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東條英機コミュの東條英機の長所と短所

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政治的党派性には関心なく、ただ東條さんを歴史的評価の面から探究したいと考えているものです。

さまざまな文献を読んで、公平にみて、東條さんが昭和天皇の御信任を最後まで非常に厚く受けていたことは間違いないと思います。

昭和天皇は、その人物のもつ政治的イデオロギーに関係なく、きちんと正直に報告してくる素直な人物が好きで、反面、いくら有能でも策謀家はお嫌いでした。東條さん以外に、米内光政、鈴木貫太郎といった諸氏をご信任され、逆に石原莞爾や宇垣一成を嫌っていたのはそのこ理由によります。また戦時下への庶民生活への細かい気配り、あるいは部下や親しい人への親切など、非常に善意の人物だったのは明らかです。

マイナス面として、やはり憲兵隊の濫用をあげなければなりません。もちろん、戦時下ではどこの国も思想的統制をおこないます。しかし、中野正剛や石原莞爾ら愛国者的人物への憲兵隊による監視は明らかにやりすぎ、憲兵隊の私物化です。大川周明や赤尾敏のような右翼指導者まで反東條になってしまったのは当然ではないでしょうか。

とりあえずそんなふうに私は東條さんを観ているのですが、皆さまの東條さん観をお聞かせくだされば幸いに思います。

コメント(24)

> marshalさん

私はもう少し東條さんに好意的です。

総理時代、恩賜金をもらったときでもほとんど全部、官邸職員に分け与えたり、また部隊長時代に部下の生活の気配りをしたり、また尉官時代の佐藤賢了が佐官の東條に多額の借金を申し込んだのを快く受け入れたりしている、こうしたエピソードから、東條さんが部下を低くみていたということはいえないと思います。

でも、おっしゃるような、官僚役人の典型だったことも確かで、彼の性格のために戦争計画がズタズタになっていったことももちろんいえると思います。
> marshalさん

東條さんはB型だったそうですけど、神経質、マイペース、気が小さいタイプの人間ですね。人事を私したあとで、私したこと自体が気になってしまうんですね。
陸軍大臣までは適役かもしれませんが、緊急時の総理はつとまらないタイプですね。今でいえば、まあ県知事くらいまでは適役ということでしょうか。
近衛も東条もこのままでは日米開戦になると思った。日米開戦になれば日本は負けるであろとも思っていた。

その重圧に耐えかねた近衛は内閣を総辞職した。

東条はとりあえず近衛のもとで作られた九月六日の「帝国国策法案」で日米開戦を十月下旬をめどに戦争準備を進めるという国策を撤回させねばならないと思った。

東條が首相の座に着くことを望んでいない事を知った近衛は木戸と計って昭和天皇から直接東條が首相の座に着くことを命じてもらう事を計画した。

昭和天皇に召された東條は、昭和天皇の言葉に感激した。

「朕は米国と戦う事を避ける事を心底から望んでいる。しかし、朕の心を真に理解している者は少ない。このままでは日米開戦は避けられない。今、日米開戦を回避できるのは東條しかいない。」

この言葉に東條は無言であった。昭和天皇は東條でさえ陸軍を押さえ込むことができない事を心を知っていた。しかし、東條しかいないことも事実であった。

昭和天皇が好んだ明治天皇が詠まれた歌を口ずさんだ。

「四方の海 みなはらからとおもふ世に など波風のたちさわぐらむ」

 東條はこの歌を聞いて涙した。そして思わず東條の口から言葉が発した。

「お上、申し訳御座いませんでした。お上がこのようなご心痛をされている事は陸軍の代表としての私の責任で御座います。この東條、一命を捨ててでも、お上のご意向に沿うように致します。」

 東條の言葉に昭和天皇も涙をうっすらと浮かべた。文字通り、東條の言葉は真実であった。もし、日米開戦を避けるために南インドシナから撤兵すると東條が首相として断を下せば、若手陸軍将校により暗殺されるであろう。
文字通り東條は日米開戦を避けるという昭和天皇の御心に沿う為に、一命を賭して首相の座を引き受けたのである。
この段階では可能かどうかは別にして、東條以外に日米開戦を避ける事が出来る人物は居なかったのである。

東条は近衛内閣を継いで、首相に就任した。

十月二十三日、御前会議が開かれた。会議の冒頭、東条は近衛のもとで作られた九月六日の「帝国国策法案」で日米開戦を十月下旬をめどに戦争準備を進めるという国策を白紙に戻し、新たな政策を立案する事を宣言した。
あとは海軍の出方如何である。
この会議で最も注目されたのは、海軍軍令部総の永田修身であった。前回の御前会議で日本はアメリカに勝つ事は出来ないと言った永田は、この会議では日米が戦っても初戦では勝つ事が出来ると言った。
東條にとって永田修身の決断の変化は予期せぬものであった。

東條は永田修身に訊いた。

「緒戦で勝てると言ったが、その後はどうなるのだ。」

永田修身にその返答が出来るはずは無かった。

「現段階では我が日本海軍はアメリカ海軍に対して有利に立っています。しかし、アメリカは大造船計画で軍備拡張をしている以上、年が経てば経つほど日本海軍には勝算は無くなります。」

 この言葉に東條は唖然とした。海軍大臣である永田修身が日米開戦に賛成である以上、もはや陸軍の東條に言葉は無かった。

↓に続く、、、
>6の続き、、、


十一月一日、国策再検討会議は最終日を迎えた。

東郷外相の唱えるアメリカに屈服するという案は誰も賛成しなかった。陸軍は中国からの撤兵を拒否、結果的にアメリカとの開戦やむなしと主張した。しかし、東郷外相と海軍は反対した。

東郷外相は南部フランス領インドシナであるサイゴンからの撤兵を主張したが、陸軍は納得しなかった。結局は外交と戦争準備の両面を平行して行うという事に決定した。その外交交渉の期限は十二月一日午前0時と決められた。

 この日、東條は自宅に帰るとこの日の出来事を思い起こしていた。もし、海軍大臣永田修身が、九月六日の「帝国国策法案」の時のように日米開戦で日本海軍に勝算が無いと言ってくれれば、東條は昭和天皇のために、一命を賭してでも、南インドシナからの陸軍の撤兵を命じる事が出来た。しかし、海軍が緒戦では勝利を収める事が出来るという主戦論に転換した以上、東條から南インドシナから撤兵するという断を下す事が出来なかったのである。

 陸軍の東條は知っていた。陸軍大臣でも統率できない関東軍があるように、海軍大臣でも統率できない勢力が海軍にはある。それこそ連合艦隊であった。連合艦隊司令長官山本五十六が主戦論である以上、海軍大臣もその意見を無視する事が出来なかったのである。

 嗚咽していた東條は突然黙り込んだ。そして考えた。

「海軍が主戦論に傾いている以上、陸軍の力ではもはや日米開戦を阻止する事は出来ない。今の自分はお上の意に沿い、日米開戦を避ける事である。陸軍の力で日米開戦を避ける事が出来ない今、外務省による外交交渉に賭けるしかない。」

 東條は東郷外相があくまでも日米開戦に反対している事を十月二十三日の御前会議ではっきりと知った。

 翌日、東條は東郷外相を呼んで言った。

「今となっては外交交渉で日米開戦を避けねばならない。日本の将来は東郷、そなたの双肩にかかっている。わしは陸軍の代表として、南インドシナからの撤兵を決断している。」

その言葉を聞いた東郷外相は驚愕した。

「いくら東條閣下でも、南インドシナから撤兵すれば青年将校が黙っていないでしょう。」

東郷外相の言葉に東條は笑って言った。

「わしの命はお上に預けてある。日米開戦を避ける事が出来るのであれば、わしの命など問題では無い。」

その言葉を聞いた東郷外相は感激した。

「東條閣下、私は誤解しておりました。東條閣下が命を賭けてまで日米開戦を避けようとしておられるとは。私は東條閣下の為に命を捨ててでも、外交交渉で日米開戦を避けるつもりです。」

 その言葉を聞いた東條英機は思わず東郷外相の手を取った。二人は固い握手をしながら東条英機は言った。

「わしは、命を賭してでも陸軍を抑える。そして、首相として日米開戦を避けるための全権を東郷に与える。しかし、これはわしの為では無い。お上の為、日本国民の為にわしの一命を捧げると言っているのじゃ。東郷もそのつもりで働いてくれ。」

 この日から日米開戦を避ける戦いは、日本海軍、陸軍から外務省の手にゆだれられたのである。勿論、東条英機は首相として外務省の外交交渉を一切黙認した。いや、黙認したというより、日米開戦回避の外交交渉は東条英機の命令で行われたと言ってよいだろう。

 しかし、東条英機と外務省の考えとは裏腹に、十一月一日の国策会議の決定は生きていた。“外交交渉は、十二月一日午前0時をもって終りとし、以後、日米は戦闘態勢に入る。”

 この決定は連合艦隊が何時真珠湾奇襲攻撃をしても良いということである。そして連合艦隊は十二月八日、真珠湾奇襲攻撃を決行したのである。

 この日、東條は帰宅後、昭和天皇の写真の前で泣いた。最初は涙が頬をつたったが、次第にその涙は嗚咽に変わり、最後には号泣したという。


「お上、申し訳御座いませんでした。私の微力な力では日米開戦を止めることが出来ませんでした。」

http://www1.clovernet.ne.jp/ponnpe/taiheiyou16.htmlより抜粋転載。


東條さんが昭和天皇の信任厚く、また総理就任後は日米交渉に奔走したのは事実ですが、しかしここまで和平派だったとはとうていおもえません。半分はフィクションですよ。

特に南部仏印撤退を東條さんが決意していたとか、連合艦隊がどうしようもない主戦組織だったとか、事実に反するにもほどがあります。
>事実に反するにもほどがあります。

じゃ、
それを証明する証拠を提示して下さい。
>将軍人事を私できる力を持って開戦を食い止められませんはないでしょ。

そんな力は持っていませんでした。
統帥権干犯について勉強しましょうねw
結局、
統帥権干犯程度の事も知らない、
当時も議会制民主主義だった事を分かって無い、
程度の人が無知を晒して批判しているんですね?w
>15

と、統帥権干犯も知らない人が必死ですW
>統帥権関係ないし。


あ〜、
無知丸出しWWW
当時は一般の行政権と陸海軍の統帥権とが全く別個の存在だったことを認識しなければなりません。 帝國陸海軍は現在の自衛隊とは異なり、天皇陛下(大元帥陛下)に直接隷属するものであって、行政(国務)に属する内閣総理大臣・陸軍大臣(陸軍大臣は人事・予算・制度等の「軍政」のみを所掌)といえども、軍令(作戦・部隊運用など)に関しては一切指揮権を持たなかったのです。 軍が行う作戦内容は勿論、その結果すら国務関係者には全く知らされませんでした。 東條元空将補のお話では、東條首相が所管事項を内奏の際、陛下から戦況等の統帥事項をそっとお教え頂いたとの事を仄聞した事があるそうです。 当時の東條首相兼陸相が置かれていた立場に立って見てみますと、次のようになります。 日本の軍事に関して自分でコントロールできるのは、陸軍の人事・予算・制度等に関する「軍政」事項だけであり、肝心の大本営陸海軍部の立てる作戦については何も関与できず、加えて海軍に関しては軍政事項さえも全く触れることができませんでした。

http://www42.tok2.com/home/moijan/gen_toujou_exp.htm
>海軍は統帥権を侵害して真珠湾攻撃したのか?

結果的にそうなるだろw
そうじゃないというのならソースを出せw

海軍が暴走していて、たとえばミッドウェイ海戦の敗戦を東條さんに報告しなかったという事実はたしかにありますよ。東條さんが統帥権の問題で非常に可哀想な立場だったということは認めますよ。
開戦直前の日米交渉にしても、彼自身が仏印撤兵や中国撤兵を軍人として決意してあたとまでは思わないですが、いざというときには陸軍をおさえこもうという腹をくくっていたことは間違いないと思いますよ。

あの時点で、東條以外の人間が総理になったとしても、あそこまでやることは誰もできないでしょう。こうした点、つまり統帥権や開戦前交渉の点では彼は評価されなければなりません。

私が彼に不信や怒りをもつのは、トピックにも書いたように、総理になってからの戦争国内指導のあまりのひどさですよ。翼賛選挙とか、中野正剛への陰湿な弾圧、石原莞爾や重臣への監視は、不当である以上に無意味ですよ。その点、私はmarshalさんのおっしゃらるように、東條さんの人間性に不信を感じざるをえません。

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