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半蔵門かきもの倶楽部コミュの第80回文芸部A れとろ作「鼓動を重ねて」 (テーマ選択『春の海』)

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 やわらかな日差しがアスファルトの上に降りそそぐ。
 まだちょっと肌寒いけれど、吹く風にはたしかに春の匂いが混じっている。
 目に映るなにもかもがまばゆく輝いて、でもかすむ空気はほんの少し眠たげで……。
 そんな一日だった。

 僕の前を歩く莉結(りゆう)先輩は上機嫌に鼻歌をうたっている。
 僕らの行く道は歩道がほとんど無くて、すぐ真横を何台もの車がびゅんびゅんと風を切って通り過ぎていくけど、気にするそぶりもない。
 白線の上で踊るような足取りで、軽快に進んでいく。
 僕はというと……、

「莉結先輩、まだつかないんですか?」

 先輩に付き合ったことをちょっと……いや、かなり後悔しはじめていた。
 今日は午前中が卒業式だった。先輩が制服に袖を通すのも、これで最後だ。
 送り出しの日くらいは言う事を聞いてあげよう、と甘い気持ちを抱いたのが失敗だった。

「もう少しだ。待ちきれない気持ちは分かるが、あとちょっとだけがまんしてくれ」

 莉結先輩はくるりと振り返って、屈託ない笑顔を見せる。
 少し強めの春風が、後ろに伸ばした長い黒髪とスカートの裾をはためかせる。
 そんな何気ないポージングもやたらと絵になる人だった。
 今日が卒業という特別な日だから、よけいにそう思うのだろうか?

「もう少し……って、その言葉もう何回も何回も聞きましたよ」

 僕はため息まじりに返す。
 たしかに日差しの心地良い日だけど、さっきも言った通り海沿いのこの道は歩道が狭すぎて、散歩に向いているとはとても言えない。

「今度こそほんとにほんとのもう少しだ。ほら、見えてきた!」

 先輩が指さした方を見やると……。
 道路が右に折れ、急カーブを作っている。その奥に切り立った崖がそびえていた。
 どうやら莉結先輩のお目当ての場所がその崖みたいだ。
 小走りになって駆け寄っていく。
 仕方なしに僕もその後につづく。

 近くまでくると、カーブの手前にガードレールの切れ目があるのが分かった。
 さらに、崖にはぱっと見では見落としてしまうような、小さな穴が開いていた。
 人ひとりがかがんでやっとくぐれるようなものだ。

「……先輩、この洞穴に入ろうっていうんじゃ」
「もちろんその通り。さっ、行くぞ」

 僕の戸惑いなんか意に介さず、莉結先輩はためらいもなく穴をくぐって、その向こうに姿を消してしまう。ハレの日に制服が汚れてしまうのもおかまいなしだ。 

 ……ここまで来てしまったら、他にどうしようもない。
 一瞬、先輩が振り返る前に一人で引き返してしまおうかとも思ったけど、そんなことしたら後が怖すぎる。
 意を決してしゃがみこみ、暗い穴の中に入る。と―――、

「……おおっ!?」

 思わず感嘆の声が漏れてしまうくらい、中は広々としていた。
 ちゃんとコンクリートでドーム状に固められたトンネルだ。
 昔は土木工事かなにかのために造られたものが、土砂崩れかで半ば入り口が埋もれてしまったのかもしれない。
それなら“立ち入り禁止”とか“キケン”なんて看板の一つでも立てかけておけばいいものを、ルーズなもんだ。
 もしかして、莉結先輩が「ジャマだ」とどこかにやってしまったのかもしれない。
 ……怖くて聞けないけど。

「ついてきてるな、斗良(とら)」

 先輩の呼ぶ僕の名前がトンネルにこだまする。

「はいはい。ちゃんといますよ」
「よしよし。目的地はトンネルの向こうだ。行くぞ」

 僕の前を行く、速足気味な足音が聞こえてくる。
 暗くて先輩の姿は影みたいにしか見えないいけど、その顔がウキウキと弾んでいることはかんたんに想像できた。

 トンネル内に明かりはなく、僕らの来た入り口と、反対側の出口から漏れてくる日の光だけが頼りだ。
 二人の足音がやけに大きく響いて聞こえる。
 こう暗くてひんやりしていると、異質な空間に迷い込んだような、背中がぞくりとする思いが湧いてくる。

「トンネル抜けたら過去の世界にタイムスリップとかしそうですね」
「なんだ、それは。SF小説か?」
「いえ。なんとなくそんなふうに思っただけです」

 莉結先輩の上げた笑い声が前方から聞こえてくる。
 
 出口の側は入り口みたいに狭まってはいなかった。
 丸くくり抜いたような出口の光が、だんだんと大きくなっていく。
 そして、とうとうトンネルを抜けた時―――、

「おお〜!」

 もう一度僕は感嘆の声をあげていた。

 見渡す限りの蒼(あお)い空と海が視界いっぱいに広がっていた。
 学園からも見えるいつもの海だけれど、知らない場所から眺めると、とても新鮮に映った。
 足元には白い砂浜が広がっている。
 入江と呼べばいいのだろうか。
 崖に囲まれたような場所で、ビーチといえるような立派なものじゃないけど、暗いトンネルを抜けてきた僕には広々と感じられた。

「よくこんな場所見つけましたね」

 僕が素直に感心して言うと、莉結(りゆう)先輩は長身スレンダーなくせに、そこだけは豊かな胸を張り、ふんぞり返っていた。

「だろう。こんな素晴らしい場所なのに、ひとっこ一人訪れようとはしないんだ」

 たしかに。海水浴シーズンじゃないのはもちろんだけど、釣り人もいなければ沖に船影すら見当たらない。
 ここまでほぼ車道しかない道を歩いてこようなんて酔狂は莉結先輩くらいのものだろうし、近くに車を停められるような場所もない。
 特別の用でもなければ、まず訪れる人なんていないのだろう。

 車のエンジンもここまでは聞こえず、波の音が心地よいリズムを作るだけだ。
 まるで、いきなり先輩と二人で無人島に放り出されてしまったかのような、トンネルをの反対側とは隔絶された別天地だった。

「この景色を斗良とわたしで二人占めだ」

 莉結先輩は、日の光を反射してきらきら輝く海の水面にも負けないくらいの、とびっきりの笑顔を見せた。
 至近距離でその顔を見て、思わずどきりと胸が高鳴ってしまう。
 そんな内心に気づかれないように平静を装いながら、僕も笑顔でうなずき返した。

「僕もこの景色を莉結先輩と一緒に見られてよかったです。―――それじゃ」

 きびすを返した僕の肩を、先輩ががしっと掴む。

「待て待て。帰ってどうする」

 ちっ。ごまかしきれなかったか。
 内心舌打ちしつつ、僕は振り返る。

「……莉結先輩。その……ほんとに、ココでするんですか?」
「当然だろう。なんのためにひとけの全くない場所を見つけたと思ってるんだ」

 莉結先輩は、この後の行為を思ってか、興奮に頬を紅潮させ、息を荒く弾ませはじめていた。

「それに見ろ。こんな広い海を前にしてすれば、絶対に気持ちいいぞ!」
「でも……」

 僕はまだ、ためらいを捨てきれずにいた。

「ほんとに誰も来ないんですか? もし……途中で人が来たりしたらシャレにならないですよ」
「絶対! 誰も来ない。保証する! だから、さあ。早くしよう。時間が惜しい!!」

 もう言葉を交わす間もがまんならないというように、ショルダーバッグを地面に落とす。
 そして、莉結先輩は制服のブレザーを脱ぎ捨て、バッグの上に放った。
 ついで、胸のリボンをしゅるりとほどき、白いブラウスのボタンも上から順番に一つずつ外していく。
 衣擦れの音が、どこかなまめかしく響いた。

「ちょ、ちょっと待って」

 僕の制止の声を完全に無視してブラウスも脱ぎ捨てると、もどかしげな手つきでスカートのチャックを外し、それもすとんと腰から落とし、足を抜く。
 制服をすべて脱ぎ捨ててしまった莉結先輩は――――――。


――――――――――――――


 その下に武闘着を身につけていた。

 浅葱(あさぎ)色をした半袖の格闘着で、下は同色のハーフパンツのような形状をしている。
 腰には赤い帯をきゅっと巻いていた。
 そして、背中には丸印の中に“龍”一文字が大書されている。
 どことなく中華風のその道着は、動きやすさを最大限に考慮した実践用のものだ。

「さあ、斗良も早く。どうせ下に着込んでいるのだろう?」

 バッグのポケットから取り出したゴムで後ろ髪をまとめながら、僕をせかす。
 ……まあ、着てきてるんですけどね。
 先輩に連れられるという時点で、半ば観念していたことではあった。

 僕も先輩にならうように制服を脱ぎ捨てていく。
 下に来ている武闘着は先輩のものによく似ているけれど、色は橙(だいだい)で、背中には“虎”一文字が刻まれている。

「よしっ、闘(や)ろう!」

 莉結先輩は両の拳を腰だめに落とし、喜々として叫ぶ。
 こうして半袖短パンの武闘着姿になると、改めて先輩のプロポーションは美しかった。
 伸びやかな腕と脚は一辺の無駄なく引き締まり、完璧な体幹バランスをもった立ち姿はファッションモデル顔負けだ。
 ただし、顔に浮かぶ笑みは、制服の時のような爽やかな微笑ではなく、獰猛な肉食獣のそれだった。

「はあああああ!!」

 裂帛(れっぱく)の声とともに、先輩の闘気が一気に高まる。
 はっきりと目に映るほどの闘気が全身を包み、竜巻のような激しい渦を作る。
 束ねた髪と武闘着が強風に吹かれたかのようにはためいている。
 異変を感じ取り、崖で羽根を休めていた海鳥たちが一斉に羽ばたき去っていく。
 ……願わくば、できるだけ遠くまで逃げてほしい。

「ちょっ、先輩! 本気で闘(や)るんですか!?」
「当たり前だ! 全力でなければ意味がないだろう!?」
「岸辺の形、変わっちゃいますよ!?」
「誰も来ない入江だ。怒られることもあるまい。それに斗良は知らないかもしれないが、海岸線というものは姿形を変えていくものなんだぞ?」

 それは何十年、何百年という時をかけて少しずつ進む、自然の営みだろう。
 一日にして大きく変わってしまうのは、災害以外のなにものでもない。

 ……ほんとにいいのかなぁ。
 けど、もう迷う猶予(ゆうよ)は残されていなかった。
 
 莉結先輩の闘気はさらに膨れ上がっていく。
 もう、立っているだけでも吹き飛ばされそうだ。
 対抗するには、僕も闘気を解放するしかない。

「おおおおお!」

 丹田の奥底から生まれ出たエネルギーが全身を駆け巡っていく。
 すさまじい高揚感が脳天を突き抜ける。
 僕の闘気を感じ取った莉結先輩が高らかに笑った。

「はっはっはっは。斗良! 手加減なんてしたらぶっ殺すぞ!!」

 先輩相手に手加減? 冗談じゃない。
 そんなことしようものなら、ぶっ殺される前に死んでしまう。
 生き残るためには僕も気づかいやためらいは捨てて―――頭を空っぽにするしかない。
 僕も最高限度まで気を高める。
 まるでジェット機が滑走するような、闘気が空気を揺るがす轟音が耳元でうなる。

「いつぶりかなっ!? お前と全力でやりあうのは!!」
「忘れましたっ!!」

 心底楽しそうな先輩に叫び返す。
 全力でやりあった=僕がボコボコにされた記憶だ。
 覚えていて楽しい思い出じゃなかった。

 型通りに一礼したあと、僕と先輩は構えを取る。
 闘気をぶつけ合いながら、互いの出方をじりじりと探り合う。
 傍目には静止しているように見えるこの立ち合いも、ひどく体力・精神力を消耗する。
 
 先に仕掛けたのは先輩の方だった。

「行くぞ!」

 ひゅんっ。
 宣言した自身の声すら置き去りにするように―――。
 先輩の姿がかき消えた!

「ぐっ……」

 直後、隕石が激突したかのような衝撃が両腕に走った。

 ―――重いっ!?

 ほぼ完璧な形で先輩の突きをガードしたのにも関わらず、僕の身体は後方に吹き飛ばされる。
 すかさず先輩が追撃を仕掛けてくる。
 なんとか態勢を立て直した僕は、猛追の勢いそのままに繰り出された上段回し蹴りをかろうじ
てよけかわす。
 カウンター気味に掌底を放つが、これはあっさりと受け止められてしまった。
 そこからは互いに、至近距離での打ち合いだった。

「おおおおっ!」
「ああああっ!」

 瞬きする間に、何十何百という拳と蹴りが打ち出され、ぶつかり合う。
 がしっ、どがっ、しゅばばばば。
 打撃がぶつかり合うたび、機関銃を乱射しているかのような凄まじい衝突音が鳴り響く。
 衝撃の余波で海が割れ、砂浜がえぐれ、崖が削れる。
 けど、そんなこと構う余裕はない。

 拳の打ちつけ合いはさらに加速していく。

 ―――もっと、もっと速く!

 僕の頭の中で脳が警鐘(けいしょう)を鳴らす。
 でなければ、死ぬぞ、と。

 けど、次第に僕の方が劣勢に立たされてゆく。

「くうっ……」

 ごく一刹那の差で先輩の繰り出す打撃の方が速く、そして重い。
 少しずつ打ち数は先輩の方が多くなってゆき、やがて僕は防戦一方になってしまう。

「は〜はっはっは。どうした、斗良ぁ! 守ってばかりでは勝てんぞ!!」

 目をらんらんにぎらつかせ、莉結先輩が哄笑をあげる。
 湧きあがる闘気に頭がやられたのか、もはや“ちょっとワガママで美人な先輩”の仮面は完全に
脱ぎ捨て、ただの戦闘狂人と化していた。……元からな気もするけど。

「ほら、どうしたどうしたぁ!?」

 ずががががが。
 挑発的な笑みを浮かべ、先輩の打撃ラッシュはますます激しくなる。
 といって、決して慢心しているわけじゃない。
 隙はどこにも見出せない。
 莉結先輩は有利な状況になるほど精神が高揚し、技の切れ味が増していくタイプの武闘家だっ
た。

 ―――マズい。これ以上先輩を勢いづかせたら止まらなくなる!

 けど、僕だってムダに何度もやられてきたわけじゃない。
 先輩と闘うための秘策を、血反吐を吐くような特訓の末に身に付けているのだ!

 先輩が突きを放ち終えたごく一瞬間に、僕は一度後方に飛びすさった。
 態勢をととのえ、再び打ち合いを挑む。
 同じことの繰り返し―――そう、先輩にも思えただろう。しかし……。
 ずさっ!

「……な、にっ!?」

 僕の放った貫き手が先輩の右肩をかすめた。
 クリーンヒットとはいかなかったが、初めて入った有効打だ。
 まぐれ当たりと踏んだのか、再び莉結先輩は超至近距離での打ち合いを挑んでくる。
 何度目かの打撃の打ち合い。
 どがっ!

「がっ……」

 今度は僕のミドルキックが先輩の胴をとらえた。

「なんだ、なにをした? 斗良」

 得体の知れない何かを感じ取ったように、今度は莉結先輩の方が大きく後方に跳びのく。

 よし、この技は莉結先輩にも通じる!
 というより、莉結先輩ほどの達人相手でなければ、意味を為さない技といえるだろう。
 もし、僕らの打ち合いを肉眼で追える人間がこれを見たとしても、傍目にはなんの変哲もない
蹴りを放ったとしか映らないはずだ。

 でも実は、僕はミドルキックを放つのとほぼ同時に、下段蹴りを放つフェイントも入れていた。
 闘気の力のみによって。
 本物の蹴りを放つのと変わらない鋭さで、闘気のみを放つ。
 頭で考えるよりも遥か先に相手の闘気に反応してしまう莉結先輩だからこそ、フェイントとして
成り立つのだ。
 貫き手をかすめた時もそうだ。
 莉結先輩の身体は、本人すら気づかない間に、本物とは逆の左肩に放たれた幻の貫き手に反応
してしまっていた。

 そのことに先輩が気づいていない、いまが最大の攻撃チャンスだ。
 ざっ!
 僕は畳みかけるように地を蹴り、先輩の後を追う。

「む……」

 初めて先輩の顔に焦りの色が浮かぶ。
 先ほどまでの攻撃と比べると、やや精彩を欠いた前蹴りを放ってくる。
 やっぱり先輩ほどの人でも、得体の知れない技に気をとられてしまっていた。
 先輩の蹴りを受け流し、正拳突きを返す。
 闘気のみを放った、幻の突きを。

 本命はこっちだ。
 しゅばぁっ!
 地を蹴り、バク宙の要領で、莉結先輩の顎先を狙い、渾身の力で蹴り上げる。
 サマーソルトキック!
 だが、髪一重の差で先輩は上体を反らし、その一撃を避けていた。
 僕の蹴りを受け、前髪の一部がぱらりと風に吹かれ、舞い落ちる。
 蹴りの余波は先輩の後方へと飛び、海の方へと突き出る形をしていた、断崖を切り裂いた。
 ずがしゃああっ!
 巨大な土塊(つちくれ)と化した崖の一部が海へと落ち、轟音と盛大な水しぶきを上げた。
 ……落ちた崖の上に生き物がいなかったことを願うばかりだ。

「貴様、レディの顔面を狙うとは不届きものめ!」

 そんなことを莉結先輩が叫んでくる。

「その顔面で大岩も割れる生き物を、淑女(レディ)とはカテゴライズしていません!」
「なんだと!? 貴様の辞書を修正してやる!」

 自分は平気でぶっ殺すとか言ってくるくせに、憤る莉結先輩。
 けど、不意ににいっと笑って、

「まあ、今のでお前の攻撃の正体は掴めた。なるほど、小器用なまねをするやつだ」

 その表情から察するに、ハッタリではないだろう。けど……。

「正体が分かっても、どうしようもないと思いますけど?」

 先輩の身体は、僕の闘気による幻の攻撃に、無意識下でも反応してしまうはずだ。
 この技は相手が優れた武闘家であるほど有効なのだ。
 けど、莉結先輩は不敵な笑みを止めなかった。

「いや、正体さえ分かれば怖くない。さあ、仕切り直しだ!」

 再び莉結先輩が地を蹴る。
 まっすぐ突っ込んでくる―――と、見せかけて直前で右に折れる。
 ぶおんっ!
 その勢いのまま身体を旋回させ、腕を鞭のようにしならせて横に薙ぐ。
 僕はそちらを向かず、かがんでそれをかわす。
 
 がしゃああ。

 ……後方から崖の砕ける音がしたけど、もう一々気にしていられない。
 先輩の腕をやり過ごしてから、かがんだ姿勢のまま足払いをかけるように、右脚で地を薙ぐ。
 先輩は跳躍してこれをよけ、先ほどのサマーソルトキックのお返しとばかりに、前宙の要領でかかと落としを放つ。
 がんっ!
 僕は両腕を頭の上で交差し、これを受け止めた。

「ぐうぅ……」

 両脚が砂浜にめりこむほどの衝撃が、僕を襲った。
 強烈な一撃だけど、こらえきれれば大技な分、隙も大きい。
 地面に着地した莉結先輩の脚を狙ってローキックを放つ。
 闘気の幻で。
 
 本命は、右のストレートだ。
 が、僕と同時―――。
 莉結先輩もまっすぐに正拳を打ちこんでいた。

 ぐがんっ!

 拳と拳が激しい音を立ててぶつかり合う。
 闘気が弾け、同心円状に広がった。

「うわっ!?」

 速さが同じなら、一撃の破壊力はわずかに莉結先輩の方が上だった。
 僕はたまらず、後ろに数歩よろけていた。

 ―――何故、僕と同時に反応できた!?

 一瞬動揺してしまい、その隙に先輩が内懐(うちふところ)に入る。

「しまっ……!」

 武闘着の襟首をつかまれ、巴投げの形で宙に投げ出される。
 と、同時にみぞおちに蹴りがクリーンヒットで入る。
 ごすっ!
 僕の身体は海の沖の方へと蹴り飛ばされた。
 幸い、闘気を瞬間的に腹部に集中したお蔭であばらが折れるのは避けられたけれど、息が詰まり肺に空気が届かない。

「がはっ……」

 宙を飛びながら僕の頭は高速回転し、莉結先輩のやったことを理解していた。
 なんのことはない。
 先輩は闘気のフェイントにはちゃんと引っ掛かり、その上で僕と同時に拳を打ちだした。それだけのことだった。
 
 ―――僕と莉結先輩の地力の差はこれほどなのか。

 ショックを受けながらも、僕は痛む腹を押さえ、空中で態勢を立て直す。
 気を制御し、海上の空に浮かび、なんとか着水は免れた。
 
「逃がすか!」

すかさず莉結先輩も空を舞い、追撃してくる。
闘気の渦が尾を引き、高速で飛来するその姿はミサイルのようだ。

―――知っていたけど、容赦ない!

空中で僕たちの闘気と闘気、拳と拳がぶつかりあう。

「うらららあああ!!」
「たあああああ!!」

 がんっ、がすっ、どっ、ずだだだだ!
 何度目になるかも分からない打撃の応酬。
 空中戦に移行してからは、僕らはぶつかり合う環境破壊兵器と化した。
 ずごめきばきっ、ぐしゃああ、ごううぅぅん。

 海に渦潮が生まれ、崖にクレーターが空き、岩場は破壊され、地面には無数の亀裂が走り、大地からは砂塵が竜巻のように巻きあがり、海へとまき散らされていく。
 そんな中、僕は……

 ―――いける!

 さっきは動揺してしまったけれど、闘気のフェイントを用いれば、莉結先輩相手でも、ほぼ互角に戦えていた。
 ただ、この技はかなり精神力を使う。
 闘気を複雑に操っている分、闘いが長引けば不利になるのは僕の方だ。

 空中では踏ん張りがきかないから、反動が大きい。
 ごうんっ!
 お互いの大振りの蹴りがぶつかり合ったあと、二人の距離が大きく離れる。
 
「はああああっ!」

 その間に、僕は右の拳に全闘気を集中した。
 この一撃で全てを決めるつもりで。

「面白い! 受けて立とう」

 僕の覚悟は莉結先輩にも伝わったみたいだ。
 先輩も片一方の拳を高々と掲げる。
その拳の先に闘気が集まり、黄金色に輝いた。

空中戦では絶えず闘気を放出し続ける必要がある。
 僕も、そして先輩ももうほとんど余力は残っていないはずだ。
 正真正銘、これが最後の一騎打ちとなるだろう。
 二人、ほぼ同時に宙を蹴った!

「砕け散れえぇぇぇ!!」
「砕け散ってたまるかあぁぁぁ!!」

 どぐああぁぁん!

 拳がぶつかり合い、互いの闘気はまばゆい閃光となって、轟音とともに爆発的に膨れ上がる。
 そして、世界を白く包み込んだ。

コメント(2)

「はぁ、はぁ、はぁ……」

 息も絶え絶えになって、僕は見るも無残に荒れ果てた砂浜の上に大の字に寝転がっていた。
 空が遠い。
 あれだけ派手に二人が暴れたというのに、波音は何事もなかったかのように規則正しく耳を打つ。
 もう既に日は西に傾きはじめ、海をオレンジ色に染め上げていた。

 ―――自然っていうのは雄大だなぁ。

 そんなことをぼんやりと思う。
 
 勝負は僕の負けだった。
 もう指一本動かす気力もなく、全身が余すところなくずきずき痛んだ。
 あと三日はベッドの上でもうなされることだろう。

 でも、勝った先輩もだいぶ力を使い果たしたみたいで、僕と同じように砂浜に横になっていた。
 ようやく、僕も息が整い始めた。そう思った時、

「はーはっはっはっはっ!」

 莉結先輩が天に向かい大笑した。

「楽しかった、楽しかったぞーーっ! こんなに心からわたしをぞくぞくさせてくれるのは斗良だけだ!」

 生きる喜びを全力で謳うような声だった。
 僕は思わず苦笑してしまう。
 できることなら、向こう一年くらいは先輩とのガチなバトルは勘弁してもらいたい。
 けど、心の奥底では楽しんでしまった僕も、結局のところ先輩と同類なのかもしれない。

「おかげで心置きなく卒業できるな」

 不意に、先輩の声に優しさがまじる。
 それは、感慨深げで、少し寂し気で、でも心から満足しきっている、そんな声だった。

 僕は気力を振りしぼって立ち上がり、先輩の方を向いた。
 そういえば、ちゃんと伝えてなかったな。

「莉結先輩。卒業、おめでとうございます」

 莉結先輩も腹筋の力でぴょんと起き上がって、笑ってうなずく。

「ああ。ありがとう。わたしがいなくなっても精進しろよ、斗良」

 その声音があまりに満足げ過ぎたから……。
 思い残すことはなにもない、そんな風に言っているように感じたから……。
 僕は心配になってしまう。

「先輩こそ。……その、卒業しても、武道、辞めないでくださいよ?」
「ああ、辞めるものか」
「……ほんとに?」
「当たり前だろう。わたしの目指す頂(いただき)はまだまだ果てしなく、険しく、遠い。学園を卒業したくらいで投げ出せるわけがない」

 莉結先輩は胸を張り、遠い空を見上げた。
 その視線の先にはきっと目指す頂の姿がはっきり見えているのだろう。
 先輩のその姿はあまりにまぶしく映り―――
 ほっとした僕は、ふだん口にしないような胸の底を打ち明けていた。

「よかったです! 莉結先輩は僕にとって目標で、憧れで、ずっと誰よりも輝く人であってほしいですから」
「お、おお。そ、そうか。そう言ってくれるのは嬉しいぞ」

 莉結先輩はなぜか、動揺したように声を上ずらせていた。

「はい。僕が武道を続けてこれたのも、先輩のおかげです。そんな先輩が僕は……」

 言いかけて、僕はあることに気づく。
 気のせい、だろうか。いや、気のせいじゃない。
 先輩ともあろう人がまさかとは思ったけど……。

「な、なんだ、斗良。言いかけて止めるな。言いたいことがあるなら、その、早くしろ」
「あの、先輩、すき―――」
「えっ」
「隙(すき)ありです」

 僕はさっと先輩の懐に入り、払い腰の要領で海の方へと放った。

「んなああっ」

 あまりにもあっけなく技が決まり、先輩は海にどぼんと落ちる。
 まさか、と僕は自分の手を見る。
 僕はおろか、門下の誰もがどれだけ不意を突こうとしても、決して隙を見出せず返り討ちにあってきた、あの莉結先輩から、こんなにあっさり一本取れるなんて……。
 僕は夢でも見ているのだろうか。

「斗良、貴様あぁぁぁ!」
「ひっ」

 ぼたぼたと全身から水を滴らせ、海から帰還した莉結先輩は仁王の形相だった。

「自慢の黒髪が海水でぎしぎしになってしまったじゃないか!? 乙女を海に投げ飛ばすとは、いい度胸だ!」
「その髪で岩も切り裂くような生物を、乙女とは呼びません!」
「できるか、そんなこと!」
「先輩ならやりかねません! 闘気を伝わらせたりとかして……」
「ほぅ、面白いことを言う。ならば、わたしの新技、ヘアスラッシュの稽古台になってもらおうか!」
「ほ、他を当たってください!」

 逃げようとしたけど、闘いの余力は莉結先輩の方が残っている。
 僕はヘッドロックをかけられ、無理矢理海水に引きずりこまれた。
 なし崩し的に、第二ラウンドが始まってしまう。
 
結局、僕たちは日が沈むまで拳を打ちつけ合っていた―――。


字数は一万字内に収めたのですが、改行でどうしても一万字以上にカウントされるため、
コメント欄に本文零れました。
ご了承ください。

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