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哲学 Φιλοσοφιαコミュの哲学と科学

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哲学と科学はどう違い、どういう関係にあるのか。

これは初学の人に対してはっきり名言されるべきことなのだが、曖昧にされることが多い。また、「科学とは何か」を主題にして正面から「科学論」をものした哲学者は過去にはいたが、最近では少なくなった。

例えば同じ存在の探求でも哲学と物理学のそれとはどう違うのか。一般に理系に詳しい者は物理で議論して、哲学は無用とか遅れているとか放言することが少なくない。同じことは「脳科学」のブームでも言える。

一方、経験主義の傾向が強く感覚与件論が主流だった英米哲学は、最近になって観念論の傾向を強めているという。ニコラス・レッシャーという哲学者は「われわれの自然把握は心で類型化された仕方に媒介されている」と発言している。

今一度、哲学からの科学論が必要なのではないか。

コメント(139)

>>[46]
マクロとミクロの境界線についてお答えします。

量子力学では周知の通り、「マクロとミクロの境界」は、厳密に言うとハッキリとは線引きされている訳ではないです。

量子力学は「量子の振る舞いが支配している」極小の"領域"についての記述となりますが、巨視の領域に行くにつれて「量子の特有の振る舞い」は壊れてしまいます。(→CP対称性の破れ・量子状態)

今日では量子コンピュータがホットな話題ですが、量子コンピュータの実現においては「この量子状態を如何に壊さずに情報として引き出すか」という事柄が、実用化に向けて研究されています。

重要なのは「境界線」ではなく「領域」という部分になります。
量子の振る舞いが支配的に作用するミクロの領域と、古典力学の作用が支配的なマクロの領域とに分ける事はできます。
ただ、もちろんここで言っているのは、それぞれの領域において「排他的である」とは言いません。むしろご存じの通り、微視(ミクロ)の領域と巨視(マクロ)の領域は密接な関係にあります。(→二重スリット実験など)

ではミクロの振る舞いは、イコール、マクロの振る舞いと同様でしょうか?そうでは無い事は我々が日常で知っている通りです。

たからこそ安易に「ミクロの世界ではこうなっているから、巨視的に捉えられている物事も同じだよね」とは言えない訳です。
しかし先に言った通り、お互いは"密接な関係"にある。「その関係性を除外して考える事はできないよね。否定してはいけませんよね。ならその関連を"考慮しなければいけませんよね"」
と言う事を申し上げている訳です。
>>[48]『何をもって違うと錯覚されましたか? 』

いいえ、その時点で論点が違います。
私は、量子力学については否定していません。
「量子の振る舞い」を認めていますし、「トンネル効果は間違っていて実証せれてない」なんて言わないのですよ。
それについて「勘違いしてませんか」と言ってます。だから「論点が違う」と言っているのです。

なぜ『トンネル効果が実用化されている事等について、論の正しさと貴方の理解の解離をどう埋めるのか?」という問いが出てくるかが、私には全くわかりません。
これは私(リウrep)が「量子力学を否定している場合のみ」有効となる反論です。

私がその様な立場を表明してましたでしょうか?
確かに私は>>[40]の筆者の考え方に同意しませんし、否定側の立場です。しかし「量子力学」は否定していません。

良いでしょうか。私は何も屁理屈をこねて意固地になっているのではないですよ。ただ何の根拠もなく主張をでっち上げられても、それについて議論のしようがないのですよ(なぜなら「誰もそんな事は言ってない・問題になってないから)
「論点ではない」と言っているのは、そういう意味なのですよ。

(ちなみに>51で仰っているように『トンネル効果は無関係』とも言ってないですからね!)
>>[49]
「実在性」と言うのは「局所実在性」を指しているものとして認識しても良いのでしょうか。

私は量子力学上の「局所実在性」を肯定してます。

一方で、哲学が(或いは古典力学が)扱う様な「日常感覚の実在論」についても肯定しています。
(#[40]の筆者は否定しています)

なので>>[40] 引用リプの著者発言には同意していませんし、筆者の考え方に対して「反対・矛盾指摘」等、対立する立場にあります。
>>[51]
>『ですから、その点でトンネル効果の例を出しました。』
<私の主張の意図が伝わりにくかったみたいで、それについては申し訳ないな。と思います。
例を挙げるのは全然構わなくて、先のコメントの通り「そこは、そもそも問題になってない(論点ではない)」と言っているわけです。

>『マクロとミクロ間の関連が否定されたら、巨視的なヒューマンスケールの世界でも認知できる事は起きない事になる』
<その通りです。ところで、その「関連」を否定しているのは、「私が否定している」のではなくて筆者だと、私は言っている訳です。
筆者の考え方だと『巨視的な世界でも(微視的な作用が)認知できる事は起きない事になる』→それだと矛盾してしまいますよね(筆者が)。となりますよね。

>『ベル不等式の破れと無関係の大統一理論を出して置かれて、トンネル効果が無関係と切り捨てるのは失礼』
<先のコメントの通りですが、私は『トンネル効果が無関係』と切り捨てた事は"ありません"。
別にcadさんが「トンネル効果」を事例に出すのは良いのですよ。「論点では無い」と言っているのです。(言ってない事を言ったかの様にでっち上げられても私は困ります)

>『ファンデルワールス力や重力』
<はい。量子力学がマクロ領域にも影響を与えているのはその通りだと思います。(ファンデルワールス力の事はよく知りませんが、影響を与えてたとして、特に不思議には感じません←単純に知識足らずです。ご了承ください)

ところで、>>[40]の筆者は『ベル不等式の破れがこの局所的実在を否定した』という事実を根拠に『〈実在〉自体を放棄するのが合理的』と提案・問題提起しているわけです。(筆者の"結論"は「トンネル効果が実用化されているか否か」を根拠にしている訳ではありません)
なので論点は『ベル不等式の破れが局所的実在を否定した』という部分にあります。(「大統一理論」でも「トンネル効果」でもありませんよね)

そんなに私が「それは論点ではない」と言った事が気に入らないのでしょうか?
良いでしょうか。私は「>>[42]大統一理論に関わる話だ」とは言いました。でも私は「大統一理論」を"根拠"に主張していませんし、"論点"と捉えていません。「そう言う流れがある話題よね」程度にしか言ってないのです。因みにココで論理統合を行おうとしているのは「>>[40]の筆者」です。
でも待ってください。アインシュタインがそうであった様に、「>[40]の筆者」は結論を急ぎ過ぎではないですか?と私は指摘しているのです。

(論点と無関係な事柄は発言するな。と言うなら別に「大統一理論」の部分を撤回しても良いですし、撤回しても私の主張には何も影響はないのですよ。なぜなら「撤回したとしても、それは主張の根拠部分ではないので、私の主張はそのまま有効のままである」ので)
別にcadさんが「トンネル効果」を例に出すのは全然良いのですよ。でもそれは「反論の根拠にはならないよね。なぜならソコは"私の主張の根拠では無いし、論点ではないから"」と言っているのです。
ハッキリ申し上げましょう。論点をズラして置き換えてしまうのは誤謬です。

> 『否定されてしまった事を幾ら引用しても意味はない(→量子もつれ実証 )』
<その「量子もつれ実験」によって量子力学が発展した。と言う事を私は申し上げているのですが、それ以上の事は何も言っていません。ただ「量子力学に貢献したよね」くらいの意味合いで雑談を振っただけですよね。どうしてそんな取るに足らない部分に過剰に反応するのでしょうか(言質が取れてないのに変な深読みをするのは論理上悪手ではないでしょうか)
改めて言いますが、それらの事は主張の根拠にしてないですし、論点(イシュー)ではありません。

>『貴方の言の矛盾を私(cadさん)のせいにする』
<言っている事が本当によくわかりません。cadさんのせいになんてしたことないですよね。
私が専門家では無いのは事実ですし、『どの程度の知識があるのか?』という質問に答えただけです。(対人論証ですか?)

その上で、私が間違った事を主張ならその矛盾を指摘すれば良いだけと言っているだけで、間違っているなら考えを改めますし、それは『理解をアップデート』する事になると思います。それで良いんじゃないでしょうか??どこに不都合があるのか私にはわかりません。

>『決定論的理解を捨て、確率論的存在の世界観を(主観的に全否定せずに)受け入れるべき』
<いえ、私は『確率論的存在の世界観』を否定した事なんてありませんよ。
どうしてそうやって言っても無い事を決め付けるのでしょうか。

ここまでcadさんが全く見当の異なる話し、論点が噛み合ってない話しをしている事に気付けないでしょうか。だから私は>>[54]の話しをしました。
それでcadさんが言うように>>[53]:『齟齬なく議論できる』ならばそれで良かったのです。そのまま議論を続けて良かったのです。
「ご理解ください」とは言いません。「理解と同意ができない(議論の要件を満たさない)のなら私は議論しません」と言うのです(ココは学校でもなく研究所でもなく公共の場です。その違いもちゃんと考えてください)

なので>>[55]の返答を以て議論への参加を一時休止にしました。(言いたい事はわかりますよ。ええ私もここでcadさんを「評価」しているのです。つまり私自身も私自身のルールによって「議論の要件を満たしてない」と言う事です。ね、健全に議論できないのならエネルギーのムダでしょう?そう思いませんか?私はそう思います)

という事で、cadさんが私のコメントを見る機会があって、改めて「齟齬なく議論しよう」と感じるのなら返答いただければ良いですし、以前と変わらないスタンスならまた繰り返すだけですので、このままスルーされてください。(その方が私も疲れなくて済むので)

このコメントをもって、cadさんの如何に関わらず私は議論を進めていくと思います。
個人的にはcadさんともトピの参加者様とも、健全な議論が行える事を願っております。また意見を交わせると良いですね^^
>>[102]
>「局所実在性」を肯定します。

この部分を錯誤していたので訂正します。

(訂正)「局所実在性(論)」における「実在性」を肯定しません。

こういうところで無知さと不慣れさが出てしまいますね^^;
>>[107]、

私はそうとは思いませんね。
というのは「科学」は大枠としては「哲学の派生」だからです。

ただ科学そのものの発展が著しいので、本家の哲学はやや下火となってしまいました。

また今まで哲学が担ってきた形而上的な問題が、科学による形而下で判明した新たな知識として色々と加わり、時には哲学的見知を覆したので、渋々哲学が科学を後追いしなければならない。という事態も余儀なくされた。という事情もあります。

つまり、"哲学的に"科学的問題にも、向き合わなければ(←向かい合う事が哲学的な本質なので)、陳腐なモノ・時代遅れなモノと烙印を押されるので、(もちろん「論点として関係があるのならば」)科学的見知も哲学は考えなければならないわけです。
(ここで私は「哲学は陳腐だ。時代遅れだ」とは言ってませんよ。念の為)

認識や自由意識は、科学上では「脳の働きと強い相関がある」とされますが(というのも、哲学では「私は脳ではない」という文言もあるので、必ずしもそうだとは言いませんが)、脳の働きそのものに量子的な作用が伴っているから自由意識が生み出されるのだ。という言説もあります。

ではそうした言説と「向き合いましょう」というのも、やはり哲学が担わなければならない分野になると、私は思ってます。

何よりも、『シュレディンガーの猫とか、量子テレポーテーションとか、量子もつれとか』は少なからず形而上の領域に踏み込んで行くので、科学的手法よりも、哲学的手法の法が深く考察できる。という部分があります。

これが科学だと、「仮説は仮説に過ぎなく、より科学的根拠に基づき、妥当性を示さなければならない。その仮説が正しいかどうかは、単に論理的根拠によるモノではなく、より実証的根拠に基づかなければならない」と、"科学として認可される為の制約"が多いですからね。
>>[111]、レスありがとうございます^^

まず私はそこまで詳しくありませんが(と予防線を張っておきますが)、
『ブレイクスルー』というのがヌーボさんがご納得するかわかりませんが、そうした議論の進展は行われていると思いますよ。

ところで、哲学が「認識」や「自由意志」について、「アレでもないコレでもない」と堂々巡りをしている中で、科学は「わかる事から調べていこう」と「今日までにブレイクスルーを起こしてきた」学問・立場だと私は考えていますが、ヌーボさんはそうした「ブレイクスルーの実績は科学にはない」とお考えだということですか??

--
↓以下、グーグル先生からピックアップ。

日経サイエンス別冊255 新版 意識と感覚の脳科学
https://www.nikkei-science.com/sci_book/bessatu/b255.html

「自由意志」をめぐって-何が問題か-安彦一恵
https://www.edu.shiga-u.ac.jp/dept/e_ph/dia/freewill.pdf

【ラプラスの悪魔】決定論と自由意志論の矛盾は解消できる?(373認識blog)
https://3733.jp/laplaces-demon-re-write/

力学における決定論と意識の自由 について : 情報構造としての意識(品川, 嘉也)
(*量子力学というよりは、力学における「系」よりの話しですが、参考にはなると思うのでついでに^^)
https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/273586/1/jps_47_04_499.pdf

自由意志定理の哲学的含意(山口尚)
https://note.com/free_will/n/n4b6ebefb8871

量子力学の反常識と素粒子の自由意志(筒井 泉)
(*私は未読です)
https://www.iwanami.co.jp/smp/book/b265929.html

量子力学と自由意志(Masahiro Hotta)
https://note.com/quantumuniverse/n/n97e45d39237e

意識と量子論-巨視的量子効果と量子脳力学-(治部眞里)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/sjpr/41/2/41_215/_pdf/-char/ja
私がずっと気になっている事があるのですが、

>>[40]の筆者はなぜ『操作論的な意味で』と条件付けをした上で『完全に局所的理論だ』なんて言ったのでしょう。
これはあくまでも(言ってしまえば"工学的な")『情報論理』としての、見解でしかありません。

しかし、「量子力学=情報論理」ではありません。
それは「量子力学が情報伝達に"応用"できる」という応用力学として発展したものと捉えなければなりません。

『#[44]量子もつれは非局所性を示すというアインシュタイン以来の古い見方は、実証科学のみに基づいた現代的な量子力学で、もう意味を失っていると考えています』
↑この部分も変です。「量子テレポーテーション」が示している「量子もつれによる非局所性」は現在(2022年の時点で)実証されている事柄です。

なのに筆者は『実証に基づいた現代では意味を失った』と言うのはどうしてなのでしょう。
たしかに量子情報科学において、量子情報の観測結果を古典的な手法(局所性が保たれた従来の方法)で確認しなければならないので、結論として情報伝達の局所性は保たれている事になります。

しかし「"情報伝達"の局所性が保たれている」と言う事が、通信媒体となっている「"量子力学"の局所性が保たれている」とするのは早計です。

そもそも、量子情報科学が「量子力学の局所性の破れ」を大前提としている事、つまり「量子テレポーテーションが成立する事」を"前提条件として必要である事"を認めなければなりません。
(量子テレポーテーションが成立しないと、量子情報科学も成立しないので)

(筆者はどうしてそこまで局所性を擁護して「実在性」にミスリードしようとしたのでしょうね)
>>[115]がどの様な意見や考えを持つかは自由だと思いますよ。

私と対話をしたいと思うなら、こちらが質問した事にちゃんとお答えください^^

#[114]ヌーボさんはそうした「ブレイクスルーの実績は科学にはない」とお考えだということですか??/

難しい質問ではないですよ。
質問に答えずに質問で返すのは失礼だと思いませんか。
>>[119]、私からの質問は単なる確認事項と思っていただいて構いません^^
逆にその辺、変に考えてるとおかしな事になりますので、科学のブレイクスルーについて認識に食い違いがないか少し不安になってしまっただけです。そうではなくてとても良かったです。
お答えいただきありがとうございました。

>>[115] 『”量子力学”の分野を使わなきゃ解明できない…という認知、自由意思などの“仕組み”の解説になっているか?』

いえ、たしかに>>[114]で挙げたのは『認知や自由意志の仕組みの解説』となるものではないです。
『仕組み』となると、また少し別の話題だと思います。

例えば#[114]で紹介した
量子力学と自由意志(Masahiro Hotta)
https://note.com/quantumuniverse/n/n97e45d39237e
は脳科学のニューロンによるシグナル伝達について(←「仕組み」の話しをするならコッチ)は扱っていないですが、ニューロンが量子的な作用・伝達を行う事によって、リンク先の様に解釈されます。

その辺は同コメ[114]の、
日経サイエンス別冊255 新版 意識と感覚の脳科学
https://www.nikkei-science.com/sci_book/bessatu/b255.html
[>Chapter2 意識の脳科学]に解説が有った様な無かったようなという所ですが、より詳細が気になるのであれば脳科学の分野だと思います。

(同じ日経サイエンスであればコチラもありました。
日経サイエンス別冊243
脳と心の科学(意識,睡眠,知能,心と社会)
https://www.nikkei-science.com/sci_book/bessatu/51243.html)

それと、これは私の個人的な意見ですが、哲学では認識・認知・自由意志の「構造」を語る事はできても「仕組み」そのものを説明する事はできません。デカルト・カント・フッサールなどの様に内省を通してでしか(つまり「予め人間に備わった性質」として扱う事でしか)説明できないからです。
そして何よりも哲学的手法では、この原理的な限界を打破(ブレイクスルー)する為の方法論を持ちません(何故なら私たちは形而下の出来事か・内省でしか、物事を認知できないからです)
これは言い換えると、「根源的な仕組み」について、哲学は「科学的な見知に肯定派か/否定派か」という立場の選択をする事でしか、語る事ができない。という事を意味します。

なので『”量子力学”の分野を使わなきゃ解明できない(量子力学抜きでは解明できない)』というのは、別に「量子力学」に限った話しではなくて、科学全般をも射程に入れて、より幅広く、そして深く考えないと、本当に「陳腐で時代遅れ」にしかならないと思います(>>[110]で話した通り)。
(何ならココは「科学に限った話し」でもない。哲学にとっては「ありとあらゆる事象全て」が対象なのだから)

今話し合っている「自由意志」と言うのは元というと「ラプラスの悪魔」に代表する古典力学の「因果的決定論」から議論されるようになったものです。
つまり「科学的な見知・用語」が「哲学に転用された」一例だと言えるんじゃないかなと、私は思います。

では「因果的決定論」と「自由意志」が議論され始めた時に、それぞれが何らかのブレイクスルーしてたのか?というと全然そんな事はないです。
何が正しいか。どこまで正しいか。とかそんなの全然わからない混沌とした状態で、じゃあそれを判明させる方法を、哲学も科学もそれぞれで探してみましょって感じだったのではないでしょうか。

なので私は『>>[107]:認識論とか自由意志の問題で、量子力学の課題を持ち出すのはカテゴリーエラーだ』とは思いません。
哲学と科学 
仕事の関係で、「哲学の教科書」(中島、講談社)を読み直したのですが、「数学セミナー1月号」の「哲学と読書と生活」に阪大の松本先生の読み方があった。

「問方のレベルを変えるという手段を意識下に置くことは数学をする時も間違いなく有益だろう」
>>[123]
蛇足 数学セミナーの三年生に微積を教えることに、とあったので関心を持ったコラムですが、三年生でも難しいかな、と思ったら阪大で理学の三年生(関西では3回生?)でした。
>>[123]
問い方のレベルを変えると有効というのは問い方の方向性を変えるという意味のようです。理論を実務に変えるとか。
まあ、文字通り難易度を下げるというのも有効かも知れない。
たとえば、望月先生の「宇宙際〜ICT理論」を素数の問いにしてみる。ぐっと身近に。
「>>[42]マクロとミクロ間の関連を筆者自身が否定している」について、伝わってない感があるので、>>[40]の筆者の主張を噛み砕きつつ、ちょっと自分の考えをアウトプットします。
一つずつ行きます。(スミマセン。3部構成の長文となってしまいましたがご了承ください)

[1/3]

(1)『ベル不等式の破れの発見は、実在論を信じることを不可能にはしないが、実在論を信じないことは可能にする』

→この時点で筆者は「ベル不等式の破れ」と「実在論」とを関連つけて、『実在論を信じる事(肯定派)の否定。とはならないが、信じない事(放棄)の理由にする事ができる』と言う事を示します。
ここで筆者が行なっている事は「実在論を信じない(否定派に属しようとする)事は可能にする」→つまり『「実在論の否定」については回避する(論証できない)が、「存在論の否定」の立場になる事はできる』という内容文になります。
「不可能にはしないが」と言っているので、「存在論そのものの否定にはなってない」わけです。
 整理すると、筆者はココで『(肯定派を)「肯定も否定もできない」が「立場を選ぶ事はできる」という問題提起』を建てたわけです。

 ただ「ベル不等式の破れ」と「実在論」がどの様に関係しているのか。について筆者は何も触れていません。
 なぜ「ベル不等式の破れ」が肯定されると「実在論を信じない(否定する)材料」だと言えるのか
。この事について筆者は論証する必要があります。(私が見たところそれは無い様に感じます)

(2) 『「量子もつれは非局所性を示す」という見解は実証により意味を失っている』

→まず、「ベルの不等式の破れ」は量子の非局所性を否定しません(重要)。なので「ベルの不等式の破れ」は「量子もつれは"非局所性を示す"」ということに何の影響も与えないのですが(むしろ後押しする)、筆者は「意味を失っている」とします。(その根拠は筆者から語られません)
 なので筆者がココで言う『実証』とは、「量子もつれは非局所性である」事を否定する(「ベルの不等式の破れ」以外の)実証実験を示さなければなりませんが、それについては何も示されません。
ただ>>[116]で私が示したように、量子力学的には量子の非局所的作用は実証されているわけです。
 つまり、なぜかはわからないけど、筆者は量子力学の共通認識(量子の振る舞い)を否定しているわけです。(「量子力学」と「量子情報科学」の混同だと思われる)

(3)『量子力学の予言と一致するように、形而上学的に考える論理は陰謀論理論とも区別が付かない』
(4) 『決定論的な古典力学的理論から量子力学が導かれる。という主張は、必ずベル不等式の破れの実験結果をうまく説明できない』

→その通りですが、現在では『古典力学的理論から量子力学が導かれる』なんて思っている人はかなりの少数派ですし、ほとんどの人は古典力学で量子力学が説明できるなんて思ってません(それを実証したからクラウザー・アスペらはノーベル賞を取れた訳ですから→それって科学の共通認識として認められているって事ですよね)。

(5)『そもそもは古典力学に従っているのだが、宇宙が実験者に誤解させて、量子的振る舞いを見せて辻褄を合わせている(陰謀論理論についての見解)』

→(何言っているのかよくわからないですが、たぶん筆者もよくわかってないんだろう)
恐らく筆者は『量子的振る舞いが古典力学に従ってないのであれば、「そもそも古典力学に従ってない」のだが、それは古典力学に従ってない"様に"錯覚させられているのだ』という事が「陰謀論理論者」の主張だ。と解いているようです

(6)『陰謀論理論の例: 人間の意志を宇宙が操って、ベル不等式が破れるように、そのペアを必ず偏って実験者が選んでしまう』
(7) チレルソン不等式の実験では、実験者は宇宙に惑わされないし破れない→ しかしベル不等式だけが惑わされる合理的な説明ができない』

→ここまで「陰謀論理論」に対する筆者の見解。
言っている事は全くその通りですが、「一部の研究者」の話しをココでされてもなあ、、という印象しかありません。
その人たちに向けたメッセージ・反証であるなら納得がいきますが、それが筆者の主張の根拠にはなりませんし、筆者の主張の論証とは全く無関係です。(他説の反証ではなく、自説の論証をしなければなりません)
[2/3]

(8)『非局所的な実在理論は、極端な陰謀理論と区別の付けようがない』
『宇宙が陰謀する動機が理解できない』

→ここから筆者は急に論理飛躍してます。
なぜ急に「非局所的な実在理論」が出てきたのかわからないですし、それがどうして区別のつけようがないのか、説明も根拠もありません。
「非局所的な実在理論」とは具体的に何なのか?
まずそこから既にわからない。

(9) 『標準的な量子力学に代わる非局所的実在の理論は「世界5分前仮説」と大差がない』
『否定も肯定もできない無意味な問題設定である』

→(8)に引き続き「非局所的実在の理論」が定義されてないのでよくわからないですが、「非局所性を認めるが、そうした量子的振る舞いは、古典力学を破っているのではない」という考え方の事を挙げたいのでしょうか。
先ほど「陰謀論理論」で解説された『非局所的な振る舞いは宇宙が騙している→そもそもは非局所ではない』とする話しはどこへ行ってしまったのでしょうか?
 この二つの立場(非局所性を認めるか/認めないか)は全くスタンスの異なるものですが、筆者は両者を「大差ない」と言い、まるで両者が同じスタンスであるかの様に仕向けています。(そしてそれによって何を言おうとしているのかはよくわかりません)

ところで(私的には凄く気になるのですが)、筆者は(1)でも確認したように『(肯定派を)「肯定も否定もできない」が「立場を選ぶ事はできる」という問題提起』の主張を行なっている訳ですが、筆者の言葉を借りれば、筆者の主張も『(実に)否定も肯定もできない無意味な問題設定である』ということになってしまいます(筆者ご自身が示した事なので、きっとそれを判った上で話しをしているのでしょう。きっとね)。

(10) 『「日常感覚の実在」は局所的実在的な論理。「実在は局所的実在的である事が自然」だと人類は思い込んできた』
『「ベル不等式の破れ」は局所的実在を否定した』
『局所的実在が否定された段階で、「実在」自体を放棄するのが最も合理的な思考』

→筆者は続いて「日常感覚の実在」を「=局所的実在的」とする事で「陰謀論理論」と大差ない。という事を暗示させる。
 しかしこの主張は言っている事がオカシイ。
・まず、筆者の考え方によると「陰謀論理論」とは「量子力学は古典力学の範疇である(a)」と説明しようとする事。しかし「日常感覚の実在」は(a)を主張しているのではありません。あくまで「日常の範囲で実在を捉えている」という事に過ぎません。(要するに全く別の考え方)
・次に、「ベル不等式の破れ」は、「局所実在性」における「実在性:物理量は測定するまでわからない(b)」事については確かに扱ってますが、「実在:実際に存在している事柄(c)」について、何も否定してませんし、扱っていません。
当然の事ですが、「日常感覚の実在(c)」は「実在性:(b)」の意味として通常扱う事はありません。なのにあたかも(b)が(c)を打ち消すかのように筆者は話を進めます。
・よくよく考えていただきたいのですが、「量子の振る舞い」を見る。という事は、その時に正に「量子そのもの」が存在している事を大前提にしなければいけないですよね。「電子が存在してないのに、電子の状態を見る」という事はできません。「ベル不等式の破れ」はあくまでも(c)について「量子の物理量(状態)は確定してない(揺らぎがある)」という事を示しているだけで、「量子は存在してない」という事を示す訳ではありません(存在している事から観測できるのですよね)
よって「ベル不等式の破れ」が正しいからと言って「実在論を放棄しよう」とはなりません。
・また「特定の範囲(量子系)」だけを見て「"全ての系"は量子力学に従う」とするのも誤ちです(合成の誤謬)(→私が『>>[99]ミクロの世界観を、そのままマクロに落とし込めようとしている』と言っている箇所です。もちろんその逆も然り。だからママクロとミクロ・古典力学と量子力学の『関連性を考えなければならない』)
・長くなったので少し整理しますが、『局所的実在:(b)が否定された』という事を根拠に『「実在:(c)」自体を放棄する』と結論つける事は論理飛躍ですし、その関連を論証しなければ誤謬となってしまいます。(筆者はそれついての論証ができていません)

--
アンカーコード
>>[126]
[3/3]

(11)『"つまり"、→ベル不等式の破れの発見は、量子力学は実在論ではなく、実際には情報理論であるという観方を後押しした』

→ココも論理飛躍。
筆者は『(一部の少数派が信じている)「陰謀論理論」はドウモ怪しい』→『量子力学は実在論として機能しない』→『量子力学は情報論理として見る事ができる様になる』と結論つける。

「陰謀論理論」がどうであろうと筆者の主張の論証とは無関係である事は先に示しました。
ココで筆者は次に『量子力学が「実在論であるか?』という突拍子の無い問題を取り上げます。
けど別に量子力学を実在論として扱う様な共通認識はありません。「陰謀論理論」とも無関係です。
量子力学は「量子の振る舞い」その力学を語っているに過ぎませんが、なぜ筆者は『量子力学が実在論であるかどうか』を気にするのでしょうか??
「実在しなければ力学として扱えない」と言う事でしょうか。それは確かにその通りです。(大事なのでもう一度言いますよ。「実在しなければ扱えない」←その通りです)
しかし、量子力学は何も量子の実在(c)の有無を語っているのではありません。むしろ「量子の作用が働いている(実在している)」と言う事を大前提にしなければ量子力学は"機能しませんし、成立しません"((b)の問題と(c)の問題を混合してはダメです。それぞれの問題をちゃんと切り分けて考えなければなりません)

そしてなぜ「量子力学が情報論理なのか?」の根拠も不明ですし、前項とも論理的な繋がりが何もありません。「ただ筆者の意見(好み)を言っているだけ」で何の論証にもなっていません。
ハッキリ言って、『合理的な思考』と言う主張に何の合理性もありません。ただ筆者が有利となるように格別合理性もないマイナーな仮説をピックアップし比較しているだけです。

(12)
『量子力学という理論は情報理論であり、実在論:(c)ではない』
『普通の意味での実在は、そういうことが起きない局所実在という対象』
『普通の意味での実在は、ベル不等式の破れで否定されている』

→『「量子力学」は「実在論」ではない』のはその通りです。(しかし「情報論理」である説明にはなっていません)
ほとんどの人は量子力学を実在論とは思っていませんし、「量子力学の実験結果」がそのまま「実在論」に影響を与える事はありません(全く別のトピックなので)。それを語る為には(私が何度も言っている様に)両者の関連を論証しなければならないです(でも筆者はこの論証に失敗しています)。

筆者は最後の締めくくりとして『普通の意味での実在は、ベル不等式の破れで否定されている』と結びます。
しかし、その結論には論理的な論拠・合理性が全くありません。
(あれ、(1)では『実在論を信じることを不可能にはしない』と否定してない立場だったのに「否定されている」と結論つけるのは変ですよね)

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アンカーコード
>>[126]
初学者用(数式ほぼ無し)
https://www.youtube.com/watch?v=jyAZpcjzxFU

>【成田悠輔が絶賛】6歳でもわかる!?天才物理学者のガチ授業【野村泰紀】

https://www.youtube.com/watch?v=hio2XdBPW5Y

>【成田悠輔が推薦の天才】相対性理論!6歳にわかるように説明してみよう!【ReHacQvsUCバークレー】

https://www.youtube.com/watch?v=5iuWBR80ZWs&t=0s

【成田悠輔が推薦】動きに注目!天才物理学者の楽しすぎる量子力学入門【野村泰紀・宇宙とは?】


古典力学から相対性理論、さらに量子力学まで、雑談程度でその凄さ、奇妙さがある程度理解できる話。
観念論・実在論、或いは時間論、形而上学的な話の現代の哲学側のアプデにも関わるお話かと。ご参考まで

哲学側の科学理解のアプデとしてやっていただきたかったのは古代ギリシャ・ローマの話じゃなかったんですよ。。

理解後、こちらを読んで頂けたら。
https://www.nikkei-science.com/201902_064.html
>特集:量子もつれ実証
アインシュタインの夢 ついえる
測っていない値は実在しない

谷村省吾(名古屋大学)
>>[130]
続き

https://www.youtube.com/watch?v=DEG9OZoYzIU&t=10s
>シン量子力学!6歳にわかるように説明してみよう!【ReHacQvs野村泰紀】

https://www.youtube.com/watch?v=4yiyaq0q6xQ&t=200s
>宇宙と超弦理論!6歳にわかるように説明してみよう!【マルチバース】
映画「プロメテウス」
https://m.youtube.com/watch?v=owlgBaA7xRo
元の話
プロメテウス神話
プロメテウスは人類の創造者であるが、寒さに凍える惨めな生活ぶりを憐れみ天上の火 を盗み彼らに与えた。 そしてその罪をゼウスに問われて、コーカサスの岩山に磔の刑に処せられ』るという話である。
「天界から火を盗んで人間に与えたとされるプロメテウスを主人公とするこの神話では、火に象徴される技術によって人間の特性を示そうとしている。つまり、この神話のなかでは、技術は、人間を人間的たらしめ、人間を他の動物と区別する決定的要因と見なされており、この点に明確に焦点が当てられている。
もっともその一方で、技術を人間に与えたプロメテウスは、正義を体現する神ゼウスへの
反逆者として描かれており、決して無条件に肯定されているわけではない。この点に、古代ギリシャの技術観、人間観の特徴を見ることもできる。
実際、後に取り上げるプラトンやアリストテレスの技術観の中には、プロメテウスとゼウスの関係をどのように解釈するか、という点に置かれていたということさえできる。いずれにしても、この神話のなかでは、技術とは何か、という問いが、人間とは何か、という問いと密接不可分な仕方で結びつけられており、この点で、プロメテウス神話は「人間学」的観点からなされた歴史上最初の技術哲学
の表現形態である」
(「技術の哲学」村田、講談社、40ページ)
>>[132]
映画「オッペンハイマー」(オッペンハイマー』(英語:Oppenheimer

ドイツの白ワインの「オッペンハイマー」は大変飲みやすいワインで昔はたまに飲んだが、今年のアカデミー賞映画のオッペンハイマーは泡盛(一度きり)というところでした。
原作
American Prometheus: The Triumph and Tragedy of J. Robert Oppenheim
この映画は明らかにギリシア神話のプロメテウスをテーマにしている。
核分裂の研究と長崎・広島への兵器使用の問題である(原爆開発は当初ナチスドイツが理論的に不可能とされていた核分裂に成功し始めた為に始めたナチス対策だった。因みにロケット開発もナチス)。
**
オッペンハイマーらは自責の念があるなら、やはり核分裂制御、核廃棄物処理(除去)を更に研究すべきだったというのが感想。
>>[136]
そもそもネタバレドキュメンタリーなので、最後の場面はオッペンハイマーの
「我々は地球を破壊した」の言葉のあとに冒頭の雲海と空
核の火に包まれる地球〜End  制作クレジット
まあ、アメリカの自画自賛ではなかった
SFは非科学だったりするよ。。
オッペンハイマーはせいぜい相対論のエネルギー等価性くらい理解してりゃいいんで、哲学と橋渡しするかと言えば、、
「哲学は化学を挑発する〜化学哲学入門」 
落合、化学同人、2200円、2023年。
試し読みあり。
https://www.kagakudojin.co.jp/smp/book/b628945.html
「化学とは何だろう? 哲学の眼から見える化学とは? 個別的,具体的な問題を追求する化学に対し,哲学は熟慮や内省によって全体を俯瞰する.本書では,両者をつなぐ「化学哲学」の可能性を議論し,化学に対しても哲学に対しても,新たな知見を提供する.月刊『化学』好評連載「化学者のための哲学 哲学は化学を挑発する』を大幅に加筆・修正し,待望の書籍化.」

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