ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

ほんとうのスピリチュアルコミュの信仰について

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
これは私の考える「信仰」なのでこれが正しいと言うつもりはありません。

共有したい一つの基準の提示としてあげさせて頂きます。

ーーーーーーーーーーーーーーーー

信仰とは神仏あるいは真理、この世界をはじめ私たちを創り成り立たせている存在またはそれに準じた存在を信じ尊び、その導きに則って生きること。

宗教とは信仰の対象との繋がりを持った教祖を中心として信者が集まり教義ができて体系付けられた一つの形。

ーーーーーーーーーーーーーーーー

一応上のような定義をさせて頂きました。

スピリチュアルに興味はあるけど信仰には興味がない…と言う人もいらっしゃいますが、結局どちらも「目に見えないものを信じる」という点では共通しているのですね。

では何を信じるのか、あるいは誰を信じるのか。

その形は様々で、現代では本やネットなど情報に触れて感銘を受けてと言うのが多そうですね。

昔は人の紹介(勧誘)とか家族が信仰していたからとか、今でも勧誘にひたすら熱心な教団はありますね。

…きっかけは人それぞれですが、そこで心に響くものがあって一歩を踏み込む何かがあるわけです。

昔からご利益を求めて入信することを「お陰信仰」と言っていました。お金が儲かりますようにとか素敵な出会いがありますようにとか要するに自分が得をするために神様仏様を拝むわけですね。

あるいは家族の病気が治らないとか子供が引きこもりになってしまったとか悩み事をなんとかしたいと神仏にすがる場合も多かったのです。

ピンときた人もいらっしゃると思いますが、

現代のスピリチュアル的な流行も結局この「お陰信仰」と一緒なのです。

頼る対象が神仏・教祖でなくてチャネラーやヒーラーやグッズになっただけ。

お布施が相談料や購入代金になっただけ。

それで終始してしまったら結局は「スピリチュアル」と言う名前のイメージを売る商業活動が成り立っただけなのです。

ーーーーーーーーーーーーーーーー

…しかしそこをきっかけとして、

目に見えない世界がある、

この世界を成り立たせている存在があって自分たちは生きている、

自分だけ良ければとか物の豊かさだけでは人は本当に幸せではないと気付いて心がほんとうのスピリチュアルの方へ向くことができたら、

それは意味があることになるのです。

・・・・・ほんとうの信仰はそこに気づいた時から始まると思うのです。

コメント(10)

>>[1]

こんにちは。コメントありがとうございます。

原因と結果の法則。それを知ることは私もとても大切だと思います。
小山さんは神様を愛と因果の法則として感じていらっしゃるのですね。
私も神様を愛の働きとして、因果の法則は神様が作られた法則として捉えています。

シルバーバーチは、かなり昔に本を1〜2冊読んだだけなのですがとても丁寧でわかりやすく解説されている内容だなあと思った記憶があります。

利己的な願いと比べて、家族や親しい人の病気が治りますようにという願いは、自分以外の人が成り立つような願いなのでほんとうの信仰につながっていくとは思います。

ただ、もし祈っても病気が治らなかったら「願いが届かなかったから信仰しない」となってしまうのでは、それは(祈っている自分の願い)を最優先にしている祈りだからやはりほんとうの信仰にはなっていかないように思うのです。

…神様に何かを願う時に、それがどんな願いでも(叶えてほしいから信じる)という姿勢だとやはりお陰信仰になると思うのです。

私も家族が病気で生死の境をさまよった時は一心に祈りました。誰でもそうだと思います。

とても一心に祈ると本当にただ祈るだけになって(自分の願い)は神様に全てお任せするような気持ちになります。

そうなると結果に捉われない祈りになっていくようです。それは因果の法則から自由になっている状態とも言えるかも知れません。

(病気が治る)という「結果」を求めて祈る状態はそれが叶えられないと信仰に結びつかないことになります。

でも、親だからとか親しい人だからとか個人的な枠を超えて「病気で苦しんでいる人のために祈る」という自分の枠から離れた状態になって全てを客観的に捉えられていくと神様よりの視点に近づく方向になると思うのです。

その方向に心を合わせることがほんとうの信仰と私は思っています。
>>[3]

今のスピリチュアル界隈では現世利益だけを求める人が多いように思うのですね。

でも、それがきっかけになって人は肉体だけこの世だけなく霊としての存在や本質は魂であって、私たちはみんな神様から生まれ生かされていると気づいていけば良いと思うのです。

家族の病気が治ったり幸せな出会いがあったりというご利益がきっかけでも良いと思うのです。

でもそこで次の願いを叶えてくれそうな神様を探すのじゃなくて、自分の幸せとみんなの幸せは別のものじゃないと気づいていって、じゃあ自分はどうしたら良いんだろう?と考え始めること。それが大切だと思うのです。

大切な人のことを願うのは自然なことです。思いやりある心だと思います。

ただし、それは限界もあるのです。

もし自分の子どもが臓器移植をしなければ助からない病気だとしたら、親だったら何が何でも早く移植できるよう行動して自分の子どもが助かるように祈ることでしょう。

けれども臓器移植は臓器提供してくれる人を探さなければなりません。脳死してしまった人で臓器提供の意思表示をしている人。そういう人が都合よくいる訳もなくそして他にも同じように臓器を待っている人がいるので順番を待たなければなりません。

早く次の脳死の人を…あるいは自分の子どもを優先的に移植してほしい…。これはご本人はもちろん実際のご家族が抱える大きな矛盾と葛藤なのだと思います。

では戦争はどうでしょうか?

戦争をしている国では息子や夫を兵隊に出している家族がいます。戦争は殺し合いです。敵を殺さないと自分が殺されます。

家族には生きて戻って欲しい。という事は戦争に勝って欲しい。という事は敵が負ければいい。…敵の家族もきっとそう願っていると思うのです。

個人限定の幸せは、場合によっては他の人とぶつかることがあるのです。
人を幸せにするはずの宗教や信仰も差別や戦争の原因になります。

私は、この世の全ての人がぶつからない幸せってどういうものだろう?と思ったのです。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

祈りに関してですが、

小山さんは祈りというのは祈る人の思念のパワーが病気を治すようなイメージをお持ちでしょうか?あるいは神様へ念じるパワーの強さの問題と思われますか?

何かを一生懸命にする時って「我を忘れる」と言いますよね。

自分の限界までこれ以上ないくらいに頑張った時、例えばオリンピック選手が毎日来る日も来る日も懸命に練習を重ねて本番に臨む時に「結果は天に任せる」というような意味の言葉を言うのを聞いたことがないでしょうか?

自分のできることを全力で取り組んだら悔いはないのです。そこから先は神様に委ねるしかないのです。全力を出したから委ねられるのです。「我」が無いから。

祈る時は寝ることも食べることも忘れて祈る。祈る自分が無くなった時に初めて神様の力が頂けるのです。
そうなって初めて(ああ、神様に救われた)と感じることができると思うのです。

初めから神様に頼るのがお陰信仰なのですね。

自分の努力を目一杯してから結果を神様に託すのがほんとうの信仰になると私は思います。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

小山さんがコメントの最後に仰った「結果についての反省」と「依存の信仰」というご指摘は全く同感です。とても的確に、お陰信仰から気づきに向かう心の状態を表現された言葉だと思います。
>>[5]

そうですね。小山さんの仰るようにみんな神様から生まれた兄弟姉妹だと思えたら仲良くできるはずですよね。

人類はまだ、ご飯のおかずやおやつを取り合って兄弟ゲンカをしてしまうような子どもなのかも知れません。

これから成長しておやつを分け合えるような大人にならなければ神様はおやつを取り上げてしまうかも知れません。

そうなると人類はまた生まれ変わって赤ん坊からやり直さないといけないような状況になってしまうのかも知れません。

私たちが成長するためには具体的にどうしたら良いのか、それを考えていきたいと思うのです。

現代の宗教や真理を説く人たちも、みんな教義はとても素晴らしい事を言うのです。

本を読んだり話だけをよく聞くと、どこも結局は言っている事に大きな違いはないように思うのです。

今、このコミュで私たちが話している内容とそう違わない事をあちこちでいろんな人が説いているのです。

それなのにどこも自分のところの教えが一番だと言う。真実だと言う。

「この神様だけがほんとうの神様です」「この教えだけが真理です」と言い出したら必ずぶつかるのです。

結局はみんな同じなのに。表現の形や言葉の違いに惑わされて同じことに気づかない。自分のこだわりに気づかない。

だから「ほんとうはみんな同じだと言うことに気付こうよ」と言っているのです。

そこに気づかないと、それぞれ自分が信じている夢を食べて生きているだけの事になってしまうのではないでしょうか。

…祈りは、実際にそういう状況になってやむにやまれず祈る時に体験が起きて(ああ、こういうことだったのか)と感じるものなのかも知れませんね。

仰るように先ずは自分の努力ですね。
>>[7]

とても大切な点を指摘されていると思います。

利己的な信仰になりやすい人は、自分がどうなるとか自分の信じているものがどうであるとか、出発が主観からなのですね。

主観はまず自分があってその上で周囲を見るのです。なので対立が起こる。

ある人はこの神様がほんとうだと言い、別の人はこの法則が真理だと言う。

主観で見ているから神様の一面しか見えてこないので、他の面を見ている人の言うことがわからない。

言うことが違っていると、相手は間違っていると解釈してしまう。

客観は、まず全体を見てその中での自分や相手を見るのでどちらかと言うと神様よりの視点だと思うのです。

全体を見られる視点だと、ああ、あの人は神様のあの面を見てあのように表現しているのね…とわかる。

そうするとその表現に合わせることができるのです。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

一心にひたすら自分の信仰を貫くことは尊いと思うのです。

しかし同じ人間同士で違う主張でぶつかるのは何故だろう?と疑問を持つはずなのです。客観の視点が目覚めると。

言われたことだけ鵜呑みで自分の頭で考えない信仰はどこか人任せなのです。

そう言う人は甘い言葉や脅しのような言葉に従ってしまいやすい。

そしてそう言う集団の中に入ってしまうと居心地が良いのです。同じような仲間だから。けれども一般社会とはちょっとズレていることも多い。

ほんとうの信仰があったら一般社会の中でしっかりと周囲を支えることができてくるはずなのです。

そこに気づくのを、もしかしたらその人の教祖様は待っているのかも知れません。

…ある宗教や集団の中で信者全員がみんな一斉に同じ理解と言うことはあり得ないですよね。

集団の中でもそれぞれの段階によって神様の理解も違うし視点も変わってくる。

素晴らしい教祖様や真理に出会うと、とてもありがたく嬉しい気持ちになると思います。

でも、それはまだまだその人が今の自分の段階で理解できたレベルに限定された真理なのです。

これから成長が進むに従ってその理解はもっと変容を遂げるかも知れません。変わっていかないと成長していないのかも知れないのです。

そこを忘れてこれが師の教えであるとして人に法を説くことが無いよう、私は常に自戒しているつもりです。

ですので私が提示しているのは方向なのです。

また、「宗教はこう言うものである」と決めつけてしまうのも主観の罠なのかも知れません。

様々な宗教や思想が進化していって教祖様だけでなく信者一人一人が神様とつながれるようになる方向を支持したいと思っています。
>>[9]

小山さんのコメントを拝見していると私が提示したほんとうの信仰と言うものを真剣に考えてくださって、物事の本質を捉えようとしてくださって、とてもありがたく感じます。

…本当は洗礼は神様の意思に沿って生きると言う決意だったり、念仏は仏様の教えを簡潔な言葉で表した真理だったりするのかも知れません。

そういう儀式やお経は本当は、真理に至るため=神様につながるための手段(方法)なのかも知れません。

手段(方法)は人によってそれぞれ個性があるようにその人に合った方法があるはずです。

それを自分の手段にこだわるから、方法が違う人とぶつかるのですね。手段が目的になってしまうのですね。

方法はあくまで手段であり、小山さんがおっしゃるように神様にように愛を持って人に接したりみんなが成り立つように正しい行動をできたりすることに心を向けることが大切だと私も思います。

…手段がなぜ目的になってしまうのでしょう。

そこが信仰の罠だと思うのです。

神様に従って正しいことをしている自分…というように自分を偉いと思ってしまうのかも知れません。

ほんとうの信仰に心が向けたなら、洗礼でも念仏でもそれはその人の手段だとしてこだわりは要らないはずです。

こだわりを持たずに念仏を唱えて神仏とつながることができる。

手段を本当に手段として真理につながるために役立てることができる。念仏を唱えて神仏とつながり立派になることはできると思うのです。

自分が偉くなりたい…という下心に気づくことをしないで念仏の威厳を借りているから念仏が絶対でないと困る。

それは自分の足で歩かない信仰ということになります。

何かを絶対として信じている心にはそういう自分が隠れているのかも知れません。

…だから洗礼や念仏自体が悪いのではなく、それをどのように受け入れて自分の本心に照らしていくかが問題なのだと思うのですね。

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

ほんとうのスピリチュアル 更新情報

ほんとうのスピリチュアルのメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。