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葦原風太郎想像空間天寿国の末裔コミュの15. 泉川大橋(木津川) 恭仁京・平城京ー架橋敷設  

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―――― 恭仁京の建設 ――――
天平十二年(740)山城国相楽郡      泉橋院・隆福尼院(←誓願寺?)  73歳
         (泉大橋・第二泉大橋・泉寺布施屋・得度750人行基衆)

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木津川大橋ー架橋敷設

【天平十三年】(741)

○『十月十六日 山城國賀世山の東側の架橋成る。仍て従事せし諸國の優婆塞等に得度を許す。』

天平十三年(741)十月十六日山城国賀世山の東河の架橋成る。よって従事せし諸国の優婆塞等(在俗のまま戒めを受けた男子)に得度を許す。

役夫5500人と云われる。その内、優婆塞として750人に得度が許される。

行基衆(宗)・集団のことである。彼らの優秀な部分が僧と認められる。このことは藤原宇合の推薦もあっただろうと考えられる。この頃行基は河内・摂津・大和で大活躍している。それは行基の社会活動が実績をあげてきたことに他ならない。行基集団は土木建築事業のプロフェッショナルな集団に育った。デベロッパーの相貌を示し始めた。 


現在の木津川は当時は泉川と呼ばれていた。水量が豊かで、よって川幅も広くここに架橋を設けるのは困難な事業であったことは想像に難くない。

 場所は資料や現存する泉橋寺などにより、相楽郡泉里と高麗里の間、現在の木津町である。

しかし実際「どうやって」「どのような」橋を架けたのか。規模はどのくらいのものであったのか。このことは見当がつかない。

 当然に橋ができるまでは南岸と北岸・奈良方面と京都方面の往来は、「渡し舟」に頼るしかない時代である。恐らくはこの泉川に唯一の橋が架けられた。このことは人の往来と交易を加速させる。

渡し舟は風雨などの増水時には利用できないし少量の物品しかはこべなかった。それに比べて

まず「大きな橋」そのものが珍しいので大勢の人々がそれを見に来る。そして対岸へと渡り人々が交流する。ついで交易が発展し多くの物資がこの橋を渡ることになる。


○『十一月十一日 勅して恭仁京を大養徳恭仁大宮と称さしめ給ふ。』

○『十一月二十三日 赤幡を大蔵・内蔵・大膳等の司に頒ち、標となす。』

 遷都の指令は、近江の国より奈良の都に向けて出された。都の臣官達が協議をするが右大臣の橘諸兄は、これを歓迎する。恭仁の里は橘諸兄のお膝元であり、藤原氏の影響力の強い平城京に、天皇がある意味で見切りを付けられたからだ。『大養徳恭仁京』と名づけられる。内裏と都を恭仁の里に移す。
 
 天皇は「自己の力量を見切る」のに遷都を断行した。というより「内裏を移す」感じである。都を移さなければならない必要性が必ずしもあるわけではない。平城京から恭仁宮までは「徒歩二時間」前後で行ける所に都を移すなどはおこがましいだろう。曽我氏の勢力圏である藤原京から、元明・元正天皇が不比等に平城京に都を作らせた理由と同じだ。藤原勢力下の平城京から「都から出てゆくぞ!遷都するぞ!」との聖武天皇の示威行動なのだ。


 遷都は天皇の権限であろうから誰も文句を言わない。しかし文句を言わないから協力するのかと言えば、別問題である。誰がどの様に動き、どこまで力を尽くすのか、見極めておく必要がある。よって「見切る」ことが必要なのだ。

 この頃、藤原氏・橘氏の二大勢力の均衡が天皇の地位を安定化したものにしている。安穏としていれば大過なく過ごせるのは承知していても、しかし、自身には「文明開化」の使命がある。日本の文明開化を貫徹するには如何に成すべきか。もう四十の齢を越えた。今、行動しなければならない。自身は聖徳太子の意志を継ぐ者でもある。何か仏教興隆の大事業を完遂しなければ面白くない。しかし天皇だからと我儘勝手を言っては部下や国民に示しも申し訳もつかない。

平城京は藤原氏が居座っている。頭の上がらないのもいる。しかし藤原広嗣の反乱により宮廷内で藤原氏は弱体化した。しかし残存勢力が光明皇后の下に集まる。けれど恭仁の里・甕野原は両勢力の中間位置である。後の紫香楽京への入り口でもあり、東国へと道は続く。はたして天皇の力量とは如何ほどのものか。試してみれば良くわかる。大事の前の小事である。自身の力量、如何ほどのものか試してみよう。そう考え直されたのではないだろうか。

年が空け天平十三年(741)に橘諸兄は新京建設の陣頭指揮に立つ。二月には新しく国分寺二寺の建設提案が出される。

壮大な実験を始められたのだ。この天皇の意思はまだ誰にも見えていない。

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 次の日の朝早く食事を終え、行基は若者たちに文・竹簡を託す。そこには「若者五人を送れ」としたためてある。行く先は「山城国紀伊郡深草郷 法禅(檜尾)院」・「山城国葛野郡大屋村 河原院」・「山城国葛野郡大井村 大井院」・「山城国乙訓郡山前郷無水河側 山崎院」・大和国添下郡 隆福尼院」などである。全て建立に行基が務めた寺である。

 ここに行基の手足となって働く赤銅丸と金剛丸はいない。二人は被災地に赴いて救援活動をしているのだ。「近場から人を集める」のは道中の困難を避けるためである。また「当時に旅行も地図も案内も無い」からである。

 当時は都での「租・庸・調」でもなければ人は生まれた処より離れない。ただ「出稼ぎ」は別として、「恭仁京の造営」に出た人々を使う訳にはゆかないこともある。  

 そして「行基衆を集うー使う」のは「協同」の力を世間に示す事でもある。「仏法の法力」」を信じるものと、信じないものとでは「根性が違う」こともある。また「人びとも行基の知恵を知りたいー縋りたい」こともある。「皆でお経を読むー大きな力」なのだ。


(C)2018 Fuutarou Ashihara.

 
 若者たちを送りだした後、行基は「竹取の翁」を目指す。行基は筏に木と竹とを使う事を考えた。昨日の気付きである。「浮力原理」を知らずとも「竹は浮く」事くらいは誰でも知る。ならば「試してみよう」と考えたのだ。

 行基は昨日の川漁師に道案内をさせた。ここ木津は「山城国」であり行基の良く知る土地ではあるが「竹藪」の一つ一つを知る訳でない。普段は道を迷わぬように景色を見ながら歩くだけだ。さて、この漁師を「ガタロ」と名付けておこうか。

「ガタロよ。太くて長い竹が欲しい。何処に行けばあるだろうか」

「太くて長い……。ここまで切って運ぶんですよね」

「そうじゃ」

「案内しましょう。人はどうしやす」

「人はまだ良い。鉈の二本が有ればよい」

「それなら有りやす。ちょっとお待ちください。取ってきますで」

 暫くするとガタロが鉈と荒縄を持ち、もう一人連れて戻って来た。

「こいつはアッシの連れでゴンタといいやす。お師匠さまの教えを受けたいというんで……、お願いしやす」

「それは丁度良い。実は縄も欲しかった。三人おれば数本は一度に運べるな……」

「なに、ゴンタがいれば十人力でさ。ははは……」




 さてゴンタは「悩み多き若者」の一人であった。行基は道を行きながら二人に仏法の知恵を授ける。

「お前達の二本の腕と手は様々な仕事をする。弓や槍を作り獣を獲ることも有れば麦や米を作りもする。親がいれば肩を揉んでやり怪我をすれば手当をする。しかしその手は時に喧嘩したり争いに使われもする。どうせならその手を善き事に使いたいものだな。そうは思わぬか……」

 二人はそれぞれの思いを巡らせながら説法を受けて歩く。やがて目当ての竹やぶに着く。

「ここはどうですじゃ」

「ふむ、高く太く、良い竹じゃ」

「わしらも竹筏はここより取りますで」

「まず十本ほど取ろうか……」

「それじゃ幅が狭いですぜ。二十本はどうでっしゃろ」

「運べるか……」

「その為の荒縄ですだ。ここで組んで川に浮かべて流せば飯場近くに行けますで」

「なるほど、その手が有ったか、……」

 彼らは川上に行基を案内していた。鉈は二丁。ガタロとゴンタが竹を取り、行基の見立てで寸法を合わせた。陽の高いころに三人は楔形に組んだ筏で「春の川下り」を楽しむことができた。




 作った「竹筏」は簀巻きにして飯場近くの川原の藪に隠した。帰り道、三人は「荒縄の効能」について話をしていた。

「どこの百姓も冬の間に、物置の中でわらを使って、縄をなったり、筵を織ったり致しやす。特に荒縄は、どの家でも作りますだ」
 
「荒縄には使い方にコツがあるだ。特に滑りやすい竹を縛るためにはそのまま使ってもダメ。すぐ緩みます。しっかりと縛るためには、まず少し水で湿らせてから使います。すると、荒縄自身が柔らかくなり、縛りやすくその上、強くなりますだ。さらに、こうして縛った荒縄は、日にさらされ乾燥してきますと、さらに縛り目はより強く、固くなりしっかりすももんだ……」


それらのことも、既に行基は知っている。しかし、知らぬふりして「話を聞く」 話を聞いてやりさえすれば、彼らの話も活性化され深い記憶へと繋がるのだ。それもまた学習である。



「それを無理のない範囲で多く集めたい。何か良い方法はないか」

「一度にたくさん集めたいのか……。なら『荒れ池』のカイボリはどうじゃろ。縄と魚の交換じゃ。百姓たちも池掃除になるし、堰の手入れもしたいじゃろ」

「それは名案だが名主の了解は取れるか……」

「そこは坊様が上手いこと言うすりゃ良いだ。オラの村の上に大きな池が有る。昔にそこより水が溢れて大事になったそうな……。おいらは余った魚を何年も前から放り込んどる」

「それは良い。よし、それをしよう。お前の村に案内いたせ」

 三人は飯場に向かわず「ゴンタの村」へと歩き出した。



(C)2018 Fuutarou Ashihara.
 京都・山城郡がいつからそう呼ばれているかは知らない。しかしここに井手町があり、ここいら辺りは仏教の信仰の厚い橘諸兄の支配地域である。行基が山城に何か所も寺を持つのは彼の力の手助けと共に行基による彼への協力が有ったとも考えられる。母は橘三千代で、光明子(光明皇后)は異父妹になる。官位は後に正一位・左大臣に上り詰める。

 夕刻前に名主の家に着く。話の口火をゴンタが切りだす前に、名主の方より行基に話し掛けた。


「そちらは行基和尚様。お名前をよく聞き及びます。ようこそおいで下されました」

「わしを知るか……」

「はい、近くの知識寺で教えを受けましてございます。でも私共に何の御用でございましょうか。何か私に出来る事でも……」

「うむ、手伝って欲しい事があってやってきた。実は泉川に橋を掛けようと思うのでな」

「えええ……、あの暴れ川に橋ですか。そんな無茶な……」

「おいおい、それをお前にやれと言うのではない。その為に荒縄を多く集めたいのだ」

「はあ、皆に声を掛けて荒縄を集めろという事ですか……」

「只でとは言わん。後ろにおるゴンタの話ではこの上に荒池のあるそうな。そこでカイボリをして魚と荒縄を交換しようと思う。どうじゃ」

「それは名案でございます。でもそんなに魚がいるかな、……」

「そこのゴンタが川の魚をそこに放しておるという。丁度魚の刈り入れ時だという」

「へえ、ゴンタが……、殊勝なことにござります」

「そうか、知らなかったか。時に堰の方は見に行ったことが有るか……」

「いいえ、この数年は雨の心配が無かったもので……」

「何か起きるとお前の責任だぞ。しっかりしろ」

「はい、その通りでございます」

「よし、それなら明日の朝、我らと荒池の様子を見に行くとしようか」

「良うございます。お供させていただきます」


 行基の権威がここに光っていたことが話を進めた。以前にも記したが行基の師にあたる道照は入唐し玄奘三蔵に学んだ。帰国後、飛鳥の法興寺(飛鳥寺,後に元興寺)の東南の隅に禅院を建てて住み,禅を広め,諸々の経典を説いた。その一方で行基と共に各地を周遊し、路傍に井戸を掘り、渡しに船(港)を設け、橋を造った、その成果でもある。




 帰り道。
 
「お坊様、良かったな。話が上手くいったな」

「まあな、でも問題は魚だな。皆に分けるほど魚がいるかな……」

「心配するな。小川もあれば、水も抜けるさ。そして田畑を潤している。まだ農繁期の前さ。人も集まるし、子供たちが大喜びするぞ」

 
 
 ゴンタとガタロの愉快な語り口に行基も心が躍る。

 さて三人が夕刻に戻ると十二人の若者たちが行基たちの帰りを待っていた。近くの寺より若者たちが参集して来ていたのだ。



「お師匠さま、お待ちしておりました。我々もお師匠さまと仕事してみたく思います」

「それは良い心掛け。宜しく頼むぞ」

「はい、尽力いたします」



 飯場では家族持ちは家族で食事し、独り者たちは食堂で何回かに分けて食事をする。当時の様子は良く判らないが「一汁一菜+α」であるだろう。それは魚類であったり何かの肉であったりするだろう。まだ味噌も醬油も無いので味付けは塩のみとなるか、山椒やワサビを使うかもしれない。

 そして食事の後に「男組と女組」で分かれて眠りにつく事となる。けれどもここでは「読経」の習慣が有る。昼に労働が有れば、夜には「識字教育をする」のが寺だ。老若男女が声を合わせて経を読む。

 紙・墨・筆がなくとも「土に書く」「石板を使う」事も出来る。当時に「文字が読める」は特権階級の独占であったものを行基たちは庶民に普及する。そして若者たちは知識欲に燃えている。行基衆を「知識」と呼ぶ所以でもあるだろう。

 実に聖武天皇の「大仏建立」は、その「知識たち」の総結集であり、日本国民の「総力戦」として「ナショナル・シンボルー金ピカの巨大仏」として定立されていたのである。


(C)2018 Fuutarou Ashihara.
 次の朝早く、行基と若者たちは朝食を済ませ『荒池』を目指した。名主の家にはガタロをやらせた。現場で会えば良い事だ。どれだけの規模であるのか、また魚が豊富に取れるのかを値踏みしたかった。

 木津川が淀川へと合流する前に、川は東西の流れを大きく曲げて北上する。その東には山系があり奥は鈴鹿山系に連なってゆく。道が川に沿って開けたように、この辺りの街も木津川と共に発展した。荒池はその山裾の下の方に在った。

 名主たちとゴンタは道の途中で追いついて来た。



「お師匠さま、あの池でございます。ただ我らは荒池とか上の池とかと呼んでおります」

「うむ、大きな池じゃ、良い池じゃ。儂は初めて見るぞ……」

「だろ。おいらは取れ過ぎた鮒や鯉をここに放してる……」

「ゴンタは良い事をしておる。褒めてやるぞ」

「へへへ……、それは恥ずかしい、飢饉の時に皆の為になると思っただけだ……」



 行基は池の縁に立ち感動していた。同じため池でも少し違うのだ。それは縁に立つ前に見た「池の水の出口ー堰」を見てすぐに判った。堅牢にして精緻な石組み・水門がそこにあった、朝鮮の石工たちの作品に違いないと思った。

 およそ木津川北岸を開拓したのは高麗からの帰化人たちであった。中国の唐化(羈縻政策・きびせいさく)を嫌った百済・新羅・高麗より、この日本へと多くの人々が渡来していた。高麗は淵蓋蘇文(えんがいそぶん・ヨンゲソムン)が「東原の覇者」となるべく戦っていたが亡き後の「三人の息子たち」が仲間割れして侵略を許しててしまった。その後に着の身着のまま日本へと脱出してきた人々がこの地を拓いた。

 JR上狛駅の「狛=高麗」のことであり、駅から東に行くと高麗寺に行くことが出来る。また「駒」に苗字を変えて一族がこの辺りや奈良に暮らしている。

 池は大きく水を豊かにたたえていた。但し水門に積み上げられた「堰板」は古く、節の抜けた穴より水が垂れ、また流木が板を痛めて今にも破れ僧にもなっていた。カイボリは修理の良い機会でもあるだろう。



「よし、では一枚づつ板を抜こう。板は重いぞ。皆手伝ってくれ」

 行基は池の縁より水門へと駆け下りる。ガタロとゴンタが後に続く。水門の下は水草や苔が生えヌルヌルとしている。

 昔の板は「一本に一枚、手斧で削り出す」類のものだ。水門の高さが池の深さと行基は見た。およそ行基の伸長と横幅ほどの大きさだ。それを行基は手に持つ錫杖を一枚目と二枚目の間に差し込む。

 それは海の漁師が銛(もり)として使っていたものを、縁あって行基が譲り受け錫杖にしつらえたものだ。銛先は行木の旅の長さで丸くなったが、楔の形はまだ保つ。時に行基を狙う者たちもいるので行基は錫杖を手放せない。

「おい、そこのデカいの……、替わってくれ」

 行基が男に声を掛ける。男は行基の錫杖を受け、止め板の右端と左端を錫杖でゴシゴシと押し続ける。すると傷んだところに穴が開き始め縄を通せるようになる。まだこの板は水に触れていない。

「よし、そこまで、誰か縄を通してくれい」

「あいよ、任しとけ」

 名主の家の者が荒縄を通し、適当な処を手で切る。農夫ならたいてい誰にも出来る事だ。それは結構な長さで池の縁に立つ数人が持つことができる。その板一枚分の水が傷んだ処より漏れ出ているのだ。

「よし、、少しづつ引き上げろ。無理をすると綱が切れるでな」

 水門の石と止め板の隙間には、数年の砂と埃が溜まっている。ジリジリと小さな音を立てて板一枚が引き抜かれた。そのような分厚い板、六枚が池の水を堰き止めているのだ。




 名主が行基の前に進み出た。


「お師匠さま、知識寺にある鉄の楔を取ってきますで。この者は足も速いので半時も有れば戻ります。その方が良いでしょう」

「それは有れば助かる。良いのか……」

「槌と共に取らせてきますで」

「では頼もう……。皆も聞いたか。名主様が道具を貸して下さる。しばし好きに待て」


 行基はそれを言うと池の縁に上がった。良い天気である。水面は青い空を映やしている。池には時折、魚影が見えもする。

 鮒も鯉も餌を求めて池の縁を周遊するのだろう。また水に落ちた虫を啄むのだろう。小さな水輪、大きな水輪が池面に浮かぶ。池の向こう、アオサギが一羽立ち、行基たちを擬視しているようだ。

 ゴンタとガタロはその池をじっと眺めている。そして何かぼそぼそと話し合う。行基はその声を拾う。

「な、結構いるだろ」

「そだな。今でも結構水面に見えるもんだ」

「水を抜けば、……、どん位かな」

「魚だけでなくエビや亀やスッポンが取れるといいよな……」

「そだな。オレの小さい頃を思い出すよ。お父がまだいた頃だ。オレは大きな鯉を取ったよ」

「そうなんだ。いい思い出だな。でもまだオマエは女もいないもん。ははは……」

「バカ抜かせ。今にあっちから来るってもんよ。ははは……」



 行基は二人の話、また近くの若者たちの話に耳を向けている。春の陽気が降り注ぐ。

「お師匠さま、起きて下せえ」

 いつの間にか行基は眠りに落ちていたようだ。

「おお、すまん。陽気が良くてな。つい、寝落ちした。戻ったか……」

「へえ、皆がお師匠さまの声を待っています」

「そうか、ならば始めよう……。さあ、皆の衆、仕事に掛かるぞ」

「オー!」

「ウォー!」

 若者たちの応答が上がる。



 水門下に降りたのはゴンタとガタロだ。もうする事の内容を二人は知る。水を浴びることも承知だ。

 二人は二枚目と三枚目の板の間に、左右に一つずつ、楔を交互に打ち込む。少しすれば隙間より水が噴き出す。鉄の楔の尻には綱を通せる。これにより水に流されても失う事は無い。

 二枚目の板はズルリと抜けた。

「やったぞ!」

「やったな」

「やった、やった!」


 水門下の水路には水が溢れ、田畑の仕切りを越えて乾いた土を潤してゆく。水位と水の行方の確認をして後に先ほどの要領で板を抜くが、今度は板を括っている。楔の撃ち込み口に綱は掛っている。

 
「次の板は暫し待て。水の行方が心配じゃ。水路から逸れてどこぞ水浸しにしてもいかんでな。誰か若い者数人で水の行方を追ってくれ。次の板はそれから外す」

「あっしらがゆきます。この下は吾が村じゃて」

 名主の若い衆たちが声を上げて動き出した。

「他のものは、ちと一服しろ。そしてこの水門と池の様子をよく見ておくことだ。ここには知恵が有るぞ」

 そう言われると若者たちはそれぞれに動き始めた。「灌漑池の機能」を知ろうと努める。それぞれに行き先が違う。この池は小さな小川となだらかな地形で成り立つ。

 凡そ水門の底が池の底に近いのだろう。とすると水門の周りは築地で土手を形成している。またその土の上で焚火をして土に「焼き」を入れているかもしれない。また粘土質の土を使ったのかもしれない。

 しかし若者たちにそれを見分ける知恵が有るだろうか。行基は若者たちを実働の中で鍛えるしかない。しかしその「答え」を先に示すことは無さそうだ。
 

 
 水の行方を追っていた若者たちが帰って来た。

「お師匠、水は田畑を潤しながら、他は全て川に流れています」

「水の取口から各田圃に水が廻ります。木の蓋で調整します」

「そうか。でかした。さすれば様子見の若者たちは『明日、荒池でカイボリするぞ。魚は荒縄と交換じゃ』と触れて回れ。先の者とは違う者が行け」

「明日、荒池でカイボリするぞ。魚は荒縄と交換じゃ。こう言えば良いんですか」

「そうじゃ、その通り」

 数人の若者が走って行った。

 水門の右に三人、左に三人、楔を打つに二人で良い。明日も天気は良いじゃろう。この池の水を八分目。今日中に抜くぞ。さて皆の衆、陽の落ちるまで汗を流そうぞ」

「おー! やっつけよう!」

「和尚様。おらたちは村を廻るだ。手分けして『明日、荒池でカイボリするぞ。魚は荒縄と交換じゃ』と触れて回るぞ!」

「それが好い。縄をたくさん集めたい」

 若者たちがそれぞれに持ち場に付いた。要は楔を打ち込んで、一枚ずつ止め板を抜いて、ゆっくりと水を流せば良い事だ。板の数はあと五枚。夕暮れ前に済むと誰もが見た。


 さて「その夜」行基たち若衆は「止め板一枚」を残し、焚火をたいて野営した。万が一の「大雨」に備えるのである。また「山賊たち・ならず者たち」による「毒流し」にも備えるのである。明日は多くの荒縄を集めたい。

 食事は交代で飯場で済ませ、帰り道にそれぞれ「筵・むしろ」を運んでいる。まだ「綿ー高嶺の花」である。焚火は数カ所でたき、「狼・猪」などを牽制している。夜に活動する鳥や動物たちは「その異様さ」には近づかない。

「板一枚残す」のは池の魚たちへの配慮である。「魚はエラ呼吸」などをこの人々は知らないが「水が無いと魚は死ぬ」ことは知っている。行基は「般若心経」を何度も読経し、若者たちも声を合わせた。その習熟度は人それぞれだが、皆、熱意に満ちている。

「いびき・寝息」の立ち始める頃、行基も読経を終える。空を見上げれば満点の星。『明日は何とかなるだろ』と思い、行基も体を筵に埋めた。ようやく小動物の声やカサカサと動く音、魚の跳ねる音が聞こえた。




 黎明の時の、その前より若者たちは目覚め始める。眼覚めると周囲にいる者、知る者たちを起こし、飯場へと朝食に行く。筵に付いたゴミを払う音が彼らを全て起こす。飯場でも朝食を早くするようにと女子衆に行基は申し伝えている。

 昨日の夕刻にも新しい若衆の到着している。総勢五十余名の集団となる。流石に一度の食事は無理なので、三班に分けて食事させる。「一汁一菜+α」それは「雑煮」となり一椀に盛られるものだ。

 行基は星を見て時を知る事もある。三班目を送りだす頃には一班が戻って来る。その頃には空も明けて池の周囲は光と緑に映えている。気の早い人たちも荒縄をそれぞれに持ち池の下に並び始める。

 若者たちの一群が最後の「止め板」を外しにかかる。徐々に水が引き、水溜まりへと水を求めて魚たちも音を立てる。その風景にカラスやアオサギやゴイサギなども集まり始め空を舞う。若者たちが水の引くのに合わせ樹木等を取り除く。




 行基が人々の前に立つ。

「さあ皆の衆、荒縄が参加費用じゃ。縄を持ち魚を取るは無理じゃろう。荒縄を若衆に渡して池の傍に並んでくれ。まだじゃぞ、まだだぞ。太鼓の音がしたら池に入って良いでな。ささ、ずずっと並びなせえ」

 老若男女が大勢集まった。たぶん数年の間、いや、長い間「カイボリ」は行われなかったのであろう。時に「池」では事故や入水で死人が出る。親が子ども達に「池に近寄るな」と口酸っぱく言っていたのかもしれない。

 見る見ると荒縄の山が出来る。時折若者たちがそれを持てる範囲で飯場へと運ぶ。池の中では若者たちが樹木やごみを取り除いている。大勢の人々が池の周囲を取り囲み、若者たちの作業の終わるのを待っている。

「さあさあ、そろそろ始めるかな。皆の衆、網を使うは禁止じゃぞ。両の手で取れ。そして押すな!急ぐな!滑って転ぶぞ!」

 行基の声はそれを楽しみに待つようだ。

”ドドーン!”

「押すな、急ぐな、滑って転ぶぞ!」

 若衆たちも声を掛ける。しかし「大きな鯉」を誰しもが取りたい。人々は池の入り口ー川上より池へと急ぐ。池は大抵「すり鉢状」となるのを知る。水門の有る下流域では高低差が人の伸長を越えてしまう。男も女も服を脱ぎ「下帯一つ」で魚を取りあう。

 大人たちが大物を得るならば、子供たちは小物を狙う。それでも魚はヌルリと手をぬける。掴みやすい亀を狙おうとするが、これもやはり泥で滑りやすいのだった。

 取った魚は竹枝に通す。エラから口先に通せばよい。達者な者の竹枝には見る見ると魚が連なる事となる。そして「生きの良いうち」に帰宅する「血が廻ると不味くなる」のを知っている。





”ドドーン!”

 陽の高くなった正午に太鼓が打たれた。

「皆の衆、終わるぞ、終わりじゃ。この池の小魚は逃がしてやれ。また何年かすれば大きくなるじゃろう。その時にまたカイボリを皆でしようじゃないか。みんなでこの池を良くしようじゃないか」

 若衆たちが手を叩く。それは池の中の人々にも伝わる。

「さて板を嵌めるぞ。早くしないと水が増えるぞ」

 行基が手を上げると素早く若衆たちが動き出す。人々は川上へと歩き出す。小川の水を掛け合えば泥も落ちる。それで間に合わなければ木津川で体を洗えば良いだけだ。

 もう既に大物を得た者たちはいない。一匹も取れなかった者もいるが仕方ない。運が無いとは言われたくない。それぞれに家路を急ぐ。

 亀を得て遊んでいた子供達も亀を池に返した。それを見て行基が声を上げた。

「皆の衆。この池を皆で育てよう。まずは新たな名前を付けよう。荒池では申し訳ない。豊な池だ。『蓮池』とするのはどうじゃ。仏様の花じゃ。如何か」

 人々は返事の代わりに手を叩いた。

「皆の衆。この蓮池を育てよう。仏様の池じゃぞ。あだや疎かにするでないぞ!」 

 歓呼の声と、拍手が大きく広がった。
「堰の止め板・七枚」は新しく作り直すこととした。只今は恭仁京建設で「端板」が時折り出たりする。蓮池の元の止め板を採寸し大工たちに暇仕事として、これを託す。行基の頼みは二つ返事で受けられる。

 今は傷んでいない四枚の板を嵌めている。時間と水量でやがて池も新しい水で潤うだろう。荒縄は飯場に山積みにされ出番を待つ。集められた若者たちは行基に学び行動を共にしている。



「橋掛け場に新しい小屋を建てるぞ。お前達の飯場だ。皆、精を出せ」



 その小屋は木津川を挟む川の曲がりの手前に建てられる。当時の川の形相は良く判らないがそう変わっていないだろう。今も立つ山城町「泉橋寺」の付近と推測される。近くに「R−24」と「JR−奈良線」も走るのは地盤や川筋が安定しているからだろう。

 「橋掛け現場」では小さな櫓が建てられ「盥に水を張り水準器」とし又「石を糸で吊るし垂線とする」簡単な測距義を作っては皆に披露する。

 「なるほど、これで水平が取れる。柱も正しく立てられる」

 「斜めの床は寝心地も悪い。これなら安眠できそうだ。……」

 一世代、昔は「板葺きの宮」である。「一本の丸太より、一枚の板」しか削り出せない時代の話だ。


 それなりの歳の若者たちであれば掘っ立て小屋などは石を並べ土台を渡し板さえあれば簡単にしつらえてしまう。まずは竹や笹を利用し「片流れの屋根」にし、材料の到着次第でで土壁や天井や屋根を作る。それは時と共に出来上がってゆく。

 その小屋は木津川を挟む川の曲がりの手前に建てられる。当時の川の形相は良く判らないがそう変わっていないだろう。今も立つ山城町「泉橋寺」の付近と推測される。近くに「R−24」と「JR−奈良線」も走るのは地盤や川筋が安定しているからだろう。

 「橋掛け現場」では小さな櫓が建てられ「盥に水を張り水準器」とし又「石を糸で吊るし垂線とする」簡単な測距義を作っては皆に披露する。

 
 
 行基は他にも橋の架設方法を知る。四本の丸太を組んで川の上に立ててしまう方法はその一つだ。しかし足場が無いと木組は立てられない。川の縁に「橋脚」を石で組み、また道も開く必要がある。

 それをするにはまだ行基の力では出来ない。天皇にそれは出来ても、行基に巨木を好きにする権能は無い。

『まず動き出す。後に皆が続く。何事か起こる。……』



 次の日、行基は現場で泉川を眺めていた。するとガタロが寄って来て行基の傍に立ち同じく川を眺めて小さな声で言った。

「お師匠、手持ちぶさただ。そろそろ動きたい」

「良いじゃろう。人も増えた。二手に分けよう。笠置を開こう。あちらに人の半分を移そう。まず二十人ほどで良いかな。飯場を建てた若者たちが良かろう。明日の朝より笠置に行こう」 

 その朝、若者たちは数丁の鉈と荒縄をもち、またガタロ達の筏も縄を解かれて数本づつに巻き直され運ばれる。尚、鉄鍋や米や干し肉の類も少量も牛の背に乗せられて引かれてゆく。

「竹筏」の必要は泉川を渡る事に在った。当時恭仁京の端までは道は開かれていたが、その先は山の縁がそのまま泉川に切れ込んで「崖っぷち」の様相を示している。笠置は石の採掘場として道は先に出来ている。加茂は船の渡し場さえあり、そして「牛を引く」のもここまでで行基たち一行は竹筏を組み、川を渡る事となる。

 新しい飯場は「石場」と言われるようになる。それは今の笠木寺・鹿鷺山のすそ野の高台である。増水時に「流される」のでは意味がない。高台は依然に行基が眼を付けていた場所でもある。


 この笠置の地も周りは山で木々ばかりである。当時に植林でなくとも出来の悪い杉の木くらいはある。ガタロはその木を使ってみたい。自身の思いついた方法を自身で試したみたいのだ。若者たち一行は「草刈り・灌木伐採・ゴロタ石」を取り除き飯場設営に精を出す。

 凡そ人という生き物は「言いだしたことは、する」ものだ。若者たちの自発の案であるのなら、それは行基も待っていた事である。まだ試したことが無いならば、今回試してみれば良い事だ。

 飯場設営に二日を費やした明けの日の事だ。河原の「石場」に降りてみると異様な光景に行基は出会うことになる。石場の手前に「竹櫓」が幾本も立っている。若者たちが笑顔で行基を迎えている。



「おお、これは大したものだ。お前達が建てたのか」

「どうですか、お師匠さま」

「四本足に横竹の腰巻をして、その上を竹を通して歩み板に見立てる。良い方法じゃ。やってみなされ。良いと思うぞ」

「おおい、みんな、お師匠さまが誉めてくれたぞ、みんな喜べ」

「やったな」

「ああ、やった、やった」

「よ〜し、それじゃ木を見に行くか。みんな手分けして良い木を探そう」

 若者たちたちが木を探しに川上と川下へと散りだした。しかし森深くへは入らない。まだ狼や熊と出あう危険性が有るからだ。


 ある若者たちは山に入った。麓からも木々を見上げて先に検討を付けた。しかし目当ての木の下に立ち、頭を抱えた。彼らが思ったより、幹が太いのだった。

 増して太い「木を切り倒す」などとは誰もしたことが無い。どういう作業手順を踏めば良いのか、誰も知らない。また山へ入ると木が邪魔を他の木々が見えなくなることにも気づく。降りるしかなかった。

 三々五々、若者たちは「石場」に戻って来た。皆、生き消沈の様子だ。

「どうだ、良い木はあったか」

「お師匠、あるにはあるんです。でも俺たちの手には及ばない。誰か樵(きこり)がいないと無理だ……」

「まあ心配するな。もう先に手配済みだ。斧と一緒に誰か、何人か来てくれるだろう。樵が斧を手放すことはめったに無いでな。それより筏の橋を完成させてみろ。樵たちの励みになる。まだ手入れできるだろう。まず天辺に工夫が無いと四本結んでは木が運べぬじゃろ。岸でする事と川の中ではする事が違うだろ」

 若者たちは言われてみて初めて気づいた。木は水に浮くとしても川の流れの中で「足四本を立てる」にはどうすれば良いのか。ここにあるサンプルも果たしてこれで立ち続けるだろうか。

 ガタロが一番に動いた。竹組を一つ持ち上げ川の縁に沈めようとした。「浮力・節の中の空気の作用」など、まだ知らない。沈めても沈めても水面に浮きだしてくる。

 それは「木の浮力」とはまた違う。木は、木の重みである程度は沈むのだ。比重が大きければ沈みやすいものもある。また逆に「油脂」のあるものは浮力が在り、また昔の港にも建築資材としても使われたりしている。

「どうだい、上手くゆくか……」

「ダメです。沈め方も有るけれど、どうしても浮き上がる……」

「では、どうすれば良いのか。皆で知恵を出そうじゃないか……」

「それこそ石を括り付ければよい」

「先か……、後でか……」

「そりゃあ先にですよ」

「それで取り回しは出来るかの……」

「木を立てるのなら大丈夫じゃないかな。木と竹では浮き上がり方がぜんぜん違うぞ……」

「そうだな。一度試す必要があるな……」

 行基は答えを言わない。『産婆術』を使ったブレーン・ストーミングを試みているのだ。

「まだ竹組は他にもある。他の者たちも試してみると良い。何か良い考えが有ればやってみよ」

 そういうと行基は筏置き場に向かう。筏の一つの荒縄を解く。そして竹組を自分でも作る。すると他にも考えが有るのか、他の者たちも余った竹で竹組を作り始めた。行基は自分の錫杖で節に穴を開けた。




 試行錯誤の時が一刻を過ぎた。川の縁に重しを付けた竹組が何台か横に並べられた。そして腰巻辺りに歩み板に見立てられた竹が並べられた。

「できた、できたぞ!」

「やったぞ、できるぞ!」

「長い木だってこれで出来るぞ!」

「そうさ、この川に俺たちが初めて橋を架けるんだ。きっとみんな、驚くぞ!」

 行基も満足そうだ。ただ縁の流れの速さと水量は、縁とは比べ物にならない事を行基とゴンタ達は実地に身をもって知っている。それをこの若者たちもいつか体験するだろう。空想と実際は大きく違うのだ。

 若者たちは体験を積むべきなのだ。それは自分たちの為でなく、他者にも及ぼすべきものだ。行基は若者たちの顔を眺め静かに笑っている。春の時は天候が目まぐるしく変わる事も行基は承知している。

「おいみんな、そろそろ引き上げよう。まだ残る竹筏はあの岩の上まで引き上げるぞ」

「竹組はどう……」

「すぐに引き上げろ。そして筏の引き上げだ。雲行きが怪しい。雨の来る前にやっつけてしまえ」

「オウッ!」



 見れば竹筏は三艘ある。数人が一組となり高台の石の上まで運ぶ。雲は言う間に南東方向から分厚くなった。雨が激しく降り付ける。

「みんな、雨に濡れるは辛いが川の様子をよく見ておけ。龍神が牙を剥く様子があと半刻もすれば見える。誰も見たことが無いであろう……」

 龍神と聞いて皆の身が引き締まる。「龍神」と聞いても龍の姿も覚束ない。ただ「恐ろしいモノ」とは誰も知る。それが果たして見えるという。

「まだ間が有る。あの木立が良い。あそこで龍神を待とう」

 皆は木立へと向かう。「ヤマヒル」も陽の当たる木々には顔を出さない。蜂などのいないことを願うしかない。だが当時の「山の様子」は現代とは形相を異にするだろう。


 音鳴りがする。ゴオッともドドドとも聞こえる。「逆巻く波」が一気に押し寄せて石場を飲み込んだ。

「あああっ……」

「恐ろし……」

「凄いな……」

「ああ、凄い、そして恐ろしい……」

「あそこにいたんじゃ巻き込まれてしまってたな……」

「恐ろしい。橋なんて簡単に流されちまうんじゃないか」

「あれに勝てるかな……」

「橋を強くしないと……」

「お師匠はあれを知ってて石を運ぼうとしてたんだな」

「そだな。重い石なら大丈夫かもな……」

 若者たちの喋りを行基は耳を澄まして聴いている。今夜は若者たちと十分な意見交換をしなければならないと思うからだ。萎えた心をもう一度、奮い立たせなければならない。




 飯場での夕食は雑炊である。それぞれが配給された木椀としゃもじを使う。時に「鹿・狸・猪」などの肉も入る。行基は肉を欲しないが若者たちの体作りを考えている。

 夕食時の話題は「龍神ー暴れ川の威力」である。自然の威力の前に人知の知恵は無力と知る。しかし「それで何もしない」なら人間に営為は無い。初めは静かな食事も「腹に入れば」元気も出て来る。

「あれは恐ろしい……」

「そう、全てを飲み込みそうな勢いだった……」

「どうにも、誰にも、止める事は出来ないぞ、あれは……」

「太刀打ちできないぞ、あれでは……」

「そうだな。でも、なんか考えなきゃ……」

「家と同じさ。地震や台風と同じさ。潰れれば新しく作るまでさ……」

「あれが来るんじゃ、無理じゃないかな。一度じゃないぞ、何度も来るぞ。……」

「ひるむなよ。なんだい、情けないこと言って……」

「おいおい、俺たちは若いんだ。そんなに簡単に諦めていいのかよ。……」

「何もしないで済ますのか。つまんねえな……。オレは退屈するのが嫌いなんだ。ダメ元でやるだけやるさ。何度でもやってやる。おもしれーじゃないか」

「おれもそうだ。何が何だかわからねーけど、いろいろと試してみるのはおもしれー」

 それらの話を聞きながら、行基はいつものように静かに笑っている。肉が有れば誰かに差し出す。若者たちが小鳥のようにそれを啄(ついば)む。




 夜になると皆でする「読経」ではあるが「短さ」では般若心経が一番に短く、覚えやすい。しかし時に行基は梵網経も読む。このお経は「してはならない事・しなければならない事」が示されている。また華厳経が長く大きいので、これで代替えして説明に使ったりする。

「お経ー経典」は飯場には持ち込めないので薄暗い燈明の中、行基が石板に「読み・書き」して皆に字を書き順より教える。この時に「象形文字」は字の一つ一つに「形と意味」が有るので都合が良いく、若者たちは空に字を書く。また別に筆順の少ない字も昼間に唐突に教えたりもする。とくに「山」や「川」や「水」は三画なので教えやすい。

「知識寺」に行けば「書写」されたものが数点ある。老若男女が字と道を覚えたい。「為政者たちの特権」をそのままにしていては「人びとは支配されたまま」これでは文明が進まないし上がらない。行基は西洋の「百科全書派」であり「実践者」でもある。ただ彼の心に在るのは「同胞を救いたい」の一心からである。



 さて、今夜は飯場で「龍神の話」が為された。

「皆、見たであろう。あれが竜神の姿の一つだ。何故、川があのように暴れたのだろうか。それぞれに思う事を言ってみよ」

「きっと川上で大雨が降ったんだ」

「だから水が一度に襲って来たんだ」

 この二つの意見は的を得ている。

「まだ他にないか……」

 行基が意見を促す。

「水は高い処から低い方に流れる」

 行基がここで口を挟む。この事はこの中では行基しか知らない。

「それぞれの、その土地の低い処に水は集まる。泉川も巨椋池で水が溜まる。そして淀川へと流れだし浪速の海へ、大海原へと流れだしてゆく……」

 この中の若者たちは、ほぼ全てと言ってよいほど海を見たことが無い。

「お師匠は海を見た事があるのか……」

「旅をするのでな……」

「旅をすれば海が見れるのか……」

「出来ればな。でもここにいる者の多くは家を離れることは能わぬ。父母・祖父祖母の事が心配であろう」

 ここで行基は「身分制」など言わない。行基でさえ橘諸兄の信任が有るから山城で好きに活動できるのだ。

「心配するな、お前達だって立派な大人になり、大きな仕事の出来る男になれば海は見れる。慌てる事など何もない」

「この川に橋を架けるのは、どうだろう」

「そうだな。これは大きな仕事だ。お前達の大きな仕事だ。成し遂げれば何か褒美の有るやもしれん。無いかもしれん。出来ぬうちに言うても、せん無き事よ」

 時に脈絡なく話もあらぬ方向に発展するが、若者たちの「やる気を引き出す」なら相手に話しを合わせる事もする。若者達の「未知への関心」は人生への関心でもある。つまらない大人たちが「飯の心配」に汲々とし若者たちの「芽」を潰す。行基はこの若者たちの人生を豊かにしたい。  



 朝は駆け足でやって来る。厚い雲が東に流れる。黎明の空に珠光が刺し雲を染め、そして陽がすっぽりと顔を出す頃には空に青空が広がっていた。その頃には若者たちの忙しい食事も終わっている。

 川の色が深い緑から土砂を含んで黄色くなっている。「橋掛け場」の様相も石が扱(こ)けたり起きたりして姿を少し変えている。若者たちは竹筏を全て運び、また「四本足」の竹組を始めた。昨日の物より「重しを足す」工夫を考えるようだ。

「四本足でトラスを組む」と今なら書けるが、彼らの時代にそれの考えはまだ無い。彼岸と此岸の間に四本足を等間隔に並べて歩み板を敷く。原始的な方法ではあるが「この方法」が最も確実性が高いだろう。「橋脚を立てて橋を通す」今の方法より強いかもしれない。それでなく「橋の姿形」が様々にあるのは技術の進歩が有るからだ。 




 昼前に若者四人と樵が二人、陸路よりやってきた。「橋掛け場」に組み立てられた架橋のサンプルに眼を見張る。大きな声を上げる。

「これですかい。これをみんなで作ろうって話ですかい……」

「そうだ。どう思う……」

「この泉川には打って付けだ。これは渡来の橋より強いかもしれねえ……」

「瀬田の唐橋を知るか……」

「あそこの流れも強いけど、大きな石まで流さない。琵琶湖の縁を大石は登れない。でもこの川はここいら辺りの大石まで流す……。勢いが強すぎる。木津の西は泥水をまた被ったらしい……」

「そうか、またか……」

 行基はその様子を頭の中で思い浮かべる。百姓たちもそれを知るので簡単な野菜畑しか作らない。「川の氾濫」はいつも同じ処で起きるものなのだ。春の終わりなら大した被害でもない。

「これなら細く長く高い木がいい。たぶんそれが良い。歩み板は巨椋池の貯木場のものを使えばいい。でも橋脚ならこの辺りの杉の木がいい。これを木で組みましょう」

 樵のその話に若者たちが声で答える。

「おいおい、俺達のした事、どうも良いみたいだぞ」

「そうだな、樵のオッサンも良いと言った。やれるみたいだな」

「おっさん、俺たちに木を切る方法を教えてくれや……」

「よいとも。教えてやるさ。また、仲間も呼んでやろう。なに樵だって藤原の役人達ばかりに頭を下げてないって。都の造営に反対する者達だっている。それでも皆の役に立つなら反対はしないさ」

 行基は話の展開を笑みを浮かべて聞いている。


 昼過ぎに行基は若者たちを二班に分けた。一班が二人の樵と実習にでかけ、二班は「橋掛け場」の増強を担うこととした。今の飯場でも満員なのにこれ以上人が増えてはパンクしてしまう。特に大きな鉄鍋と竈の作成は急務だった。

 大鉄鍋は知識寺に在る。竈は「石と粘土」で組む。まず今日は小屋組みをするための柱を切り出す。また筵も多く欲しい、屋根にも使えるからだ。




 若者たちが樵に伐採の方法を受けている時だった。三人の猟師が木立を分けて現れた。最も体の大きな男が皆を睥睨し、威圧するように野太い声で樵たちに向って声を発した。

「ワレラ ヤマノカミニ アイサツモナク キヲキルトハ ナニゴトゾ……」

「ヤマノカミタチヨ ワレラヲ ユルセ ワレラハ ヒトノタメナルワザヲナス ケシテヤマヲアラスニアラズ ワレラハカワニハシヲワタスモノタチナリ」

 凡そ「当時の語り口調」は古事記などを辿るしかない。ただ「山の民」は政府支配を嫌って山に逃げた人々が多い。しかし必ず山の物だけで暮らせるわけもなく、人里に降りては緩やかな社会関係の中で生計を立てるしかない。

「ナニカアラバ コノ ハシカケバニ オイデナサレ ナニカ ヨキモノヲ シンゼヨウ」

「ワレラハ アラソイヲコノマヌ ワレラノテキニナルナ キハ スキニシロ……」

 樵たちの斧振る音に驚いただけだろう。また加茂の手前まで恭仁京は広がる。山の民たちも僅かな危機感を持つ。彼らが現れたのは「争いたくない」ということを言いに来たのだった。 



 
 方や知識寺や「恭仁京の飯場」へ必要な物資を取りに戻った者たちも行基の張ったネットワークの力に驚かされる。

『行基衆が泉川に橋を架ける』は口伝えで各地に飛び、物資が色々と寄進され、また集積を始めていたからだ。各地から若者たちの新しい参集もある。牛一頭、馬一頭まで知識寺には届いていた。そして連れて来た者たちも、そのまま「橋掛け場」の飯場に向かう。

 当時の道の様子は良く判らない。但し「川に沿って人々は歩いた」事の想像はできる。今なら木津川のこの辺りを北岸ならR−163が走り、南岸側はJR−関西本線が走る。でも昔は「けもの道」位にしか見えない一本筋だったろう。

 また橋やトンネルは無いのだから、「山を越え、谷を渡る」事になる。しかし荷役の運搬に牛と馬はありがたい。ただし生き物なので世話が大変だし世話係もあつかう者も必要だ。よってその者たちが二頭を引き連れる。

 荷車が有るかどうかは判然としない。「車」があるなら「滑車」もあったかも知れない。「動滑車」が有るならもっと作業も楽となる。但し「壊れるまで使う」だろうから「遺物」として木製品が残る事は難しいらしい。(古寺を廻ると稀に「滑車と数珠」を見かける事がある)
 


 昼過ぎに行基は若者たちを二班に分けた。一班が二人の樵と実習にでかけ、二班は「橋掛け場」の増強を担うこととした。今の飯場でも満員なのにこれ以上人が増えてはパンクしてしまう。特に大きな鉄鍋と竈の作成は急務だった。

 大鉄鍋は知識寺に在る。竈は「石と粘土」で組む。まず今日は小屋組みをするための柱を切り出す。また筵も多く欲しい、屋根にも使えるからだ。




 若者たちが樵に伐採の方法を受けている時だった。三人の猟師が木立を分けて現れた。最も体の大きな男が皆を睥睨し、威圧するように野太い声で樵たちに向って声を発した。

「ワレラ ヤマノカミニ アイサツモナク キヲキルトハ ナニゴトゾ……」

「ヤマノカミタチヨ ワレラヲ ユルセ ワレラハ ヒトノタメナルワザヲナス ケシテヤマヲアラスニアラズ ワレラハカワニハシヲワタスモノタチナリ」

 凡そ「当時の語り口調」は古事記などを辿るしかない。ただ「山の民」は政府支配を嫌って山に逃げた人々が多い。しかし必ず山の物だけで暮らせるわけもなく、人里に降りては緩やかな社会関係の中で生計を立てるしかない。

「ナニカアラバ コノ ハシカケバニ オイデナサレ ナニカ ヨキモノヲ シンゼヨウ」

「ワレラハ アラソイヲコノマヌ ワレラノテキニナルナ キハ スキニシロ……」

 樵たちの斧振る音に驚いただけだろう。また加茂の手前まで恭仁京は広がる。山の民たちも僅かな危機感を持つ。彼らが現れたのは「争いたくない」ということを言いに来たのだった。 



 
 方や知識寺や「恭仁京の飯場」へ必要な物資を取りに戻った者たちも行基の張ったネットワークの力に驚かされる。

『行基衆が泉川に橋を架ける』は口伝えで各地に飛び、物資が色々と寄進され、また集積を始めていたからだ。各地から若者たちの新しい参集もある。牛一頭、馬一頭まで知識寺には届いていた。そして連れて来た者たちも、そのまま「橋掛け場」の飯場に向かう。

 当時の道の様子は良く判らない。但し「川に沿って人々は歩いた」事の想像はできる。今なら木津川のこの辺りを北岸ならR−163が走り、南岸側はJR−関西本線が走る。でも昔は「けもの道」位にしか見えない一本筋だったろう。

 また橋やトンネルは無いのだから、「山を越え、谷を渡る」事になる。しかし荷役の運搬に牛と馬はありがたい。ただし生き物なので世話が大変だし世話係もあつかう者も必要だ。よってその者たちが二頭を引き連れる。

 荷車が有るかどうかは判然としない。「車」があるなら「滑車」もあったかも知れない。「動滑車」が有るならもっと作業も楽となる。但し「壊れるまで使う」だろうから「遺物」として木製品が残る事は難しいらしい。(古寺を廻ると稀に「滑車と数珠」を見かける事がある)
 

 次の日の朝は鳥たちの声と子供たちの泣き声で始まった。それぞれの親のいない事に気づいたのだ。それは昨夜に始まっていたが女子衆たちがあやして宥めた。すると男衆たちもその泣き声に引き寄せられてしまう。その中には行基も交じる。

「おいおい、子供達よ、泣くでない。お前達のととさま、かかさまは、お前達を捨てたのではない。山の暮らしは不便じゃろ。だからここで預かる事にしただけじゃ。ここには兄さまも姉さまもおる。お前達が山で難義をすることもない。夜になればまた会う事も出来る。心配する事は何も無いでな。安心なされ」

 さて行基の言葉がどれほどに子供たちに効果があるかは疑問だが、好々爺の言葉に少しは子供達も安心しただろうか。その内に朝食の用意も整えば雑炊の匂いに子供達も引き付けられる。

 食堂は交代制であり「我慢の出来ない者たち」より先に食事に当たる。よってここでは「譲り合い」があり、この日は子供たちが優先を取る。「子供好き」が子供たちの面倒を見て、自分の食事を後にする。当然「当番」も考えてあるだろう。



 さて子供たちの話はおいて、樵達と若者達の活動を追おう。

 樵達は二人一組で斧を振るう。「木を倒す・木の倒れる方」に注意を払う。その事に若者たちの注意を促す。

「こうして幹を二人で打ち続ければ木も痛くて悲鳴を上げるのさ。但し、それがいつも有るとは思うな。いきなり倒れだすことも有るでな。ある程度切れたら木の楔を入れる。それを斧を逆手に持ち打ち込むのだ。そうすれば反対側に木は倒れるというものさ」
 
 樵たちが見本を見せる。

「木の倒れ込む方に、誰も居てはならんぞ。木の下敷きになれば、怪我もすりゃあ死にもするからな」

 あたりリ前の事を言う。しかし聞く方も聞く。二人は斧をコンコンと打つ。

「倒れるぞーー!」

 そう言って、木の楔を入れて打つ。やがて木が断末魔を上げ、緩い斜面の下方に頭を倒す。この時、他の木々にも当たり散らす。しかし、その辺りに誰かいることも無い。

「おおー、すげー」

 誰かしら拍手すると、それが皆に広がって行く。

「まだだ、まだたよ。気の早い奴等だな。"枝打ち"しなきゃ運べないぞ。また枝は反発するで注意しろや」

「そうだ。枝を落として丸太にしなきゃダメじゃないか。ははは……」

 この時に「枝の跳躍・反発」のあることを樵は若者たちに言う。若者たちの数人は「鉈」を持ち、細い枝を落とす。樵たちは根に近い太い枝を落とす。ある程度太くなると鉈では暇が掛かってしまう。

 樵達は「二人一組」それに若者達が二十人ほどが付く。この頃に「修羅」が有るかどうかは判らない。たぶん太い荒縄を木に巻いて、先の方から引きずるように運ぶことになる。また「川上で木を切る」ことをすれば運ぶ手間も省ける算段だ。

 そうして二・三日もすれば「組織的伐採」も可能となる。「四本一組」の橋脚である。「腰巻」には細い木の方を使えばよく「近場」でも取れる。五日も過ぎれば「橋脚、第一、第二」も出来る。問題は「川床」であり「立てて、見立てるー現場合わせ」となる。



 さて「橋を作るための木は集まった」事として、次に「橋づくり」の話しを進めたい。

 行基は先に丸太をトラスに組む「四本足ー橋脚」にする事にした。これは若者たちも同じものを考えだし、また模型さえこしらえた。

 問題は泉川の「川床」の様子だ。川を挟んで北と南に「集落」のあるものの道筋はどっちも「船場」で止まる。どこに橋を立てても良いし、出来るなら形相の良い処に橋を架けたいのが有る。それには再び「ガタロ」の登場が必要だ。

「……、というわけじゃ。ガタロよ。川床の様子を探ってほしい」

「はい、お師匠。吾だけでは足りないので泳ぎの達者なものを選んで様子を探りましょう。川床の形の良い処に橋を架けましょう」



 ガタロはそういうと「橋掛け場」を後にし村に戻った。「漁師仲間や船頭たち」に声を掛け仲間を募った。すると村の孤老より耳寄りな話も頂戴した。



「ガタロよ。水は高き処より低き処に流れ出す。そして海へと辿り着く。山の間は谷を流れ平地に出れば土手の間を流れゆく。お前もこの川に中州の有るのは知りおろう。何であそこに砂が溜まるのか考えたことはあるか。それも川の形に依るものぞ」

「そういや泉川には中州が良くできる。何でだろう……」

「川の面手面と裏の顔だよ。川の流れの勢いと土地の形と高低差じゃよ。よって中州が生まれたり消えたりするのじゃ。そして中州の有る処は川幅も相当広くなる。川床を調べてごらん。たぶん土地そのものが川の中では高いのじゃよ。よって川幅が広くなる」

「わかった。一度調べてみるよ」

 ガタロは仲間を三人集めた。当時「水泳・泳法」は無い、およそ川漁師も少ない。「川を泳ぐ」者がそもそも希少な存在だ。彼は、その三人を率いて石場の新しい村に戻った。



 川漁師の三人は「橋掛け場」で橋の模型を見て驚いた。竹で組まれた橋脚が十基。腰巻が有り、その上を歩み板に似せられた割れ竹が縦に通されている。

「へー、これを作って橋にするのか……」

「あの川だもんな。こういう造りも良いかもしんねえ……」

「これを木で仕立てるのか。もう木はあるのか」

「皆で切り出しているよ。問題は何処に橋を架けるかだ。それを俺たちで調べるんだ。大事な仕事だぞ」

「そうか。雨が降れば暴れ川だもんな。それでも流れの緩い処が良いよな」

「そういうこと。でも川幅が広ければ橋が長くなるだろ。川幅の狭い処は流れが急だし。その塩梅が難しい。出来るなら奈良の都と恭仁京の近くの間に通したいしな」

「人が行き来するなら、それが良いよな」

「天気が良いなら恵みの川。天気悪けりゃ暴れ川。何とも厄介な川でござるの」

「だな。そこに俺たちが橋を架ける。面白そうだろ」

「面白れー。やってやろうぜ、その仕事。川に潜るなら俺たちでないと出来ない事だぜ」

「よし調べよう。何処が良いのか決めてやろうぜ」

 ガタロの話に助っ人の三人が相槌を打った。


 その次の日よりガタロ達四人衆は「泉川の観察」を始めた。「橋を架けるー適地は何処か」の見当をつける為である。それは「平城京ー恭仁京」の最短距離であれば、尚良い。しかし「泉川」の機嫌はどうなのか。

 その土地には「その土地形の地勢」がある。泉川は青山高原より「くねくねと曲がりくねって」木津に至る。凡そ「東から西へ」と流れて来た水が木津を越えた処で「ぐぐっと曲がって南から北へと進路を変え、巨椋池を越えて淀川に至る」のである。そして川幅の広い場所ではそれぞれに中州があるのである。

 もし「等高線付き地図」があれば、彼等ももっと早く適地を見つけられるだろう。それは当時にあっては「R24・JR奈良線」辺りだろうか。また「当時と現代では」土地形質の違いもあるのかもしれない。彼らは「良さ気」に見えた処で、この川に身を沈めて「川床」をその目で確認する。

 春から進んだこの話では「梅雨」も有って良いだろう。増水した時の、この川の「暴れ川ぶり」も彼らは眼に焼き付ける。そして「梅雨明け」したならば、彼らは適地を皆に報告し「何故ここなのか」 ガタロが意見を発表をする。 



ある朝、皆の食事が済んだころガタロ達四人衆が若者たちに話し始めた。

「皆に言う。俺たちは『川勾の鼻ーその手前』に橋を架けるのが良いと思う。泉川は『東から西へ』と流れて来て『川勾の鼻』で南から北へと進路を変える。そして川幅の広い場所では中州がある。土手の手前に深い淵も有るけれどその幅は広くは無い。川幅一杯に水が溢れても中州の場所では水は浅いんだ。その場所を皆に見てほしい。皆の意見も欲しいから」

「お前が言うなら間違いなかっべ。でも材木も運ばなきゃなんねえしな、……」

「おー、そうだ。一度皆で見に行くとするさ」

「それがいい。そうすっぺ」

 行基はガタロ達のする事も時折り見に行っていたので場所の見当はつく。しかし「何も知らぬ気で」皆の後ろに付いて行く。問題は切り出した「木の長さ」だ。橋は一直線になるのが望ましい。また「歩み板」になる部分は竹で仕上げるが、できるだけ水平に保ちたいのもある。

 橋そのものも頑丈に作りたいのもあるが、しかし「架橋敷設」が出来るまではそれを若者たちに要求できない。それが「どの程度増水時に耐えるものか」の疑問もある。当時はノコギリが無いので「板一枚の切り出しに、丸太より鐇(ちょうな)で削り出し」する高価なもの、労力の掛かる物であるからだ。



 橋脚部分に当たる場所は飯場よりそう遠い処でも無かった。

「ここだ。ここより対岸に真っすぐに橋を渡したい。真ん中には砂の中州も有る。あそこで橋を一服させて向うに渡す。ただ手前の方が川が深い。よって橋組は向う側から始めたい」

「どうだい、みんな。どう思う……」

「遠いな。もっと川幅の狭い処では駄目なのか……」

「川幅が狭いと水の流れが強いんだよ。たぶん柱が立つ前に水の勢いで流されてしまうよ」

「いいんじゃないか。川を良く知るお前達が言うんだ。たぶんここが良いんだろさ」

「もう木もたくさん伐り出した。まだ足りないかもしれないけれど浅いところからやっつけてみようよ」

「だよな、俺たちも橋を組んでみたいよ。そろそろ始めようじゃないか。何かあればその時に考えようや」

「そだな、やってみっぺ」

 行基は若者たちの話を傍で聞いている。

「それじゃ筏で木も流し始めるだ。あっちの岸だな」

「班割りしようぜ。樵するもの、木を流す者、そして橋組する者と」

ここで行基が声を掛けた。

「善きかな、善きかな。もうそれぞれに顔も得意も心得ておろう。気心の知れた者同士、集まって仕事を始めなされ」

この行基の言葉で若者たちが動き始めた。


(C)2018 Fuutarou Ashihara.
 まず先の話が「笠置の石場」に伝えられた。これを「木こり部隊」としよう。そしてガタロ達が「筏部隊」となり木と石を流す。竹組を丸太組にして平たい石を積むのだ。

 そして飯場を対岸に移すのは「橋組部隊」だ。これは行基が川漁師に頼んで船を出してもらった。鉄鍋・什器・荒縄・筵の生活必需品の一切を運ぶ。飯場の設営をこの部隊が引き受ける。

 これには橋脚を作る「石組部隊」が含まれる。ガタロ達の運ぶ丸太と石を受け取り、まず行基の指導により土手を穿ち橋脚を組む。他のものは丸太を長短に分けて揃える。丸太は斧で切り出さる時に既に「鉛筆の先」の様に尖っているのは樵達の知恵だ。

 対岸の河原の砂場で四本の丸太の幹に切り込みを入れ、そこにそれぞれに縄掛けをする。それを一つに纏めて足を開く。川床が砂礫であれば尖った先端が砂礫に刺さる。後より横木を入れてそれを叩けば砂礫に深く突き刺さる。


 
 まず「飯場」は川の土手より高い位置、開けた処が望ましい。できれば傾斜の無い方が良い。灌木を切り、草を刈る。石を並べ土台とし、近在の竹を取り、横に並べれば床に成る。

 片流れの屋根も、竹と切った枝葉を並べて屋根とする。彼らに布団など無く、寝床が「筵」であれば衣服は「着たまま」なので、それで寝れる事となる。鍋を載せる釜も石を並べただけで釜戸が出来る。灌木はそのまま燃料になる。



 その日の作業は「飯場設営」の途中で止まった。石も木も「笠置の石場」より送られる量は一日に一度。ガタロ達が笠置の「石場」に戻らないと、次の日の荷は送られないのだった。

「皆の衆、今日はここまでとしよう。体を洗って飯としよう」

 その言葉に若者たちが同意する。

「それがいい、腹が減ったし……」

「お前はよく仕事したもんな」

「お前だって、ははは……」

「おい、汗と汚れを落そうぜ」

「体が熱い、ひと泳ぎすっか」

「犬掻きのくせに……」

「お前こそ、溺れるんじゃないぞ」

「何か取ろうぜ。一品欲しいだろ」

「そうしよう。鰻が取れると良いな」

「俺は蛙でも魚でもいい」

 若者たちは裸になり、それぞれの狩場を目指した。衣服は河原に並べられた。前を隠す者などいない。

 行基はその間に竹の残りで四角推を組み、原始的な測量器具を組み上げる。




 暫らくすると若者たちが獲物を持ち、河原で獲物の始末を付けて竹の枝に刺す。アラ(内臓やエラ)は鳥たちが始末する。彼等は釜場の横に新たな石組をして、火種をとり焼きはじめる。炊事番は既に米を煮て「おかゆ」の用意をしていた。

 誰から聞いたのか。近在の村の者たちが聞きつけて若者たちに差し入れもする。食事内容が豊かになる。

「これは済まぬ。皆に代わって礼を言う」

「いえいえ和尚様。礼を言うのは我等の方じゃ。橋が出来れば人の往来も豊かになりますじゃ。我等も何か商いが出来るというもの。助かりますじゃ」

「また、我等も何かお手伝いしたいものじゃ。仏様の話しも聞きたい」

「我等にも説法が必要ですじゃ」

「しばし待たれよ。わしはまだこちらでは『小僧呼ばわり』ですでのう、今はお上より睨まれるのは良くないのじゃ……」

「あいや、そうでありましたな。でもここいらあたりは都と少し離れております。我らが和尚様と若者たちを匿いますで、ご安心下されませ」



★★「よろしゅうお願いします。そうだ、ちと道具に足りないものがございます。【金棒】と大槌と滑車等を貸していただけまいか。あちらにも有るのだが都造りで取られております」

「なるほど。探して見ましょう。有りましたらこちらの河原に置きましょう」

「ありがたい。この橋を架ける事が出来たなら、また役人もお上達も我らを見直す事でありましょう」

 村人達は行基とこのような話をすることで得心して引き上げた。行基は奈良側での活動はまだ「都合が悪い」のだった。もう陽は落ち月が出て、若者たちの寝息すら聞こえて来る。誰か菊の葉やヨモギを焚いて「蚊やり」としている。

 藁の筵は草の上に幾つも無造作に広げられていた。

 夜明けとともに朝飯の用意が始まる。食事が済むと作業が始まる。河原の土手の草刈りが始まり「のり面」の土が削られる。「橋脚」を作るのだ。

 若者たちの数人が「竹尺」を持つ。いわゆる「奈良尺」で一尺は約28cm。その十倍の長さの竹棒を持ち橋の幅や道幅を決めている。

 鍬は数丁を借り受けている。体格の良い若者たちが土を削る。他の者たちは「道」に当たる部分の草刈りと潅木を抜く。昼前にガタロ達「筏部隊」が第一便の丸太と石を運んできた。

「おーい、こっちだ、こっちだ」

 若者達皆の声と姿が見えると、筏はゆっくりと方向を変えて近寄ってゆく。岸に近づけば若者達が筏の先を岸へと向ける。

「待たせたな。やっと着いたぞ」

 筏の先が皆の力で持ち上げられて岸に掛かる。石を手渡しで運び、荒縄を解き丸太を岸に引き上げる。石も丸太も形は「そのまま」だ。

 この筏には行基の知恵が一つ伝授されている。後尾に竹を三本組んだ「舵(かじ)」を縄組で付けているのだ。初めての事なので四人で筏を「舵」で操って来たのだ。ただそれだけでは不安なので二本の竹棒も筏の上には乗せてあった。

「お師匠、遅くなりました」

「なんの、なんの。ご苦労なことだ」

「それでは我らは石場に帰ります。何か話はありますか」

「そちらに不足の物は無いか。食う物は足りておるか」

「はい、まだあります」

「みなの様子はどうじゃ。まさか喧嘩など起きておらぬか」

「それぞれに仕事が有るので起きようが有りません」

「それは結構、何か食うてから帰るか」

「いいえ、明日は二艘出すので用意もあるから帰ります」

「そうか。よろしく頼むでな」

 そう言うとガタロ達の筏部隊は引き上げた。もう石も丸太も河原に引き上げられている。

 彼等は荷物を運び終えるとすぐに笠置の石場に引き返す。高くはないが幾つかの山越えをする。それは小さな川をも跨ぐ。たぶん半日近くは歩く事に成るのだった。

 橋脚を成す「石組部隊」の仕事はのろい。まず土手を堀り、斜めに切る。そして石を重ねてゆくのだが「石の形はそれぞれ」なので石置きがなかなか決まらない為だ。

 まず一段目の石置きが決まれば「槌(つち)」で石をのり面に打ちこんでゆく。その間に四本足の櫓が一つ立つ。ここで行基の知恵が光る。

「おーい、その櫓をここまで運べ」

 若者たちが訳もわからず組んだばかりの四角推の櫓を、皆で橋脚に当たる石組み場の前に運ぶ。

「櫓の天辺に二本組の縄を掛けろ」

 腑に落ちぬながら若者たちは言われたとおりに櫓に昇り縄を掛ける。

「よし、短い丸太を縄に巻け。鐘楼の鐘突き棒にするのじゃよ。叩くのはこちらの石じゃよ」

「あ、なるほど……」

「そういうことか……」

「判ったか」

「判りました」

「これは立てに使えば杭打ちも出来るでな。丸太を釣り上げてから下に落とせば良い事じゃ」

「なるほど……」

「でも滑車が無い」

「横に突く分に滑車は無用じゃ。振り子のように横に動けば良いでな」

「そういうことか……」

 まず一番下より石が置かれる。それには平たい石が選ばれているが、数に限りがある。よって、いわゆる「野面積み」の方法である。それをのり面になる土に少しだけ打ちこまれる。

 この日はまず土手の高さまで一層目が橋脚として築かれた。一艘の筏に乗る石の量がその程度だった。そろそろ夕食の用意に掛かる頃でもあった。

【鉄棒ー工具名・調べ中】

 朝に皆が橋掛け場に降りると村の者たちが作業道具を持って来てくれていた。奈良は早くに都を開いた。また寺社も建てられた。その頃の道具の一端が行基の下に集まったのだ

「和尚様、おはようございます。道具を持って参りました」

「皆の衆、おはようござります。なになに、それは有り難い、助かりますぞ。道具が有れば仕事がはかどる」

「なに、和尚さまの人徳でございましょう。もう泉川に橋の掛かるは都の者たちの口に昇っておりますよ。道具を見れば何処のお寺かわかりますで……」

「それは参った、橋を見て驚いてほしいのに……」

「それはそれで驚きましょうぞ……。愉快、愉快……」

「はははは……」

 若者達に道具は珍しい。大槌に小槌、鶴嘴や蛸【金棒】などの土木用の道具が集まっている。見て使いようの判る物もあれば、使いようの判らない物もある。

「筏だ、筏が来たぞ〜」

 誰か若者の声がする。

「では我らは是で失礼します。野良仕事が有りますので……」

「おお、ご苦労であったな。ほれ、皆もお礼を言いなさい」

「ありがとう」

「ありがとうございます」

 里の村人たちは若者たちの声の中を去っていった。




 昨日より少し早めに、二艘の筏が時間を追って現れた。昨日の要領で、一艘ずつ岸に引き上げられる。まずゴンタの筏で、次にガタロの筏だった。時間に少し間を開けることによって、皆に楽をさせようという狙いでガタロは遅れて石場を出発した。

 まず行基が動いた。手に持つ錫杖でを石組みの法面に向けて丸い線を引いた。横より眺めれば法面の幅の二倍ほど長さのある円の大きさだ

「さあ皆の衆、そこに【鉄棒】や樫の棒が十丁ほどあろう。それを手に取り地面を突け。ささくれても、土がめくれてもかまわん。突きまくれ」

 村人達が用意した土方道具が若者たちの手に取られる。若者たちは何も詮索せず鉄棒や槍のような樫木の棒を手に取ると、線の内側を行基に言われたまま突き始める。始め地面めくられる。が、徐々に地面が沈んでゆく。

「よし、突くのはもうよいだろ。次は地面を成らすぞ。蛸足と大槌で地面を叩くのじゃ」

 蛸足の使いようが若者たちにすぐに判った。持ち上げて下に落とせばよいのだ。めくれた地面の肌が徐々に馴らされてゆく。円の内側の段差は手の平一つ位だろうか。道具を持たぬものは石組み場を取り巻き作業を眺める。

「さあ、その中に石を敷き詰めろ。石が手前に落ちるようじゃダメだぞ。必ず法面の石積みの方に重さが掛かるように置くんじゃ。置き様の決まったなら土を挟め。今は適当で良いから」

 石の大きさはてんでんばらばら。これで良いのかと思いながら若者達名々が石を抱えて運ぶ。石組みの若者たちがそれぞれに石の置き場を指示し、敷かれた線の中に石を置いてゆく。しかし一層目が平たいめの石できっちりと積み上げられているので、そこに法面より取り除いた土と一緒に石が広げ始められ、その法面への重しとなる。

「よし、次は上から下に石を叩け。あまり沈まぬとは思うが必要な作業じゃぞ」

 大槌が皆の分ほど有る訳じゃない。しかし数回打てば疲れも出て来るので皆が順繰りに槌を振るう事になる。

「さて次は削った土を石の隙間に掛けてゆけ」

 若者たちが石の隙間を狙って、笊で交互に土を掛けてゆく。

「さて次は再び槌と石を叩くぞ。大槌を持て、石を叩け。隙間が出来たら土を盛れ」

 若者たちが並べた石を叩く。半裸に近い若者たちの肌より汗が溢れて流れ落ちる。石を叩く者と土を盛る者とコンビネーション作業となる。

「よし、お前たちは少し休め。ほれ、他の者、お前たちもやってみろ。次は二段目を作るでな」

 地面の土を突く作業はなく、石組みが組まれ土が盛られる。二段目も法面の石に石が凭(もた)れ掛かるように石が詰められた。そして数人が大槌や蛸足を持ち慎重に石を叩く。そして三段目が積み上がる

「他の者、誰か。桶を持ち、水を汲んで来い」

 道具置き場の桶を、誰か認め手に持ち水を汲みに行く。

「お師匠、水を持ちました」

「よし、杓子をくれ。水を撒くでな」

 それはもう桶に入れられている。行基はそれを認めると水を散らすように何度も撒く。

「ほれ、わしが良いというまでお前も水を撒いてみろ」

 水桶を運んだ若者に行基は杓子を与えて水を撒かせる。桶の水が空になったところで行基は水撒きをやめさせた。土の類は水で石より落ちて隙間に落ちた様子である。


「よし、石組みは今日はここまで。さて四本足に掛かろうか」

「待ってました、お師匠さん」

 誰か、声を掛けた。丸太は河原に寸法の順に土手を利用し立てかけられている。行基と若者達が土手の上に移動する。丸太の細い先頭部分は切り落とされてある。まずは短い方の丸太四本が選ばれた。

 行基は縄掛けの作法を説明しながら実演してみせる。

「まずは長い縄を一本。これを二つに折る。そして丸太に輪っかを作り縄の端の方二つを入れて引けば縄が締まる。これを”ヒバリ結び”という。そして、ここで縄を交互に左右に三度廻して”本結び”にする。縄の余りを少し残して切る。判ったかな……」

「はい……」

「はい、、判りました」

「簡単だ、オレも出来る」

「そうか、そうか。では縄を解くぞ。縄の長さは丸太の大きさで違うからな」

 行基は縄を解く。

「ほれ、これに合わせて三本の縄を取れ」

 若者の一人に縄を渡す。若者は縄を受け取るともう一人の若者に手伝ってもらって、都合四本の縄を揃える。

「お師匠、取りました」

「よし、誰か四人で縄を巻いてみよ」

 縄を受けた四人が縄掛けをする。

「お師匠さま。出来ました」

「よし、お前、その八本の縄を一纏めに結んでしまえ」

 その若者は隣の者にも手伝ってもらい、八本合わせれば腕の太さにも近い縄の束を依りながら”こま結び”に結んだ。

「お師匠、出来ました」

「良いだろう」

 そう言うと行基も縄を一本取り縄巻の上の方で、丸太を三重に縄を緩く巻いた。まだある縄を二人の若者に、分けて持たせる。

「よし皆、土手を降りろ、向うの中州に四本足を運んで組み立ててみるぞ」

「おーーっ!」

「よっしゃーっ!」

「丸太の櫓組じゃーっ!」

 それは好き勝手に竹櫓や石突櫓を組んだのではない。「統一形式」の櫓組みなのだ。丸太を四本、若者総出で担いで運ぶ。手前の土手より中州を目指す。

 若者たちの足の裏はそこまでの道筋を知っている。そこまでの川面の高さは腰まで来ない。川で遊んだその後に皆で甲羅干しをする中洲でもある。難無く四本丸太は運ばれる。

「よし、縄組を真中として、十文字に丸太を広げて置くのじゃ」

 若者たちが柱を置くため右往左往し位置取りをする。そしてやっと丸太を置いた。若者たちの額に汗の粒も浮く。

「ちと其の場で一服じゃ。息を整えろ。次は丸太を縄に向けて押し上げるでな。判るかな」

「四方から、、皆で丸太の縄を突き上げるんですね」

「そうじゃ。だが皆で力を合わせて突き上げじゃ。一二の三で突き上げて、四で丸太を下に落とす。良いかな」

「三で良い高さまで上げるんですか」

「そうじゃ、三まで力を入れて押し上げる。四で落とす。数読みは儂がする」

 そこで行基も息を整える、もう良い年だ。若者と共に行動するには二倍三倍の気力と労力が必用だ。青い空に雲雀が唄う。白い雲が銀色にも輝く。


「さて、もういいか。丸太を、櫓に立て上げるぞ」

「はい」

「おおーっ」

「まずは縄組の中の方に八人、背の高い者が良い。一の掛け声で丸太を上に跳ね上げろ。二の声で他の者は丸太を三の声まで押せ、力のある者が後ろだ。四で丸太を砂に落とすが、決して足を下にするでないぞ。それ、持ち場に付け」

 若者たちが右往左往し位置を入れ代わる。何をすれば櫓が立ち上がるのかは、想像できている。

「用意はいいか、では行くぞ、いちー、にー、さん」

 縄部分の丸太が持ち上がれば、皆が丸太を押し上げる。高くなるほどに皆の手が離れてゆく。最後は「四」の掛け声の前に丸太より手が離れた。中州に何はともあれ、四角推の櫓が立ち上がった。

「おおーっ」

「立ち上がったぞ」

 それは元の飯場のある対岸よりの声だった。それを無視して行基は若者たちに指図する。

「ほれ、腰を巻くぞ。皆で細い短い丸太を四本、ここまで運んでこい」

 作業時の行基の言葉にあるのは監督としての厳しさだ。若者たちは総出で川面に走り込む。そして程なく四本の丸太が現れる。その間に行基は櫓の足の位置を見て廻り、印を砂に付けていた。

「さて、丸太はその辺りに置けば良い。その前に四本足の位置決めだ。足を印の上に置け。ほれ、力持の出番だ」

 体格の良いでっぷりとした若者が、一人で丸太を印の上に乗せて回った。

「いよっ、ちからもち〜!」

 対岸から野次が飛ぶ。
行基はそれに関わらず若者たちに指図する。もう高齢なのだ。

「よし、丸太を一本、ここで”垣根結び”にしろ、腰の高さでな。五重位に巻けば良い」

 若者の二人が丸太を支え、もう一人が縄を掛けて結ぶ。余った木が横に延びる

「よし、もう片方はこの位置だ」

 若者の二人が丸太を支え、もう一人が縄を掛けて結ぶ。

「ほれ、他の者もやってみよ。この横木に合わせて丸太を結べ」

 若者の、他の三人が同じ事をする。

「さあ、次の丸太の上に歩み板の並ぶこととなるぞ。先の丸太の上に乗せて縄を掛けろ。

 他の若者の、二人が丸太を先の丸太の上に乗せ、同じ様に縄掛けをする。

 三本の丸太を腰巻にすれば、他の二人が四本目を仕上げた。

「さて大槌が必要じゃ。四本あれば良い。誰か四人、石組み場より運んでくれ」

 四人の若者が大槌を持って現れた。

「さて、どこまで沈むのか。大槌で横木を叩け。それぞれ右側の横木を叩け」

 ゴン、ゴン、ゴン、ゴン、ゴン、ゴン、……。櫓の足が沈んでゆく。それはやがて砂の上に横木の横たわる形になる。

「ほう、結構沈むぞ。よし、同じ事をする。次は長い丸太を四本、ここに皆で運んでこい。次は一本ずつこれを立てる事にするぞ」

「はーい、取りに行きます」

 若者たちが走り出す。

「おい、おまえ、最後のオマエ」

「何でしょうか」

「お前はこの縄を持ち、櫓の上に架けて来い。四本柱の真ん中に架けてこい。この縄で次の柱の頭を持ち上げるのに使うんじゃよ」

「あ、そうか、なるほど」

 若者は器用に櫓の上に登る。そして縄を掛けるとその上に座り込んだ。

「和尚様、ここは見晴らしが良いですよ。ずっと向うが見える」

「そうじゃろ。よし、お前はそこにいて縄が柱より外れぬようにしておくれ」

「はい、判りました」

 皆がそれぞれに四本の長い丸太を抱えて戻って来た。

「よし、この縄に丸太の幹を結べ。まずはこの櫓の上まで縄で引っ張り上げるのじゃ」

 若者たちの誰かが丸太に縄をかける。

「ほれ、櫓のオマエ、四足に丸太を上手く乗せてくれ」

「はい、判りました」

 丸太は徐々に櫓の上を目指す。そして四本柱組の上に丸太の頭ががちょんと乗りかかる。

「おーい、櫓のオマエ。次は三本の縄を渡すから三本とも二重に巻いて結んでくれ。締めは駒結びにするんだぞ」

「はい、判りました」

 返事が良い。行基は近くにいた者に三本の綱の頭を託す。若者はその綱を肩に袈裟懸けにして櫓の上を目指す。それを「櫓のオマエ」が柱に結び付ける。

「それ、柱を立てるぞ三方から引っ張り合う事で柱を真っすぐに立てるぞ」

『は〜い、判りました〜』

 その最中、行基は首の数珠を柱に巻く。垂線を取る為だ。

「そーれ、ひっぱれ〜。三方より柱を立てろ。真っすぐに立てるんだぞ」

 皆はちと首をひねる。それでは三角錐の櫓に為らないのでは……。でも真四角でも足が四本で有れば困ることも無いと合点する。

「おい、誰か。短い丸太を取って来てくれ」

「はい、判りました」

 誰かが駆け出す。数人が駆け出した。たぶん四本が必要だと思ったのだろう。どうせ櫓に組むのだし。


 暫らくすると若者たちが丸太を四本運んできた。行基は先の数珠を首に廻し直していた。

「おお、気が利くな。ではまず一本を真中に、腰の高さに……。まだ腰を巻くのでないぞ。柱を下に沈めるのでな」

 若者達も心得た。

「誰か縄をしっかりと巻き付けてくれ」

「俺が巻こう。キッチリと巻いてやる」

 力持と云われた若者が縄を巻く。

 逆さ十字架ができる。

「よし、みんな柱を沈めてみろ。手で押せるなら押してみろ」

 若者たちが大勢で横木を抑えつける。横木が低くなると足に体重を載せて踏み込む。

「よしいいだろう。おい、力持、縄を解いてくれ」

「わかった」

 若者はそういうと縄目の砂を取り除き「舫い結び」の端を引く。すると縄が解ける。荒縄なので力がいる。

「さて同じ事をする。わしは疲れたので一服じゃ。ははは……」

 今度も体重を掛けて抑えつけるが柱は先のようには沈まない。

「お師匠、沈まねーよ。大槌を使っていいか」

「ああ、打ちこめ。自分の足や他人の頭を叩くでないぞ」

「合点でさ」

 そういうと若者二人が息を合わせて大槌を奮う。やがて横木は砂の上に。

「さて、もう綱を放して良いじゃろ。ゆっくりと綱を放してみろ」

 三方から綱を張っていた若者たちが恐る々々と手を放す。柱は一本立ちしたままだ。

「さて皆の衆。次の柱の位置はここだ。ここに柱を立ててくれ。綱引き衆はもう一度縄を引け。そして誰か一人この柱の上に登れ。柱の頭を引き上げる為、縄を乳輪に結んでくれ。そこに縄を通すでな。さて、もう何をすれば良いか判るかな」

「そして三角櫓の隣に新しく四角の櫓を組むんだ」

「安全・正確・迅速、そして仲良し」

「その通り、ご名答だ。さあ作業にかかれ。無理するな、怪我はするな。すれば工事が中止になるぞ」

『わっかりました〜』

 陽が斜めになる前に、中州に二つの櫓が組み上がった。柱の頭が愚位置なのは地層の違いか、柱の下に石がある為だ。

『できたぞ、できたぞ』

「この櫓は俺たちで組み上げた」

「俺たちって凄いよな」

「ああ、皆すごいよ」

『ばんざーい、ばんざーい』

 中洲に横になっていた行基だが、若者達の歓声に目覚めた。

「おーし、よくやった。さて、力持八人が必要だ。そう大きくなくて良いから川を渡るに適当な重さの石を、一つだけ抱いてここまで持ってきてほしい。決して川で溺れる事の無きようにな」

 力自慢の若者八人が水飛沫を上げて走り出す。程なくして八個の石が運ばれた。

 行基は縄で大きな輪をこしらえている。そして両端を持ち、一つの石に巻き片手の縄をもう一方の手の縄のうちに通す。
「ほれ、この通り。前に教えた”ヒバリ結び”を利用して、四本の横木の端に石を吊るしてみよ」

 若者たちの一同が行基の言葉に得心する。川の流れに櫓を負かせぬよう重石とするのだ。縄掛けされた石が、横木の端に吊るされる。さすれば櫓は安定する。

「これをこの川に幾つも立てるぞ」

「おおおーーっ!」

「これは見本だからな。皆に見せるために作った。今は目測でやっておるからな、後で測り直して縄を巻き直す。皆でこの川に橋を架けようぞ」

「おおーーっ!」

「今日はここまで。さて今夜も一品を添えようか……」

「おおーーっ!」

 若者たちは元の岸へと返して、裸になる。



(C)2018 Fuutarou Ashihara.
 若者たちが「獲物を漁る」間に行基は新たに四角柱の竹組を組んでいた。それは何かの台にするようである。天上には竹を無造作に並べられ、それは縄で簾(すだれ)のように交互に細い縄で留められている。それは立・横三尺(90cm)程の代物だ。

 切りだされた竹の寸法も幅もまちまちではあるが、出来上がればそれは何かの置台であることがわかる。飯場当番の若者の一人が声を掛けた。

「お師匠さま、それは何の台ですか」

「気になるか」

「はい」

「これは、これだけでは役に立たぬ。近く盥(たらい)を村人たちが届けてくれる。その時に皆に何に使うかを教えてやろう。それまでの楽しみとしておこうかの」

「盥とは衣服を洗う口の大きな桶(おけ)ですか……」

「ほう、盥を知るか。使い道は色々あるのさ……、ははは……」

 ちらほらと若者たちが獲物を抱えて帰って来る。。

「ほれ、片付けよう。そちら側を持ってくれ。皆の邪魔にならぬような処に置くでな」

 二人は組まれたばかりの荷台を草原に運んだ。飯場では既に米が鉄釜で煮られている。石組みの窯の火が必要な者たちに分けられる。食餌がそれぞれに始まり、夜の帳(とばり)が降りて来る。

「おい、おまえ……」

 何かと若者が増えていて、もう名前を覚える気は無さそうだ。

「はい……」

「おまえにこれを託そうかの」

 それは太い竹の筒であった。

「明日は平たい石を見つけて、これを面一(つらいち)にしてくれんか。この出張った節を削って横に真っすぐに仕上げてほしい」

「横に真っすぐ……。節を石で削れば良いのですね」

「ああそうじゃ。横に真っすぐにして欲しい。できるかの……」

「兎に角やってみます」

「それで良い。大事な仕事じゃ、頼んだぞ」

 若者はその竹を受け取った。置き台と盥と青竹、これで何ができるのか。若者は食事の時も寝る時も、青竹を握っていた。




 翌朝も「石垣」作りから始められ、筏の到着と共に「丸太の縄掛け」が始まる。青竹を持つ若者は、見た目平たい石を離れに運び、青竹の節を削り始める。

「石組は力持が二十人で良い。他の者たちは縄掛けじゃ。短い方の丸太から始めよ。まだ櫓にする事は無いでの」

 若者たちが動き出す。石組み場では昨日の続きで、土が撒かれて水を掛ける事より始める。櫓組の若者は丸太を土手に並べ替える事より始めた。青竹を持つ若者は石の表面で節をゴリゴリと擦っている。 

 この日の筏の到着も似たような時刻ではあったが、川面を見つめる若者の声は違った。

「おーい、丸太だ、長い丸太が流れて来たぞ」

「おい、それを逃がすな。櫓組は走れ。引き上げて来るは大そうな仕事となるぞ」

 行基の大声に泳ぎに自信のある者たちが走り出す。船頭のいない丸太であれば深い淵の方を流れるだろうからだ。波の流れに丸太が端の方を浮き沈みさせている。一本だけでなく、都合四本が流れていた。

 多勢に無勢で若者達が流されながらも中州に丸太を引き上げる。中には向こう岸に着く丸太も有るが、それはもう一度若者たちが流し返す。遠く下流に流れた丸太も、やがて若者たちが肩に担いで現場に持ち帰った。

「おーい、筏だ。二人いるぞ」

 その声に、行基は一人安堵する。ガタロとゴンタの二人だ。何方かの筏の縄組が解けたのだろう。長い丸太組みの取り回しは相当に難しかったのだろう。行木は筏を迎えに行く。

「ご苦労、ご苦労、……」

「申し訳ない、お師匠。皆の手を煩わせてしまいました」

「なんの、なんの。どちらか溺れたのかと心配したがの。まぁそれも良い経験じゃろ。明日よりは取り回しの難しい長い丸太は流せば良いぞ」

「はい、そのように致します」

「飯場によって何か食って帰る事じゃ。女子衆が何か用意してくれるだろう」

「それではお言葉に甘えます」

 二人は土手を上がり飯場に向う。

 二人の去った筏の上には普段と違って、木の先の方に「杭やこん棒」と呼ぶべき物が乗っていた。

「おい、櫓組のみんな。そうだな、手前半分の若者よ。長い丸太を二本土手の上に引き上げるぞ。残ったものは縄掛けの続きじゃ」

「はい」

「おーっ!」

 二本の丸太は程なく土手の上に引き上げられる。

「よし、石組みの手前に、道幅を示すように端と端に並べて置こう」

 そこより石場を見下げれば、また一段、石組みが出来ている。夕方には石組みも土手の高さに近づきそうだ。

「道工場より鶴嘴(つるはし)と鍬(くわ)を数人で取って参れ」

 若者の数人が走り出す。行基は手に持つ錫杖で丸太に沿って二本の線を二回曳く。この辺りの灌木や草は以前の作業で抜かれていて地面が肌を見せている。やがてここに渡河の為の道が出来る。

「道具を持つものは交代しながら、二本線の間を掘り下げよ。それぞれ位置をずらしながら掘れ。間違っても道具で誰かを叩いてはならんぞ」

 道具を取に行った者たちが鶴嘴や鍬を奮い始めた。その行基の様子を認めたのか。里の者たちが来た。

「和尚様、前に言われた道具を持って参りました」

 それは盥(たらい)と滑車であり、鐘と小太鼓であった。この二つが有れば行基たちの作業が飛躍的に前進する。滑車は木を削りだし作ったのだろう。巾の薄い滑車でなく、麺棒のように巾の長い滑車であった。

「おお、おお、これは有り難い事じゃ。世話になります。必ず橋を渡しもうそう……」

「我々里の者も楽しみにしております。ご無理なくお願いいたします」

「おい、手すきの者たち、里人寄り受けた道具を飯場に運んでくれ。大切なものだから丁寧にな」

 若者の一人が滑車に手を伸ばすと、行基の手がそれを止めた。

「おっと。これは今からもう使うのだよ」

 そして若者たちに声を掛ける。

「さあ、櫓組みの若者達よ。石組み櫓をここに引き上げてくれ。それを滑車櫓とするぞ。この滑車を受ける為に、今朝着いた四本の杭も持って来てくれ」

「おー!」

「わかりました」

 若者たちが動き出す。里人たちが呆気に取られてそれを見る。十数人の若者たちが難無く櫓を横倒しにしながらも、土手の上へと引き上げた。その姿を見て得心したかのように、里人たちは引き上げた。


 

 この日の夕食は早く済まされた。行基が皆に「建て前」の話をするからだ。竹の荷台には早くから水が張られている。盥は材料の木が膨らんで水漏れを止める為だ。

「皆の衆、これを見よ」

 皆が盥(たらい)の中を見る。水が在るだけで珍しくも無い。

「ほれ、少し盥を傾けるぞ。ほれ、どうなった……」

「水は零れてないよ」

「そうじゃない。水の表面はどうなったかを見よ」

「盥が傾いただけで、水の表面はそのままだよ」

「それを不思議に思わぬか……」

「不思議と言えば不思議だけれど、桶の中の水もそうだよ。水は揺すらないとちゃぷちゃぷとはしないよ」

「ではこれでどうじゃ」

 行基は磨き上げられた竹筒を水に浮かべた。

「あ、……」

「そうか、水平だ。水の表面は静かなままなら水平だ」

「そうだ。水の表面は水平なんだ」

「お師匠さまはこれで橋の水平を見るつもりなんだ」

「そうだ。これを水準器という」

「それに対して青竹の竹櫓を見てみよ。あの三角の中に何が見えるかな」

「石だ。石が一つぶら下がってる。何かの紐で結んであるんだ」

「その紐はどうしてるかな」

「真っすぐ下に下がってる」

「そう、紐は真っすぐ下と上とを示している。これを垂線という。何か大きな建物を建てる時、この水平と垂線とは建物を建てる要となる。そして水平と垂線の交わる角度を直角という、覚えておきなさい」

「それは何時から使うんですか」

「明日からだ。朝にこの盥と荷台を皆に運んでもらいたい」

「わかりました」

「さあ、それじゃ明日に備えてもう寝よう。石組みが明日には組まれよう。明日からは橋がけじゃでな」

「はーい、みんな、もう横になろうぜ」

 誰かが「蚊やり」に火をつける。菊やヨモギの葉を焚くのだ。対して効果も無いのだが「無いよりはマシ」という感じだ。それは獣たちをも遠ざける。




 翌朝も天気か良かった。陽が長くなったことも有り朝が早い。行基も若者たちも橋掛けが楽しい。食事が済むと皆が河原を目指す。

 石組みも嵩が高くなると運ぶ石も少なくて済む。ただ土台となる丸太を受ける最後の石の形と高さは気になる。石組みの若者たちが慎重に石を選んでは積み上げてゆく。それはもうすぐ土手の高さだ

 その石組みの若者たちの土手の上では溝堀がまだつづく。丸太二本分の深さを行基は指示する。そこにも石置きをして丸太を受ける為だ。そこには小石を詰めるのだと言う。

「お師匠、石組みは仕上げです。良いかどうか見てください」

「もう見ておるよ。そこでそちらは一息置こう。ちと一服しとれ」

 行基は石組みの土手の上。溝堀と石組みを見ていた。少し歩いて、

「おい、縄掛けの者たちよ。河原で小砂利を集めてきてくれ。拳位の大きさで良いから。皆で行って両の手に抱えて来てくれ」

「はーい」

「はい、わかりました〜」

 若者達は言われた通りの事をする。この辺りのどこに行けば小石の巣が何処にあるかを知っている。

「石組みの者たちよ。ほれ石を登ってこい。そこにいると土が掛かるぞ」

 若者達は組んだばかりの石を慎重に駆け上がる。それで「ぐらつく」なら石組みはやり直しだ。

「こき使って悪いが、櫓をこちらに運んで来てくれもうすぐ。石を叩くでな」

 若者たちが昨日建てた四本足の櫓を、一本ずつ、少しずつ、ずらしてゆく。石突の丸太の先頭には昨日の「滑車」を乗せている。縄も付けられ、縄で持ち上げる丸太も立てに吊るされている。

「もうそろそろ良いだろう。お前達も少し休め、但し川を見て居てくれよ。そろそろ丸太が流れてくるでな」

 橋の土台を置くため、最後に土手の土が石組みの上に掛けられた。石組みがはかどったのも、土手上の土を適時に落とすことが出来たことも有る。そうこうする内、小石を両手に持ち若者たちが返って来た。


 橋脚は堅固に作りたいとの皆の考えでもあった。対岸は泉川の淵に当たる部分で深さも水流の勢いも強い。こちらで橋脚造りの要領を覚えて、対岸でも堅固な橋脚を組んでみたいと誰しもが思う。そして行基は誰よりも橋作りを若者たちに伝授したかった。

 掘り返した溝の底は只の土で地面だ。その長さは道幅の二倍、奈良尺で二十尺、幅は丸太の幅より少し大きい、深さは丸太二本分。若者達が集めた小石が溝に無造作に落とされる。行基が適当に石を撒けと言ったのだから、それで良いのだと若者達の誰もが思った。

「丸太だ。丸太が流れて来たぞ」

 その声に若者全てが反応する。する事は決まっている、その丸太を河原に引き上げるのだ。行基の指示も何もない。手持ちぶさたの者は川面を見るか、作業を見守るかしかない。

 皆が土手の上にいた分、丸太に手の届くのは時間が遅れる。河原を下流に少し走り、川を泳いで手が届く。丸太の先を河原に向ければ、流れが丸太を河原に進める。今日も長い丸太が先に届いた。




 暫くして後、二艘の筏が河原に着く。引き上げて縄を解く、さすれば筏の丸太が土手に並べられる。ガタロとゴンタが行基の下に赴く。

「お師匠、何か用はありますか。無ければこのまま石場に戻ります」

「ご苦労、ご苦労。あちらの様子はどうじゃな」

「男は樵に出て、女がその世話をする毎日です。変った事は何もありません」

「それなら結構。明日も頼むぞ。何か食ってゆくか」

「いえ、大丈夫です。それでは失礼いたします」

 二人は石組みを利用して土手を上がり、草の中に消えていった。

 

 
 それを機に行基が若者たちに声を掛けた。

「十人残り、他の者は再び小石を集めてほしい」

 十人残り、若者達は河原に散った。

「さて、二人は大槌を持って、また二人が小槌を持って堀溝に来てほしい。他の者は儂と一緒に土手を上がろう」

 四人が道具を取に行き、他の者は石段を行基と土手を上がった。

「片方づつ六人で溝の石を平らに慣らしてみよ。大雑把で良いからの」

「はい」

 誰か返事すると六人が一つの溝の前に腹ばいになり、両手を動かし石を慣らす。出来ればもう一つの溝に取りかかる。そうこうする内、皆が小石を抱えて参集する。溝と溝の中間に小石の山が出来上がる。

「さて、力持二人で、それぞれに分かれて大槌で溝の中の石を叩いてくれ」

 大槌を取りに行った若者二人が待っていた。溝に静かに降りて後、二人は石を叩きはじめる。地面に石が張り付いてゆく。 

「さて、昨日着いた長い丸太を二本、幹の方からここに据えよう。皆で運んできてほしい」

 若者達の誰もが急ぐ。「暴れ川に橋を掛ける」 誰もした事の無い事に若者達は挑戦している。その自覚が誰にもあるのだ。

「石叩きはもう良いだろう。上がってくれ」

 言われて二人が溝より上がる。二本の丸太が現れた。そして幹の方より静かに溝に降ろす。二つの溝に一本ずつ丸太が収まる。

「先の十人はここに残り。他の者は低い方の櫓より組み立て始めよ。三脚欲しい。三つ櫓を立ててみよ。腰巻はまだいらんでな」

 他の若者達が河原に降りた。もう縄掛けも半ば済んでいる。四本の柱と縄を結んで皆で持ち上げ立てればよい。それぞれに役を見つけて仕事をする。

「さあ、五人づつで、丸太の上に小石を掛けよう。そして小槌・大槌で石を木の下に突き落そう。さて儂は河原に降りるでな」

 そう言って行基は河原に降りる。




「ここから五人で盥と竹組の荷台を持ってきてくれ」

「はーい、判りました」

 五人が土手を駆け上がる。飯場に昨日見た物がある。いよいよ橋掛けの形が見える。早くそれを見てみたいのだ。

「立てるぞ、そーれ!」

 一つ櫓が立ち上がる。

「次はこいつだ。みんな動け。さあ、いくぞ。立てるぞ、そーれ」

 二つ目の櫓が立ち上がる。

「さあ、これで三つ目。やっつけるぞ。立てるぞ、そーれ」

 三つ目の櫓が立ち上がる。荷台も盥も河原に降りて来た。荷台と盥が据えられる。言われもしないのに、誰かが桶も用意して来た。

 用意の良いのに行基も苦笑する。

「おお言い忘れていた。さあ、盥に水を張ってくれ。並々とな」

 桶を持って来た者が川の水を汲みに行く。重そうなのを見て、誰か一人が助っ人に付く。二桶で盥は水を溢し始めた。行基は懐より竹筒を取りだし水に浮かべる。

「よーし、一番目のを石組に引っ付けて置いてみよ。二本の橋げたを挟むようにな」

 若者達もそれは心得ている。皆で力を合わせ、丸太を二本づつ引いてゆく。そして後ろの二本が追い付く。やがて二本の橋桁を挟み四本の足が立つ。



 行基が水準器で水平を測る用意も出来ている。

「さて、腰巻の用意じゃ。まず二本の丸太を受ける丸太じゃ。縄掛けも用意するんじゃぞ」

「おー!」

 短い丸太を四人で持つ。まずは手前の橋桁にする丸太の位置決めだ。奥の丸太は手前に合わせれば良い事。行基にすれば、「どうせ流れ橋」のつもりもあるが、それは若者達には言わない。それは為り様でしかない。
 
 若者四人は丸太を橋桁の下に持つ。行基の指示を待つ。

「もうちと上に、手の平一つ……」

 誰の手かも聞かず、若者達の丸太が動く。少し持ち上げられる。が、橋桁の重みを受けてまた少しだけ下がる。

「そこ、そこで止めろ」

 そこで手前の縄掛けが行われる。

「さて、腰巻丸太の水平を取るぞ。盥の水をあまり溢すなよ。皆で持ち、荷台も運んでくれ」

 若者達は行基の言葉に従う。荷台を二人で運び、盥を六人で運ぶ。そして一人が桶で水を汲みに行く。外れて行基は青竹を磨いていた若者を見出す。

「おい、おまえ。腰巻丸太の水平を見よ」

「え、俺ですか」

「そうだ、お前だ。これを作っただろうが」

「それはそうだけど……」

「これからはこれを放すな。橋が出来るまでお前と儂が水平を見るんだぞ。判ったか」

「はい」

「それで良い。儂がいなければ誰か他にも見てもらうようにしろ。きっちりでなく、大体で良いからな」

「はい、そうします」

 若者と行基で丸太の水平を見る。そして腰巻丸太の奥の方の縄掛けも済んだ。後三本の腰巻丸太は丸太の位置に合わされる。



(C)2018 Fuutarou Ashihara.


 一つの櫓を据えて後、行基は石段をゆっくり登り土手に上がり、振り返り若者たちに語り掛ける。。

「皆の衆、作業しながら聞いてくれ。木組も縄掛けも、やがて位置がずれて来る。丸太を受ける底地が安定していないからな。だから今は仮決めで良い、しかし力を入れて縄を掛けて締めてくれ。甘いとすぐにずれてしまうでな。橋が落ちては用を為さんぞ」

 櫓と橋桁が若者達の手により組まれようとしている、そこに精緻な設計図など無い。専ら「現場合わせ」である。そして洪水が押し寄せたら流さるままに流れるだろう。若者たちに橋掛けの想像図が頭にあっても、まだ利用するであろう人々の顔など浮かばない。

 何もないのに橋桁の落ちるようなことは、有っては為らない。人が数十人歩いたくらいで橋や櫓が崩れては為らない。まだ仕事は始まったばかり。この橋はまだ強化されねばならないのだ。だがそのこを今は言う必要が無い。



 行基は石組を登り溝に石を敷き詰めている若者の傍に行く。

「どうだ櫓と橋桁の位置が決まったが。……丸太が浮き上がりはしなかったか。小石は全て下に落ちたか。まだ落ちるなら小石を下に落とすんだぞ」

「はい、石は大体下に落ちて詰まったと思います。ただ丸太の下までは判りませんが……」

「よいよい。さて石に石が落ちたなら隙間に砂を下に落とせ。下に桶が一つある。それで運ぶと良い。但し丸太の上は見えるようにな」

「はい、そうします」

 行基はもう一人の若者にも声を掛ける。

「おい、お前。飯場で一つ桶をもらってこい。一つじゃ足らん。そうだ二人で行ってもらって来い。そしてそのまま砂も入れて来るんじゃぞ」

「はい」

「はい、そうします」

 二人の若者が飯場へと走って行った。それを見てもう二人も砂を取るために動いた。残った者たちで小石を下へと詰めている。




 ここで行基は一つ気づいた。歩み板など当てにできない。橋には竹を踏み板がわりに横に並べる。巾は十尺。

「しまった、しまった、うっかりしていた。ほれ真ん中にもう一本、橋桁を通すぞ。手空きの者は鶴嘴と鍬を持て」

「はい判りました」

 行基が橋桁の位置を土に描く。道具はすぐ近くにある。道具の数の若者が動き始める。

 下に降りた若者達が桶に砂を入れ持って来た。

「よし、一桶づつ橋桁の上に砂を撒け。石の隙間を埋めるのじゃ」

 若者達が橋桁の上に砂を撒く。

「よし、大槌で橋桁の丸太を叩け。振動で砂が下へと落ちていくでな」

 コンコンと、大槌で木を叩く。すると小石の隙間に砂が落ちてゆく。コンコンと軽い音の反応がやがてゴツゴツと音が変わってゆく。一桶分の砂は全て下に落ちる様子だ。

「其の様子だと一列に二桶分の砂が必要だな。もう一度桶で砂を取って参れ」

 手空きの若者達が動く。櫓組の若者達が行基の指示を待って、土手の上に集まって来ているのだ。

「さて、お前達の半分には竹取をしてもらおう。三本の橋桁の上に歩み板の代わりに竹を並べて橋の道とするのだ。太さは拳一つ、長さは十尺より長めで良い。長い分には後で切れるが短いものは使えないぞ。飯場の鉈を持って行け」

 若者達の半分が「竹取」に動く。もう近在の土地の様子は皆が知る。何人かが鉈を取に行き後に竹やぶで合流する。

「さあ、あとの半分は石組の者と仕事を交代じゃ。みぞを掘れ。砂を撒いては小石を上に敷き詰めてゆけ。足りなければ小石も砂も集めて来い」

 若者達の作業は続く。生駒山の北の裾野に陽が掛かる頃、三本目の丸太も溝に落ちた。竹取に出た者たちも竹を抱えて戻って来る。そろそろ漁にかかる時間だ。




 その頃には里の者たちも農作業を早めに切り上げ、橋掛け場に集まって来る。

「ほう、これで橋とするのか。さてあちらまで届くかな」

「ここは川幅が広いからのう」

「でも櫓の形は意外と良いのでないか」

「ちと丸太が細いでないか」

「中州の櫓は動かすのだろうな」

「手前に立てかけの櫓も二つある。尺取り虫や百足のように櫓を付け足して向うに続けてゆくのじゃろうて……」

「和尚も色々と知恵を出しているさ。若者達も良く仕事している。どこまでやるか、楽しみにしてみようや。あの和尚は寺も橋も港も作ったという云うぞ」

「そうなのか……」

「ああ、和尚の名前は行基と言う。行いの基本と言う意味らしい。都では"小僧・行基"と言う者もおれば、"行基菩薩"というて崇める人もおるらしい」

「そうなのか……」

「お前も一度挨拶に行く事だな。それだけで功徳が在るぞ。ははは……」


 人々が集まれば好き好きに評定が始まる。そんな話がやがて平城の都に届くまで。そろそろ行基も仕事を急がねばならない。その夜の夕食は里人の寄進も有り、惣菜が豊かだった。


 
 橋桁の、中州の橋桁の掛けられた時、土手の新しく開いた道に二本の杭が立てられた。頭は緩い三角錐に削られ「頂点」に仕立てられている。「照星と照準」と見做してよい。二つの点を伸ばして見れば対岸の土手に突き当たる。

 その対岸の土手は近く切崩され橋脚も作る事となる。もう櫓を立てるに十分な長い丸太も短い丸太も杭まである。「都の役人に止められるまで」に形を付けたい。行基は都の役人に睨まれている。

「さあ皆の衆、今日は中州まで櫓を組むぞ。まずは中州までの橋掛けじゃ。皆で力を合わせようぞ。橋を掛けるぞ」

「おおー、がんばろう!」

「がんばんべー!」

「やっつけちまえ!」

 若者達より鬨の声が上がる。まず立て掛けの櫓の一脚が動かされて二つの櫓が繋がる。腰巻が巻かれ橋桁の丸太が乗せられる。その間に他の者たちが、また新たな四本足を立ち上げる。

 櫓は順次「大体で」繋がってゆく。しかし水平は測られ、起点と終点も図られている。このまま上手くゆけば「大体まっすぐ」な橋の出来上がるだろうか。若者達も行木も「大体そのつもり」なのである。





 そうこうする内に手空きの若者の声が上がる。

「おーい、丸太が流れて来るぞ。取りに走るぞ」

「おーーっ!」

 もう毎度の事。手空きの者たちが走って川に飛び込んでゆく。丸太は順次手前の河原に上げられ土手に立てかけられてゆく。そして丸太の高さと幹の太さを見比べて、もう一度場所を変えられる。

 二艘の筏も流れて来た。ガタロとゴンタも笑顔になる。流してきた丸太が櫓として組み上がり、胴の短い百足や毛虫に見えたからだ。

「よー、みんなやるじゃないか。お師匠、良いのが出来ていますね」

「出来たら橋には名前を付けなきゃな……」

 二人の言葉に行基が嚙む。

「何か思いつくのか……」

「泉大橋……、どうでしょう」

「そうじゃないだろ、百足橋だよ」

 若者達が口を挟む。

「百足は川を渡らないよ」

「まてまて、そういやそうだな。形が百足に見えないことも無い……」

 ゴンタがそこで皆に提案した。

「おいみんな、今夜はそれぞれに橋の名前を考えろよ。それぞれ名前を出して賛成者の多い名前にするのがよかろう」

「そうだそうだ、それがいい。皆で考えて、皆で端の名前を決めよう」

「そうだ、そうしよう」

 若者たちは思いつく名前を上げ乍ら持場に戻る。



 ゴンタとガタロの帰り道、行基が二人に言付をした。

「処で二人に無理を言いたい」

「何ですか」

「長い丸太が八本欲しい。幹は細い方が良い」

「そんなに都合の良い杉があるかな……」

「探して見ます」

「中州より向うの土手までは深くて流れが速いのだ。洪水になれば、たぶん石の通り道だと思うのじゃ。あそこに足は立てられん。よって丸太を縄組して渡すか。長い丸太を片側四本ずつ渡すしかない」

「そういうことか……」

「だろうな。あそこは確かに深いよな……」

「少し日にちを下さい。山の民にも訪ねてみます」

「おおそうしてくれ。ただし、無理はせんで良いからな」

 ガタロは川の様子を知る。二人は行基の言付けを得て笠置の石場に引き返す。行基が二人を送った道を引き返すと、五つの櫓のつながりが見える。二本の立てた杭の処に若者が一人いる。

「そこだそこだ、そこでいいぞ」

「そこでいいぞ、下ろせ」

 五つ目の櫓に居る若者が新たな櫓の位置決めをしている。行基もその位置で良い事が若者のいる位置から見えた。石段を下ると青竹の荷台で水平を見る若者が腰巻の位置を指示している。

「もう少し上。手の平二つ。ちと高い。指一本下げて……」

 河原と中州の間にも水が流れている。この深場、といっても腰より下を流れる七番目の櫓の立ち位置がここに当たる。ここで行基が口を出す。

「先に中州に四つ組み上げよ。そして七番目の櫓には長い丸太の方を使う。要は腰巻き丸太の位置で橋桁三本が乗れば良いのじゃ。そして四本の脚は少し大きく広がり川の水を逃がすのじゃ」

「浅い処は流が緩い」

「深い処は流も早い」

「そういうことか、……」

 若者達はまだ深く考えない。増水すれば土手の上ほどに水も流れる事はあるのだ。しかし櫓は一つずつの独立懸架だ。洪水になれば、水流次第で橋全てが流されるか、櫓の幾つかが残るかだ。

 当時に昼飯を食う習慣は無い。燈明は役所や宮中にあるだけだ。仕事の全ては明るいうちに為してしまう。百足櫓は中州に到着した。

夜明けに風が出ていた。黎明の空に雲が早く流れている。雨が降るかもしれないと誰もが思う。それでも作業に早く出たいと誰もが考えていた。

 行基は昨夜の星の輝きを見て、今日雨の降るのを予感している。それは笠置の飯場でも見ているだろう。まだ朝は大丈夫だろうが昼は判らない。朝飯を終えた若者たちに行基は指示を発する。

「皆の衆。今日は間もなく雨が降る。洪水でも出たらかなわん。飯を終えた者から土手の柱や道具を上まで上げてくれ。終わればそのまま飯場に帰れ」

「よっしゃー!」

「わっかりましたー!」

「ほら、ゆくぞー!」

 若者達がばらばらと動き出す。行基は飯場で湯を楽しんでいる。まだ茶の葉は中国より来ていない。行基の呑むのは塩漬けにした桜の蕾で、湯を足せば花が開く。

 山を越えて東の空から雲が沸く。川筋を通って西の空より雲が飛ぶ。それが出あって雨になるのか。山を幾つも越えた行基であれば、雲が雨水の親であることを知っている。



 河原の方より若者達の聞えて来る。行基は知らずうたた寝していた。

「ただいまー」

「只今戻りました」

「おおご苦労であった」

「お師匠、ずるいぞ。さぼっていたな」

 行基は寝たまま返事する。

「わしの仕事は指図だでな。良ければお前たちも昼寝しろ。果報は寝て待てとお釈迦さまも説教なさるで」

「ほんまかいな」

「そうかいな」

「勉強しまっせ、お師匠さ〜ん、お釈迦さま〜」

「これこれ、お釈迦様をバカにしてはいかん。罰が当たるぞ。ははは……」

「そうだ。そうだ」

 若者達の数は知らぬ間に増えている。二男坊・三男坊の類が多い。天皇の統治が良いと言うより「はぐれ者」は何時の世にもいる。寺はその者たちも「救済」する役どころだろうか。

 雨が降り始めた。「片流れの屋根」に壁など無い。但し竹笹の葉を屋根より吊るして壁代わりには仕立てている。雨が無ければ屋根に戻す。


 行基は若者達のバカ話にも参加する。その時々をとらえて若者達に説教もする。

「さて、もうすぐ泉川に橋の掛かるとして、我々の暮らしに何か変化があるだろうか。皆はそのような事を考えたことはあるか……」

「ない、面白いからやってるだけだ」

「ある。船が無くても山城と平城を行き来する事が出来る。お百姓が使う事は少ないけれど、商人たちが使うと思う」

「馬や牛や荷車は無理だと思うけれど人が脊負うくらいの荷物は何時でも運べるようになる」

「あそこに橋が掛けられると判れば、お役人たちも欲しくなるかもしれない」

 ここで若者達の話が止まる。まだ出るかもしれないので行基は話の間を空ける。しかし出て来ない。

「お百姓は米や野菜を作る。漁師は海で魚を獲る。山でも漁師が猪や鹿や兎を獲る。昔は物々交換で食い物を賄い合う。今では銅銭で商人たちも商いをする。

 この国日本では人々が戦争も無く平和に暮らす。人々は誰かの役に立つことをして日々の食物を口にする。豊作で米が余れば常営倉で保管しては飢饉に備える事も出来る。

 我々には二本の手と二本の足があり、我々と他の生き物の違いは二本の足で誰かと出あい、またこの二本の手で何かを作り出すことができるということじゃ。

 お釈迦様の教えとは、それが人々の役に立つようなことをせよと教え諭される。働くことは『傍の者が楽になる』ということじゃ。さてお前たちが大人になったら、その手で何をするのかな。どんな大人になるのかな。ほれ、さっきの儂の様に寝転んで、よーく考えてみよ」

 外では雨が降っている。どうも簡単に止みそうな雨音ではない。

「この雨、大丈夫かな」

 とうとう誰か一人が口火を切った。

「大丈夫じゃ、お前達が精魂込めて作っておるのじゃ。鬼人も半端物を流すのは面倒じゃろうて。どうせ流すなら出来上がったものを綺麗サッパリ川の水にて流すじゃろうて」

 行基はすかさず"水を差す"。行基にしてみれば部材の流れる事よりも、若者達の命と体の方が貴い。

「前に誰か儂と一緒に"龍神"を見たであろう。この泉川の上流で、山々にどれだけの雨の水が降り注ぐかが問題じゃ。今河原に出ても意味がない。明日朝に雨が止んでいたら見に行けばよいことじゃ」

「そうだ。龍神は遅れてやってくる。だけどそれはお師匠の言う通り東の奥の山の上でどれだけ雨が降るかと言う事じゃ。ここにおって心配しても意味がない。そしてここらで降る雨は柔い。今降る雨も柔すぎるぞ」

「そだな。笠置の石場では凄い雨だったけど、これは柔らかい雨じゃ」

皆が雨模様の心配をする。
  少しは動いた為なのか。

「おーい、誰か。腹が空かないか。なんか、おいらは腹が減ったぞ。飯場に何か残ってないかな。お粥があったら一杯ほしいな」

「そだな、腹が減ってはお師匠みたく居眠りも出来んぞ。飯場に行こうぜ」

 その声に数人の若者が動いたかと思いきや、ぞろぞろと大勢の若者が動き始めた。滅多に無い昼食が始まる様子だ。当時は「陽の当たる間だけー仕事」の様子で「昼飯」の習慣は無さそうである。(ほんまかいな?!)

 この時に行基も腰を上げたが飯場にはゆかず、編み笠を被り何処かへと失せた。
 

 

 行基は夕飯前に飯場に戻った。雨は夜半に上がっていた。ケケケ、ケロケロと蛙たちの合唱も聞こえて来る。それに行基が尿意を覚え厠に立つと雲間より月も顔を出す。のんびり構えると蚊に刺されるのですぐに寝屋へと引き返す。

 夏の朝は駆け足でやって来る。食事を済ませば皆が「橋掛け場」の土手に集まる。

「見ろよ。何ともないぜ」

「龍神は出なかったんだよ」

「でも水は随分と増えてるな。ほら中州が小っちゃくなってる」

「いいじゃないか。百足橋が残ってりゃ」

「今日は何をするかな」

「まだ骨組みだけじゃないか。竹を並べて縄で括って道に仕立てなきゃ……」

「そだな。今日はそれだな」

「でもまだ竹も足らんだろ」

「竹の縄掛けも、そう人数はいらんだろ」

「そうだな。近くの竹も少なくなった。十人ずつ位で束になって足を延ばすとするか」

「そうしよう。そうしよう」

「櫓の丸太の隙間も埋めよう。なに向うで寸法を合わせて竹を切れば良い事だ」

「それがいいな。そうしよう」

「善きかな、善きかな。そう思うなら、そうしなさい」

 行基は笑顔で若者達に答えた。行基は川上の山を見ている。烽火(のろし)が上がるのは材木を流さないとの意味だろう。その辺りが笠置になる。




 百足櫓は十二基が据えられている。でもまだ丸太組の構造材だけだ。また竹も長めに取ってきている。よって櫓の丸太と丸太の間の竹はその幅に合わせる必要がある。

 道板代わりの竹組は簾のように五本で組む。それを橋桁に乗せる。そして跨(またが)り、橋桁丸太に縄で縛りる。それも若者達が考えた方法だ。

「ごめんよ、ごめんよ」

 誰か竹組を組むと次々と前へ前へ進んでゆく。その竹も昼前には使い尽くした。もう中州の手前まで「歯抜けの道」が出来ている。川の水が引いて中州が広がって来ていたのだった。




 ここで行基が若者達に指図した。

「百足橋をもう少し重くしようと思う。どうせ"手摺"も必要じゃ。目分量で良い。丸太を腰の位置に左右に通そう」

「細くて長い丸太で良いですか。杭にも櫓にも出来ない丸太が何本もあるから」

「それで良い。半端物でも、こういう場合には使い様はあるでな」

 いよいよ百足橋は橋の様相を強くする。「青竹道・歯抜け道」がこの作業を難無くする。八人で丸太を抱えては二人が縄掛けする。橋の左右を決めてから前へと前進する。




 行基は対岸を見つめている。「深い淵をどう超えるか」を考えている。陽が一番高く上った頃、対岸に人々が現れた。行基衆の一群である。行基は土手を登り架橋に続く新しく開いた道に出る。

 一人の男が白木の杭を持ち、土手腹に降りる。行基か手で合図すると男がうろうろと土手腹を行き来する。行基の手が高く止まる。男が白木の杭を土に当て、手で叩く。河原の土は柔らかいのか、杭が一本立ちをする。行基が両手で大きく輪をつくる。

 すると男たちが鍬や鍬や鶴嘴を奮いはじめる。彼等は土手を拓き始めた。その作業は慣れているのか早い。徐々に人も増える様子だ。

「おい、皆見てみろ。対岸の方だよ」

 もう皆が見ている。

「ああ、大人たちだろ。仕事が早いな……」

「俺たちも負けてられんべ」

「見る間に土手が切られてゆくな」

 行基が大声を上げた。

「おい、みんな。中州の真ん中の櫓を保強しよう。今一本の柱だが短い丸太を三本ずつ足して四本としよう。腰から頭の高さで良いぞ。さあ数珠送りで十二本の丸太を運べ。そして縄掛けじゃ」

 百足橋の手前まで、土手より引き上げた草むらの丸太を、えっちらおっちらと若者達が引きずり出す。一応「並べて置いた」筈だが、雨で慌てたのでテキトウにしてしまった。


 陽が傾いてきている、間もなく夕暮れになるだろう。

「おーい、誰か馬に乗ってやって来たぞ」

 若者の声に行基が振り返る。都の役人達だ。行基の橋掛けが、やはり聞えたのだろう、対応するしかない。行基は中州より櫓を登り橋を渡る。

「何か御用かな……」

「御坊が菩薩行の行基様であられるか」

 一騎ではない。後ろにも二騎いた。馬上を降りて、そう言った。

「ただの行基で宜しい」

「何をしておられる」

「橘諸兄殿に頼まれて橋を架けておりまする。迷惑でござるかな」

「いや、迷惑ではない。が、こちらにも申し入れなり、挨拶の一つも入れてほしいという事だ」

「あれれ……、橘諸兄殿は左大臣ではなかったか……。お上だと思うたがの。確か天子様も今は此方におられるかと聞いたが……」

「その話しは宜しい。こちらも若者達が何か悪さをしとらぬかと様子を見に来ただけだ」

「何も悪さはしとらんよ。ホレ、この通り。皆で知恵と力を合わせて橋を作っておるだけよ」

「ところで御坊は、この泉川は暴れ川であることは御承知か……」

「承知しとるよ。龍神は砂も石ころも岩をも流すでな……」

「見た処肝心な淵の部分がまだですな」

「そうだよ。そこの処が難しく、そこがいよいよ勝負処よ」

「架けられますか」

「その為にここにおる。 五日たったら見に来るが良い。馬は無理だが、そこもとなら歩いて渡れよう」

「ほほう、では五日後に。我らも橋を渡るを楽しみと致しましょう」

 物わかりの良い役人だった。「袖の下」は求められなかった。上級職であるのだろう。数人の部下を従え平城山の方に引いた。

 若者たちは全て河原の下に集まっていた。何かあれば川に飛び込むつもりだったのだろうか。「浮浪者狩り」に合った者がいたのかもしれない。「お上」は下々の衆生にとっては、特異な存在である時代の話だ。

 次の日も天気は良い。行基は東の笠置方向に烽火があるかないかを確認する。細く黒い煙の有るのを確認する。そして河原へと歩き出す。

「お師匠。そろそろ掛かりましょうか」

「その前に皆に言うておく。今日は長い丸太が幾本も流れて来る。長さもある。それを流さずに拾い上げて対岸に集めてほしい。その木はあちらの大人たちが細工してくれる。木を運んだなら大人たちの仕事をよく見ておけ。勉強になるぞ」

「わっかりました。任せてください。長い木は大人たちに預けます」

「よし皆の衆。今日も仲良しでよろしく頼むぞ」

 安全・正確・迅速よりは仲良く作業が大切だ。

『は〜い』


 皆が橋づくりに掛かる頃、対岸では土手切り作業が開始される。男たちはふんどし姿か皮の腰巻で上着など着けていない。それを見た若者達も、諸膚脱ぎを真似て、作業にかかる。

 橋脚・橋そのもの・橋に続く道、それぞれがまだ未完成だ。それぞれの持ち場でそれぞれが作業の続きを始める。



 陽が勢いを盛って登りだす頃、

「お〜い、丸太だ。丸太が流れて来たぞ」

「よっしゃ、わかった」

「俺たちに任しとけ」

 泳ぎに自信のある者達が丸太を受けに行く。丸太を掴めばそれを浮きとし、体で舵を切れば川の流れが対岸へと押してくれる。幾本が流れて来ても若者達は大勢いる。現場よりは離れるが対岸の砂場に引き上げれば良いそこよりは数人でえっちらおっちらと丸太を歩いて運ぶ。

 

 もう橋脚は中州まで届いている。後の残りの橋をどう掛けるのかを行基は何も指示していない。仕事にあぶれた若者達を見て行基が指示を発した。

「する事が無くては、つまらぬだろう。そうだ、まだ竹が必要だろうな。お前達の半分は竹を取りに行け、長ければ長いほど良い。後の半分は橋に続く道を開くが良い。二人だけはここにいろ。何ぞの用事に備えるでな」

 若者達が動き出す。足の速い少年二人が行基の傍に残る。



 若者達がえっちらおっちらと丸太を歩いて運ぶと、

「おーい、こっちだ、こっちだ。ここに並べて置いてくれ」

 背に刀を背負った男が若者達に指示をした。

「あいよ。このへんで……、みんな一二の三でゆっくり降ろすぞ。木が撥ねると怪我するからゆっくりな」

 年上なのか音頭を取る。

「ほれ一、二の、三」

 木は降ろされる。




 木は次々と運ばれる。木は数十本の数に上る。

 二十本が「順向き」に置かれると、残りの木は「逆向き」に横に並べられた。

 すると大人たちも数人が集まって来て「品定め」をするようすだ。

 若者達が中州に帰ろうとすると、

「おい、若い衆、帰っちゃいかん。今日は一日俺たちに付き合え。俺達が何をするかをよく見ておくんだ」

「はい」

「はい」

 屈強な男たちが言ってくれるなら、それは若者達の喜びなのだ。若者達は早く「大人」たちに成りたいのだ。

「まだ見立てに暇も有る、先に土方の造る「土手」を見て来い。たぶんお前たちのした事と似たようなものだが、一味違うぞ。誰か連れて行ってやってくれ」

「よし、俺らが説明しよう。みんな付いて来い」

 大人の中の一番若そうなのが案内を買って出た。



「橋脚」に当る土手の方には若者たちと同数ほどの大人たちが出ていて、もう土手は掘られ道路さえ設えられている。今は土手に補強の杭が打たれ、尚も路面に溝も掘られ割栗石がタコで打たれつつある。

「そうか、木の杭を打ち込むのか……」

「こちらの石は割って作ったものだ。大きさも揃っている。それを土に打ちこむことで路面を固くするのか」

「それは橋を受ける溝にも使われている」

 若者達は対岸で自分たちがしたことの、再確認を新たに、ここでも目にする。木の杭が1300年を経る今も「港・河川・湖沼」で発見されるのは奇跡に等しいと思う。

「そうか、川のコチラとアチラでは少しだけ方法が変わるんだ。すると石積は川の中か?!」

「そうだよボウズ。明日には石も運ばれる。明日も見に来るが良い」

「はい、必ず見に来ます」

 背の低い体のがっしりとした男だ。それだけ言うと川へと向う。作業する男たちに顎であいさつを交わすようだ。その男は上着を脱いで、深呼吸をして川に入った。

 川の中の容子を探るようだ。息継ぎをしては徐々に上流へと向かうようだ。




 すっとんきょうな声が上がる。

「お〜い、若い衆集まれ〜。合図が出たぞ〜」

 若い大人が声を発する。若衆たちは男と共に木場に向かう。





 木場には背に刀を背負った男がいて器用に刀を使っている。若者の一人が珍しい道具に着目し思わず声を上げてしまう。

「それ何ですか……」

「うん、これか、以前は人切り包丁という名であった。今は、そうだな”木引き包丁”とでもしておこうか」

「なるほど、そうして木を横にして、木切り包丁を前後に動かすんですね」

「そうだ、珍しいだろう。刀の有効利用を考えたのさ。皆が斧や鉈を使うなら俺はこれを使おうとね。俺もこいつが気に入っている。「刃こぼれ」がするので「背中に四本」だ。ははは……」

「でも歯を立てるのが面倒そうですね」

「雨の日に作るのさ。今はもう慣れたモノさ。ほい、一丁上がりと……。でもこれでも人も切れるぞ」

「脅かさないで下さいよ。……」

「ははは……」


 また大人が現れた。

「染麻呂さん、そろそろ木を合わせて見ようか」

「タツさん、若い衆も来たし見せてやろうじゃないですか」

 染麻呂とタツが木場の離れに動く。そこでは鐇(ちょうな)を奮う男たちが作業している。

「みなさん若衆も来た。木組を見せてやりましょう」

「いいね、驚かせてやろう。おーい。若衆あつまれ」

 ちらほらと若者達の集まりだす。


「みんなよく見ておけ。二本の丸太を合わせて一本にするからな……」

 丸太に”ほぞ”が半面に鐇(ちょうな)で刻んである。こんこんと木づちで臍(ほぞ)と臍が嚙まされる。

「おお〜」

「ほんとだ、上手く合わさった」

「上手くしてあるな……」

「あたぼうよ。こういうことは眼で盗んで覚える事だ。俺達は”晒しもの”にするけれどな。大工たちより盗んだ業だ」

「なるほど。物も言いようで丸くなる。大人の知恵だな」

「どうだ、一つ賢くなっただろ。でもこれじゃまだ駄目なんだ。ここに荒縄を巻き付ける。ほれ、やってみろ」

「判りました。俺達がしっかりと巻きます」

 若者達が動き出すと大人たちも動き出す。人それぞれに仕事がある。 

 このようにして五本継ぎの丸太が生れた。それは三本作られた。その長さでないと土手より中州まで届かないと思われたのだ。また丸太の太さの問題も有り、尖端は杭に使うしかない。

「でもこれ、何人もの人や荷物に耐えるのかな……」

 若者の一人が言う。

「俺もそれ考えてた。もう一工夫、何か欲しいな。

 大人の一人が口を挟む。

「お坊ちゃんたち、良い処に気が付いたね。まあ見てろ。お師匠さんが何をするかを。明日か明後日にでもにでも判るだろうさ」

 この日「北岸」に渡った若者達は「北の飯場」で寝食をすることになった。若者達はそれぞれに大人たちに問答を挑む。大人たちもそれぞれに応える。


 さて南岸では建つべき櫓の全てが立った。それぞれに櫓は独立で立ちながら一続きの様相を示している。夕食後若者の一群がそれぞれに筵を持ち百足橋に向かう。

「河原で寝よう。橋の上が良い」との話である。行基は好きにさせた。原っぱで寝るより、確かに其方が涼しいだろうから。
 夏の朝は駆け足でやって来る。飯場では夜も明けぬうちから大釜で雑炊が似られている。

 若人の増えるごとに大釜の数も増え今では一度に五つの釜に火がつけられる。こうなると暑くて嫌でも眼が醒める。雑炊の中には生姜や大根や蓮根や猪の肉などが煮られている。

 この頃の日本では家庭にあるのは”甑(こしき)”であり、土器であり「米を蒸す」という形のようだ。それを想うと飯場に鍋や釜のあるのは行基衆の力に為すところが大きい。

 まだ「たたら衆」などは「銅の時代」であろう。鍋や釜は「中国より、お取り寄せ」かもしれないのだ。されば「高価な品」であることだ。


 若者達が河原に出てまず目にしたのは対岸の土手に早くも石積みの船と筏の到着している事であった。筏は竹製であるが「三段組」に縄が巻かれている。大人たちはもう作業に出て河原に幾つもの頭が出たり沈んだりしている。

「おいおい、俺達、出遅れてるぞ」

 若者達は中洲まで届いた橋を渡り中州に降りる。こちらの方が様子も良く見える。

「もしかして……。あの石を川底に並べているのか……」

「ほんとだ。船の人も筏の人も石を手渡す様子だな。……」

「たぶん橋脚の石積みをしてるんだよ。それしかない」

「みんな泳ぐんだな。見ろよ。あいつら、俺達若衆組の奴等じゃねえか。昨日の夜に帰ってこなかった奴だぜ」

「どれどれ……」

「今潜ったから、ほらあれだ。手を振ってるぜ」

 若者達も手を振る。

「あ、また潜った。石も持たずに」

「様子を見てるんだろうな。帰ってきたら話を聞こうぜ」

 そこに行基も橋を渡り、遅れて出て来た。

「ほうやっちょるの」

「お師匠。俺達もする事が無ければ北の土手に行きたい」

「まあしばし待て。船が空けば丸太を引くで……」

 作業する今は石を錨の代わりにして船を止めている。石を降ろせば船は空く。それを利用し組んだ丸太を中洲の櫓に渡すのだろう。船に乗るのはガタロと見知らぬ大人だ。

 暫らくするとガタロが行基に手を振った。

「さて作業だ。皆橋の上に二列であがれ。乗り切らなければ道路にも出よ。皆で綱引きをしてもらうでな」

 ほどなくして船が太い縄の端を積んできた。

「ほれ、お前達。これを橋の上に持ってあがれ。そしてゆっくり引き始めろ」

『よいしょ、よいしょ』の掛け声が上がる。行基も中州の橋脚の上に上がる。

「そうだそのまま綱を引け。もうすぐ丸太が出てきて重くなるが、けっして綱を放すなよ。決して重さに負けるなよ。」

『よいしょ、よいしょ』

「その調子だ。丸太の頭を落しちゃいかん。みんな今が踏ん張りどころだ。力を合わせてツナを引け」

『よーいしょ、よーいしょ』

「ほれ頭が来たぞ。もう一踏ん張り」

『よーいしょ、よーいしょ』

「やめー。ほれ丸太が着いた。そこで綱を下に置け。誰か綱を解いてくれ」

「はーい、俺がやります」

 太っちょが返事した。固く締められた荒縄ではあるが、彼は石の小刀で器用に荒縄を切る。

「その綱を船に返してやれ。二本目の丸太に繋ぐでな」

 太っちょが綱を引きずり乍ら橋脚を降りた。言われなくとも数人が下に降りて綱を逆引きにする。船に負荷を与えないためだ。

 船が向う岸に着くと綱が引かれる。水面を綱が這う。やがて綱の水面より跳ね上がる。綱の尻を逃がしてはならずと若者達が中州で抑え込む。

 暫らくすると船の上のガタロの手が降られる。

「よし若衆よ。先と同じ綱引きじゃ。そう重くはなかろうが気を抜くな。丸太の頭が川面に漬かるとややこしいことになるぞ。いいな」

『おう!』

「落とすものか。キッチリ引いてやる」

「そうその息じゃ。それ引き始めろ」

『よいしょ、よいしょ』

「ほれ丸太の頭が来たぞ。もう一踏ん張り」

『よーいしょ、よーいしょ』

「ほれ頭が来たぞ。重くなるぞ。もう一踏ん張り」

『よーいしょ、よーいしょ』

 こうして二本目の丸太も到着した。さて三本目の丸太も無事到着するが、全て橋の上に乗っている。つまり橋脚の上に「きっちり」とは載っていない。突き戻すことが必用だが下手をすると橋脚より下に落下してしまう。

 しかし行基衆には慣れた仕事である。土手の橋脚の丸太溝には、先に割れ竹が敷かれている。逆を言えば先にその上を滑らせて丸太を引かせていたのである。大槌で橋の上の丸太を叩けば少しずつ丸太は後ずさる。

 太っちょが大槌を奮えば、やがて丸太は橋脚の上に落ち着いた。もう青竹も用意されている。

「もう用意は出来ている。若衆よ。竹道を並べて括るが良い。まだ仮止めで良いからの」

「わっかりました。でも大勢は乗れませんよね」

「そうだな。でも五人位は乗れるじゃろ。ま、一人づつ乗ってみろ。補強は明日にするが竹道を通すが先じゃ」

「おーい、体の軽い者、五人だ。一人づつ竹道を運んで仮止めだ」

 すると見るからに体の小さな者たちが仕事を仕出す。慣れた手つきだ。やがて竹道は向こう岸に届く。

『ばんざーい、ばんざーい』

『ばんざーい、ばんざーい』

『えいえいおー!えいえいおー!』

『えいえいおー!えいえいおー!』

 雑多な、時ならぬ勝鬨の上がる。

「皆の衆。よくやった。それでは仕上げにかかろうか……」

「まってました」

「やりましょう」

「まだ陽は高い。やっつけましょう」

 行基は手を上げゆっくり降ろす。それで声が静まった。

「若い衆。長い竹を全て北の土手に運んでおくれ。大人たちと一緒に作業するでな」

「わっかりました〜」

「運びま〜す」

 若人の数人が走り出す。「何をするか」気になっていたのだ。若者達が二人で一本の長竹を運ぶ。枝は竹を切った時に鉈で落としている。

 橋の上の若者達も今は中洲に皆が下りている。行基が若者たちを見て手指を下に指したからだ。行基もこの年73歳。昼を過ぎると言葉少なになる。若者達も察しが良い。

「えっほ、えっほ」の掛け声で若者達が対岸に長竹を運ぶと大人たちが品定めする。そして竿先を十字に組み縄掛けをする。四本組が四つ組まれた。そして尚、幾本もの縄が垂れ下がっている

「染麻呂殿はおるか」

「はいここに」

「皆に説明してやってくれ。ちと疲れたので儂は中洲で昼寝じゃ」

「畏まりました。私が説明いたします」

 元は聖武天皇の家臣ー金剛丸。彼は行基衆の中に在っては染麻呂を名乗る。そのことは行基しか知らない事なのだ。

「みんな聞いてくれ。今は丸太の三本の橋だが、今より是をつり橋に代える。若衆たち二十人、こちらに。この止め石に長けの根元を掛けて抑え込め。我等十人で橋よりそちらへ押し込んでゆく。その時そちらの者たちが竹を持ち上げもするがお前達は根元を抑え込め。さすれば竹は宙に浮く。その竹の持つ反発力を利用して丸太の負担を半減しようという事だ。こちらは竹の根元を櫓に掛ける」

「ええっ?!」

「あ、そうか!」

「それも吊り橋か……」

「丸太を三角に組んで……。と思うが持ち上げられない。だから竹か。……」

「大工たちが橋桁を組めば良いが、恭仁京だからな……」

 行基が昼寝を決め込んだのは是らの問いに応え続けるのが面倒なのだろうか。いや「橋の完成を急いだ」のが正解かもしれない。

「さて皆の衆。作り上げよう。用意はいいか。さあ押すぞ。一ニの三」

 大人の一人が竹の縄組を持ち上げる。中洲の櫓の向こう百足橋の方より大人たちが竹を持ち上げ押し始める。四組みの青竹が弓形になり緩いアーチを描く。そして青竹よりダラリと荒縄を足れる。

「もっともっと、押せ押せ〜」

 ガチッ、ガチッ。

 櫓の柱に四本組の青竹の又が嚙む。

「おい、縄だ、縄を巻け」

 中洲櫓では丸太に青竹を縄で縛り付ける。北の土手では青竹に大石がさきにおかれている。尚それに石を幾つも回りに積み上げている。少し大雑把に見える。プロトタイプと見做すのだろうか。

「さあ、青竹の縄を丸太に巻きつけろ。そのところは竹道を外せばよい。しっかり巻けば丸太も青竹もしっかりするぞ」

 それには大人たちが動いた。荒縄は「荷締め縛り」にされるようだ。これで青竹の「引張力」が均等にできる。

「さあできたぞ。万歳三唱だ」

「ほーれ、ばんざーい」


『ばんざーい、ばんざーい』

『ばんざーい、ばんざーい』

『ばんざーい、ばんざーい』

「さあ、皆で橋を渡ろう。若衆は道の左を北の土手に。おっさん達も南の岸に道の左を進め。さあ、みんな歩いてみようじゃないか」

『えいえいおー!えいえいおー!』

『えいえいおー!えいえいおー!』

 鬨の声まで上がる。
 若者たち、大人達の歓声を聞いて行基も身を起した。まずは川の水で顔を洗うと手拭いで顔を拭き手を上げ背伸びをしてから橋の方に顔を向けた。

「やあ、皆の衆。御機嫌良う」

 その言葉に、皆の笑いが起きる。皆が端の上に佇んでいる。人を乗せてしっかりと立つようにも見える。吊橋の丸太もたわむ様子でも無い。

「お師匠様も橋を渡ろう」

「おお、そうじゃ、そうじゃ、そうしよう」

 行基は櫓に足を掛けよじ登る。そうしてまずは北の土手に上がり、戻して南の土手に出て、また折り返して北の土手に上がり込んだ。拍手の渦が巻き起こる。

 誰か拍手のリズムをとる。初めはゆっくりと、そして徐々に速く音が大きくなる。調子が崩れて散発的な拍手となり終わったかになる。

 するとまた誰か、拍手のリズムをとる。初めはゆっくりと、そして徐々に速く音が大きくなる。調子が崩れて散発的な拍手となり終わったかになる。

 それは三度繰り返され静かになった


 北の切り開かれた土手で染麻呂の立つ処へ行基は進み声を掛けた。

「まだこの事の報告はならぬぞ。この橋は大雨に耐えるかどうか、まだ判らぬでな」

「ですな。私も川床の整備が必要かと思います。今は沙悟丈が石を並べております。では人の利用はどうしましょうか」

「それは明後日からさせてよい。明日はまだ補強するでな。そうだ寄進箱も忘れずに中州の櫓に置くと良い。そこには農作物の置ける棚も設けると良い」

「さすがはお師匠様。ぬかりはありませぬ」

「地獄の沙汰も金次第と言うではないか」

「ははは……」

 その話が済むと踵を返し行基は中州櫓の上に立つ。誰が設けたのか「お立ち台(椅子)」の有るのを先に見ている。

「皆の衆、それでは今夜の采を得ようではないか。今宵は龍神さまも見過ごしてくれるじゃろう。何かご馳走に当たるかもな」

「おおーーっ」

 皆が一斉に橋を下り、河原に広がり川の中へと突き進む。




 さて次の日の朝、行基は「用があるので出かける」「皆は橋の手当をせよ」「川中の石積みは大人の仕事、手出し無用」と言い残し、すたこらさっさと何処かへ出かけた。

 若者たちは河原に集まると三重、五重の車座を作り話し合いを始めた。議題は「橋の手当」だ。

「おい、みんな。お師匠が橋の手当をするようにと言われた。まだ何かすることがあるか。みんな思う事を言ってくれ」

「俺は竹道をもっと平にできないかと考えてる。丸竹だけじゃ歩き難い。同じ長さの竹を割って隙間に詰めればどうだろう?!」

「それ良いんじゃないか。それをしよう」

「大人たちは土手の橋脚を守る為に石積みをするそうだ。大きな石が当たっても潰れない様にだとさ」

「待った。それは大人たちに任せろとお師匠が言ってた。他の事を俺達は考えてするべきだ」

「でも百足橋は足が沢山あるぞ」

「だからすぐに立て直せるよう簡単にこしらえて有る。一つ一つ独立してるのはその為さ。流れ橋の発想なんだよ」

「そうだ。自然の龍神の力は途方もない。まともになんか受けれない。大きな力は受流すのが人の知恵だよ」

「ああ、そうか。なるほどな。俺たちって賢いよな」

『ははは……』

「他にないか……」

「やりながら考えようや。やってりゃまた何か思いつくぞ」

「そうだな。みんな考えながら仕事しようや」

 若者たちは動き出す。それぞれの仕事を見つけて。

『七月十日 元正太上天皇、新宮に移り給ふに當り、天皇、河頭に迎へ給ふ。』

 
 それは行基衆の「与り知らぬこと」 この日にまだ完成もしない恭仁京に元正太上天皇が転居する事となった。たぶん「加茂の渡し場・港」に聖武天皇が迎えに出た。すると川に橋の掛かることを認める。

「おい、あれはなんじゃ?!」

「あれは行基衆の作った橋にございます」

「それを儂に報告したか」

「いえ、和尚より報告は届いていません」

「何故じゃ〜、なんでじゃ、どうしてじゃ〜♬」

「これは役人の話ではありますが、あの橋はマトモではありませぬ、故に……」

「なに?!マトモでない。でも人の姿が見えると思うぞ。どうじゃ?!」

「はい、確かに」

「ならば、マトモでも無い橋をどうして人が渡るのじゃ。何故じゃ、なんでじゃ、どうしてじゃ〜♬ 儂に判るように説明いたせ」

「な、な、なんでもあの橋はまだ大雨に合うてはおらぬのです。大雨が降ると何時流されても不思議は無いのでございます」

「おい、今日の天気はどうじゃ」

「はい、上天気にございます」

「では大丈夫じゃな。あの橋を渡ろ。渡ろ、渡ろ♬、おいっ、あの橋を渡ろうではないか〜」

「ええっ?!危のうございますよ。それに船はどうしますか」

「世の中はゼニじゃ。手間賃をやれば問題は無い。儂は橋を渡ってお母さまを迎えに行くぞ」

(ホンマカイナソウカイナ( ´艸`))



百足橋では大人達の作業が続く。そこに役人達の現れて、

「おい、お前達、そこにいてはいかん。すぐにここより、橋より降りて土手の向こうへ姿を隠せ」

 大人たちは物分かりが良い。だがそれ以前に大勢が姿を消していた。異に気づいたものが伝令を走らせていたのだ。脛に傷持つ者もいる。渡り合うのも面倒だし。

 しかしそれは橋の南の若者達には届いていない。専ら若者達は中州より南で作業していた。

「おい、お前達、そんな処に居てはいかん。橋を降りて南の土手の向こうへ行け」

「何でだよ。俺達は橋の手入れをしてるんだぜ」

「天子様がこの橋を渡ると申される。だからとっとと向うへ行け。そしてできるだけ遠くに行け」

 そうこうする内に天皇が到着する。「もの珍しい」ので、舐めるように橋を見る。それはめったに目にする事が無いので、大人たちも若者達も、誰もがその様子を覗き見る。

「これこれ役人、あの者たちを追うでない。見れば立派な橋ではないか。何か褒美を与えて誉めるべきじゃろうが」

「ははっ、その通りであります」

「おーい、そこの若い衆。儂がこの橋を通っても良いか」

 どう返事して良いのかわからないので若者たちは顎を上下に振るばかり。知ってか知らずか天皇は、

「ほう、竹を利用して下の柱の重さを分散させているのか。しかしまだ手摺も無い。するとまだ作りかけか……」

 などと言いながら橋を進む。橋のふらつくわけでもない。人四人位が並んで歩く幅も有る。やがて中洲の櫓に辿り着く。まだ河原に残る若者たちに声を掛ける。

「おーい、若者。この橋の名は何と言う」

「お、俺達は百足橋と呼んでいます」

「おおそうか、なるほどのう。こちらには手摺も有る。また竹を並べて敷いてあるので歩きよい。いや大したものだ」

 一人ぶつくさ言いながら天皇はゆっくりと橋を渡り切る。

「おーい、若者達よ。作業を続けよ。まず彼方の橋に手摺を設けよ。長い青竹でよい。そして割れ竹を敷き歩きやすくしてくれ。一時すれば老人に橋を渡らすでな」

「は〜い、そのように致します」

「好い返事だ。頼んだぞ」

 若者達は返事をした以上、仕事をするしかない。そして天皇は機嫌良さそうに都の方に歩き出す。役人たちも付き従う。

「たいそう、たまげたな……」

「あれが天子様かよ。スゴイ綺麗な着物を着ている……」

「でも、ただの気の良いオッサンだな……」

「けれども偉いんだろ」

「知った事か……」

「兎に角動こう。大人たちの姿も見えない。俺達でやるしかないぜ」

「まだ青竹は何本も有る。割れ竹だッてある。ちゃっちゃか動いて仕上げてしまおう」

「よっしゃ」

「やっつけよう」

 若者たちは一所懸命に仕事した。青だけは長いので先ず櫓の丸太と石の隙間に入れ固定し、尚、他の大石にも括り付けた。そして青竹の尖端と先端を合わせ縄をぐるぐる巻きにした。そして釣り縄にも垣根巻きにして縄を掛け、もう一方の竹の根元は櫓に括り付けた。 「青竹道」には割れだけを詰めて平にした。これで歩き模様が少し違う。

 一刻を過ぎた頃、また天皇が姿を現す。役人より先に顔を出した。都より輿の来るのも若者達には見えていた。途中で馬を使ったのだろう。馬の役人たちの追い越すのも見えていた。

「おう、やっとるな。ほう。手摺も付けたか。大したものじゃ。あとで褒美を遣わしてやろう。甘いものは好きか……」

 その言葉に誘われた。

「甘いものとは何ですか……」

「お菓子は好きかと聞いておる」

「お菓子とは何ですか……」

「ははは、これはしまった。お前達の暮らすのはあの飯場だな。あの飯場にどれだけの人数がおるのかの……」

「百人かな……」

「おいおい、あれから増えたぞ。もう二百人近くいるぞ」

「ほお、そんなにおるのか……。いや良い事じゃ。ところで行基殿はどこだ」

「朝から用があるって橋を渡って北へ向いて行ったよ」

「それは残念。帰ってきたら伝えてくれ。天皇が見たぞと」

「テンノウガミタゾ、ですか」

「それで良い。話が通じる」

「はいテンノウガミタゾ、ですね」

 しばらくして、役人達と共に元正太上天皇の乗る輿も着いた。元正が輿を降りるため、天皇が手を伸ばす。そして橋を指さす。

「母上様、見てください。あの若者達が泉川に橋を架けました」

「あの者達か……」

 黒く日焼けした裸に近い若者達を珍しそうに元正が見る。

「この橋を私が先に渡りこちらに来ました。見栄えは良くないですがしっかり出来ております。船よりこちらが安全です」

「そうなのか、お前が言うならそうなのだろう」

「従者と私で手を引きます。ご安心ください」

 普段宮中で逼塞してるので元正も冒険心が頭をもたげる。

「では頼もうぞ。それとこの者達に褒美を遣わせ。これは快挙の一つであるぞ」

「そのように致しましょう」

 従者と元正と三人が横になって歩く。それ以上の幅は在る。竹道の隙間も埋まっているので川面を見ることも無い。三人はゆっくりと歩を進める。途中、中州の櫓で「喜捨」と書かれた箱の有るのを元正が認めた川の登りと下りの風景を愛でていて見つけたのだ。

「首(おびと)よ。金子(きんす)は持つか」

「はい、僅かなら」

「吾は持たぬ。その喜捨箱に寄進いたせ。あの者たちに服も着せてやりたい」

「まことに」

「それがお前の為すべきことぞ」

 橋の向こうにも役人たちの姿が見える。また都の役人たちも間を置いて三人ずつで渡りだす。輿は四人で最後に運んだ。馬を引いていた者たちは元の都へと踵を返した。

 天皇や役人たちが橋を渡り切ると若者達が万歳三唱した。それは自分達のしたことを天皇が認めたという満足感が生んだものだ。しかしそれは対岸でも飛び火していた。



 対岸では橘諸兄を筆頭に恭仁京造営卿の智努王や行基も横に並び「百官」の近在に済む者たちが参集している。彼等も初めは「加茂の港」に集まり、船の来ないのを知り、慌てて百足橋のたもとに移動したのだった。そして対岸の若者達の声に気付き、そのまま唱和し、今は拍手に代わっている。出迎えの挨拶に声を発したのは元正太上天皇だった。

「皆の者、出迎えご苦労である。吾はよもや泉川の橋を渡って新たな都に参るとは思わなかったぞ。この事は日ノ本の国の快挙である。聴けば行基和尚の束ねる民の為したことと言う。褒めて遣わす」

 橘諸兄が歓迎の辞を述べる。

「我等一同、お館さまの来られるのを楽しみにしておりました。そしてこうして待っておりました。聴けば百足橋は隣におります行基と衆徒の為した業。我等もここにこうした橋を認めるのは驚きにございます。また新しい恭仁宮に勇気を持ち橋を渡られた太上天皇陛下をお迎えできる事も我らの喜びにございます。では我らと共に参りましょうか」

「では一同の者。ここに奉ろうて来たものたちと、あそことあそこにおる者達を祝福してやろうではないか。」

 と天皇の言う

「弥栄(いやさか)、弥栄、万歳三唱」

『ばんざーい』

『ばんざーい』

『ばんざーい』

 その声が泉川の空に轟いた。


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