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ほんとうのスピリチュアルコミュのこの世とあの世

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この世は肉体を持って生きている世界。

あの世は肉体から離れて霊体(幽体)として生きている世界。

生き物は死んだらおしまい…という考えの人もいるけれども、人類の歴史においても生きている人は死んだ人に対して畏敬の念を持ち花をたむけ儀式を行ない偲んできました。

人は死んだらおしまいではないと思うのです。

この世での寿命を終えたら肉体から離れて霊としてあの世で過ごすことになります。

そしてカルマによって再びこの世に生まれてを繰り返します。

あの世とこの世は表裏として存在し、私たちはそこを行き来しながらお互いに影響を及ぼし合っているのです。

この世では家族や国などの社会を作って集団で生活していますが、あの世でも同じように生活しているのです。

なのでこの世で戦争が起こると言うことはあの世でも戦争が起きているのです。

だからこの世が苦しいからとあの世に救いを求めるのは違うのですね。

どうせ死んだらおしまいだから好き勝手に生きると言うのも自分に対して世の中に対して無責任な事のように思うのです。

…カルマによって輪廻転生を繰り返す事は誰でもそうなのでこれを指してほんとうのスピリチュアルと言うものではありません。

カルマから自由になり、人々を助けて、みんなが霊的に進化してこの世もあの世も素晴らしい世界になるために働けるようになる事がほんとうのスピリチュアルだと思うのです。

コメント(13)

カルマによって生まれてくるとは釈迦の発言が元にあると思いますが、

生まれてくる意味は、改めて捉え直されなければなと、今は思います。

あの世とこの世というと、別々に別れた世界に感じますが、
形の世界である物質世界と、
形の無い世界である霊的観念の世界は、
実は、重なり合って一体で、

私達は、気持で行動し、
気持ちによらない行動は無く、
気持ちが無くなれば、植物人間のようなもので、
意味なく徘徊する人にも、その人なりの気持ちと目的があるから行っている、そんなこと。

この世で戦争があるのは、
あの世でも戦争をしているというのはその通りで、
この世で戦争を問題にしている意識の人は、気持ちが戦争に焦点されている。
他の目的に気持ちを切り替えて、目の前の現実を変えて行くのは、各自の生命の御仕事なのだから。
あの世に頼るのは、仰る通り、違いますよね。


私達は、肉体的誕生という、有の世界から認識を始めるために、無の世界への認識が抜け落ちているそうなのですが、
全有全無。
有の世界から見れば、あって当たり前、無くなれば失う。
でも、
本来は、無から懇々と顕され、有が湧き上がり、無限に与えられ続けていて、失うものは無いという事実。
この世は非連続の連続と言いますか、
一秒間にゼロが33個も付く回数の点滅で、蛍光灯の点滅の様に、あたかも継続しているように見えて実は断続しているということ。

この世は実は、無の世界に顕されている。
では、何の為か。
マイナスの為にわざわざこの様なことは行われない。
必ずそれは、素晴らしい、大いなる意味の為に行われている。
私達には解らなくとも、
いつか、解るときが来ることでしょう。

しかし、やはり最低限、解っておくべきことは、

私達も、気持ちがあってこそ行動している。
何かを行うには、気持ちの働きがあり、そして、その底には意志の働きがある。

つまり、この世の営みには、解ろうと解るまいと、大いなる御親意の働きがあるのだということ。
そして、それは、
これだけの壮大な営みを、
わざわざ生み出し、果てしなく与え続け、
一秒間に10の33乗回も素粒子を顕し分子を構成し物質を組み上げ形を顕す点滅を行っているのに、寸分も違わないまま、しかし、同じものは一つも無く、大きく全体が変化をして行く、奇跡の調和。
こんな営みを、どんな目的で行うか。

子供たちをディズニーランドに連れて行くのは、苦しめるためか?歓ばせるためではないのか?
では、子供たちは、そこではどうするのか?歓ばないか?遊具が気に入らないとひねくれている子供が居たらどうか?

そんな風に、考えてみると、この地球上で暮らす私達のことが、何となく見えて来ないでしょうか。

私達はまだ摑み切れていないのだけど、
本当なら解って置かなくてはいけないことは、
私達には、親があること。
肉親の親をも与えて、親子の実感をも与えようと生かしていて下さる、本当の、この世界の元となる御親に、大親心で抱えて頂いているということです。

御親の御言葉は、現象そのものにより、常に語りかけて下さっているけれども、
私達は赤ちゃんなので、自分の目の前のことに夢中で、聴き取ることが出来ない。

だけど、赤ちゃんも少し周りが解るようになれば、
親があやしてくれていることに気付けば、それで安心出来ている自分に気付くこともあるでしょう。

これから地上は大変になるし、
私達も、肉体だけの生存ではなく、生命の親子の関係で生かされて来た遙かな営みの末に今此処に在るという気付きに至り、
全てのアトラクションに、感謝で生きられる様に、
文句の生き方でなく、感謝の生き方に切り替えなければ。


悟りの家という、新しい認識を頂いたことを、シェアして置くべきか。
でも長くなりすぎて、もう読む人も疲れてしまってるかも。
心に悟りの家を持てば、どんな人生の嵐も味わいで通れるという内容で、
生身で嵐に晒されれば大変だけど、ガラス張りの部屋から外の嵐を眺めれば味わいだという、
そんな悟りの家を心に持つことは出来るという内容でした。


あの世とこの世。
そう表現することで、私達は一つの共通認識が持てることが有難いと思います。

言い替えれば、
この世界は表現。
表現をする意識と、表現された形。
気持ちと、形。
シナリオと、作品。
それが、霊的次元と、物質次元。
この世の裏表であり、
だからこそ、生きる味わいがあり、そこに生きる意味がある。

この世は素晴らしく顕された、大いなる味わいの世界ですね。
>>[1]

いつも丁寧で深いコメントありがとうございます。
それぞれの角度からの捉え方が勉強になります。

生まれてくるには必ず意味があると思います。
それがその人の気持ちや目的によるとも言えますし
私はそれをカルマと表現しています。

「カルマ」とは仏教では(業)や(因果)(縁)として
自分の行いにより報いを受ける法則として説かれます。

人は生まれて成長し物心がつくにつれて
自我が芽生え、様々な思いにより行動します。
この世で自分の思いによって行動・行為することは
自分という存在とこの世界との交渉だと思うのですね。

そもそもこの世に生きている事自体が
この世に影響を及ぼしています。
呼吸をしているだけでも、
ガス交換によって大気に影響を及ぼしていると言えます。

この世は全て相互依存で成り立っているわけです。

何かしらの思いが行為としてこの世界に影響を及ぼし、
その影響がまた自分に返って顕れてくる。
それがこの世だと思うのです。だから「顕界」なのですね。

自分の思いや行為に対してこの世界からの反応が返ってくる。
それによって自分の思いについて「自覚」ができる。
何かに捉われてそれがその人の思いや行為になっているなら
それに気づくことができる世界なのです。

思いを切り替えられる機会を与えてくれるのがこの世。

幸せや感謝を感じ、みんなで手を取り合って素晴らしい世界を
表していけるのもこの世。

あの世…霊界では思いによって何百年も同じ状態が続いてしまうので
「自覚」ができる機会が少ない。

この世でいまだに国同士・民族同士などの対立が続いているのも
あの世で同様に戦争や憎しみ合いが続いているからなのでしょう。

悟りの家…と言うキーワードは初耳ですがあとで調べてみますね。
>>[2]
悟りの家とは、特別な御指導で、世の中に出て来ないと思ったら…。

書いて下さっている方が居ましたので、ググれば拝読出来ます。
書いて良かったのか。ちゃんと書けば大丈夫なのか。ちょっと衝撃でした…。

生きているということを、自分という視点からしか捉えられない私達は、やはりどうしても人間や社会や人間の価値観が主になる考え方になるので、仰る様な解釈になると思います。

しかし、生命とは何なのか。
生きるとは何か。
生命を作れる人は居ないし、
惑星を作れる土建会社も無い。
生きるということを、生きている自分達からではなく、
生かしている、生み出して下さっている側からの視点で捉えてみれば、
またもっと全く違う見え方になって来ると思います。

こんな風に教わっています。
カルマというものは無いが、原因と結果というものはある。
行ったことは、循環という理法で自分に返って来るし、平均調和安定の理法でバランスされるまで働く。そして原因結果の理法で種通りの結果にしかならない。
だからそれらを悟れば、返って来て欲しい様な素晴らしい種を蒔きたいと思うようになる筈だ。
マイナスの種を蒔いてマイナスの結果に苦しんでいるなら、プラスの種を蒔いてバランスを取る。
大きなマイナスを行ってしまったならそれだけ大きなプラスを行いなさい、と。
人を殺したことの無い者はこの世には居ないとも。

世の中に酷い犯罪被害者や加害者のある時、それは一方的なものというのは無くて、必ずその前があり、
どうしても衝動が起きてしまったということにしか、今の私には感じられない。
そういうことを、かつては私も、カルマと解釈していたでしょうが、
今の感覚では、それらはちょっとした自分達の課題で、苦手課目で、克服する為に繰り返し与えられている宿題みたいなものだけど、
本来の生命は、そんな所にいつまでも躓いて生きるものではなくて、
そういった各自の特性を持ったそれぞれの魂としてこの大親真体系大自然界にそれぞれの輝きを放って永遠に役割を果たしながら生きていけるよう、
誰よりも生命の大親である神が願っていて下さる。

この小さなマスの中に書き込んでいると、文章の長さが解らなくなって来るので、
平易に簡易にを心掛けたいのですが長くなりがちでごめんなさい。

何故カルマという考え方が生まれる様な、マイナスの衝動が私達にはあるのかという話なんかも書きたかったですが、
それは、かつて頂いて、それによって生き抜いて来た本能だったのだということとかですが、
私の考えたことではなく授かった認識なので、勝手な書き方も出来ないしどうしても長くなるのでまたいつか。

このことも、どなたか正式に書いて下さっていないかしら…。
>>[3]

悟りの家…ネットでブログを見つけて少し読ませて頂きました。

自分が触れて感動したものは
それこそその人の存在意義として生きる証として
大切な拠り所になります。

それが宇宙の真理に関する思想であるなら尚更です。

信仰や思想がその本人にとってどれほど大切なものか
私もそう言うものに触れて拠り所となっている1人として
自分なりに理解しているつもりです。
伝えるもどかしさも感じています。

だからこそ、できるだけ固有名詞は使わず
ニュートラルな表現に変換してお話しするよう努めています。

そうすれば固有名詞などの言葉の既成イメージに捉われずに
共有点を見出しやすいのではないかと思うからです。

しかし言葉は表現としての一手段であり限界を持ちます。
自分の意図を伝えるには根気と寛容さが必要であると
私も今学んでいます。

原因と結果の法則に関してはめりるさんも認めていらっしゃるので
おそらく「カルマ」と言う言葉の既成イメージに対する
捉え方の違いなのかなと思っています。
めりるさんはマイナスイメージとして捉えていらっしゃるのですね。

カルマ自体には良い悪いはなくて、行為に対して反応があるだけ。

善悪の基準は愛があるかないか。(CMみたいですが汗)
そこが神様の視点・ご意志であると思っています。
そこに近づこうとする心を私は「客観」と言う言葉で表現しています。

私は古臭い人間なので使い慣れた言葉を選びますが
おっしゃる内容とは共通していると感じるのです。

この地球に生命が生まれておよそ40億年。
初期の単細胞生物から人類に進化してまだ500〜600万年。

そこから今のこの世からあの世ができて今の霊界となっていて
今は物質世界に比重がかかりバランスが良くない状態。
確かにまだまだ私たちは幼い段階だと思うのですね。

素直に根気よく前向きにそして寛容に歩んでゆけば
いつかは神様の輝きをあの世とこの世に顕すことができると
私は信じております。

めりるさんも同じなのではないでしょうか。
>>[4]
カルマという表現が、
…えーと、話すと長くなりますね←
ただ、昔、人間だった頃だとそういう表現でもそんなに不自然にはならないけども、
人間だけやって生きて来た訳でもなく…。

悩みの多いトカゲとか居たらどう思うかと問うて頂いて爆笑したこともあるけど。
いや、トカゲだったことは覚えてますもので。

カルマという表現に、あの独特の、如何にも悩んでいるイメージが纏わり付かないならば、
それほど気にはならないんだろうと思います。

そして、その様に気にならないことであれば、わざわざ、カルマなどというものは無いなんてことも言ってしまわなくても良いことになると思いました。

人々にとって人生が、カルマとか贖罪で大変だという考え方から、
カルマとか贖罪で面白くてやる気バリバリだという方へ転換出来れば、
この世を与えて下さっている御存在に対し奉り失礼ではなくなるだろうと思うのですがね。

>>[5]

キリスト教的な贖罪・原罪のイメージなのでしょうか。
「罪」というと犯罪のようで確かにマイナスイメージかも知れませんね。

カルマについてはまた別にトピックを立てる方が良いのかも知れません。

言葉にしても思想にしても、受け取る側の段階で違ってくるでしょうし共通認識を持つことは難しいことだとは思います。だからこそ共有しようとすることに意義があると思っています。

悩むトカゲですか・・・^^;

人類のような自我の意識と動物など他の生き物とは違うと思うのですが、私にはわからないのでなんとも言えません。

でも、人間も哺乳類と言う生き物なので他の動物と共通する部分も持っているわけですよね。繋がりはあるのでしょうね。

生き物の存在ひとつ見ても自然界はほんとうに絶妙なバランスで成り立っていますよね。

神様が創造されたこの世界こそ奇跡の顕れだなあ…とあらためて感じます。
>>[6]
そうですとも(*'▽'*)!

意識認識というのは、
初めは全部あるけど、それらを改めて獲得して自分のものにして行く為には、体験経験が必要なのだと、
これは、もう言っても良いと御許可頂きましたので申し上げますが、
神様御自親より直接頂いた御指導です。

地球を真惑星にして救済して下さる為に、今この惑星には、直接の御指導を頂いています。

神様は、御自親が神であると威張るのではなく、親理を与えて御子等の意識を高め素晴らしくしようとするのだとのことでした。
御子等の意識を高めるのは、人間には出来ない。御親でなくてはそれは出来ないからだと、
今だけ、この銀河にも、この宇宙にも、
そんなには無い特別な設定を行って下さり、地球には大親許の親御場所が設定され、
此処で起きることは種となり地球上に現象化する為に、今は誰でも行ける場ではなく良い種を作る為の真摯な御場所になってます。
そんな訳で、言いにくいことでもあったのですが、
私達には生命を授けて生かして下さっている御親が居るという認識を、持って還るのと、持たずに還るのとでは、あの世に戻ってからの生き方が全く違ってしまう。

だから、御親の親御存在を伝えること、
神様は何もかも与えて与えて与え続け、全て神様が与えたものしかこの世には無く、それを使って自分達の気持ちを自由に作りなさいとこの世を与え、
私達が不詳にも不肖にも作り上げた自由の気持ちも全て、能動的に素晴らしい気持ちへと高まって行く様に、丸ごと抱えて下さっている。
そのことを知って、実感出来たら、
あの世に行っても御親に抱えて頂いていることが解れば、
地球上がそういう気持ちで生きていける惑星になれたなら。

その様に、御指導頂きましたので、
中身をお伝えさせて頂いています。


意識は、自由のものとして獲得するには体験経験が必要であると。
そんな訳で、この世を生きる肉体も、使う為にはそういう気持ちになる必要があり、
飛べる身体を与えても、飛ぼうという気持ちになれなければ飛べないので、
何度も飛ぶ捕食者に食べて貰って、飛ぶ気持ちを分けて貰って、それから改めて肉体を頂き飛べる生態を獲得するという順序。
食べられるというのは、肉体の奪い合いというよりも、意識の与え合いであり、相互支合のこの世界の一つの形なのだそうです。

トカゲも、
脳が三層になっていることは知られていますが、
それも、その脳を作り上げて来た進化の過程があり、
一番深い所に神経、そして本能の小脳、大脳、前頭葉。
その進化の過程は、胎児の時代に改めて全て通り直してから誕生して来るとのことでした。

トカゲ時代には、小脳を作ったことでしょう。
私も、この地球上の肉体的生存に慣れる為に、一から体験をやり直し、トカゲ時代も通って来たのだと思います。

別の星に行きたければこの様にしなさいと伺っています。
宇宙船で行くのではなくそこに生まれ変わりなさい。
宇宙船で行ったら標本にされるぞと。
なんか、さもありなんと思えば爆笑してしまいますが。


あの世とこの世は、写真のネガポジの様に、物語とシナリオのように、日向とその陰のように表裏一体。
見えているものと、その底にある見えないもの。
見えないものを見分けて行く為には、見えるものの方から見分けて行く。
そして、見えるものは、氷山のように、全体のほんの一部であり、
見えないものの方に本質があり、
しかし、全ては見えるものの方に現れて来る。
見えるものの方から見えないものの方を切り替えて行くことも出来る。
この世界は、そんな風に、味わいのある世界として親現して頂いている親世界だということ。

福島で揺れた規模は大きかったけれども、その被害は抑えられた、
その様に、昨年一年間を掛けて様々に行って下さった御準備を拝見していました。
あれがこういう意味だったとは誰一人気付きませんでした。

この世は御親意で営まれており、
御親の御気持ちというのがあるのだから、
御親の御気持ちは、御子等を素晴らしくしたいだけだから、
その御気持ちに感謝と、お応えしたいと思う行動があるなら、
それが生命的親子の絆となり、気持ちの繋がりとなるということを、
もしも、肉体をお返しして旅立つ迄に解ることが出来たなら、
肉体を離れた霊的生存になっても、安心して生きていけるということを、
皆が解ると、この星の生き方が変わるということだけは、確かだと言えるでしょう。


ちょっと書きすぎたと思いますが、
これからは、勇気を出して、自分の頁もそっちをベースに書いて行く様に転換しようと思っていますので。
今回はこんな書き方になり御免下さい。
>>[7]
変換が、確認不足ですみません。
自分の気持ちと打ったのが、二つも、自由の気持ちと変換されていました(‥;)

まあ何となく、意味は取れなくもないか。
今のmixiの仕様が、自分の原稿がコピペ出来ないので、
直して削除再投稿が出来ないものだから、
こんな誤字投稿ですみません。
>>[7]

文字通り気持ちのこもったコメントありがとうございました。

私たちが神様から生まれて進化の過程をたどり
そのご意志をこの世に体現していくために、
意識もまた成長していくことが必要なのですね。

そう考えると、
やはり今この瞬間この自分のするべき事、
仕事であれ家事であれ勉強であれ
それを一生懸命にすることが大切に
なってくると思うのです。

そのために生まれてきたわけですから。

自分がこの世でみんなの役に立つために
できること、したいこと、しなければならないこと
それを個人の立場や行為の結果自体に捉われずに
神様の意識に近づく客観的な視点から
一心に果たしていくことであの世が変わっていく。
そうしてそのバランスでこの世も変わっていく。

そう言う全てのつながりとしてこの世とあの世を
行き来していきたいと私は思っています。
>>[9]
素晴らしいですね。
そういうことだと思います。

魂にとっての良いことと、そうでないことは、
気持ちにとってのそれとは違っていて、
強く印象に残った親理(御親意)のお授けで、
この世を生きて素晴らしいこととして、夕日の美しさとか、海山川の素晴らしさとかを実例に挙げて下さり、こちらはその通りだとうっとり頷いていたのですが、
「嫁姑問題も素晴らしいでしょう」と言われて総員うっ!と、言葉が喉に詰まった。
「どうしたんですか?あれは、歓びなんですよ」
と、御言葉を重ねられ、みんな苦笑しながら黙り込む…。

ドロドロの嫁姑問題が、実は魂の歓びなんだという認識に至るには、
地球人類の意識はどれだけ真転換、真止揚しないと届かないのでしょうね…。

きっと、これまで積み上げた、数々のマイナスの体験も、
意識の転換により、味わい深い懐かしい思い出となり昇華されて行くことになるのでしょう。

でもひとまず今は、真心で生きるというスタンスに、取り敢えず、立てる所までは行かなくては。
神様には、真心しか通用しないそうで、
自分で捻って都合良く考えても、その中の本当の気持ちだけをそのままお受取り下さってしまうから、
先ずは、本当の気持ちと自分の気持ちが一致して、
自己一致して生きて行ける様になることからが、
地球人には最初に、真実で生きる、始まりになるのかなと感じています。
>>[10]

嫁姑問題のお話…私はよくわかりました。

意識の転換を、私は自己否定と言う言葉で表現しています。
(それこそマイナスイメージとして皆さんからは不評ですが^^;)

自分(自我)の立場から見る=主観
で見るととても面倒で厄介な状況と感じるかも知れないけれど

神様寄りの立場から見る=客観
で見ると、お互いに前世からの縁が現世で形となって顕れて感情のわだかまりや思いを見直す機会を与えられている。

この現世で、それぞれの感情を客観的に省みて、今の自分の立場や感情から離れて(自己否定して)みんながより良く生きていくために行動できればそれはカルマが顕現して解けていく姿となるわけです。

それがカルマから自由になることであり霊的進化でもあり
魂=神様につながった視点から見れば歓びとなるのですね。

小さな主観から客観に意識を転換することにより、それがまた小さな主観を大きな主観として自分に反映されて今のこの意識でも歓びとして感じられるのです。

他人から見て「可哀想に」と見えることも実はそうでもない…
ということもあるのですよね。
>>[11]
そうそう。
自己否定というのも間違っていないと思いますが、
頂いた御言葉では、自己中毒というのがあり、
自己中心、自己中毒を総称してなのか?一応、自己中と纏めて表現して下さいますが、

その、自己中からの脱皮と仰っています。

自己の重力圏からの脱皮。
これだと、イメージが取りやすくないですか?

現時点での自分の気持ちに浸っているのではなく、離脱せよと。
これなら、マイナスイメージは全く無くて、前向きですよね。

まあしかし、この辺りから先は、本人のやる気に掛かって来ることなので、
他人のお尻を叩くレベルでは無くなって来る範囲ですね。

自分が、やらないと。

その先はもう、各自の問題になり、教えとか教義とかは通用しなくなる。
それぞれがそれぞれに、真心であることしか通用しなくなる。


ここはあの世とこの世というトピで、
今の時期にこのトピを立てて下さったのが、おそらく霊的な閃きからだろうなと感心しているのですが、

これから、大量の旅立ちがあるだろうし、
その旅立ちへ向けての意識の準備をして置いた方が良いという今は丁度そんなタイミング。
せっかくなので、ここに立てて下さった流れに乗っかりたいと思っている訳です。

私も親心が未開発で、御親意に上手く添えないので、スムーズに流れを生かして立てて行くことが出来なくてどうもすみませんが、
根気よく相手をして下さって、ありがとうございます。
>>[12]

こちらこそ、有意義なやりとりをありがとうございました(^^)。

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