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【男気】 黒田博樹ガンバレ!!コミュの新井さん引退に黒田さんのコメント!

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………[ベースボールキング2018 0905 16:28]………


広島・新井貴浩が引退を発表「うれし涙で終われれば最高」

 広島の新井貴浩内野手(41)が5日、記者会見を開き、今季限りでの引退を発表した。

 会見場に姿を見せた新井は「今シーズン限りで現役を引退することを決めましたので、ご報告させていただきます。ありがとうございました」と挨拶。8月初旬には引退を決意し、球団から留意を受けたことなどを明かし、様々な人たちへの感謝の思いを口にした。



引退という決断

−−球団に引退の意思を伝えたのはいつか?
8月の初めの方ですね。

−−至った経緯、思いは?
自分の中では早い段階でそういう風に決めようと考えていました。8月に入ってすぐ(球団本部長の)鈴木さんの方に引退させてもらいますとお伝えしました。球団はじめ鈴木さんからは「考え直せ」と。「まだ辞めるな」と言っていただいて1カ月間、考え直してくれと言っていただいたんですけど、8月いっぱいまで考えて、自分の気持ちが変わることはなかったので、そうお伝えしました。



黒田さんには…

−−誰かに相談したのか?
黒田さんには早い段階でそういう気持ちですと。石原にも言っていましたね。

−−黒田さんの反応は。
「えっ、ホンマか」って。それが第一声でした。

−−黒田さんからはボロボロになっても続けてほしいと言われていたが?
最初はまだまだできるだろうという感じだったんですが、しゃべっていくうちに「お前が決めたことだから、あとは最後までお前らしく頑張れ」と言っていただきました。

−−石原選手の反応は
何も言葉を発することなく、ショックそうでしたね(笑)

−−石原選手には何か言葉は?
ベテランは僕と石原ぐらいですかね。あとは石原だけになってしまったので、「まだまだお前の力は必要だと思うし、少しでも長く頑張れよ」というふうに言いました。



全力疾走で駆け抜けたい

−−こだわりは?
自分は大した選手ではない。練習することでここまで越させていただいた。本当に運がいい。周りの方の出会いに恵まれた運のいい選手だったと思います。

−−恩師は?
本当にたくさん数え切れないぐらいおられるんですけど……山本浩二さんは一番迷惑をかけた監督なので、事前に連絡して気持ちを伝えました。

−−山本浩二さんからかけられた言葉は?
よく頑張ったなと。最高の引き際じゃないかと言ってもらいました。

コメント(13)

………[デイリースポーツ2018 0905 14:49]………


新井引退 シーズン中の発表はカープ流 黒田、前田のレジェンドも…

 広島・新井貴浩内野手が5日、今季限りでの現役引退を発表した。2013年の前田智徳外野手、16年の黒田博樹投手らのように、功労者は全日程終了を待たずして引退発表をするのが、カープ流だ。

 一人のレジェンドがユニホームを脱ぐ決断をした。ペナントレース25試合、そしてポストシーズンを残して新井の引退発表となったが、レジェンドの引退はこれまでもシーズン中や日本シリーズ前に行われた。



 14年オフに新井とともに広島に復帰し、日米通算203勝を挙げた黒田は、日本シリーズ開幕4日前の16年10月18日に広島市内のホテルで引退を発表した。25年ぶりの日本シリーズ開幕前に重大発表をした黒田は「いろいろと難しいところはあった。僕自身は日本シリーズが終わってから伝えようと思ったが…」と葛藤があったことを明かした。

 続けて「日本シリーズ進出が決まり、次に自分が投げる試合が最後になるかもしれない。まずはチームメートに伝えないといけないという気持ちと、今までたくさんの人に応援してもらった。そういう人たちに自分の口から伝えないといけない、そういうことがあった」と説明した。

 日本ハムとの日本シリーズではマツダスタジアムでの第7戦に先発予定だったが、2勝4敗で敗れたため最後の登板は、第3戦の札幌ドームになってしまった。

 しかし、41年ぶりの優勝パレードが行われた11月5日、マツダスタジアムで優勝報告会後に感動の引退セレモニーが開催された。

………[デイリースポーツ2018 0905 20:00]………


広島・新井、今季で引退「感謝しかない」20年目で決断

 広島・新井貴浩内野手(41)が5日、マツダスタジアムで会見を行い、今季限りでの現役引退を表明した。

 球団には8月始めに引退を伝えた。「まだ辞めるな。1カ月考え直して欲しい」と慰留され、8月いっぱい考えたが、「気持ちは変わらなかった」と新井。2015年に広島に戻ってきたときから「少しでもカープの力になれればと。1年でダメなら辞めるつもりだった」と振り返った。復帰後、2度の優勝も経験し「感謝の言葉しかありません」と語った。

 引退は、黒田博樹氏には伝えた。最初の言葉は「え、ホンマか!」だった。「最初は『まだできるだろう』という感じでしたが、最後は『おまえの決めたことなら』」と気持ちを尊重してくれたことを明かした。



 現役最後となったシーズン。リーグ制覇と34年ぶりの日本一を果たし、有終の美を飾る。

………[デイリースポーツ2018 0905]………


新井引退に黒田氏「最後までたくさんの声援受けて」 聞いた時は「ショック」

 野球解説者の黒田博樹氏(43)が5日、広島の新井貴浩選手(41)が今季限りでの現役引退を表明したことを受け、所属事務所を通じて、「最後までたくさんの声援を受けて1日1日を過ごしてもらいたい」とするコメントを発表した。

 黒田氏は「シーズン中に何度か一緒に食事をする中で、こういう決断をするのではと思っていたところもありました」としながらも、「ただ、言葉で聞いたときはショックでした」と胸中を吐露。その上で「チームのこと、若い選手のことを考えた決断というのは彼らしい」とし、「最後の試合を見たら、思い出話もできるかもしれませんが、カウントダウンが始まっただけで、試合は続きます。チームを引っ張っていく姿勢は変わらないでしょうし、最後までたくさんの声援を受けて1日1日を過ごしてもらいたいです」と新井選手にメッセージを送った。
………[サンケイスポーツ2018 0906 05:17]………


さらば新井さん…今季限り引退 広島と阪神で20年、愛された男の41歳決断

 広島・新井貴浩内野手(41)が5日、広島市のマツダスタジアムで会見し、今季限りでの引退を発表した。真っ先に引退の意向を伝えた盟友の黒田博樹氏(43)も「えっ、ホンマか?」とビックリする決断。阪神でも活躍し、誰からも愛される「新井さん」が、男の美学を貫いた。 



 「今シーズン限りで現役を引退することに決めました。若手がすごく力をつけてきている。これからのカープのことを考えたときに、ことしがいいんじゃないかなというふうに考えました」



 悩みに、悩んだ決断だった。6月の交流戦後に「引退」の2文字がよぎった。球団OBで尊敬する黒田博樹氏に相談すると、第一声は「えっ、ホンマか?」と絶句したという。黒田氏は長く現役を続けてほしいという思いが強かったが、新井の「後進に道を譲る」と“男の美学”を聞いて「彼らしい」と納得した。

 02年オフに阪神へ移籍した金本の背中を追って、07年オフに虎移籍を決断。会見では「つらかったです。もうカープのユニホームを着られないのが寂しい」と涙を流した。その後、阪神では4番を務めるも優勝を果たせず、出場機会も減っていき、打席に立つとスタンドから厳しいヤジも飛んだ。身も心もボロボロになり、そのときに相談に乗ってもらったのも当時ヤンキースに所属した黒田氏だった。

 自由契約を選択し、黒田氏とともに15年に広島に復帰。3月27日のヤクルト戦(マツダ)、七回に代打で登場。右飛だったが、大歓声が沸き起こり「生涯忘れることはないです」。翌16年には通算2000安打を達成し、25年ぶりのリーグ優勝に貢献。MVPに選出された。その年限りで引退した黒田氏の「お前はボロボロになるまでやれ」とのエールとともに広島への恩返しの思いを引き継いで、チームを引っ張ってきた。



ヤンキースなどで活躍した後、広島に戻り、新井とともに16年の優勝に貢献した黒田博樹氏「言葉で聞いたときはショックだった。最後までたくさんの声援を受けて一日一日を過ごしてもらいたい」
………[報知新聞2018 0906 06:00]………


盟友・黒田博樹氏、広島・新井の引退に予感あった「彼らしい決断」

写真カメラ
16年の優勝パレードで、黒田氏(左)と沿道の観客に手を振る新井 Copyright(C) The Hochi Shimbun.

 広島OBの黒田博樹氏(43)は5日、新井の引退を受けて所属する吉本興業を通じてコメントを発表し、プロ生活20年の労をねぎらった。シーズン中にも幾度となく食事をしていたことを明かし「こういう決断をするのではと思っていたところもありました。言葉で聞いたときはショックでしたが、若い選手のことを考えた決断というのは彼らしい」と意思を尊重した。

 2016年9月に25年ぶりのリーグ優勝を決めたときは、2人で涙を流して抱き合った。その後、黒田氏は10月18日に引退を表明。相談を受けた新井が「最後の雄姿と分かった上で、ファンの目に焼きつけてほしい」と進言したことで、4日後に迫った日本シリーズの開幕前にユニホームを脱ぐことを公表した。日本ハムに2勝4敗で敗れ、自身が成し得なかった34年ぶりの日本一達成を盟友には期待している。

 「最後の試合を見たら、思い出話もできるかもしれませんが、カウントダウンが始まっただけで試合が続きます。チームを引っ張っていく姿勢は変わらないでしょうし、最後までたくさんの声援を受けて、一日一日を過ごしてもらいたい」とエールを送った。
………[報知新聞社2018 0906 06:01]………


【広島】新井、一番の思い出は「優勝して黒田さんと抱き合った時」

写真カメラ
16年9月10日、25年ぶりのリーグ制覇を達成し抱き合う黒田と新井 Copyright(C) The Hochi Shimbun.

 広島の新井貴浩内野手(41)が5日、マツダスタジアムで今季限りでの現役引退を表明した。1998年ドラフト6位で広島入団。フリーエージェント(FA)権を行使して移籍した阪神から8季ぶりに復帰した15年シーズン以降は、精神的支柱として25年ぶりのリーグ制覇、37年ぶりの2連覇に大きく貢献した。飾らない人柄で皆から愛された“新井さん”は、間近に迫った球団初の3連覇と悲願の日本一を目標に、シーズン最後まで全力プレーを続けることを誓った。


 ―黒田博樹氏には相談した?

 「早い段階で、そういう気持ちですと伝えていました。『ホンマか』というのが第一声。『お前が決めたことなんだから、お前らしく頑張れ』と言っていただきました」


 ―一番の思い出は。

 「初めて優勝した時ですね。東京ドームで黒田さんと抱き合った時が一番の思い出。今のところね」


………[デイリースポーツ2018 0907 14:00]………


「プライドを捨てるプライドがすごさだ」 黒田氏が表現した新井という男

写真カメラ
2016年のリーグ優勝を決め、黒田と抱擁する新井



 時を同じくして広島に戻った1人、盟友・黒田博樹氏はかつて新井を、「プライドを捨てるプライドがすごさだ」と表現していた。

 「彼のすごさを感じたのは、日本に戻った年ですね。どうしても年齢がいって過去の実績がある人は、それを捨てられない人がたくさんいる。特に新井は広島に戻って、プライドを捨ててまた一から野球をやるんだ、というのをすごく感じた。だから彼のすごさを語る時、ただ単純に、体が強いというだけでは、片付けてほしくないですよね」

 2人の出会いは新井がドラフト6位で入団した1999年シーズン。黒田氏は「デカいな…と思った」と初対面の印象を語る。投手と野手。接点は多くない中、仲を深めたのは2003、04年。山本浩二監督(当時)の下、エースと4番として投打の柱を託された。

 「あの年は2人で結構、参っていた時期も多かったですね。ちょっとお互いに、自分自身も勝てなくて、新井も全然打てなくてヤジも飛ばされて、という時があった。そのころから、置かれた立場も同じような境遇。そういう部分で親近感というのは、あったのかもしれないですね」

 2人で頻繁に飲みにも出掛けた。「その時は結構、飲んだのは覚えています」。選手会長も務めていた黒田氏は新井と、ファンサービスの方法も話し合った。観客が1万人を割ることも珍しくなかった時代だ。「特に2000年台前半とかは市民球場にお客さんが入らない中で、ずっとお互いプレーしてきましたからね」。黒田氏、新井がグラウンドで見せる必死な姿、勝利への執念の背景には、当時の記憶があった。勝つことに飢えていたのだ。

 わらわれて

 しかられて

 たたかれて−

 大野寮とオーナー室には、球団方針を記す額縁が飾られている。愚直に強く、前向きに。「あいつはあの言葉そのものだな」。鈴木清明球団本部長は言っていた。FA移籍した選手の復帰。球団では過去に例がなく、内部にも少なからず反発もあった。「どの面下げて帰れば…」。困惑する新井に何度も電話を掛け、根気よく復帰を説得した。



 冗談か、本気か。黒田氏は引退する前、「新井が監督をやるなら、オレが投手コーチをやる」と言って笑っていた。反応を聞きに行くと…。「アホ。オレにできるわけがないじゃろ。でも、クロさんが監督をやるなら、オレが監督付。監督付広報か、マネジャーをやらせてもらうよ」。実現するのはどちらだろうか。去りゆくさみしさは消えないが、野球人生の第2章も楽しみでならない。(デイリースポーツ・田中政行)



つぶやきより

野間がドラ1で入団した年、黒田と新井が帰ってきた。新入団選手紹介で名前を呼ばれるやいなや全力でダッシュして深々と頭を下げた新井さんは、どのルーキーよりも新人らしかった。あれを見た瞬間、自分の中に残っていた最後のわだかまりも消えて失くなった。まさにプライドを捨てるとはこのことかと思った。逆に、黒田の凄さはぜったいにプライドを捨てないこと。まったく違う二人だが、どちらの格好良さも誰も真似できない。

………[カープまにあ2018 0908 18:43]………


[2018年9月 カープ選手インタビュー]


RCCテレビ “Eタウン・SPORTS” で現役引退を表明したカープ新井貴浩選手の特集が放送。共に戦った同志・石原慶幸捕手が語る新井さん。

――新井選手の言葉で何か感じるところは

石原「ホントに新井さんが言ってる言葉というか、それをプレー、練習であったり試合であったり、それをもうプレーとして示してくれてるんでね。ホントにそれは後輩がこれから忘れちゃいけないことだと思いますし、それがカープにとってもスゴく良いことだと思うんでね。そう思ってやっていきたいと思います」


――いつぐらいから石原さんと新井さんが、同じような方向性でチームを引っ張っていこう、と?

石原「どうなんですかね、でも黒田さん新井さんがカープに前ですかね、いた時から食事とかいつも誘って頂いて、色んな話を聞かしてもらってたんで。そういう考え方であったりっていうのは、ボクの中で自然とというか」

石原「やっぱりチームが勝つために何ができるか、何がやらなくちゃいけないかっていうのを第一優先、チームのことを第一優先に考えていつも行動されてるんでね。そこが1番だと思いますね」


………[サンケイスポーツ2018 0909 13:06]………


【球界ここだけの話】広島・新井が黒田博樹氏の背中を追うような引き際 早めの引退発表が名シーン生む



 元気いっぱいの新井は球団OBで尊敬する“ミスター男気”こと黒田博樹氏の背中を追うように「見事な引き際」を選んだ。黒田氏はかつて、新井に引き際のついて相談したときに「ファンは(引退を)知っているのと知らないのでは最後の勇姿の焼き付け方が違う」と助言を受けて、2016年の日本シリーズ開幕直前に引退を発表した。

 その黒田氏は日本ハムとの日本シリーズ第3戦(札幌ドーム)に登板し、六回裏に打者・大谷(現米大リーグ、エンゼルス)をフォークで左飛に打ち取った直後に右ふくらはぎの異変を訴えて降板。その後シリーズでの登板はなく、大谷との真剣勝負、“最後の1球”は後に名シーンとなった。

 会見で新井は「最後日本一になって、みんなとうれし涙で、終われれば最高かなと。最後の最後まで全力で頑張りたいと思います」と意気込みを口にする。赤ヘルの歴史に残るスラッガーの“最後の一打”は鮮やかなヒットか、それとも豪快なホームランか。例え平凡なゴロでも、新井らしく一塁へ全力疾走する。(柏村翔)
………[ベースボールキング2018 0910 18:10]………


三流から頂点へ…広島・新井貴浩が残した生き様


人間の教科書

 不器用にして愚直。豪快の中の繊細。新井という男にはチームメートにもファンにも愛される魅力が詰まっている。その生き様を端的に言い表している言葉をスポーツニッポンに掲載された関係者の談話から抜粋する。

 まずは駒大時代の恩師である大田誠前監督の言葉に感銘すら受けた。

「当時から技術は三流、体力は超一流のウドの大木。失策するから、明日は使わない、と言ってもお願いしますと明るく向かって求めてくるんだ。人間だから挫折はするが、“もう駄目だ”ではなく“まだ駄目”と這い上がっていく。あいつは人間の教科書」

 駒大時代の通算本塁打は2本。エラーやポカも多く、とてもプロで通用するとは思われていなかった。それでも挑戦をあきらめない新井は同大のOBである野村謙二郎(前広島監督)らに頼み込んで、ドラフト6位の下位指名を勝ち取った。こんな未完の大器だから最初から大輪の花を咲かせたわけではない。のちに新井を4番に抜擢した当時の監督・山本浩二が回想する。

「技術的には不器用で時間もかかった。広島の練習の厳しさは今思うと想像を絶していたが、涙を流しても心が折れることがなかった。ガッツがあった。彼は周囲に感謝できる選手。自分を育ててもらった方々に感謝し、チームメートに感謝してプレーができる」

 あらゆる証言をかき集めても、そこに共通するのは「技術は三流、でも体力とハートの熱さは一流」というフレーズだ。その三流品には広島流の猛練習が向いていた。さらに試合で起用されていくうちに技術も身に就く。球界を代表するスラッガーになった後も、失策は多く、併殺の山も築き兄貴分の金本知憲(現阪神監督)らから、いじられてきた。それをも“愛されキャラ”に変えてしまうのが新井流。へこたれていたら、とっくの昔にプロの道すらなかった。


チームを変えたベテラン

 2007年オフにFAで阪神に移籍する時は、広島愛が捨てきれず泣いた。7年の時を経て再び古巣に戻ってきたときは、ファンの歓声にまた泣いた。この時、残留交渉をした阪神の年俸提示が7000万円だったのに対して広島は2000万円だったと言われる。

 同じ年にもう一人、他球団の高額提示を蹴って広島に帰ってきた男がいる。黒田博樹だ。ある時はチームに喝を入れ、ある時は若手と首脳陣の潤滑油の役割も担いながら二人のベテランが組織を変えていった。16年、17年リーグ連覇に次いで今季も3連覇目前だ。



 三流のポンコツだって、努力次第で超一級の輝きを放てる。すべての野球少年に捧げる新井貴浩の生き様である。

文=荒川和夫(あらかわ・かずお)
………[スポニチアネックス2018 1104 09:30]………


元広島・黒田氏、引退の新井さんに感謝「かけがえのない戦友」

写真カメラ
黒田博樹氏

 2015年に新井とともに広島に復帰し翌16年のリーグ優勝に大きく貢献した黒田博樹氏(43)が3日、20年のプロ野球人生を終えた新井貴浩内野手について語った。

 大声援の中で代打に立ち、最後は一塁守備にも就いた。明日も戦う。表情には意欲がみなぎっていた。予想通りだった。その姿勢こそ、個人よりもチームを優先した新井の生き様だ。ゲームセットの瞬間まで、自分個人のことで感傷的にはならないと思っていた。

 あれは確か13年前。ともにタイトルを獲り「オレは投手を引っ張る。お前は野手を引っ張れ」と言ったことを覚えている。チームは同じ方向を向き、投手と野手に溝があってはいけない。彼とは野球観が一致していた。

 互いに厳しい環境で生き抜き、復帰して迎えた初のキャンプ。8年ぶりに見た新井は、以前の新井ではなかった。古巣に戻ることに後ろめたさがあったのか、どこか小さくなった印象だった。開幕後には、しかし、昔の新井に戻っていった。

 ボク自身、うれしかった。当時の一塁候補はグスマン。新井がもし、オープン戦で結果を残さなかったら、2軍に落とされていたかもしれない。05年に本塁打王を獲った時もしかり。すべて彼が結果を残し、自分の力で勝ち取った地位だ。本当にスゴいと思う。

 本拠地のトレーナー室。ベテランと呼ばれる年齢になると、得てして入り浸りになりがちだが、彼は自分を律し、必要な時にしか受けなかった。無論、マッサージは大事だ。ただし、年長者が独占するとチームに悪影響を及ぼす。間違った方向に行かないよう、自分を常に客観視する力を持っていた。

 この4年間、新井が行動や背中で示してきたことを、若い選手はどう見ていたのか。30歳、あるいは40歳近くになって体が動かなくなり、思うプレーができなくなった時、姿を思い出してほしい。彼が覚悟を持って古巣に戻った意味がそこにある。願わくば、こうした姿勢がチームの伝統になればと思う。

 必死に戦ってきた旧広島市民球場時代。空席が目立つガラガラの三塁側スタンドが日常だった中で、新井とボクは、強くなりたい、たくさんのお客さんの前でプレーしたい、いつか優勝したいと語り合ってきた。彼は、ボクにとってかけがえのない戦友だ。

 時は流れ、満員のマツダスタジアムで、しかも日本シリーズで最後の打席を迎えることができる。真剣勝負で終えられる。こんな大団円、当時は想像もできなかった。ボク自身もそうだったが、新井にとっても幸せな野球人生だったと思う

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