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古代史の旅人コミュの神武天皇は大王(オオキミ)ではない

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もし神武が大王(オオキミ)であればおかしなことがあります。
彼には妃がいません。

中国の皇帝は後宮に美女3千人と言われますが、それは男として自然な事。
ところが神武にはいない。
もし神武の血筋が尊重されてたのなら后を複数付けてその血筋を守ろうとしたはず。
神武がすでに高齢でそれができないのならタギシミミに複数の女性を付けたはず。

ところがなんとタギシミミが義理母のヒメタタラと結婚する。
この違和感は何なのだろう。

やはりヒメタタラが女王(大王=オオキミ)だったからではないでしょうか。

そして神武もタギシミミも子供を作るための単なる婿。

当時もっとも尊重されたのは神武ではなくヒメタタラの出雲系の血筋。
それをトヨツが受け継ぐ。婿はスキトモ(7世紀の記紀編纂で4代懿徳天皇とされた人物)

その出雲系の血筋はトヨツ以降は謎。

替わって奈良盆地東部の物部が台頭。
箸墓古墳という大古墳ができ、物部の女性イカガノシコメが崇神を産む。

そして新大王・崇神(ハツクニシラススメラノミコト)以降の男系が尊重された。

記紀編纂者はヒメタタラが女王(大王=オオキミ)だと知っていた。
しかし卑弥呼と特定されるのはまずい。
5代遡ってスサノオが倭国王・師升だとばれてしまう。
日本国の歴史を「中華の属国でした」から始めるわけにはいかない。
そのためにはヒメタタラが女王であったことを隠さねばならない。
そのために単なる婿であった神武を大王にした。

だからハツクニシラススメラノミコトが2人いる。

こういう事ではないでしょうか。

コメント(8)

タギシミミは日向時代の妻の子供でしたね。
>>[1]

幼い故に日向に置いていったキスミミが気になります。
彼は地元の王として子孫を多く残してたはず。

景行の九州遠征と絡んでるような気がしてなりません。
>>[2]
そして景行は筑紫には手付かずでしたね。筑紫平野を浮羽へ行き、日田を通って久津姫に会い、宇佐に出て帰ります。
筑紫福岡には孫の仲哀が侵攻し、戦死しますね。
景行は大遠征軍団で日向に駐留して、帰りに筑紫にははいらず。

謎です。
6代孝安まで葛城(橿原市も)が宮です。
7代孝霊が磯城に宮をかまえます。そして彼には複数の妃。
これはなにか葛城と磯城の間で綱引きがあったようです。
初期8代が「いない」なんて考えは遠い昭和の遺物です。

ただし、
3代安寧天皇が別称

・磯城津彦玉手看天皇(紀)
・師木津日子玉手見命(記)

そして子女が

・息石耳命
・大日本彦耜友尊(懿徳天皇)
・磯城津彦命

この磯城津彦命あたりが謎の氏族・磯城氏の祖になったのかも。
◆2世紀から4世紀まで

スサノオ(帥升)107年




ヒメ踏鞴  (3世紀初)   神武 
ヒメ踏鞴           綏靖  
ヒメ踏鞴           安寧  
トヨ津            懿徳 孝昭 
トヨ津            孝安    ​     
箸墓古墳など磯城の台頭   孝霊 孝元 開化
    崇神(4世紀初〜前)


こんな感じですね。
>>[5]
ふと思ったのですが
スイショウがスサノオの時
アマテルは九州の人ですかね?
>>[6]

長い間そう思ってた(阿蘇説)のですが、
肝心の高天原がどこにあったか考えると、
葛城ではないかという結論になりました。
元々は葛城の金剛山が最有力と言われてましたが、
シタテルヒメなどを祀る高鴨神社は孝昭天皇の時代3世紀中〜後半、
タカミムスビを祀る神社高天彦神社は更に古そうです、

九州にそんな古い神社のある高天原候補はないと思います。
阿蘇の神社もなんだか新しいですね。

崇神が前王朝を倒すクーデターを起こした。
神武を祖にすることで新王朝を建てた。
神武の祖先を高天原にいたアマテラスにすることで、
王朝の正当性を主張したと思ってます。

アマテラスは実際に存在したのではなく、
葛城にいたシタテルヒメ(高姫)を原像に、
7世紀の朝廷によって創りだされたのではないかと思ってます。

タイムマシンで崇神時代に戻り、
アマテラスのご神体(ヤタの鏡)について聞くと、
「はぁ?アマテラスって誰?」と答えると思います。
>>[7]
そうなると高天原の下の地域がアメノシタかもしれないですね。本当に。天下とは広く世界のことではなく、高天原のふもとのこと。

すると

孝謙天皇御位に即きたまふ時の宣命]
御宇アメノシタシロシメス倭根子ヤマトネコ天皇可スメラガ御命良麻止オホミコトラマト宣御命乎

天の下 知らしめししを 天にみつ 倭をおきて あをによし 平山を越え いかさまに   天智天皇の都・琵琶湖近江の大津京を詠ったもの

万葉集では仁徳天皇を
まさに
アメノシタシラシメシシ スメラミコトと言ってます。御宇の二字を当てて。

そして神武をハツくにシラスと書いた下りですが

高天原(タカマガハラ)に峻峙(チギ=宮殿の屋根で木材が交差する部分)が
届くくらいに高くしよう。
始馭天下之天皇(ハツクニシラススメラミコト)である私は、
神日本磐余彦火々出見天皇(カムヤマトイワレビコホホデミノスメラミコト)
と名乗ることにしよう


始馭天下之天皇とは
始めてアメノシタシラシメシシスメラミコトでしょうね。

統べる=シラス
中国には
馭天天子という言葉がありますし。それを馭天下 天皇と日本風に変えたということでしょうか。

神武のことを初代国王と認定したぞというのが記紀の姿勢であり
崇神のハツクニシラスとは異質の表現であるというのが
マイブームです

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