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半蔵門かきもの倶楽部コミュの第七十七回 JONY作 「君は大事な人の何を知っているか」 (テーマ選択『喪失』)

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 A子がひとりで半年ぶりに俺の店の重いガラスのドアを開けて入って来たのは、もう客もいないし、店の外に出しているOPENの札をそろそろ裏返そうかと思っていた2021年の10月のある夜の遅い時間だった。
 この店も、ほかの飲食店同様、入口にはアルコール消毒液を置き、さらに「徹底点検済」と書かれたブルーの背景のステッカーも貼ってある(これは東京都からの飲食店へのお知らせメールをもらったとき、点検って一体何を点検するのかといった好奇心から電話した結果取得したに過ぎないのだが、最近になって点検済の認証店を優遇する扱いがされるようになったので店に貼ったのだった)。
 A子はそこそこ年を取ったOL特有の落ち着いた様子で
「Jさん。お久しぶり」
と店内を見まわしながら入ってきた。
ちなみに、Jと言うのは俺の愛称で、読書会の会員は皆俺をそう呼ぶ。
「何飲む?」
 A子は懐かしそうに棚に並ぶウイスキーを眺めまわして、
「ジンビーム、ソーダで」
と言った。この子は英国での生活歴が長いせいか、ハイボールとは言わない。
 俺は冷凍庫から出した氷をバラバラとグラスに入れコールドテーブルからレモンの切れ端を取り出してその上に乗せて、ジンビームを注ぎ、ソーダでグラスを満たしてステアして彼女に渡し、自分のグラスには一つだけ大きな氷を入れダブルでグレンフィディックを注いだ。そして、オーディオのコルトレーンを、ルーベッツのシュガーベイビーラブに換えた。
「ねえ。ニュースで言っていたけど、Jさんの店でも、ワクチン証明の提示とか求めたりするの?」
「そんなの、しないよ。証明って言ったって今まだアプリじゃなくて接種会場でもらった紙だろ?そこに本名とか年齢とか書いてあるんだろ?読書会会員のそういうの見ちゃうのは嫌だし」
「ふーん。そうなんだ。なんかさ、Jさんって基本、人に関心ないよね」
 A 子は、昔から俺と仲良くなった女が、必ず言うことと同じことを口にした。この子と個人的な話もした覚えがないのに。A子の人間観察の力の鋭さに少し驚きながら、俺はおどけて答える。
「ぜんぜん違うよ。俺の関心は人間にしかないね。特に可愛い女にはめっちゃ関心持つよ」
 A子は相手にすることもせずに、手に持ったグラスを回して、氷をカラコロと言わせてから、濃いめのウイスキーソーダをすすった。俺は何となく気まずくなって、椅子の背にもたれて、手元にあった以前読んだ小説を再び拾い読みし始めた。
 すぐに小説内世界に没入し、A子のことを忘れた。A子の言う通り俺は「文学」と「美術」に対するような限度なしの我を忘れた没頭ぶりを人に対して持つことはない。親であっても、妹であっても、彼らの奥底の本心を知ろうとしたことはないし、自分をさらけ出すのも恥だと思っていた。今、配偶者と二人で暮らしているが、お互いの部屋は家の反対側にあり、もちろんベッドもパソコンもTVも別で、俺はすごく年下の配偶者に基本敬語で話す。お互いのプライバシーに踏み込みたくないからだ。そういう意味で俺は人間を信用していないのかも知れない。

「ねえ」
 掛けられた声で、我に返ったが、一瞬、自分がどこにいるのか分からなかった。次の瞬間A子のことを思い出し、反射的に腕時計に目を走らせると先ほどから5分と経っていなかった。
「なに?」
俺は目を上げずに返事をする。
「何読んでいるの?」
「ああ、これか。コンラッドの『帰宅』だよ。すでに読んでいる本だけど、読書会の課題図書になったので、読み返しているんだ」
「面白い?」
「どうかな。面白いというより、痛いな」
「どんな話?」
「主人公はスノッブな俗物の男なんだ。人からうらやましがられる教育とか地位とか金とか持っていることだけが大事な平凡なエリート男さ。そいつが、ある日、自慢の素晴らしい邸宅に帰宅すると妻がいない。高価な美術品が飾ってあるセンスのいい部屋の片隅にふと見ると妻の置手紙があるんだ。そこには家に出入りしていた友人のうちの一人、貧乏な編集長と言う男と駆け落ちすると書かれていたんだ。主人公は天地がひっくり返ったようなショックを受ける。妻も立派な教育を受けた上品な美人で、結婚して以来5年、二人は世間もうらやむ幸福な生活を送って来た。少なくとも主人公はそう思っていた」
「ふーん。メロドラマね」
「でもないんだよ。妻は駆け落ち相手の編集長のもとに行かずに待ちぼうけ食わせて、家に帰ってくるんだ」
「え。訳わかんない」
「妻は、夫に、『私には不貞は無理でした』と言うのだけど、どうも、俺が思うに、自分の夫がどういう人間か一度家に帰って確認したかったみたいなんだ」
「どういう人間か?」
「そう、夫のモチベーションが他人との比較で立派な結婚生活をしたいということなのか、妻への純粋な愛なのか」
「……」
「つまり、有名大学をでて一部上場企業に就職し皆から出世頭と言われて30台で部長に抜擢され、才媛美人妻を娶り、芝公園に億ションを買って妻はメルセデスでエステに行くような生活をなんのためにしてるかってこと」
「それってそういう生活をすることが目標じゃいけないの?」
「コンラッドが描く夫がまさにそうだね」
「ふーん。でもなんだか、その奥さんって夢みる夢子ちゃんって感じね」
「編集長から求愛されたときに、生きている実感を得たのじゃないかな」
「でもその人の元には行かないのでしょ。だったら最初から家出なんかしなければ良いじゃない」
「愛人として秘密で会っていればいいという考え方もアリだと思うけど、わざわざ、編集長のことを夫にばらしたのは、夫の本質を知りたかったのだろうね。そうだとすると、編集長との恋愛事件は単なるキッカケで、本命は、やはり自分の夫だったのかもね。夫の愛を確信できれば、元に戻りたかったのだろうね」
「で、結局、どうなるの?」
「夫が家をでるんだよ。自分が妻のことを何にも判っていないという思いに耐えられずにね」
「えー!悲劇」
 この小説の読書会はまだやっていないが、コンラッドが書きたかったのは、「モノよりココロ」とか「愛と信頼が大事」とかいう話ではなく、自分が大事と思っていた人が自分の想像もできない思いを抱いていたことを知ったときの、その人とのすべてを『喪失』した絶望感なのかもしれない。そもそも、男女の間に、人間の間にコミュニケーションが可能と考えていることが相当にオメデタイ主人公なのだが。

 俺は、いつの間にか終わっている音楽をカルチャークラブの「カーマ・カメレオン」に替えた。邦題訳は「気まぐれカーマ」とか「カーマは気まぐれ」とかになっている。恋人のカーマの気まぐれ(カメレオンぶり)を歌った歌だ。A子もお気に入りの懐かしい歌なのか黙って耳を傾けている。
I'm a man without conviction (conviction : 信念) 「あなたは薄っぺらい男ね」 と カーマ目線で、訳されいるが むしろ 「ぼくは一応男だけど、何を信じていいのか分からないんだ」 というほうが、いいように思う。  
I'm a man who doesn't know How to sell a contradiction? (contradiction :矛盾) 「あなたは矛盾のひとつも 呑みこめないのね」 と訳されいるが、 これも、「ぼくは一応男だけど、どうしたらいいかわからない 信じたい気持ちと、裏切られたと言う想いをどう扱ったらいいのか」という男目線の訳が良い。
 A子は鳴り続けるカルチャークラブに心奪われたようで、コンラッドの「帰宅」のことはすっかり忘れたようだ。
 俺も、ボーイ・ジョージのかん高い声を聴きながら、オンザロックのグラスを舐め、ピスタチオの殻を剥いて口にいれては、また殻をむくことを繰り返した。俺は、若いころ独身主義だったはずなのにいつか気づけば恋のせいで自分の決めていた好きな進路を変え、これからは金のために生活のために嫌いなこともしようと決意し学生結婚をした。そして数年後には、その恋女房を捨ててすべてを捨てて家出してほかの女に走った。そのことに謝罪の気持ちはあるが後悔はない。俺はたぶん今でも変わってない。恋愛のために、金や仕事や生活を捨てられる。だがそれは相手のためか。むしろ自分が陥っている「恋愛」のためではないか。 A子の言った『Jさんって基本、人に関心ないよね』という言葉が少し酔った頭にリフレインしている。俺は「文学」や「美術」と同じように「恋愛」が好きなだけではないのか。 
「違う!」
いつしか声にだしてしまっていた。
びっくりして、
「どうしたの」
と聞くA子に、
「あ、ごめん。居眠りして変な夢を見ていた。それより、グラスが空だよ。今度はアーリータイムスのソーダ割とかどうだい?」
と声をかけ、先ほどの想念をなかったことにしようとするかのように、頭を振る。
心の中で、何度も繰り返す。
俺は、恋愛が好きなのではない。相手の人間が好きなのだ。と。
(終わり)

コメント(4)

出てくる単語がいろいろおしゃれで、主人公の洗練された性格を表現していると思いました!知らない世界を覗き見できた感じで、素敵でした。
それにしても、「そこそこ年を取ったOL特有の落ち着いた様子」というのがすごいパワーワードだと思いました。わかるようなわからないような、いるようないないような。
JONYさんらしい知識と教養に溢れた素晴らしい作品ですねぴかぴか(新しい)
文学作品に触れつつ、音楽作品にも触れつつ、幅広い教養があってこそ描くことができる作品だと感じました顔(笑)
日本では「ジムハイ」や「ジムビームハイボール」と呼ぶ飲み物を、英国流では「ジムビームのソーダ割」と呼ぶのも目から鱗でした!
まさに「そーだったんだ!」と思い、頭を割られた感覚でした〜ウッシッシ
Early Timesってところが隠喩ですね。
この頃のボーイ・ジョージはドラマーのジョン・モスに夢中だったのですが、
彼はバイだったので、生っ粋のゲイであるボーイ・ジョージには生き方としての「矛盾」を受け入れ難かった
ということを歌った、との解釈もあるようです。
人間への関心ということは人間すべての部分に対してということなので、いろいろ難しいかもしれませんね。

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