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芝田進午の人類生存思想と現実コミュの特集ワイド この国はどこへ これだけは言いたい 「文春砲」と呼ばないで 元編集長・木俣正剛さん 66歳

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毎日新聞 2021/5/28 東京夕刊
木俣正剛さん=藤井太郎撮影
「メディアは砲弾」の疑念晴らせ
 時の宰相も官僚も、芸能人も恐れるもの――。いつの頃からか、「週刊文春」が放つスクープを“文春砲”と呼ぶようになった。「その名前、好きじゃないんです」と言うのは同誌の元編集長、木俣正剛さん(66)である。勲章みたいな愛称なのに、どうしてなのだろう。

 新型コロナ禍での国会議員の銀座クラブ通い。総務省官僚への酒食接待。さらに菅義偉首相の長男が勤める企業が、そのキャリアたちを接待していた――。最近の週刊文春が報じた特ダネだ。「閉塞(へいそく)した今のご時世で、まるで文春は『必殺仕置人』ですよね」。だが、そう話す木俣さんの口ぶりは、自慢げというよりもむしろ困惑に近い。なぜか。

 「文春砲って誰がつけたか分かりませんが、2016年からだと思うんです」と木俣さん。当時は安倍晋三政権の経済再生策「アベノミクス」で、毛利元就の逸話を基に「三本の矢」というアピールが続いていた頃だ。安倍前首相の肝いりで就任した黒田東彦(はるひこ)・日銀総裁による大胆な金融政策は「黒田バズーカ」と称された。「その流れで、我が社のスクープも文春砲と呼ばれるようになったんです」 

 でもね、と木俣さんは首をかしげる。「僕らはペンであって、剣ではないんですよね。『ペンは剣よりも強し』と言いますが、それは暴力に言論で立ち向かうという比喩でしょ? なのに文春砲の砲は、大砲の砲。ペンが暴力に近づいたと思われるのは危うい」

 振り返れば、文春砲と命名されたのは、あるカップルの禁断の愛を報じた特ダネがきっかけだった。テレビで見ない日のない売れっ子だった女性タレントと、知名度を上げていた芸術肌の男性ミュージシャンの秘め事。無料通信アプリ「LINE(ライン)」の内容まで赤裸々にさらしたニュースは、ちょうどスマートフォンの浸透とも相まって、たちまち広がり、ドカンと話題になった。

 本業の傍ら、女子大で教壇に立っていた木俣さんは、教室で10代の女子学生に尋ねられた。「人の不倫ネタを書いて、いくら給料もらってるんですか?」。自分の孫世代の少女の無邪気な問いかけに、言葉に詰まったという。

 「メディアは暴力であってはいけないし、自分の正義感や世界観を押しつける存在でもない。読者の代わりに取材し、事実を明らかにするのが仕事。芸能人の不倫ばかりを報じていたら文春、ひいてはメディアは攻撃的、暴力的と先入観を持たれますよね」

 木俣さんは週刊文春の歴代21人の編集長の中でただ一人、これを2度務めた。リクルート事件、地下鉄サリン事件、世田谷一家殺害事件などに編集者として関わって感じたのは、雑誌媒体とテレビや新聞との差だ。

 「新聞は朝刊が自宅に届きますし、テレビなんて民放ならタダで見られますよね? でも、雑誌は書店に足を運んで、お金を出して買わなければいけない」。まだネットのない時代。雑誌が最も読者(視聴者)の目に触れないメディアだった。

 新聞は1紙で読者が数百万人、テレビは視聴率が10%でも1000万人が見ている計算になるが、週刊誌は大手の文春でさえ発行部数はピーク時でも60万程度。「デジタルが普及するまで、雑誌のニュースなんて読まない人が圧倒的に多かったんです。それだけに冒険ができたし、冒険するのが週刊誌とも思っていました」

 際どいスキャンダルを書き、「三分の理」しかない異論もいとわない。新聞やテレビが書かないテーマを取り上げるのが役割だと感じていた。「子供や女性の目に触れない、60万人限定の男性誌。だからスキャンダルを書いても、読みたくない人に不快感を持たせることがない。歯止めが利いたんです」

 その典型と考えるのが、1997年に起きた神戸市の児童連続殺傷事件だ。木俣さんは文春の副編集長だった。酒鬼薔薇聖斗を名乗る14歳の少年による事件は世に衝撃を与えていたが、ある日、20代の女性記者から「少年の母親からインタビューが取れます」と連絡が入った。

 当時、母親はあの少年への厳しい教育としつけをしていたとバッシングされていた。毀誉褒貶(きよほうへん)があるのは承知で、迷わず手記を載せた。「たとえ批判を浴びたとしても、耳を傾けるべきニュースがある。読みたい人だけが読めばいいと思った」と振り返る。

 だが、今や世はすっかりデジタル。雑誌も新聞も紙媒体だけのメディアではなくなり、業界全体がネットニュースに参入した。活字媒体でいわば60万人限定の“成人指定”扱いと見なされるような雑誌なら、読みたくない人は読まずに済んでいたのだが、今はネットに載せてしまえば限定の垣根など取っ払われて、誰しもの目に触れてしまう。「今、少年の母親のインタビューが取れたら? 載せたメディアまでバッシングされる可能性がある。うーん、掲載は難しいかもしれません」

 かつて雑誌ジャーナリズムの金字塔があった。「田中角栄研究―その金脈と人脈」。時の宰相の不明朗な資産形成を報じたジャーナリスト、立花隆氏の記事は大きな波紋を広げた。田中角栄首相は記者会見にも応じずノーコメントを通したが、世論の反発に耐えきれず、内閣総辞職に追い込まれた。「メディアへの社会の信頼がなければ倒閣はなかった。世論が味方してくれた」

 では昨今はどうかと言えば、メディアは安倍前首相の責任が追及された森友学園への国有地売却問題や、「桜を見る会」を巡る政治資金規正法違反事件を報じ続けた。その過程で、財務省の公文書改ざんが発覚し、首相自身も国会で虚偽の答弁をした事実も明らかになった。田中首相の失脚や、リクルート事件が発覚して竹下登首相が退陣した展開と、状況は似ている、と木俣さんは見ていた。

 「でもメディアが報じても、政権は倒れなかったですよね? メディアは国民の味方なのに、逆に暴力、『砲弾』のような武器にも思われた。報道への信頼感がうまく醸成されず、世論の後押しがもう一歩だった」

 木俣さんはその背景に、新しい時代のうねりに連動して、メディア不信が加速していることがあるとみている。

 今やSNS(ネット交流サービス)の発達で、いつでも、誰でも、プロでなくてもニュースを発信でき、メディアはそんなSNS発の情報を取り上げる。芸能人や著名人のプライバシーに踏みこんだニュースまで、簡単に白日の下にさらされる。

 「言ってみれば、SNSが暴力装置のように情報発信できるようになった」と木俣さんは言う。人の不倫ネタを書いて、いくら給料をもらってるか、という学生の先の問いかけは、メディア自体が、「事実」を武器にして市井の人さえ見境なく撃ちまくる「砲弾」と世間に白眼視されている表れではないか――と懸念するのだ。

 怖いのは、こうした不信に政治家が乗じている風潮が見受けられることだ。メディアの後ろに読者、民の声があるという認識が薄れ、最近は「敵」とさえ公言する政治家もいる。選挙に勝てば全てが許されるという論理がまかり通れば、政治家はどんな不祥事を起こしても選挙に勝てば責任が放り出されたままになってしまう危うさがある。

 木俣さんは、だからこそデジタル時代に突入しても、メディアは政治家をより一層、厳しく追及すべきだと感じている。「議員は自ら手を挙げた国民の代弁者。言動が一致するか、私生活も含めて国民に公開する義務がある。納税者である私たちのお金を給料としている公人の言動は広く知られた方がいい」

 いつの時代も、自分に不都合な事実を好んで口にする人は少ない。権力に対して常に事実を確認し、不正やウソを追及するのがメディアの役割だ。そして、デジタルの時代は、雑誌であろうと新聞であろうと関係なく、多くの人にニュースを読んでもらえる環境が整備されている。木俣さんは「雑誌も新聞も、編集長や編集者、記者のものじゃない。ジャーナリズムってのは読者からの預かり物」と言う。

 だからね、と木俣さんは力を込めた。「デジタルの時代には、市井の人のニュースが暴力になりうることに、メディアの人間はもっと気を配らなければいけない。そして、多くの人にジャーナリズムは国民の味方だと信じてほしい。文春砲なんていって、浮かれてる場合じゃないんです」【川名壮志】

 ■人物略歴

木俣正剛(きまた・せいごう)さん
 1955年、京都府生まれ。78年、文芸春秋社入社、週刊文春編集長、月刊文芸春秋編集長を歴任。常務を経て2018年退社。雑誌編集の傍ら、司馬遼太郎らを担当し、芥川賞選考会の司会も。著書に「文春の流儀」(中央公論新社)。岐阜女子大副学長。

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