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哲学 ΦιλοσοφιαコミュのR.D .レイン著『引き裂かれた自己』(1960)を読む

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初版の序より

本書は実存主義的心理学および精神医学の研究シリーズの最初のものです。
本書は、scizoid とscizophrenia に関する研究です。
この研究はすでに確立されている実存哲学の直接の応用ではありません。
本書はキルケゴール、ヤスパース、ハイデガー、サルトル、ビンスワンガー、ティリッヒらの業績とはいくつもの重要な点で異なっています。
ただし私は、自分の主な知的恩恵をまさに実存主義の伝統から受け取っています。


思ったままに率直にコメントし合えたなら嬉しいです。

コメント(7)

ペリカン版への序(1969)より

私が本書を書いたのは28歳の時だった。
フロイトはわれわれの文明は抑圧的文明だと言っている。われわれの葛藤は、画一性に逃げ込もうとする欲求と本能的エネルギーとの間のものだ。
しかし、われわれの文明が抑圧するのは本能や性だけではない。超越もまた抑圧されている。
マルクーゼが言う一次元的人間ばかりの中にあって、それ以上の次元を経験できるはずの人間は、他者により破壊されるか、みずから自分に背くかに追い込まれる。
われわれの正常とか、適応した良い状態とか言われるものは、恍惚の放棄であり、真の可能性への裏切りである。
われわれの多くは、ニセの現実に適応するためにニセの自己を獲得することに成功しているばかりである。
「1 人間の科学のための、実存的現象学的基盤」より

スキゾイドというのは、体験の全体が主として次のように2つの仕方で裂けている。
1つは、世界との間に亀裂があり、
もう1つは、自分自身との間に亀裂がある。
このような人は他者とともにある存在として生きることができない。
また、世界の中でくつろぐことができない。
絶望的な孤独と孤立の中で自分を体験する。
その上、自分をひとりの統合された存在としてではなく、さまざまな仕方で引き裂かれた者として体験する。
例えば、身体との結合がゆるくなった精神として。
あるいは、二つ以上の自己として、など。
(つづき)

実存的現象学は、ある個人が世界と自分とをどのように体験するか、その本質を明らかにしようとする。
当人のすべての一つ一つの体験を、彼の〈世界内存在〉全体の脈絡の中に位置づけようと試みる。
スキゾフレニアによってしゃべられたり、行われたりする驚くべき沙汰は、実存的脈絡を理解しない限り、一冊の閉じられた書物にとどまる。
(つづき)

精神医学の言葉、精神分析の言葉に対する不満はかなり広く、それらを最もよく使う人々にあってさえ稀ではない。
これらの言葉では本当に言いたいことがピッタリ表現できないと多くの人が感じている。
だからまず、現在使われている言葉を検討することから始めるのがいいだろう。
ウィトゲンシュタインが言ったように、思考は言葉だ。
原画とコピーが違うこと
動画と「そのときの目の前に繰り広げられる世界」が違うこと

元の何か
は次に似せて作られる同じようなものとは全部違うもの
さっき という瞬間と「今」という瞬間は何一つ動いてない同じ風景と見えても何かが必ず変わっている(少なくとも「今この瞬間」は全て認識したとたん過去となる)
そういう風に世界はできている
諸行無常

にもかかわらず
>これらの言葉では本当に言いたいことがピッタリ表現できないと多くの人が感じている。
ピッタリがある とつい信じてしまう(・×・)<人間っていったい
>>[5]

言葉によっては、自らの気持ちを完全にぴったり言い表すことが難しいとしても、レインは教条化した当時の精神医学用語、精神分析用語ではあまりに現実をとらえ損ねていると感じたのでしょう。
>>[1]
>「 われわれの葛藤は、画一性に逃げ込もうとする欲求と本能的エネルギーとの間のものだ。しかし、われわれの文明が抑圧するのは本能や性だけではない。超越もまた抑圧されている。 」


私たちはみんな(世間)に合わせようとする気持ちと、「いや、自分の本当の気持ちを表現したい!実現したい!」という気持ちの間に立たされて、それ自体がプレッシャー、ストレスとなっているのだ。

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