ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

葦原風太郎想像空間天寿国の末裔コミュの16. 紫香楽京・甲賀寺大仏  (泉川大橋架橋工事よりの、つづき)

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
 紫香楽京・甲賀寺大仏


 さて、こうして行基衆は天皇及び「百官」の認知する公然団体へと成長した。「泉川の橋掛け」を誰もが目にしたし上下の別なく誰でも渡れた。それ以前には法隆寺などを建立した神社仏閣建築の「金剛組」や渡来人たちの「石工集団」が在っただろう。また仏像を造る仏師集団も有るのだろう。

 そしてその夏に何度かの洪水があった、と仮定しておこう。百足橋は橋脚の幾つかが流されたが手当はすぐになされた。「吊橋」も何度か波を被ったが丸太と吊り組の青竹は流されることが無かった。それでも洪水の時には波の下に沈む事は、逆に衆目の眼にも見られた。

 橋の位置が低いのである。これを高くする必要があると天皇は決断し、恭仁京の東に新たな橋を架けることにした。それは二度試みられ、史実にあるので完成しただろう。しかし「ここ」ではそれを簡単になぞって先に進もう。



 百足橋の完成した後、若者達は「恭仁京」作りに参加した。その時、若者達にも大人達にも「行基衆」に対し朝廷より袍・袴(ほう・こ)<狩襖(狩衣)や素襖(すおう)>に似た「作務衣」のようなものが送られた。それは恭仁京で作業する者たちと同じ衣服である。只違うのは仏教に帰依した者は頭の髪を落していた。またそうで無いものもいた。

 ここで彼等は「当時、最先端」の建築技術を学び、後の泉川大橋ー橋梁建設に大きな役割を果たしたことであろう。そして彼等はまた新たな任務を与えられる事となる。ある日、天皇を行基が訪れる。その行基を睨みつける者がいるかと思えば、大切な客人と見做す者もいた。 

「おお、行基殿、よくぞ来られた。おい誰か湯茶を用意せよ。ところで話はなんだ」

 官女が二人に湯を運ぶ。出て行ったのを見届けて行基は話を切りだす。

「はい、甲賀の紫香楽にて瓦に致す『良い土が出る』という話しでございます」

「ほう、それは使えるな」

「但し山の中でもございます」

「土が良ければそこを取ろう」

「もう一つ問題が……」

「なんじゃ……」

「山の民、そこは『狸衆』たちの支配下にございます」

「それしきのことか。話し合って事なきを得れば良いではないか」

「橘諸兄さまの話によると恭仁京と太神山で手打ちしたとのことです。三度めは難しいと申されます」

「そうなのか。それは困った事だなぁ……。それなら遷都しようかのう」

「えっ……」

「遷都」

「え、またですか。恭仁京も成らぬのに……」

「遷都で前進基地を作るのじゃ。京や街があれば人が集まる。力が集まる」

「左様ではございますが、また睨まれますぞ」

「仏の与えた試練と思え。まだ儂は生きとるでの。もっと凄いことしたい」

「困った性格ですな……」

「おもしろかろぉ♬」

「ま、確かに」

「お主も性格が良くなったの」

「では衆徒を恭仁京建設より順次引き上げます、が、諸兄殿や智努王様にも言っていただけますか」

「そろそろ来るであろうから儂から言うておく。まずは道を開いてくれ。牛や荷車の通れるような広い緩い道を拓け」

「ですね。結構、恭仁京よりも離れております。よって移動飯場を設けましょう。そして専従の者達も置きましょう」

「やってくれるか」

「やりましょう。大屋根が板葺では話しに為らない。やはり瓦が欲しい」

「支援は惜しまん。道を開いてくれ」


現代の京都府道・滋賀県道5号木津信楽線は行基衆の開いた道である。古くは「恭仁京(くにきょう)東北道」と呼ばれたらしし。

Wiki 「この道は742年、奈良時代に紫香楽宮と恭仁宮とを結ぶ古道であった」とある。


コメント(6)

「ルート設営」に当たって、まず行基は「情報収集」より始めた。当時に「道らしい道」は都の近くにしか見当たらない。およそ「人々が多数歩いて」道になる。人里が無ければ「獣道・杣(そま)道」しかない。

 そして今回は「杣人(樵・きこり)」を当てに出来ない。紫香楽・狸人の地は「奉ろわぬ人々」の暮らすところであるのだろう。行基は「情報源」として商人や風の民ー「たたら師」また「遊行の民」を集めた。しかし彼等も又移動するのであれば簡単には集まらない。

 よって行基衆の「健脚部隊」を何組か仕立てて「ルート探索」に当たらせることとした。それは「泉川部隊・五人」とすでに開けている道を通っての「紫香楽部隊・五人」である。この二つに「デンデン太鼓」と「ほら貝」を与えた。「音を頼りに出会えばよい」のだ。また「人と出会えばー道を尋ねる」し、大きな音は狼や熊や猪を避ける事にも都合が良い。
 
 もしかして「狸人に捉えられたらー道に迷ったー○○に行きたい」と答える事として「ルート設定」に関しては口に出さない事とした。彼等には水筒と非常食が与えられ「野良着」を着て移動する事になる。しかし「ある日突然、音鳴りのする」のは異常事態であり、部隊の一つがリンチを受け、人質を取られる事にもなる。行基は釈放された者を案内に立て人質救出に乗り出す。



 次の日に行基は案内人と染麻呂とゴンタを釣れ、共に「人質救出」に向かう。およそ獣道を進んでゆく。すると進路に五人の狸人が現れた。彼等は尻に狸の皮を巻く、土の上に座るからだ。

「儂は行基と言う。昨日の人質を返せ」

「何を偉そうに言うか。ここで我らに勝てると思うか」

「お前達と争う気は無い。ただ人質を返せと言う」

 二人の男が前に出て行基を捕らえようとした。その一閃、行基の錫杖が箒で掃く様に動いた。その錫杖は二人の脛を軽く叩いたのである。

「いて〜〜」

「あうあう……」

 二人の男が引っ繰り返った。行基の錫杖は護身用の鉄棒である。勢いをつけて振れば二人の足を砕いている。

「まだやるか……」

「ほう、やるじゃないか。ではこれでどうだ」

 残る三人が山刀を繰り出し行基に迫る。行基は錫杖を槍のように突く、またゴンタは足を蹴上げて山刀の手を振り払い体当たりで一人を制圧する。残りの一人は染麻呂が体術で組み伏せていた。三本の山刀は土の上で光っている。

「ま、ま、参った。命だけはお助けを……」

「心配するな、殺す気など毛頭ない。さて、人質交換じゃな」

 染麻呂は組紐を五人に後ろ手に巻き、五人の首には荒縄を一列に巻いた。

「ほれ、人質の処に案内しろ」

 ゴンタが縄に巻かれた五人を牽引し、行基たち三人を引率する。暫らく行くとまた狸人が三人現れた。

「行基と言うは御坊のことであるか」

「そうだ、儂が行基だ」

「その様子は何だ。仏に仕える者のする事か……」

「時にはするのが釈迦の教えじゃ。この者達は悪事を働いたのでな」

「その五人は我等の仲間じゃ。放せ」

「厭じゃ」

「何、嫌と言うか。何故放さぬ」

「ならば私の弟子も返してもらおうかの。この人質は交換じゃ。それともお前達の首にも縄を巻いてほしいか」

「いや待て、我らは争いを好まぬ。頭の処に人質もいる。儂らに付いて参れ」

「よし、案内いたせ」

 一列になった一団が獣道を行く。どうやら川筋の道である。対して高さも無い谷を降りてゆくと広い河原に出た。四方に山が聳(そび)えている。

 その一つの山裾に断崖があり、大きな岩が河原に寝そべっている。道案内の一人が口笛を器用に鳥の鳴き声に変えた。岩の上に人影が出た。

「お前達、そこで止まれ。なんだその有様は……」

「頭はおられるか……」

 案内の一人が言う。

「おる」

「人質の交換だとさ。伝えてくれ」

「しばし待て」

 人影は岩の向こうに消えた。少し時が進む。空ではトンビが輪を描いている。もう紅葉も始まった。行基はまだ歳を認めたくない。


 やがて河原を案内人がやって来た。

「行基和尚、案内いたします。こちらにどうぞ」

 案内人はそう言うと川上へと足を進める。そして獣道を森の中へと進む。坂道を上り続ける。やがて鳥居と小さな社が見えた。舞楽台があり、そこに男たちが勢揃いしていた。

 皆髪は伸び放題にまた髭を生やす。中には角髪(みずら)を結う者達もいる。「朝廷支配」を嫌って山に逃げた者たちだ。

 染麻呂が縄をその辺りの木に結える。当然衆目の睨みを一身に受ける。道案内の若者が、

「仲間がそこに……、助けに来たぞ」

 その者たちは男たちに囲まれて声を潜めて舞台の上で正座させられている。


 大男だった。

「お前が行基とか言う坊主か」

「そうだ、儂が行基だ」

「話しには聞いている。人質の交換だと……」

「そうだ。それを口実にお前に合おうと思ってここに来た」

「判った。俺に話があるという事だな。ならば仲間の非礼を詫びる。その姿はあんまりだ。縄を解いてやってくれ」

「判った。ならば仲間を放してくれ。これで相子だ」

 舞台の上の仲間たちは男たちに促されて立ち上がる。ゴンタと染麻呂が囚われの五人の縄を解く。それらの者たちが場所を入れ替える。お互いに仲間同士が手を取り合う。

「頭に願いたいのは紫香楽の開発だ。仲間より良い土が出ると聞いた。こちらで寺の瓦を焼きたい」

「カワラ……、なんだそれ」

「屋根に乗せる土の焼きものじゃよ」

「知らぬな、そのようなものがあるのか」

「平城の都や恭仁京の建物の屋根にある奴じゃよ」

「知らぬ。行ったことも見たことも無いでな」

「話しを変えよう。お前達に土は必用か」

「畑で野菜を作るにはな……」

「すると焼き物の土は必用ないじゃろ。ほれ昔の土器と言うやつじゃ」

「土の器は使う時があるナ」

「それじゃよ、それ。紫香楽には良い土がある。それを作って売れば銭儲けになるぞ」

「銭などいらん。ただ米は欲しい」

「判った。ならば我らと取引じゃ。我等に土器を造らせろ。米を届けてやろう」

「沢山欲しいぞ」

「ならば道を開く事だな。道があれば牛にも荷車にも米俵は積めるぞ」

「よし、取引成立だ」

「ならば明日にでも若者たちに運ばせようぞ。紫香楽と恭仁京に道を造るぞ」

 只では引かない行基であった。



 次の日に「健脚部隊・十人」が組織され背には小さな米俵を背負わされた。一行は和束を通り湯船に出る。大体は和束川に沿って歩く。すると太鼓の音がして狸人の案内人と出会えた。

 するとどこからともなく男五人が現れて米俵を受け取った。案内人は健脚部隊を尚も案内し「中野ー勅使」を過ぎて「紫香楽」に出た。

「どうだい、道は覚えたかい」

「なんとなく」

「では、明日は帰り道を途中まで案内する。明日の朝、夜が明けたらここで待つ」

「お願いする。宜しく頼む」

 翌日、その帰り道に若者たちは草を踏んだり、枝を折る、また小石を置いて道に印を付けて歩いた。

 その次の日に健脚部隊と行基か再び紫香楽を目指して歩く、湯船より中野に出る辺りの山が険阻で歩き難いとの話だ。染麻呂が道を開き始め、ゴンタとガタロが中継基地・飯場を和束の川筋に設営する事になった。

 行基は報告を受けて「迂回路の探索」の必用を感じた。運であろう瓦は大きく重たいだろうの予感がある。出来れば平坦な道が有難いが、山の中の事である。




 翌日、道案内を含めて十人で現場に来た、まだ昼前である。まずは到着した処をA地点とし次に目ざすべき場所をB地点とする。A地点からB地点までのルートを探るのが本日の課題だ。

「とゆうことで二人一組で行動してくれ。儂は案内人と共に昨日歩いたという道を行く。残り四組は好さ気な処を左右より攻めてみてくれ。それと音出しも忘れずにな。儂も太鼓を叩くでな……」

「判りました。お師匠より先に目印に着きましょうぞ」

 B地点には赤い布きれを太い枝に吊るしてあるという。そこを五組の者たちが目指す。

「では、お師匠様、参りましょうぞ」

 行基は案内人の後ろを付いて歩く。初めは緩い登りの坂道が、やがて傾斜のきつい坂道となる。木の根や禿げた石の角を求めて歩みを進めるがやがて這うようにしなければ進めない山肌となる。

「これはきついな……」

「そうでございましょう。ここをこうして『高巻』くのですが、向うの様子もこれと似ています」

行基は手に持つ錫杖に紐を掛け、背に廻し体に括り付けた。普段は杖になる物が、ここでは無用の長物だ。

「やっかいじゃな。ま、目印まで行こう」

 行基は木の根、木の幹、出張った石や岩角などに手を掛け足を描けして進むしかなかった。やがて空が近づいて、そこを越せば体を交して下りの道を探して歩く。うっかりすると谷の底へとズルズルと滑る事になる。

「なんと、もはや……」

「お師匠、気をつけて」

 そこは行基も旅慣れている。ある意味修験道の道に行けばこの道はまだ可愛い方でもある。やっとこさっとこ二人は難所を超える事が出来た。そして赤い布きれを見出すが、まだ誰も来ていない。

 二人は木の根元に座り、竹の水筒の栓を抜き喉を潤す。

「他に良い道があれば良いですね」

「たぶん無かろう」

「何故わかります」

「あそこは山の手の指じゃろ」

「山に手があるのですか」

「ものの例えじゃ。山が山として成る時に手や足を延ばす。さすれば指も有る物じゃ」

「なるほど……。そうか山裾か」

「高い山に登り向うの山を眺めると山裾、すなわち山の手足が見えるじゃろ。あれがここでは山の上にもあるということじゃ」

「山の上に山が……」

「この世を造った神々の戯れじゃろうかの」

「なんと不思議な……」

 そのような話をしていると人の姿が見えた。

「お師匠、只今到着です」

「御苦労。どうだった」

「見ての通りです。たぶん余分に歩いただけです山越えが急な坂道で難義しました」

「わかった。水でも飲んで休め」

 その二人は草の上に足を延ばした。

 少し離れた処よりほら貝の音がする。行基が太鼓を叩いて返事する。やがて二人の仲間の姿が現れる。

「ただいま、到着」

「御苦労だった。どうだ道は」

「道など有りません。迷っただけです。太鼓の音が聞えなかったらここに来ていません」

「そうか、御苦労だった」

 行基は太鼓を案内に与え、間隔を空けて叩く様にと指示する。






案内は是で良いかと太鼓を叩く。やがてまた二人の仲間の姿が見える。

「お待たせしました。ただいま、到着」

「御苦労。どうだ道は」

「道なんて無いです。もっと遠くを行なら別ですが、この辺りにあるのは獣道だけ。この植生では樵(きこり)も来ぬでしょう」

「そうじゃろな。何ぞ無ければ誰も来ぬ」

 泣くようなかん高いほら貝の音が空より聞えて来た。

「これはいかん。なんぞの事故じゃ。ほれ皆起きろ。助けに行くぞ」

 その声に皆が立ち上がり方向を探す。ほら貝の音が木魂するので迷うのだ。また笛の音、

「あっちだ」

「そうだ、あっちだ」

 皆が音のする方に駆け出した。

「おーい」

「おーい、こっちだ」

 空が開けて来る。山の端に出ようとしている。

「おーい」

「おーい、こっちだ」

 声の方を見れば若者が一人手を振っている。

「どうした」

「一人下に落ちた。上がってこれない」

「よし助けよう」

「おっと待て待て。こんなときには用意がいるぞ。誰か縄を持っておったナ」

「はいこれに」

「よし、おまえと、おまえと、おまえ。儂について来い。あちらから、坂の緩い処から巻いて下に降りるぞ」

「はい」

「わかりました」

 行基を先頭に三人が斜面を降りてゆく。

「おーい、大丈夫か」

 気づいたのだろう、片手が上がる。

 やがて四人が負傷者の傍に着く。

「どうだ。何処か痛いか……」

「あちこちと打った……」

「立てるか……」

「力が入らない」

「静かにしてろ。見てやる」

 行基はまず若者の顔と頭を見る。ぼうぼう髪に血の媚れを見つける。次に手を取り屈伸させる.右足を屈伸させて、見る。ここまでは異常が無い。

「いてっ」

「これか」

 左足の踝(くるぶし)が少し腫れている。膝からも血が出て青く鬱血している。

「よし、ゆっくり体を伏せてみろ」

 若者の体は仰向けだった。腰を痛めているかもしれない。そして手は貸さない。自力でどこまで動くのか、それを見たい。

「いててて……」

 若者の体が手・肘を使いゆっくりと反転する。

「尻が痛い。腰になるのかな……」

「どれ、見せてみろ」

 行基が跨の裾を捲(めく)り上げる。見れば大きな赤あざが左の尻に出来ている。

「これなら大丈夫と思うが、しかし大事をとろう。担架をつくるぞ。だれか竹藪から竹を二本切ってこい。ほらあすこだ」

 行基が竹藪を手で示す。

「取に行くのに気をつけてな。それとおまえ、皆をここまで連れて来てくれ。集団行動するぞ」

 若者二人が動き出す。

「おーいみんな。こっちへゆっくり降りて来てくれ」

 若者が皆を呼びつける。行基が若者たちに言う。

「法螺貝を持つ者は大きく吹け。助けを呼ぶんだ。陽が傾き始めているからな」

「わかりました」

 若者が二人で交互に法螺貝をふく。

 若者の一人が竹を取って帰って来た。その二本の竹に行基が縄を掛けて結んでゆく。若者がその上に寝かされた。



 半時もしないうちに二人の狸人が現れた。

「騒々しい奴等だな。どうした……」

「実は事故があってな。またここからの帰り道も判らない。道案内を頼みたいのだ」

「まかしとけ。お前達の飯場まで案内しよう」

「お頼みもうす」

 担架は若者たちが交代で持つ。やがて一行は新しく設営された飯場に到着する。案内してくれた狸人に行基は米を与える。二人は喜んで元の道を帰って行った。


 一方、怪我をした若者はそこより木津の飯場に送致された。新しい飯場はまだ余裕が無い。木津なら女子衆の看病を受ける事も出来る。当時に今風の医療知識は無いので、当時の民間医療の手当で有ろう、骨折の無いのが救いであった。

 夕飯を済ませると行基は染麻呂・ゴンタ・ガタロと、健脚部隊を集めて車座になり会議を開く。

「たぶん山の尾根、山の手指が伸びておるんだ」

「やっかいですね」

「そこを超えんと駄目なんか」

「穴を通す方法もあるらしい……」

「そうじゃ。だが土が固そうじゃ……」

「人数を分けて両方から通す……」

「それは避けたい。出会えばよいがズレることも有るのでな」

「では、大勢で時間を分けて朝昼晩というか、疲れた者が休み、体力があるなら作業するのは如何か」

「それでやろうかと思う。よって人数を決めようと思う。まず染麻呂殿は先の二百人で道路工事を和束まで進んでくれ。ガタロの方は和束の飯場設営に五十人でやって欲しい。ゴンタも五十人で山の現場に飯場を設営してくれ。あすこは水が無い、その事に注意してくれ」

「判りやした。板を貰って水槽を造りやしょう」

「なにかあったら伝令を飛ばしてお互いに連絡の出来るようにもしておいてくれ」

「合点」

「承知しました」

「判りやした」

「まかしてくれ」

「わしもまず百人を連れてゆきたい。健脚部隊の若者よ。皆に動員と準備をさせてくれ先ずは道を開かないとな」

『判りました。皆に声を掛け水筒と食料を持たせます』

「それで良い。明日は飯場設営に無理があろうから。では動いてくれ」

 片流れの屋根の飯場に燈明と行基だけが残った。熱気が失せて行基は一つくしゃみした。夏が終わろうとし秋の気配がして来ている。


 行基たちの持て余す山の尾根は『猪脊山』から伸びるものと推察される。この尾根により和束川と紫香楽川が判れている。その先には「小峠」「高杭」の地名があるのでそこもまた小高い山なのかもしれない。

 




 行基たちが「恭仁京ー紫香楽京」道路敷設で悪戦苦闘している時、宮中では天皇が橘諸兄と智努王そして藤原仲麻呂を集め何やらひそひそと相談事をしている。そこに皇后の姿が無い。

「何故に恭仁京は成らぬのじゃ。何故人が集まらんのじゃ……」

「渡しの船と、あの橋では、いささか無理があると思われ……」

「仲麻呂よ。皇后も機嫌が悪いぞ……」

「平城の都は爺さまがお二人の為に建てた。なのに兄様の尻が軽い。藤原は平城に根を据えておりますので……」

「それで難しいと申すか」

「私では役不足でございますれば」

「ま、統領もおらず、判断を決めかねるのだろうな……」

 疫病と藤原広嗣の乱で広嗣や武智麻呂・宇合・麻呂の四子がこの時の前に無くなっている。光明皇后が後の下々の者たちの面倒を見ているだろう。

「智努王。新しい橋の用意は出来たか」

「造作を今しております」

「うむ、頼むぞ。行基が既に成した事。お前に出来ぬ事はあるまい」

「ははっ、しかし橋の建前には行基和尚に手伝ってもらいたくあります」

「何故じゃ、知恵が足らぬか」

「私には経験が無いのでございます。恥ずかしながら……」

「良い、お前は正直じゃ。儂が行基に頼んでやる。行基や若者も手伝いたいと思うはずじゃ。儂が言うて遣わそう」

「宜しくお願い致します」

「諸兄、行基は良く動いておるが寺の方はどうじゃ」

「用意してございます。紫香楽の瓦造り、また杣人(樵・きこり)達、奉ろわぬ者共にも良い目覚めの機会となりましょう」

「そうなると良いのう。ならぬやもしれんが……」

「山の深いのが難点でしょう」

「ま、それも良いではないか」

「ははっ……」

 天皇の言葉尻もスッキリとはしない。
まだこの時代は関東辺りまでの朝廷権力でしかないし、蝦夷など「奉ろわぬ者」は山賊として生活している。



<京都府道・滋賀県道5号木津信楽線 https://www.youtube.com/watch?v=qa9un8teX6c ★ 木津ー信楽5号線地図 http://u0u0.net/X6uG

<トンネル所在地ー二か所ー原山 〒619-1202 京都府相楽郡和束町 しかし後年に掘られたものと観る。> 



 現場に出ている若者や行基衆たちは「詳しい話」を知らない。しかし行基自身はある程度の事は知っている。大仏建立は組織的活動で現実のものとなる。各々、個々の活動は有機的に関連している。


 行基たちの拓く道は、大体は川筋、又は山裾のワインディング・ロードである。まず今は恭仁京ー紫香楽の最短の安全な道を拓く事が彼らの任務である。

 草刈はもちろんの事、潅木などは縄を掛けて「引っこ抜く」大きな木でも土を掘り「根切り」して「引っこ抜く」荒業である。「根の深い大木」であっても土を掘り根元で斧で切り倒す「切り株を残さない」方法である。

 それは「人海戦術」で可能となる。また「滑らかな道」に仕立てる事も忘れない。「振動で瓦が割れる」は避けたい。できれば「一度に多くの瓦を運びたい」のがある。出来が悪くても「牛車」程度は作ってあるだろう。

「飯場設営」は慣れた仕事である。今回は「川より離れる」ので水槽が必要だ。その位は諸兄の「木工」班で作れる。それまでは「桶で何度も運ぶ」で済ませる。是も人海戦術で可能だ。泥だらけの体を洗った後に「桶で清水を運ぶ」すれば良いだけだ。



問題は行基たちの開く「難所の貫通」であるだろう。隧道(トンネル)か切り通しかの二つの方法がある。そして最短距離か「山の端」かの二通りある。当然「早く安く仕上がる」方法を選ぶ。

「トンネル」では「穴を穿つー人数」が数人に限られる。切り通しであれば数十人で取りかかれる。行基は「切り通し」の方法を選ぶ。「高い崖」でなければ「山裾を削り取る」方が簡単だ。しかし途中で工事は中断される。




『十月十六日 山城國賀世山の東側の架橋成る。仍て従事せし諸國の優婆塞等に得度を許す。』


 行基たちは道を拓く最中に新しい「架橋敷設工事」に参加させられた。それは行基たちの仕立てた橋を利用し、大工たちの工作した新しい橋を上乗せする方法の物であった。行基たちの橋では「重量物を運べない、また、波を被る」と天皇自身が見て感じたからだ。また平城宮に残る者たちがそれを理由とし恭仁京に引越ししないからでもある。

 ここには巨椋池に貯木されている丸太が使用される。但し川の流れの逆流なので「綱で木引き」が行われる。それは造営卿の智努王が大工を使って細工する。それらの人手の足りない時、行基衆の若者たちが駆り出される事になる。

 大きな櫓が組まれ「杭打機」まで新たに現れ、滑車を利用し重しが落され杭が打ちこまれる。杭を立てる小さな櫓も仕立てられ、「持てる知恵」の全てが投入されている。それは聖武天皇にしかできない架橋敷設工事である。今回は「アーチ式吊り橋」構造ではなく「三角を組み合わせたートラス橋」構造である。

 南の土手より中州までの「四角推A字形櫓の連続」では流路を防ぐ事になる。また流される石の妨げにもなり橋脚が潰される、流される。よって垂直の柱ー丸太を立てる事になった。百足橋を利用すれば工事が容易となる。

 また橋桁も中洲より北の土手まで「一本通しー四本」で有る。釘も鎹(かすがい)も使わない「木組み工法」でもある。三角に組み合わせた天上柱が橋を吊り下げると言うより橋全体が統一体なのである。また「歩み板」が橋に並べられ波を被れば流れてゆく。

 新たな橋の出来上がり、名前が「泉川大橋」と改まっても彼等にとっては百足橋であり、彼らの記憶にそれは有る。そして「百足橋工法」は今も恭仁京ー紫香楽道路の川越えに生きて有る。そして今回『仍て従事せし諸國の優婆塞等に得度を許す』事となった。「行基衆が認められた」この事は「若い衆」にも日々の励みとなることだった。

 是により「仏法世界の現実展開」がより現実的になる。若者たちに「坊主頭」か流行りだす。夜には「読経の声」が流れ昼には土と空に漢字が書かれる事となる。若者たちは貪るようにお経を学ぶ。仏法世界の原初の展開である。゜




ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

葦原風太郎想像空間天寿国の末裔 更新情報

葦原風太郎想像空間天寿国の末裔のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング