ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

古代史 邪馬台国 神話 建国コミュの仏教と儒教と道教の伝来と・・・・倭

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
あまり仏教とはとか、儒教とはとか、道教とは、とかしゃちこばらずに
雰囲気でそれらはこんなもので、それが倭に古代に伝来すると
こんな感じになったんじゃないかと

そんな話をしてみたいです。

コメント(49)

>>[9]

なんか、蘇我氏が本格的に台頭してきたのは、
稲目さんからで、それ以前は韓国系の名前ですよね。
(´・ω・`)
>>[10] 高麗に韓子ですか。おまけにその先は武ノ内宿祢なんですね。
そして馬子とか蝦夷とか入鹿とかなんとなく漢字の当て字が別称のような。
おまけに入鹿暗殺のあともちゃんと続いているのですね。面白いですね
みな親戚だった古代豪族って感じですね。
>>[10] 高麗に韓子ですか。おまけにその先は武ノ内宿祢なんですね。
そして馬子とか蝦夷とか入鹿とかなんとなく漢字の当て字が別称のような。
おまけに入鹿暗殺のあともちゃんと続いているのですね。面白いですね
みな親戚だった古代豪族って感じですね。
>>[5]、

足利尊氏はいいですね!昔はよく解らなくて、でも、中央で破れて九州まで逃げて復活とか、なかなかいいです。

これを考えると、実は平家も結構いい線いっていたのかも?
>>[10]、

蘇我氏渡来系は否定する説もありますよね?
>>[13] そこで平家と来ますか
発想がすごい。確かに平家も九州とかいっそ、壱岐にこもって、韓国貿易で力をつけて再び中央に。
あるいは宮崎まで逃げて再び中央に。

足利尊氏の熊本からの京都行きは、
考えてみたら神武東征的ですね。
神武東征。
実はもともと奈良の人が逃げてきてたとか
>>[13] 壇ノ浦を超えてどこがゴールだったのでしょう。
http://blog.livedoor.jp/waruneko00326-002/archives/40381016.html

いささか抵抗あるも歴史的2チャンネルを転載してみました。



1: 日本@名無史さん 投稿日:2013/09/02(月) 02:22:29.39
入水を選ばず退却を選んだらどうなってましたか?

2: 日本@名無史さん 投稿日:2013/09/02(月) 02:25:14.91
壇ノ浦当事で500艘の船を駆り出せる力がまだあったのにね。

5: 日本@名無史さん 投稿日:2013/09/02(月) 12:23:19.86
退却って何処へ退却するんだい?
四国を追われ、山陽道も範頼軍に占拠され、
北九州も範頼に押さえられ
対馬、壱岐も範頼に抑えられたんだけど。

9: 日本@名無史さん 投稿日:2013/09/02(月) 18:48:28.88
長門も九州ももはや源氏に制圧されていた

11: 日本@名無史さん 投稿日:2013/09/02(月) 20:55:45.52
壇ノ浦の兵士はどっから調達したんだ?

12: 日本@名無史さん 投稿日:2013/09/02(月) 21:12:36.48
>>11
松浦党、山鹿党、裏切る前の田口一族。
あとは降伏しても許される見込みのない人たち。

17: 日本@名無史さん 投稿日:2013/09/03(火) 10:50:18.52
まあ、船に乗っているのだから
沖縄か、朝鮮半島か、五島列島に逃げて、海洋帝国になるしかなかっただろうな
ただ、大勢の人間を養うのだから、沖縄や五島列島では
穀物が調達できないだろうから、済州島しかないだろうな
>>[14]

はじめまして!
渡来なのか、現地人なのかはわからないですが。
どうやら、蘇我韓子さんのお母さんが韓人のようですね。
新羅の進攻による、百済を守りに行ってる模様ですね。
その時の縁かもしれないですねー。

倭人伝によるとしょちゅう帯方郡は伊都国に来て、
文物の整理もしていたという。
そしたらやはり文章をかいたものをたくさんもってきてたんじゃないのか。
そしたら仏教は邪馬台国にきてたんじゃないのか。
道教か儒教も。
ナンショウマイは大夫と名乗ったというのだし。
>>[18]、

うっ、まだ鎌倉はやってないから、そこらへん詰めが甘かったかも?
>>[21] とにかく仏教伝来と言ったら蘇我氏ですね。
6世紀からの圧倒的な仏教な影響力。
これはガリアやゲルマンやラテンに浸透して精神文化の中枢にねづいたキリスト教に勝るとも劣らない影響を日本精神に与えた。
もともとの神々に比べて圧倒的に仏教は言葉で語るのである。
そして仏像や寺は島中に作られ古い神とも合体し、
古代日本は仏教なしになにも語れない
寺という建築物を普段何気に見るわけだが、あんな類のものが、1500年前にあったら奇跡のスーパー建築物だっただろう。
仏教をありがたがったのはもちろんだが、それに必然として紐づく文明が一番ありがたかったのだろう。
建築と文字の大量流入。
そしてそれを伝える人、人、人。
寺を建てる大工集団がきただけでも渡来人と言えるほどの数だったことでしょう。

仏教伝来こそ渡来人の引き金というのもありかもしれないです
>>[18]、

平家はやはり、自分たちは海戦の方が強いと思っていたんでしょうねぇ?

まだ兵力があるなら、やはり抑えられていた九州を強襲する手もあったかも・・・??
>>[26] 時を超えてのコメントありがとうございます。そういえば藤原純友も船団率いてどこかへ行きましたね。

あの平家船団は長崎の平戸や長崎あたりを根拠地にして、宋との交易をしていけば、そのままベネチアのように都市国家的に成立して、やがて周辺の筑紫や肥後などが傘下にはいり、九州平家王国ができたかもしれないですね。平家が滅亡しなければ、奥州藤原氏も滅亡せず、豊かな三頭勢力が併存して、いたかもしれない。そうすると面白かったでしょうね。
そのまま時が流れれば、やがて元寇のとき、対馬と半島の間の海戦で高麗の船団を壊滅したかもしれない。

それにしても元寇での向こうがわは、なんと上陸先での戦闘しかできなかった。高麗軍に行かせたのは失敗、すでに高麗は疲弊しすぎていた。ぼろぼろになった人にフルマラアオンやらせるようなもの。

そこで海の支配者南宋を手に入れたときに今度は南宋から船団を送りますが、海の素人元には、長江から日本までの海路を当時の技術で大船団でくるのがいかにきついかわかってなかった。

戦略的にはやはり、半島からですね。
まず軍港を作る。補給基地も作る。無理のない補給体制を作る。3年くらいかけて。高麗は防衛40年戦争で疲弊しきっていますから。
そして対馬を占領してそこに補給基地を作る。対馬と半島の海路を確立する。
次に壱岐を取る。そこに補給基地を作る。

そこまでやって壱岐を完全に日本侵略海軍の基地にしてから始めればよかった。その間に、日本側の防衛体制も整うかもしれませんが。


でも対馬壱岐の補給基地化なしに侵攻しても、大宰府をうまく陥落させてもそこから京へ行く間には関門海峡があり馬など全く使えないし、持ってきてもないのだから瀬戸内海海路か中国山脈のせり出す山陽道を行くのですね。
山と海のゲリラ戦で淡路島にいくまでに壊滅するでしょう。

100歩譲って今日を陥落させてもそのあと鎌倉までは日本アルプスや太平洋岸の道をまた行くのです。気が遠くなる話です。

葦原の中津国のクニ譲りが終わったから天孫降臨したとある。
出雲が降伏したから筑紫に上陸したとなる。

なんだこの地理的配置は。
古代日本への道教の影響について

道教は偉大です
>>[27]、

実は面白い説があって、元軍は日本に派遣した軍を敗退させたかったのではないかという説もあります!

つまり、日本を征服したいのではなくて、自軍を滅ぼしたかったという説ですね!

というのは戦乱時代には軍事が肥大化してしまって、平和になると軍の処理が大変になるんです!例えば英仏100年戦争時代にはフランス領内で軍事が肥大化してしまうんですが、途中100年戦争が休戦になる時代が時々あって、そうするとフランス軍は(今みたいに中央集権化されていなくて、野盗みたいなものなので、)逆に自国の領内で暴れまわって一般人を迫害するんです!このために一時期フランスは困って今で言うスペインへ、対外戦争を始めています!

日本の戦国時代もそうですね!終わったあと朝鮮に出兵しています!

軍は解体するか、どっか対外戦争に向けるしかないんです!解体するのは結構難しい!!

元寇の結果結局どうなったかというと、大量の高麗と大量の南宋の軍が滅んだわけですね!

そうすると結局中国本土の元朝支配は容易になります!
>>[31] そうだと思います。高麗や南宋をいじめるためにやったのが半分。
でも高麗は当時完全に疲弊しきっており、その上、元軍駐留の食料確保など命じられ餓死者がでて、その状況で、船を作れといわれ、その上日本へ出兵しろといわれたから、いわば太平洋戦争後の1946年に日本にロシアへ自前で船をつくって50万人の軍を送れと言われたような形です。
つまり高麗はぼろぼろ。
南宋はまだ余裕があったみたいだから、こちらはまさに南宋つぶしでやったようなものでしょうね。
南宋がもっていたアラビアまでの海路を元はちゃっかり受け継いで、陸の高速道路に続いて、海の高速道路も支配しました。

モンゴル帝国にとって日本とはなんの役にもたたないクニです。
>>[32]、

ずれちゃうけど、大航海時代にも面白い話があります!

ヨーロッパでは大航海時代と言って喜んでいたけれど、実は大航海時代はアジアの方が一世紀くらい早い!鄭和が1405年から1433年に渡って7度の西方への航海をチャレンジしていて、鄭和はアラビアあたりまでしかいかなかったけれど、部下はアフリカ東岸あたりまで到達していたと思います!

どこで東洋優位と西洋優位が逆転したのか?

基本は西洋が野蛮だったからだと思っているんですが、差別主義ですね!?
>>[33] 鄭和は色目人だったか、とにかく漢族ではありません。
鄭和の艦隊の船は大航海時代のポルトガルの船より優れていて、それも圧倒的に。
そしてその船がヨーロッパだとせいぜい3から5隻くらいなのに何十隻もの艦隊で動いたので、
その海軍力は圧倒的でした。
しかし目的・コンセプトが明王朝において朝貢国を増やすというものでアフリカから象を連れて帰るくらいの成果しかなかった。
中国には中華民国まで、
貿易の概念がなく朝貢でしたから、やむなしかもしれませんが。だからしばらくして鄭和を可愛がっていた皇帝がなくなると、艦隊も解散になりました。だから鄭和の行動はポットでの単独行動であり、中国の富をもとに何かをやればどれくらいのことができるかの事例ではあっても、

ヨーロッパのように目的志向で、時代の流れとしての行動ではないのですね。

以上BSでみた「鄭和」からでした。


要は中国世界だけでないもののない中国に大航海など必要ないということ。
でもヨーロッパにはないものだらけなので、十字軍をやり、(あれはアラビアへの侵攻、蛮族の文明のほちょっかいです)
そして大航海をやり、アラビア、インド、中国、南米、中米という豊かな世界を略奪したのですね。
それに大航海といっても、アラビアから中国までの航路を作ったのは、アラビア人でポルトガル人はアフリカ一周の航路を開発することでアジアへつながるというわけです。

じつはすごかったアラビア人です。
>>[33] >>[34] エーベルバッハ少佐さん
結局大航海時代って
1.アメリカ航路
2.アフリカ回ってアラビア人の航路を利用するアジア航路

ですね。
そしてアラビアは南宋から元にいたるまでずっとインド洋を渡り続けたから
ヨーロッパ独自の海路はアメリカ海路のほうですね。

そうか。アラビア人がずっと宋まで海路をもっていたから、
鄭和もやってみようという気になったのですね。

>>[35] アラビア人がアメリカ航路を発見したらよかったですね。
あるいは鄭和艦隊がアメリカを。
しかし一番の理想は日本人が鎖国せず、オーストラリアもニューじらーランドも日本人が住み、アメリカは一向宗が新天地を求めて建国してたら世界が変わりましたね。実は織田信長の死は世界史を根本的に変えたかもしれませんね。
>>[36]、

日本史の中にも世界史に匹敵できる人物は何人かはいると思います!

例えば天皇制を終わりにして王朝交代しようとした足利義満とか・・・!

しかし、織田信長は間違いなく世界史に出ても引けをとらない日本人だったと思います!

織田信長が天下統一したら、おそらく対外戦もかなり有効に進めたと思います!

もしかしたら日本の首都は東京じゃなくなっていたかも・・・??
>>[37] ぼくの織田信長の重要感はただしくヨーロッパをみていたということです。
文物の優れもの地球が丸いなども理解したということですが、いろいろ聞いて、日本の戦国武将が大きな面積で同じことをやっていると喝破したそうです。
さらに、はるかな海路を渡ってやってくる彼らの力と、統一日本の力では、植民地など全く不可能だから、いいとこどりしようとしたそうです。
これが豊臣や徳川になるとその手の情報分析力(個人の能力として)がたんと落ちるからこれはやばそうだということで鎖国にいたります。
かりに長崎のキリシタン大名が三か国くらいポルトガルの手先になって、宗教戦争をしかけてきても、一向宗10万人をころした信長はそうなったときに、虐殺するでしょう。そもそも九州の大名が2か国くらいでは織田に勝てないと知っていたし、先端技術の大砲を向こうが備えるなら、こちらも軍艦を作るという発想だったでしょう。

信長の計画では、安土城のあとは本願寺あと(つまり大阪城)に城をつくり、あそこは信長と戦い毛利水軍に守られたベネチアのような場所だったわけです。
そしてやがて博多に城をつくったかもしれない。

商業経済を知り尽くした信長は、意味のない侵略戦争もせず、たぶん、東南アジアは日本の商圏に組み込まれ、ヨーロッパに領事館を開き、産業革命をリアルタイムに共有していたかもしれません。

それほどの影響力が死んだと考えると、信長が生きていたら19世紀の世界史が代わるわけですね。
つまり日本は20世紀に世界史デビューしたようなものですが
それも彗星のように。
そのデビューがヨーロッパ近代とともにあったということです。これは全く違う世界が生まれていた可能性があるわけです。

大航海時代と織田信長ですね。
>>[38]
せっかくヨーロッパを知ったのに、中断して残念だということですね。ダンテの神曲まで翻訳してたそうですね。

産業革命のリアルタイムはどうかと思いますが、でも蒸気機関を幕末でも瞬く間に薩摩や宇和島は自前で作ったのだから、
鎖国せずヨーロッパとつきあってたら、19世紀初旬には日本に鉄道が走っていたでしょうね。
たぶん、ポルトガル、スペインと同じで
イギリスやフランスも
覚醒した状態の日本を
植民地にすることは不可能でしょう。

それこそフランスとイギリスとそれぞれ軍事同盟を二枚舌で結んでもいいし、
そもそも同じ武器を最初から持ってる日本と戦っては勝てないでしょうね。
>>[38]、

侵略戦争はした可能性はあると思いますよ!

彼の大きな目的のひとつは天下布武ですから!他の国々も戦国だと知れば、おそらくそこにも平和をもたらすために戦ったでしょう?

ただ、信長には特徴があって、万全の体制を持って戦う、深追いはしないなどあるので、勝てないと考えたら、まず準備をするでしょう?

信長が重商主義だったのは商業の繁栄を狙ったわけではなく、情報と富の集積を狙っていました!

富の集積自体が目的ではなく、結局富の集積は軍備を整えるためです!

世界が変わったというのには同感です!

本能寺の変ほど歴史的に惜しい大事件はありません!!
>>[38]、

全然関係ないけど、重商主義で行くと田沼意次も惜しい!!
>>[037]

平家の親玉は桓武天皇。源氏のそれは清和天皇です。と言う事で天皇制を廃する事は、自分たちの祖先を廃する事になります。故に出来ない話なんですね。
>>[040]

信長は日本人の突然変異ですよ。w
しかも、信長を少し買い被り過ぎです。
残酷な信長支配では、光秀の様に多くの大名は面従腹背を貫くでしょう。
外国勢力による、日本の植民地化も十分に考えられます。
>>[44]、

それは当然可能性としてはあると思いますよ!体外戦や対外進出が始まった場合、最後まで日本が存続するかは全くわかりません!
>>[045]

いや、対外戦云々よりも、人の恨みを買いやすい信長の国内統治には脆さが目立つ物になりやすい。と申しているのです。光秀の名前を挙げて、大名の面従腹背をあげたのもその為です。
外部勢力は統治の綻びを突いて、内乱を誘発し、最終的に植民地化をするのです。
>>[41] 享保の改革で吉宗が壊したのは、士農工商を壊しかねない商業経済の発展でした。あの時倹約で幕府財政を乗り切るのではなく、海外貿易をしていれば莫大な富を幕府が得たでしょう。長州藩は馬関をもっていたから、日本海と瀬戸内海の交易から利益を得て財政再建どころか巨万の富を得ました。薩摩の沖縄もそうですが。
吉宗時代の幕府が長崎のほかにも3つくらい開港して、イギリスフランスまで交易したら、豊かになったでしょうね。
>>[47]、

そこが面白いところです!自分は実は最近まで良く解っていなかったんですが、江戸時代の三大改革は全部重農主義である江戸幕府を救おうとして、重農主義に戻ろうとする改革です。江戸幕府は最後まで重農主義にこだわったけれど、江戸時代の経済社会は国内ですら成熟して、もう重農主義に帰るのが不可能なほど進展してきてしまっていました。そのため江戸時代の三大改革はことごとく失敗します!まあ、はじめの吉宗はちょっとだけ効果があったかもしれません・・・?

もしも日本人の中に重商主義の経済感覚がある人物がいたなら、江戸時代がイギリスやフランスの絶対王政のような事になっていた可能性もあります!そのチャンスは田沼意次の時にありました!
>>[48] 米本位制の金融市場までありましたね。来年の米を担保に金を貸したりとか、これはもう先物取引です。そして複式簿記的な帳簿までありました。
そんな経済的活況に押されてのびる町人経済と芝居など遊行など、これは徳川の価値観とは違うと和歌山の田舎の三男坊が壊したのですね。尾張の方が実態としてすぐれていたのじゃないか。
ただバブル的なところもあるからそのばらんすを取るのには海外貿易しかなかったでしょうね。

江戸は国際都市ですね。各藩の大使館があったようなものです。各国は米という共通価値をもつ物産をもとにお金が流通するわけで、参勤交代も金を使わせて大名は疲弊するがその行程の宿場は栄えるわけで、絶えず街道も整備されるし、いいことずくめですね民間は。

長州の馬関管理を見ならい、薩摩の琉球支配を見習えば幕府はとてうもない金持ちになりました。

田沼意次は確かに先進的な経済政策をやってましたね。インフラ整備による、需要の創出と整備することでの経済効果。
たぶんかちこちの武士団には理解できず失脚したのですね。


チャンスは吉宗が鎖国撤廃ということをやるケースのみだったかも。

明治になってヨーロッパ経済に接触したとき、日本の経済は世界のどの地域よりも受け入れる素地があったのだと思います。

ログインすると、残り10件のコメントが見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

古代史 邪馬台国 神話 建国 更新情報

古代史 邪馬台国 神話 建国のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング