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ほんとうのスピリチュアルコミュの自分のスピリチュアル感について

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人は、ある結果を求めて行動を起こすと思うんですね。
欲しい物があったら、バイトをしたりお小遣いをためたり。
憧れの職業に就きたいと思ったら、勉強し準備をして就活したり。
パートナーがほしいと思ったら、自分を磨いて好きな人に告白したり。

努力の結果、それが実って望みが叶うこともあるでしょう。
でも、たくさん努力したのに、思う結果が得られないことも多いのが世の常。
そんなことを繰り返しながら私たちは生きています。
そうして、望みが叶った分と叶わなかった分とを経験として
(世の中こんなもんだ)と自分に言い聞かせているのかも知れません。
あるいは(頑張っていつか成功するんだ)と
ひたすら前向きに走り続ける人もいるのかも知れません。

スピリチュアルの世界で考えてみると、例えばある人が
自分を浄化して、チャクラを開いて霊的に目覚めて、
高次の存在とつながって、素晴らしい人間になって、
人の役に立つ素晴らしい人生を送ろうと
そういう境地にあると思われる人の元に行き指導を仰ぎます。

受講料を払って講座を受け、心の持ち方・生活の送り方・
瞑想やチャクラ開発などの技法を教わり、一生懸命学び、実践します。
そして、それによって自分に自信も湧いて物事も前向きにとらえて
日々の生活も充実していくかも知れません。
めでたしめでたし。

・・・だと良いのですが、現実はそう簡単にはいきません。
もともと今の自分を変えたいと思ってスピリチュアルのチカラに
望みを託す場合も多いのですが、今ある自分を変えることはとても難しい。
講座の仲間たちは良い人ばかりで、自分を評価してくれる。
けれども、実生活で一般の人たちと接していると
習ってマスターしたはずの素晴らしい状態がうまく生かせない場面が
つぎつぎ出てくる・・・。
指導者に相談すると、そんなアドバイスが欲しいんじゃないのに…
という答えが返ってくる。

そして、次第に心の中に(この指導者は本物じゃないかも知れない)と言う
気持ちが湧いてきて、足が遠のいていき、別の指導者・仲間を探し始めます。
そして、また別の指導者へと、それを繰り返してしまう・・・・。
何度も何度も、同じように。

繰り返しているうちに、(自分はダメな人間かも知れない)と言う気持ちも
出てきたりして、スピリチュアルに対しての関心や情熱も冷めてきてしまいます。

そんなくすぶったような状態に追い打ちをかけるように
現実でも辛い出来事が重なり、打ちひしがれていると、
ふと、ある言葉を思い出します。
それは渡り歩いたどの指導者からも投げかけられた言葉でした。
「あなたはどうしてスピリチュアルに興味を持ったの?」
(もちろん、霊的に目覚めて素晴らしい人になって、
困っている人を助けたり、素晴らしい生活を送るため…)
・・・・・・・・・
・・・・・・・・
・・・・・
・・・
素晴らしい人?
素晴らしい生活?

すると今の自分は
一体何なのだろう?

今の状態を何とか変えようと
一生懸命頑張って、
それもうまくいかず
くたびれてしまっている
この自分は・・・?

・・・・そもそもスピリチュアルって何?
チャクラって何?
チャクラが開くといろんな能力が目覚めるらしい。
よく分からないけど、とにかく能力が欲しい。
能力が欲しいからスピリチュアルを学ぼうとしていたのか?
どうして能力が欲しいんだろう・・・?
それはやっぱり、今みたいな苦労をしなくて済むし
他の人より優位に立てるし・・・・・?
あれ?困ってる人を助けることは?
自分が優位になったらついでにということだったのかな!?

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

自分が何かになろうとして努力をするのは
当たり前だと思うんですね。
人より何かに秀でようと思ったら、
それこそオリンピックの選手になろうと思ったら、
それこそ頑張って人より何倍も練習するしかない。
選手に選ばれるかは、自分の能力・練習・カルマもあるかも知れない。
スピリチュアルを学んでいたら、
それが特別うまくいくとか楽に達成できるとか、
そんなことはないと思うのです。

選挙に惨敗して逆恨みし、社会をひっくり返そうとテロ化した宗教集団がありました。
スピリチュアルで現実も思い通りになると勘違いして
結局は悪魔の手先になってしまったのですね。

何かになろうとしてスピリチュアルを学ぼうとするのは
とても大きな危険をはらんでいるのかも知れません。

それよりもまず、何故自分はスピリチュアルに魅力を感じるのだろう・・・?
と、自身に問いかけてみることをお勧めしたいです。
人の役に立つことよりも先ず、こうなりたいという想いが
見えてくるかも知れません。

スピリチュアルは自分の目的を叶えるための「手段」ではなく、
何かになれなかった時に初めてその入り口に立てる。そこから始まる。
ぼくは、今はそう思うようになっています。

コメント(29)

すごく共感しました。
僕も人の役に立ちたいと思い、素晴らしい人間になろうとしてきました。でも、現実には、そうなれないと諦めました。自分を変えようとしてきました。でも、それって、自分を偽っていることでした。自分がよく見られたい。人より優位に立ちたい。そういう自分にはなれなかったです。
でも、それが、本当の自分なんです。
>>[1]

コメントありがとうございます。

そうですね。自分は自分以上でも以下でもない。
ありのままの自分をまず受け入れることから
ほんとうの一歩を踏み出せるように思います。

開き直るとかではなく
ほんとうに「自分に正直になる」って
とても辛くて大変なことなのかも知れませんね。

でもちょっぴりでも自分と向き合えた時に
その自分と向き合っている自分…
もう一つの視点に気付いたりするようですね。
>>[3]

霊能者の人は前世でも行をしていたりスピリチュアルな目覚めを経験された人が多いと聞きます。そしてそういう人は今生でも大変な目にあったり役目を担っていることが多いようです。

夢幻さんもそういう人かも知れませんね。
>>[5]

一人一人が自身の救世主。ほんとうにそう思います。

今までは霊能のある人に頼って救ってもらうと考える人が多かったですが、これからは一人一人が自分の霊や魂を自覚してお互いに協力して生きていかないと、そして自分だけのことを考えていたら成り立たない世の中になっていくと思うのです。

もともと引っ込み思案な自分がこのようなコミュニティを立ち上げたのもそういう理由からです。
>>[7]

何とありがたいお言葉…exclamation ×2
立ち上げて良かったです泣き顔

コミュニティの名前からしてハードルを上げてしまっていますが、方向を間違えないように運営していきたいと思っています。
私は自分が何かになろうという欲求があまりなく、何だろうこの世界は?という疑問がありました。
もっと違うものがあるような気がしていました。
記憶喪失の感が強いように思います。
産まれる時はすごい難産で、臍の緒が首に巻かれていたそうで産まれる前に臨死体験していたのでしょう。
その所為か、この世に持って来てはならない記憶があったからそのようになったのではないかと思っています。
だから、何かになる為に能力や何かを身につけるのではなく、寧ろそれは邪魔になり、ただ元に戻ればいいという欲求があるように思うのです。
>>[11]

舜さんが何かを求めていらっしゃると言うことは他の文章からも感じます。

私の、「何かになろう」と言う言葉を「何かでありたい」「何かを知りたい」に代えてお読み頂くのはいかがでしょうか?「元に戻りたい」でも良いと思います。

言葉は表現によって様々にニュアンスが変わりますが、その奥にある欲求を自覚する事が大切なのだと思うのです。
私は何かになろうという欲求は余り無いです。
それよりこれはどうなっているのかという好奇心が強いです。
しかし、探求心とか研究心というものがありません。
つまり物事を極めたいという願望がありません。
どこかで辻褄が合うようになっているのだろう、努力せずとも自然に答えが現れるのだろうと思っています。
極めて世俗的でもいいのだけれど、不思議がないとすぐ飽きてしまいます。
努力をしようとする気がなく、なるべく楽がいいという結果、今非常に自由な時間を享受してます。
小さい頃から世の中に対する違和感がありました。
人は何故一生懸命努力をしているのだろうかという疑問がありました。
だから、私は何事も本格的でなく、真似事で十分で、後は自動的にスイッチが入るものという妄想を抱いています。
空の鳥は撒かず刈らず、野の百合は労せず紡がず、です。
>>[13]

スピリチュアルに対するスタンスは人それぞれだと思います。みんな同じだったら逆に怖いです。舜さんはそれで良いんだと思います。

それぞれが、それぞれの立場で何かを共有できたら素晴らしいと思っています。
>>[14]

共有するとすれば、文明観はどうでしょう?
私も詳しくコミットしてないのだけども、天縄文理論というのがあって、これから文明転換が起き、今までの時代を「祖の時代」とすると、これからは「皇の時代」となるというもので、その二つの文化の違いは次のようになるとのことです。

祖:形から始まる
皇:中身から始まる

祖:画一的自由
皇:各人別々の自由

祖:宗教的発想
皇:科学的発想

祖:金、名誉、地位
皇:のんき、趣味

これらを見て私は正に「皇の時代」の価値感を持っているなと感じました。
但し、私は宗教的発想でも科学的発想でもないなと思いました。
強いて言えば、スピリチュアル的発想です。
 有名な某霊能者の方が、出演されて制作されている、<スピリチュアル ゴスペル>というYouTubeのサイトがあります。かなりの再生回数が記録されているので、人気があり信頼度も高い事がうかがわれます。現界、現幽界、幽界、霊界、神界と人は死後もその命は死ぬ事なく、階層を少しづつ精妙な世界へと移っていき、皆一様に輪廻転生をするという結論なのです。最後の神界の説明は無いので拍子抜けしました。「1人1宗教、人は自らの救世主」と詠っているのは良いのですが、スピリチュアルって生まれ変わりの、転生を繰り返すだけを意味してないのではないかと思います。
 神の国の存在、永遠の命が存在し、そこではもう転生せず、生まれ変わる必要もないことを公にしないのはどうしてなのかと、すこし不信感を覚えます。一般的には転生はあるのでしょうが、人間とは神の別名であり、使命を携えて高級霊が地上に転生する場合と、未熟霊が修行のために地上に転生する場合とでは、かなり違うと思います。ミカエルやガブリエルといった天使たちは末尾に<エル>が付いていて、神という意味ですが、彼らは地上で肉体をもって生活した経験がない方々です。
 この世のカルマをすべて清算し、魂が浄められ、純潔な状態に至れば、人は天使的な存在になって天界でのお役目を果たす者となります。人間は霊であり、霊は宇宙にひとつ、それは神の霊、キリスト神霊、御霊と呼ばれます。その大霊とひとつだと悟った時に皆、自身の最高の富に入り、解脱したという意識に至るのだと思います。
 もし、皆がお互いに別々の存在だと思って、生涯を終えた人は現世的な意識が強く、肉の意識を保持したままなので、吸引力により輪廻転生を繰り返す事でしょう。また神の国の住人にはなれないでしょう。宇宙はひとつ、一体であり、どこにも分離はないからです。
私たちの裡には、神の霊が宿っておられます。それが永遠の命です。
 神様は私たち神の子が、途中下車することなく、
 神の国に帰還することをいつも願っておられるのだと思います。
 
>>[17]

YouTubeで検索してみたのですがちょっと見つかりませんでしたたらーっ(汗)

…この世では様々な魂の段階の人々が同じように肉体を持って暮らしています。だからこそ貴重な世界だと思うのですが、私たちは進化の途上であり「ここが頂上である」と感じるところがその人の現在到達した段階によって違うと思うのですね。

この地球も私たちも進化していって輪廻から自由になった時、またその先が開けるのかも知れません。おそらく個人としての存在ではなくなるように思います。天使もまた個人名と言うよりも〇〇菩薩とか〇〇如来とかと同じようにその境地を現したものなのかなと感じています。

その境地になるとキリスト教とか仏教とかの違いは個性の名残りのような感じでほとんど意味がなくて、もしかしたらそこに違いを見出していろいろ思い巡らせているのは未だその境地に達していない我々だからなのかも知れません。

自分は自分の納得できた段階を人に伝える事しか出来ませんが、それぞれの段階を歩む人もまた神様の一部であると信じて愛する事も大切なのかも知れません。
>>[18]  オーラの泉で金髪の方と共演されてた方です。DVDの販売もあるようですが、6巻位YouTubeで公開されてます。お暇な時にまた検索してみてください。
>>[19]

ありがとうございます。なるほどそれはとても有名な方ですね。
了解しました。また調べてみます。
>>[20]  http://spiritualists.blog46.fc2.com/
スピリチュアルリストというサイトが、いろいろな疑問に答えてくださっています。本を読むお時間のない方はカテゴリー別に選択して、効率よく学べるとおもいます。高級霊まで行くと個性や人格などが失われてしまうんではないかとの疑問にも明確に啓示されておりますので、ご覧ください。
>>[21]

情報ありがとうございます。
興味深いサイトですね。
ゆっくり拝見してみようと思います。

ネット上の情報に対しての自分のスタンスは
あるがまま受け取ると同時に鵜呑みにせず、
発信者の心境について考察し、
万人が共有できるエッセンスに焦点をあててみる…
と言う感じです。

このサイトも高級霊とされる存在からの言葉の引用が多いみたいですね。
勉強になりそうです。
   http://vooot.net/index.html 

 タケのアセッション情報サイトというHPです。
以前ワラビー様が太陽神経叢についての網目について疑問を持たれていたので、ご一読ください。
アセッションについてや、瞑想の在り方、キリスト意識についてなど分かりやすい内容を提供していると思います。
 皆さまの祝福を心よりお祈り申し上げます。
>>[23]

情報ありがとうございます。
拝見してみました。

なるほどチャクラについての内容のようですね。
幽体(霊体)にあるチャクラと
肉体にもそれに対応する器官があるので
そこを活性化させることについての表現の記述のようですね。
何となくですがわかりました。

あと「大師のみ足の元に」は懐かしかったです。
この本は私が師から「まずはこの本をよく読みなさい」と
初めて頂いた本でした。
当時は二十歳そこそこで内容もよく理解できませんでしたが
わからないなりにとにかく文字を追っていました。

今となって腑に落ちたのは行をする心構えで大切なことを
伝えたかったんだなあと。自分の原点のような本です。
  返信ありがとうございます。それは良かったです。ワラビー様は早熟な方ですね。私はキリストとか聖白色同胞団、ホワイトイーグルをキーワードにいろんな神サイトを学ぶのが生活の一部になっております。大師の〜は私もプリントアウトして読み返しております。素晴らしい先生に巡り合えて、直接指導を受けられるなんて、本当に恵まれていますね。きっとお父様と一心同体なんでしょう。
今後ともよろしくお願いいたします。
https://www.youtube.com/watch?v=G2DNudJ0XAY&list=PLJwRmkmoB7iTlQuKgGzUjyvKeBA4jIxgP&index=1
上記のご紹介サイトは、イスラム教徒の方が肉親の父に殺されそうになり、真実の創造主なる父を見出したお証です。

 神は我々に恐れを抱かせる奴隷の霊ではなく、神の子としての、み霊をくださったのである。そのみ霊によって、私たちは「アバ父よ」と呼ぶのである。略 もし子であれば、相続人でもある。神の相続人であって、キリストと栄光を共にするために苦難をも共にしている以上、キリストと共同の相続人なのである。(ローマ人の手紙 8章15〜17節)

 イスラム教は他宗教に改宗するものは子であろうが、親であろうが、妻子であろうが最悪、殺されるか家族との別離が待っているそうです。悲しい実話ですね。
 クリスチャンに改宗したイスラム教だった方々が共に集い、アメリカ、韓国の方々にも祈りの輪に加わっていただき、やがて900人のイスラム教の男性たちが、同じ晩に同じ夢をみて、ある牧師(宣教師)の福音を聞き救われ、それぞれ家庭も皆一緒にすくわれたというお話もあります。
 日本には信仰の自由が保障されているので、今時、宗教の違いで憎しみ、争い、殺戮に至るという事が現実であることが、報道されない限り理解できないのではないでしょうか。問題は宗教的な教義による迷信や盲信、迷信が根底にあるのではないかと思います。文字は人を殺し、霊は人を生かすと言います。
 イエス・キリストの言葉 <わたしはアブラハムの前から実存している。>
中近東の民族は皆、聖書的にはアブラハムの子孫だと思うのですが、コーランと聖書の神が同じ父なる神であり、人類が皆同胞であることに目覚めてほしいと願う、今日この頃です。
                          
スピは、導入だと思います。

意識を高めたいと思った時、宗教にそれを求めてみるけれど、
宗教は、普遍的なものではなく信じた者にしか通用しなくて、
ならば、もっと普遍性のあるものはと求めた先に、スピがあったのだと思います。

でも、スピリチュアルやはり、意識の普遍性を求めたものだとしても、
生命の普遍性までを求めるものではなく、
ただその問を紐解く発端に至る、導入の一つだと捉えるのが良いのかなと。

スピリチュアルはやはり、個々が問題で、
でも、この世界は、個々の集まりによって全体があるのではなく、
全体があるからこそ部分がある訳だから。

広大無辺な生命の世界。
今は、その世界へと、僅かでも関心が拓かれることで、
次の時代の幕開けが始まっているのだと思います。
>>[26]

動画の時間が結構長いので全部は見ていませんが…あせあせ

砂漠のような厳しい環境の中で生まれた宗教は
思想も戒律も厳しいものになると思います。
でないとそこに生きる共同体の人々の命が守れないからです。

けれども文明が進化し、それに伴う意識も進化して
厳しい環境でもみんなが生活できる技術や知恵ができてきている。
本当はそれを分かち合えれば良いのに、
人類はまだまだ国や組織など自分たちとそれ以外を分ける意識があり
違いを超えて物質的豊かさを分かち合えるほど進化できていない。

なのでいまだに飽食の国がある一方で飢える人々がいる。
そのような状態で信仰される宗教では性格が大きく違う。

違いの大きな思想がお互いに認め合い融和するには
生活や物質の面での分かち合いも必要なのかも知れません。
キリスト教は文明の進化とともに世界に広く伝わったのでその各土地で
分かち合いが進んだのかも知れません。

頑なな人の心を和らげるには、その苦しみを除いてあげることも
必要なのかもしれません。
宗教は進化していくものであり改宗もまた一つの形かも知れません。

その土地土地の神様だけなく、
大きな創造神のような神様を世界的に共有できるには
まだまだ歳月が必要だと思いますが、
「ああ、あれは素晴らしい宗教だ…!!」とみんなが思えるような
進化を実践していく事が前を歩いている者の役目かも知れませんね。
>>[28] めりるさん、ご返信ありがとうございます。 わたしはキリスト者として、毎晩9時から主の祈りと人類と地球に恒久平和がもたらされますように、神様の聖心がなされますようにと、お祈りを捧げております。このリーハイバレー ジャパニーズ ミニストリーズというサイトを見ながら思った事は、神様はわたしのお祈りを聞かれて、それを叶えてくださっておられる!と感激致しました。福音最前線に召されて活躍される若者が、現地の教会の前で、イスラム教徒にいきなり銃で撃ち殺されたことは大変なショックです。でも彼は今イエス様と共におられると信じることができます。また世界中に経済的な格差があり、富める者は益々富み、貧困層の者はかえりみられていない状況です。キリストの身体である世界人類1人1人に血液が行渡らなかったら、動脈硬化になって倒れてしまい機能できなくなる危険性があります。このためにも祈っていた事を思い出しました。神様は預言者を遣わして、億万長者本人しか知りえない彼の銀行口座の十数桁の番号を正確に言い当てました。こうして何十人もの億万長者に出会う機会が与えられ、皆一夜のうちに、本当の神様の臨在に圧倒されて、変えられていくのを見るのは、ほんとうに歓びです。
 ただ、聖職者やクリスチャンは地獄が本当にあるように言って、人々を恐れさせるのはどうかなと思います。それは悟っていない人間の中だけにある想念でしかないとイエス様が語っておられるからです。(ヒマラヤ聖者の生活探求 2巻 第5章 地獄 悪魔 神 より)また、聖書のみしか信じないという教会は力がなく、聖霊様の賜物を信じている私たちを落胆させます。
 今も神様は生きて働き、私たちの裡に住まわれ、1人1人を愛し、実りある人生へと導きたいと願っておられると思います。
 この民族だけとか、この宗教だけというのではなく、あらゆる国民が皆、神の子供であり、平和で幸せに暮らしていける世界を実現させたいと望んでおられるのではないでしょうか?

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