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哲学 Φιλοσοφιαコミュの言葉の意味/表象とは何か

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言葉の意味/表象とはなんだろうか? 両者はどう違うのだろうか? 計算機や生き物がそれらを持つとはどういうことだろうか?

コメント(161)

それでもいいんだとは思うけれど、
そもそも何が問題になっているのか?
そこに帰ってみるのが手っ取り早いでしょう。
例えば、概念A と概念B を取り上げてみて、
それぞれの投影を「表象」と言うとすれば、
その“投影” は、自分の“どこに” 投影されているのか? と問うのはいかがでしょうか?
「言葉の意味」は、一義的には「概念」と置き換えられる。
ところで“意味” ということは、“それそのもの”
ではなくて、“それが示すもの” という属性について言及していることになるだろう。[対象]→〇〇
というベクトルを持っている。しかもそれは直線的なのである。
 その「概念」を素材として意識に投影される主観を表象と呼ぶならば、「表象」は意識内自己完結される観念のサイクルだということもできるかもしれない。
>>[121]
そういう論点であれば、コンピュータの勉強不足を人間が補ってやる必要はあるのか?
と、オイラは疑問です。

世界中の文献という文献をしらみ潰しにあたれば、人間と同等あるはそれ以上の知識を保持出来るのだから、まずは、地球上のすべての知識をコンピュータにインプットして、それからコンピュータのディープラーニングに任せる。という話ならわかるんですよ。
言わば、まだまだ作りかけ、未完成のAIに対して議論する段階ではない。

AIを語るには時期尚早、というのがオイラの見解です。
今後、哲学も、宗教も自然科学も社会科学も、知識は、『現実とはなにか』を探る時代になるでしょう。図式的には〈現実vs 論理〉ということです。論理とは観念のモジュールですから、そこに乗っかってくる[意味/表象]という概念を探ることには大きな意義があるのだろうとオイラは思います。
事実の考察に問題があるかと?
IT、今話題のAI進化のスピードは、AIではなく人間のテクノロジーの進化の迅速化であると思います。
AIが抽出したものはあるが、AIが創案したもの、閃いたものはない。
レベルが高いのはFとかG といったSNSの内容だともいわれている(悪くいえば盗作の可能性がある)。医師試験についてのサイト、SNS、ひょっとしたらクローズド情報もあり得る。
>>[129]
現在のAIのやっていることは、リレーショナルデータベース運用者が日常で、SQLで照会していることに近いと思います。かなり、複雑な検索ができます。
画像にしても音楽にしても公約数的なものを抽出している。
おそらく、アクセス数多いYouTube動画(すなわち、公約数的な良作)からの制作の過程は抽出できる。

しかし、元のデータベース設計をしている訳でない。
良きデータベース運用者であることは確かですが。
GPTなどのコードを追う時間があれば、もっと詳しくかけるが、なかなか時間がない。
表象を観察している状態、情報はインプットされているが知覚できてない状態で、意味は知覚されたものに対して与えられるとすると、AIは表象をだけでは知覚できず、意味を与えなければエラーを返すだけかと思います。
現段階では意味は人間がデータで与えていて、その中の多数意見を返すだけと思います。
人間は表象に対して、例えば幼児はわからないよ、エラーで終わらず、何なのと聞き、知覚を始めるのが特色かもしれない。
>>[132]
そして、幼児の特色は車を観測し、車と解ってもブーブとか自分の言葉に翻訳する点に特色があります。
例えば、AIの翻訳プロセスはパターン認識に近く、パターンは一定です。
全く違う超訳はできない。
向山訳の「資本論」ぽい訳、あるいは既にある超訳本はGoogle検索から割り出しても、それらを平均しても、未公開の頭の中にあるアリア訳は出せない。
YouTube無料公開中のロシア映画「制圧」は極めて良くできている。
https://youtu.be/_jIp9ypH0qg
++
最後のAIの考察は素晴らしい。
私の目標になった。

先端のAI技術者が監修しているのは間違いない。
人類の進歩、創造
「エイリアンコヴェナント」
https://youtu.be/4Z-QCDyL2q4

コメントに学習用アリア訳あり。
観念のモジュールとしての論理が、現実を記述する。
>>[142]
観念は、論理の構成要素である。という意味の命題です。

そういう意味で、論理は観念モジュールであると、オイラは捉えます。
>>[147]
あ、どもです。
オイラはヴィトゲンシュタインをよく読んでいないので、今は回答できません。申し訳ない。

ひとつ念を押しておくと、「現実」と「論理」を同じ文脈の中で扱うときは、おおよそ“別次元の概念” として捉える、ということです。
また、論理(=ことば)は、『現実』の同一性の捏造(あるいは模造)である、という理解がオイラにとっての必須の付帯条件です。
まあ、何というか、些末な論理にこだわっても、
一歩も前に進みませんので、もっと面白い話しに広げたいのですが、初学者のオイラとしては、足元を確かめながら、それを固めながらでないと、
自分の立ち位置を見失ってしまいますので、自分の想念の流れに沿って、書き込みを続けることをお許しください。

「現実」「論理」「意識」

これらの概念が図式化出来ないかな?
と今考えています。
>>[152]
どもです。
「芸術の非論理性」については、やってみたい論題ですが、オイラの〈現実vs概念(論理)〉観をもう少しだけ補足しておくと、前にも記したように、言葉・概念・論理 これらのツールは「現実の同一性の捏造(あるいは模造)である」という
捉え方をしますが、このとき、実は『現実』の重要なひとつの様相としての「時空間」という領域に踏み込んでいない“同一性” なんです。
 
 ものごとや出来事ー合わせて「ことがら」とすると、現実のことがらを「物語」として記述するための捏造あるいは模造なのだと言えるだろう、とオイラは考えます。
【追記】
ちなみに、L.ヴィトゲンシュタインの「論理空間」概念との相関は、ゆくゆく明らかになってゆく予定ではあります。
>>[156]
どもです。
オイラが組み立てようとしている「言葉=同一性の捏造あるいは模造」という形式では、“「現実」の 同一性” という論理ですがこれは、[現実における]ではなくて、[現実という事象の]という大きな括りの「現実そのもの」を意識対象としている観念です。
 おそらく、L,W (ヴィトゲンシュタイン)の言うところの『世界』が一番近いかもしれない。

それと、《現実性を備えた概念》 ということを論じたいのではなくて、“現実性の捏造あるいは模造そのものが言葉=概念(ひいては観念)である”
という言い方になります。
 ここに隠されている重要な前提は、意識の本質には、同一性を希求する源泉的衝動という本性がある、という仮定です。
考える局面が輻輳していて、その局面局面で、同じ事象について付与する意味が違うという事態が起きるということがあるのかもしれない。

そもそも“語りえぬことがら” としての意識主体の観念〈主観〉は、他者と共有出来ない。

他にも、情報化し得ない現実実在や非在が無数にある。


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