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市民運動創造と宇都宮健児ら群像コミュの【永岡浩一さんからの通信】 文化放送ラジオ 大竹まことゴールデンラジオ(2022/12/22) 久保田徹

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【永岡浩一さんからの通信】
文化放送ラジオ 大竹まことゴールデンラジオ(2022/12/22) 久保田徹 ミャンマーの実態、ロヒンギャ問題に関わり、ミャンマーの国軍の軍事独裁のことを知り他人事ではなく、そして国軍のでっち上げで拘束されて、自分が解放されたのも国軍のプロパガンダ的なものもあり、しかし日本はまだ民主主義のあるアジアの国、ミャンマーのために立ち上がるべきことを説く!


 永岡です、文化放送ラジオの、大竹まことゴールデンラジオ、本日のメインディッシュはドキュメンタリー映像作家の久保田徹さんでした。パートナーはヒコロヒーさん、アシスタントは砂山圭太郎さんでした。

 ミャンマー国軍に拘束されて、無事解放された久保田さんはこのラジオ初登場、まだ26歳、ヒコロヒーさんは若くしての活躍を評価、大竹さんも、刑務所の中のことなど大変、しかし2014年の18歳、大学1年の時にロヒンギャ問題、ミャンマーに注目と問われて、久保田さん、高校の時に関心、日本のロヒンギャ難民に接した先輩がいて、当時知られず、ロヒンギャ問題に関わり、どういうところから逃げないといけなかったかで、ミャンマーに注目。

 大竹さん、本当に無事でよかったと説かれて、久保田さんはミャンマーに10数回行かれた。大竹さん、しかしミャンマーはクーデターがあり国軍の支配になり、久保田さんの見たデモを問われて、久保田さん、それはロヒンギャのデモではなく、ミャンマーはタイとバングラデシュに挟まれて、軍事政権、国軍が62年から50年政権、スーチーさんを拘束。2010年から民主化、2015年にスーチーさんが政権につき、しかし国軍は力を残して、ロヒンギャ弾圧。2020年の選挙結果を国軍が不服としてクーデター。大竹さん、国軍反対のデモを取材されたと説かれて、久保田さんはコロナ禍でミャンマーに行けず、日本のミャンマーの方を心配、久保田さんの友人はみんな逃げて、しかし残っている友人もいて、身の回りに炊き出し。それをドキュメンタリー映画にして、ミャンマーのことを伝えるため、友人のために尽力。

 大竹さん、ミャンマーに日本の方もいたのかと問われて、久保田さんはデモの現場で逮捕、久保田さんはデモの撮影のためではなく、当時デモに接近は危険と感じて、距離を取り、しかしヤンゴンは奇妙なもの、ヤンゴンで戦闘が起きて、実質内戦、ヤンゴンはしかし静かではあり、クーデターの後でデモは困難。ここでしかし撃たれていたと思われず、しかしフェイスブック投稿で逮捕、10か月拘束の青年もいて、ある女性が物乞いしたらそれを警察官に奪われて、暴力が見えなくなり、国際社会はミャンマーのえげつなさを見られず、それでデモの現場を取材。当初デモ取材は予定せず、しかしやらないわけにいかない。だがデモすると即逮捕なので、SNS発信でゲリラ的に一瞬集まるフラッシュデモをして、それの情報を知り、現場に行き、数十m離れて、デモを見届けて、脇道に行くと車が来て、銃を持った男(私服、軍服、警察でもない)に拘束されて、警察に連れていかれた。拘束されて、怪しいと思われたのはまずかった、そしてこのまま射殺かと危惧、言うことを聞くしかない。

 逮捕されて、写真をスマホで、軍服の人間たちに撮られて、魚を釣り、魚拓をとるようなもの。そしてデモ隊の横断幕を持った写真を撮られて、証拠捏造。この写真でデモを先導だという証拠に捏造されて、しかし逆らうと殺されるのでやるしかない。取り調べは2日間、留置場は警察の中、人がぎゅうぎゅう詰め、トイレも不十分、そんなところに20日も押し込められた始末。2mと4mの四方で押し込められて、寝られない、横には寝るときなれても、足を延ばせず、署長の部屋はエアコンはあるが、しかし久保田さん大変、ロヒンギャは国軍の目の敵、ロヒンギャの味方として弾圧、しかし身体的な暴力はなく、3カ月半も拘束された。

 大竹さん、若い久保田さんがよく正気を維持されたと評価されて、ヒコロヒーさん、どうして禁固10年と言われて立ち直れたかと問われて、久保田さん、ペンをこっそり持ち込んで、日記をつけてそれを心の支え。しかし当時は大変につらく、それでも何とか頑張り、気分の浮き沈みは激しく、楽観と絶望が交差、一旦しんどくなると最悪を想起。大竹さん、どうして正気をそれで保てたか、ヒコロヒーさん、日記が最後の支えだと説かれて、久保田さん、自分は記録するのが責務、それなしてやれず、しかし最低限の記録を紙に残して、出られた時に伝えるべきものがあった。

 そして、ひどい留置場から刑務所、しかしそれはもちろん近代的なものではなく、中世の監獄、雨風の入るもの、真ん中に監視塔があり、久保田さんは外国人のエリアに入れられて、ミャンマーの方の監獄よりまだましなところ。大竹さん、そんなところで禁固10年と言われて絶望的かと問われて、久保田さん、軍人の法廷で禁固10年を宣告された。ヒコロヒーさん、その際に日本でもニュースになり、久保田さん、しかし出られる可能性があると思い、大使館と連絡、一縷の望みを持った。日本政府は動いたか、しかし10年もいたら、ミャンマーはどうなるかわからない。

 久保田さんは自由について語り、本当の意味で自由を奪われて、世の中との接点なし、今は日本に戻り、自由にこうして喋れるのは意味がある。大竹さん、ミャンマーの方は国にいるだけで監獄にいるようなもの、久保田さんは日本に帰国して、伝えられると説かれて、久保田さん、この国は公文書改竄、投票率は低い、入管はムチャクチャ、しかし日本はまだアジアの独裁国家より自由はあり、それは維持したい。

 久保田さんは、ミャンマーのことを他人事ではなく、自分も当事者であり、映像を作り、寄付、支援、そして政治家にミャンマーの独裁をやめさせるために動いてほしい。ミャンマーにいて、久保田さんは日本人でいずれ出られて、自分たちのことを忘れないで、と頼まれた。ミャンマーでは政治犯は13000人もわずか1年半で拘束、いつ解放かわからない。大竹さん、久保田さんがこの問題に向き合う意味を問われて、久保田さんは、自分の解放は国軍のプロパガンダ、他方大学生に死刑判決も出た。ヒコロヒーさん、ミャンマーのことを知り、日本人はミャンマーのことを知るだけで意味はあったと説かれて、久保田さん、ミャンマー支援の団体もあり、レディフォーのクラウドファンディング(https://readyfor.jp/projects?q=%E3%83%9F%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%9E%E3%83%BC )、ミャンマーに食糧配布、東京外国語大学の方や、日本のミャンマーの方もやっている。大竹さん、日本人もミャンマーと無縁でなくなったと締めくくられました、以上、久保田さんのお話でした。






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