうな。SIGMETが全米で定時的に発令されるようになったのは、たしか1990年代からでした。

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