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新川崎カントを読む会コミュの第一アンチノミーについて考察する

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人間の理性は経験できることを超えて、どこまでもどこまでも私たちが持っている概念をたよりに最終的・究極的なものにまで認識を拡大しようとする欲望を持っており、
例えば私たちが〈量〉を思い浮かべることを元にして、時間の始まりや空間の始まりを思い描くようになる。
ここに、
「時間の始まりはある。空間の始まり、すなわち限界もある」
という意見と、
「いや、時間に始まりはない。空間にも限界はない」
という反対意見とが鋭く対立する端緒がある。
理性が生み出すこのアンチノミー(矛盾)について思い思いに考えてみましょう。

コメント(1)

仏教の空の考えがあって、有であり、無であり、有でもなく、無でもない、この考えは見えない物が基礎となって構築される。自分の見えてるモノ自分の考えてる事、それらを超越した所にこころが安住する事により、精神衛生上物質にとらわれない、精神を作るように思える。

だから逆に空間と時間は始まりと終わりもあれば始まりも終わりもない本質がそこにあるような気がします。

般若心経は空を説きますが、その真実、本質はこころのあり方によってあると思います。

この世が幻であろうと無かろうと、そこに価値を見出したり、永遠の輪廻を越え、六道を卒業し安らぐ
すがすがしい事も、また想い求めてる人は多くいると思います。

ただやっぱその空はどう説明していいか解らないし、伝えたいけど、言葉にすると壊れてしまう気がします。
、、、もっと言えば、僕の場合、空を体感してないで語ろうとするから言葉遊びに陥ってしまう。
言い訳になってしまう(><



だから真実をカントを学び教授してもらいたく想います。ぼくの考えは未だ真実に至らない。
だから真実に向かおうとする。

「その探究心もカントにはあるだろう」から、学びたいです。

ぼくは論争したがってるけど、空間や時間についての真実を僕はたぶん知らないからもっと学び心磨き、そしてこの世に対しての誤解を払しょくしたいです。

神仏は空間時間を超越してる次元軸に存在している事を信じてます。

空間時間のシステムはより深い見えない触れない所への理解が必要に感じ、僕はまだまだ掴めてないです。

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