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哲学 Φιλοσοφιαコミュの時間論の哲学

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時間論の哲学。

「時間は物理」というのは一般人においても常識と化している。
しかし、それに先立つ言語に色濃く影を落としているのであって、心理的にも社会的にも文化的にも存在する。

哲学はそれらに通底するアプリオリな時間概念を検討している。
ニーチェ・フッサール・ハイデガーそれぞれの時間論。
マクタガートの「時間の非存在証明」など。

併せて仏教・キリスト教の時間概念、民族的な時間概念をも検討する。

(文責:芹沢)

コメント(38)

量子重力論では以下のように考えられるようです。
「時間はすでに、一つでもなく、方向もなく、事物と切っても切り離せず、「今」もなく、連続でもないものとなったが、この世界が出来事のネットワークであるという事実に揺らぎはない。時間にさまざまな限定があるいっぽうで、単純な事実が一つある。事物は「存在しない」。事物は「起きる」のだ。」



あのトピの最初のほうを見ていなかったので、そもそも何が議論されていたのか、と思い今日見てみました。

松ぼっくりさんのスピンネットワークの話とか、最初に出てたブロックユニバースの話とか、ゲーデルの議論も結局これに関係ありますね。
これはわたし芹沢の差し金ですんで。
でも時間の話題即物理というのはいただけないですね。

時間はテンス・アスペクト・モダリティとして言語学の問題でもある。
因みに言語に依らざればどんな学問も不可能ですが。
最近知ったのだけど、「過去・現在・未来」という直線的な時間の観念は、昔の日本人には無かったそうです。これは古語の研究から明らかにされています。過去と未来は無くて、代わりにあったのは記憶と予測だったそうです。

もっと面白いのは言語人類学ですが。



われわれの不動の前提とされている直線時間というのは、聖書に由来すると思われます。
>>[6]
この動画によると、時の流れに身を任せ、と、川の流れのように、を混同してカラオケにリクエストしかかった”時の流れのように”はあながち間違ってはいないのですね。
>>[6]
すいません。物理と哲学しかとっさには思いつかなかっただけなので。こんな感じで議論が増えるのは楽しみでもあります。
>>[6]
これは近代の話ですが、精神分裂病患者が四次元の絵というのを描いていますね。こんなところにも四次元の時空観がでていますね。
ユングの空飛ぶ円盤という本に実物も載っています。ユングはこれにキリスト教的解釈を施していますが。
11に精神分裂病患者が描いた絵、というのは間違いでした。すいません。
因みにPビルクホイザーの「第四次元」という絵です。
「物理禁止」の意図は無かったけど、棲み分け上しばらくは仕方ないね。
いずれそれは面倒みます。

こういう本があるのでとりあえず情報。
青山拓央『新版 タイムトラベルの哲学』
ちくま文庫になりました。

タイムパラドックスなどを哲学で扱っています。参考になると思います。
「時間」は多義的な言葉だと思う。物理的な時間と心理的な時間を混同したまま議論はできない。

ダイナミックに流れると感じるのは心理的な時間で、これはさまざまなものの動きそのものを時間と言っているような気がする。物理的な時間は4次元空間の一つの座標軸で、全く動かない。だから、物理学は動的な現象を静的に取り扱うことができる。

マクダガートの時間論は時間の本質をまず最初に心理的なものと議論の幅を狭めておいて、「時間は実在しない」と結論しているが、不十分だと思う。
>最初に心理的なものと議論の幅を狭めておいて

心理的な受け止め方と客体とでは客体の方が範囲は明らかに広いでしょ?

>物理的な時間は4次元空間の一つの座標軸で

それは相対論の曲解。時間を別に扱う説も多くあります。
ドラえもんの見すぎかな?
>でも時間の話題即物理というのはいただけないですね。

即物理ではなく、物理以外の心理的な受け止め方、それだけで何が解決したのかという話で。
解決してないからこそ、科学でも何でも使おうというのは有意義だとおっしゃったはずでは。。
>>[14]
・「時間」は多義的な言葉だと思う。物理的な時間と心理的な時間を混同したまま議論はできない。

その通りでしょうね。

・マクダガートの時間論は時間の本質をまず最初に心理的なものと議論の幅を狭めておいて、「時間は実在しない」と結論しているが、不十分だと思う。

すいません、マクダガードの時間論の文献、移民の歌さんはどこを見られましたか?芹沢さんに言われて書いてみたんですが、まだ読めてないのです。専門書か何かで見られたのですか?
>>[17]
永井均さんのですが、個人的には(あくまで個人的にですが)お勧めしません。永井さんの註釈がちょっと前面に出過ぎているような気がします。
>>[18]
長い証明でしたか?あんまり煩雑でなければ、ぜひ一度読もうと思うのですが…
>>[6]

> 過去と未来は無くて、代わりにあったのは記憶と予測だったそうです。

これはその通りだと思います。現在になる未来は無く、過去になる現在もまた無いのではないでしょうか。川の水は上流から下流に流れますが、そこに流れる時間などないと思います。流れているのは川の水だけです。
>>[20]

古語の話は民族語の特徴を述べたものです。要点はメタファーの体系だということです。


過去と未来は実在するのかという問題ですが、「実在しない」と決めると厄介なことになります。「現在」が両側から食われて無くなってしまう。ゼノンの逆理の再現になります。また実在させたら別の厄介ごとがあるように思われます。
>>[17]

入不二基義『時間は実在するか』 (講談社現代新書)
この本はmixiの哲学界隈でよく読まれました。「証明」の詳しい解説です。出版時点では完璧と言える文献目録も載っています。

永井均『時間の非実在性』 (講談社学術文庫)
これが証明の原著翻訳。元はでかい本で、証明部分だけ翻訳したものだと思います。
>>[22]
入不二基義『時間は実在するか』 安くて読みやすそうなので買おうと思います。ありがとうございます。
ゼノンの逆理について。
ゼノンには論敵があって、それを知らないと逆理は全く理解できません。論敵とはピュタゴラス学派です。
ピュタゴラス学派は当初、時空に最小単位があるという考えだった。しかしそれが不合理に陥ると、「点」を発明することになりました。「点」は最も厳密な実体です。これによってピュタゴラス学派が近代科学の源流をなしていることは明らかです。

近代科学の源流というと、もう二つ名前を挙げなければなりません。デモクリトスとプラトンです。
実はプラトンはデモクリトスが大嫌いだったようですが。この二人を抱擁させ野合させたのが、今の自然科学です。
 初心者なので、まずは入門書の類いから読み始めることになります。文献としては読み散らかすだけの書籍は、持っているとは言えるでしょうけれども読破していないので科学論としても哲学としても定説を踏まえて議論するレベルにはないので、素朴実在論としてしか語れません。

 時間を測るのに使われるものは時計ですけれども、時計は何を測っているのか?物理量であるならば、唯物論として何か実在論として語れるのか?物差しは、長さを測るし、天秤は、質量を測るし、計量カップは水などの物理量を測るけれども時計は、自らの運動に基づいて時を刻みます。

 哲学としては、自己の経験上の心理的な時間を元に測ることと時計を基に客観的に測るとしても比較による相対的な時間の把握による計量化によらざれば、把握し不変的な共通認識を提示できないと思います。

 ともかく、時間と空間の謎を紐解く鍵は、文献の読破から始める必要があります。知らない事実を知らなくては、議論のレベルは、個人の思い込みの独我論の壁を超えられません。まずは、関心を持って初学者むけの文献から入ることが必要なところで足踏みしていて、議論に参加するには至らないです。文献としては、以下のものに時間を割かなくてはならないでしょう。

『時間の非実在性』ジョン・エリス・マクタガート
 永井均(訳・注釈と論評)
 講談社学術文庫
 2017年02月10日 第1刷発行

『空間の謎・時間の謎』
 内井惣七(著)
 中公新書
 2006年1月25日 初版

『時間は実在するか』
 入不二基義(著)
 講談社現代新書
 2002年12月20日 第1刷発行

『時間は存在しない』
 カルロ・ロヴェッリ(著)
 冨永 星(訳)
 NHK出版
 2019年08月30日 第1刷発行

『なぜ時間は存在しないのか』
 ジュリアン・バーバー(著)
 川崎秀高・高良富夫(訳)
 青土社
 2020年02月10日 第1刷発行

『時間論の構築』
 中山康雄(著)
 勁草書房
 2003年01月15日 第1版第1刷発行

『時間について』
 ポール・デイヴィス(著)
 林一(訳)
 早川書房
 1997年01月31日 初版発行

『時間・自己・物語』
 信原幸弘(編著)
 春秋社
 2017年06月25日 第1刷発行

『時間と自由意志』
 青山拓央(著)
 筑摩書房
 2016年11月25日 初版第1刷発行

『時間と宇宙のすべて』
 アダム・フランク(著)
 水谷淳(訳)
 早川書房
 2012年04月25日 初版発行

『時間と空間をめぐる12の謎』
 ロビン・レ・ペドヴィン(著)
 植村恒一郎/島田協子(訳)
 岩波書店
 2012年06月26日 第1刷発行

『現代哲学への招待 時間という謎』
 森田邦久(著)
 春秋社
 2019年12月25日 第1刷発行
>>[27]
時間論の哲学へのコメントありがとうございます。
生活に流されないために読書を、とプロフィールに書いてありましたね、なんかハッとさせられましたよ。
時間論の、自分の未知なところに焦点を当ててこれらの本に当たってみようとは思っています。なかなか他の本も読んだりしていて時間が取れない事が多いのですが。
>>[28]へ
 私が、コメント出来ることはほとんどありません。ですので他の方のコメントを読ませて頂くことになると思います。

 哲学として何を語るべきかの精査が出来ていないものですから、初心者レベルで読める『時間と空間をめぐる12の謎』と『時間は実在するか』を熟読します。

 「相対性理論」、「特殊相対性理論」、「量子論」は、理解出来ていないので、これらの話だと全く分かりません。

 ともかく、書き散らすだけのコメントはしないつもりです。
 
矢野健太郎が「光の速度は無限大」と言ったのかどうかは知らないけど、言ったとしたら、特殊相対性理論に鑑みて、光にとって時間の経過というものがないからだろう。時間の経過なしに移動するから、速度は無限大となる。「光は時間」と言うのは言い過ぎでしょう!
西洋哲学では伝統的に、時間を外的な物体の運動との連関で思索する道(例:アリストテレス)と、記憶や予期や知覚などの「こころ」のあり方との連関で思索する道(例:アウグスティヌス)の二つがあり、カントの場合はそれらが二元的に論じられていると中島義道の『カントの時間論』(講談社学術文庫)の冒頭に書いてある。
ロケットをいくら加速しても秒速30万kmを越えることは出来ないと言われるが、あくまでそれはもとの慣性系から見た場合の話。速度算出の為の時間をロケット内の時計で測れば、到達速度は青天井である。だから高性能のエンジンと充分なエネルギー源さえあれば、生きているうちに何万光年先の場所に行くことも可能。
ただし、到達速度が青天井だと言っても、それはロケット内の時間で計算したものだから、光速を追い越すことは出来ない。ロケット内の時間で計算すれば、光速もそれだけ上昇していることになるからである。
タイムマシンの概念はH.G.ウェルズが独自に考えたということで、ほぼほぼ間違いないと思われます。考えとしては、「時間が第4の次元であり、適切な装置はこの第4の次元の中で移動できる」というものでした。この考えの特徴は、過去と未来が実在するということにある。
日常的には、過去は既に無い・未来は未だないわけだから、<過去と未来は存在しない>と言える。
これはどっちが正しいのでしょうか。
殊に、「未来」の存在性格には謎があると思われます。

カント読解トピで問題にした話を再掲します。

>中島は一貫して未来は本質的にどんなに近い未来だとしても、無だと主張している。例えば、「明日はピクニックがある」の明日があると了解することは、我々が今まで帰納的に導いたことであって、寸毫も明日が確実にあると実証することはできないという。すなわち、未来本物論者は未来完了形的に、いままで明日は偶然にもあった(存在した)ので、その過去を延長して未来(明日)があると思い込んでいるだけだという。(例えば、明日突然地球がなんの前触れもなく崩壊した場合、自分が死んだ場合は未来は無である。)中島によれば、こういった未来の描写はあくまでも概念的にしか捉えられていないので、いささかも未来の実在性を証明してはいないとされる
(Wikipedia「中島義道」)
これの元の話は中島義道『時間と死』(ぷねうま舎)にあるそうです。

この議論は「人知は不完全だから未来予測に確実性は期待できない」「帰納は真理に貢献しない」というポパー的な意味であって、それには全く賛成です。「一寸先は闇」とか「絶望の虚妄なること希望に相等しい」とか言われることと同じです。
しかしこの議論では「何らかの未来が存在する」ことは妨げないと思います。
「芹沢の未来」とか「日本の未来」とかの具体的事物は途絶することがありうるけれど、未来時間そのものが途絶するというのは意味をなさないと思います。
>>[31]
光円錐上での軌跡が時間のそれでないので、直接に、光は時間、というのはありえない、と言えるように思います。相対性理論の計量幾何学的側面からの考察です。
無限というのは比喩でしょう。
ただ、その際移動は光にとっては(相対的に考えるのですが)ないのではないですか?
>>[33]
NECの南善成という人が円盤型時空推進機で特許をとっていますが、それは従来のロケットの航法と違い、超強力な電磁場を発生させて時空を曲げることで高速を実現するものです。
>>[34]
時間が逆行し始める場面を持つ映画があるのですが、それの場合は?
未来の終点があってそこから時間が逆行し始めるということですけど。
>>[37]

時間の逆行も停止も無意味です。観測者が同じ時間内にいるわけだから。
この世界Aと別の時間を持つ世界Bに観測者がいて、BからAを観測しているなら、Aにおける時間が止まったり加速・減速したり逆行したりが言えます。同一の時間内では無意味だと考えます。

世界Bから見た世界Aの時間が、たとえ一万年の間止まってても、世界Aの住人にとっては何でもない。Bに行かない限り尺度が無いから。

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