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自分の言葉で自分の思想を語るコミュの最近伊勢神宮のドキュメントが多かったのでつらつら考えた

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仏像を作るとは人間の潜在意識人格を与えて目に見える形に閉じ込めて、その結果潜在意識の暴走に歯止めをかける行為だと思えるようになった。

これに対して
神道には原則として神像は無いことが多い。(ないこともない)
神社に祀られ、御簾の奥深く荘厳され泰然と見える神道の神様というのは実は形を持たぬが故に生の潜在意識に直結している。神道の神は決して人間のコントロールの及ぶ存在ではないと認識されているし、現実的に「荒津神に静まって貰う」ことはあっても調伏などできない存在であると認識されている。鎮まって貰うには人柱を必要とすることさえあった。

 不動明王に代表される憤怒相の諸尊は、潜在意識の表出を仏教的な解釈で人形にしていると考える。仏教徒はその仏尊の行動原理をかなり意地になって慈悲に留め置こうとする。怒りの表情で衆生を威嚇しながらも、慈悲に基づく故に願いを聞いてくれる、見かけに相違して女性原理の存在であることが面白い。

 現実世界の在りようは仏教的ではない。世界が荒れる時には潜在意識の嵐が世界や社会を席巻し翻弄する。実際はそれが日本の神の姿である。神の怒りに世が乱れる時、神に鎮まって貰うための装置が神社であって、多くの日本人が「鎮まれ」という想いを吐露することでようやく鎮まって貰うのである。

コメント(1)

心の救いは仏教に求め現世の諸事は神道の神に願いをいたすという日本人の精神性は結構上手く機能しているのかもしれない。

なんでこういうことを言っているかというと、もうすぐその機能が必要な時代になる予感があるから。

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