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NNDDL〜略称「のんどる」〜コミュの秋山豊寛

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【Amazon】
原発難民日記――怒りの大地から
(岩波ブックレット)
秋山 豊寛 (著)
2011/12/08
http://www.amazon.co.jp/gp/aw/d/400270825X/ref=mw_dp_mpd?er=1

内容紹介
テレビの記者、日本人初の宇宙飛行士を経て、福島県は阿武隈の大地で有機農業を営むこと15年。その田畑は福島第一原発から32キロ……。著者は原発事故以来「難民」となった。郡山郊外への一時避難から群馬県の農家への疎開など、「農のある暮らし」から見た原発危機の克明な記録と考察は、多くのヒントを与えてくれる。

内容
さようなら、阿武隈の美しい森よ―。記者、宇宙飛行士として活躍後、福島県内で有機農業を営んできた著者は、原発事故がおきて以来「難民」となった。本書は、郡山郊外のホテルへの一時避難、群馬県の友人農家宅への疎開、モスクワでの健康チェックなど漂流の日々を、怒りの炎に支えられて綴った日記である。「農のある暮らし」から見た原発危機の記録と考察は、私たちが自ら考え、行動を起こす上で多くのヒントを与えてくれる。

著者略歴
秋山/豊寛
1942年、東京生まれ。宇宙飛行士、農民、ジャーナリスト。2011年11月より、京都造形芸術大学教授。国際基督教大学卒業後、TBSに入社し、ロンドン駐在、ワシントン支局長などを歴任。1990年12月2日から9日間、日本人初の宇宙飛行士として、旧ソ連の宇宙船「ソユーズ」、宇宙ステーション「ミール」に搭乗。1995年にTBSを退社、翌年から福島県滝根町に移住して有機農業に従事。

【河北新報/宇宙飛行士は原発難民になった】
理想郷、台無しに怒り 秋山豊寛さん「東電に呪いをかける」
20120216
http://d.hatena.ne.jp/byebyegenpatsukyoto/mobile?guid=on&date=20120216

被ばくした中山間地 ニッポン開墾(2)理想郷、台無しに怒り
20120104
http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1090/20120104_02.htm

秋山さんはついのすみかと信じた阿武隈の地を去らざるを得ず、怒りを隠さない。原発事故は田仕事が始まる直前に起き、農機具は放置されたままだ=昨年12月15日、田村市滝根町

◎秋山豊寛さん=田村市「東電に呪いをかける」

 宇宙飛行士は原発難民になった。

 昨年12月15日、田村市滝根町。元TBS記者の秋山豊寛さん(69)は15年間住んだ自宅で引っ越し作業に追われていた。

 福島第1原発1号機が爆発した3月12日、郡山市のホテルに身を寄せた。5日後、避難先を群馬県藤岡市に変え、友人農家宅に9カ月間居候した。京都市の京都造形芸術大から教授の口がかかり、12月に生活拠点を西日本に移した。しばらくは大学教授兼タケノコ農家見習として暮らす。

 「京都では陰陽道(おんみょうどう)を学ぶ。東京電力とそれに連なるものに呪いをかける。冗談ではない。真剣です」

 滝根の自宅は雑木林に囲まれた山中にある。シイタケ栽培で営農した。原発事故でシイタケ小屋も田畑も放射能に汚された。原発の方向をにらむ。拳に力が入る。

 「原発を取り巻く日本の仕組みは政治も司法も経済も強固。変えられるというのは建前で個人ではどうしようもない。誰かを助けたくても八方ふさがりの時、僕らは祈る。その裏返しが呪いだ」

 安住の地を台無しにされた恨み、怒りは深い。一方で福島の自然には最大級の賛辞をささげる。

 「阿武隈は素晴らしい地だ。豊かで美しい自然林。稲作や山仕事を通じ、日本の暮らしは生態系を守ることと結び付いていることが理解できた」

 知識が蓄積して思索が深化した日々だった。「東京の情報は首から上だけにしか入らない。福島ではものすごい情報量が全身から入った。年収は3分の1以下になったが、こんな豊かで手応えのある暮らしはない」

 地元では「事故後もとどまってほしかった」と言う人がいる。だが、「人生観の問題。これ以上被ばくしたくない。政府の大丈夫キャンペーンには乗らない」と語る。

 「政府は放射性物質が放出されても『ただちに健康に影響はない』と言い続けたが、それはいつか影響が出るかもしれないという意味。憲法が保障する健康で文化的な生活とは、いつ病気になるか分からない環境と共存できる概念ではない」

 阿武隈山地の恵みにあふれた暮らしは100年単位で戻らないとみる。

 記者時代に旧ソ連のロケットで宇宙に飛んだ縁で現地の科学者に知己が多い。チェルノブイリの取材も重ねた。そうした経験から導いた判断だ。第1原発の周辺が国策で居住不能になった以上、国の責任で集団移転を進めるべきだと説く。

 「一番大切なのは子孫の繁栄。人類は移動と開拓を繰り返してきた。阿武隈の農家も北海道や海外に新天地を求めた歴史がある。いざというときに土地を離れるのは珍しいことではない」

 大学では「農」を教える。12月20日の初講義で1年生600人に「農の世界の素晴らしさ、自然や命と向き合う意義を伝えたい」と語り掛けた。

 明治時代以降、日本は近代化の道を走り、常に経済成長を求めた。利益と発展。その欲望の延長線上に都会の繁栄があり、原発があると考える。

 日本人は価値観を転換しなくていいのか。学生から変えていこう。来春には「田んぼの学校」や「畑の学校」を始める。

 基盤は山里の経験。「普通の人がまっとうに働いて安全な物を食べ、自然の恵みを感じて生きる。その意味で東北ほどの理想郷はない。東北の中山間地は開発型の地域振興と決別すべきだ」

 滝根の自宅は所有し続ける。年に数回は様子を見に行く。

 「放射性セシウムが半減する30年後にどうなるかを見届ける。ひ孫の代には、あそこで農業をやる後継ぎが出てくるかもしれない」

<6年前の連載/就農した宇宙飛行士>

 秋山さんは1990年、日本人初の宇宙飛行士として宇宙に飛んだ。東京に象徴される日本の近代化を自給自足の生活から見つめ直そうと95年にTBSを退社し、翌年に就農した。中山間地は日本の自然を守る最前線で、人間本来の自己実現が可能な大切な場所と主張。移住者と受け入れる側の交流、共鳴が山里に活気を生むと説いた。
(2006年4月29日付)

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「これ、本番ですか?」
1990年12月2日
http://d.hatena.ne.jp/byebyegenpatsukyoto/mobile?guid=on&date=20120216

【毎日新聞】
「原発難民」となって−−元宇宙飛行士・秋山豊寛さん
20110728
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20110728ddm013040137000c.html

日本人初の宇宙飛行士として、90年に旧ソ連(現ロシア)のソユーズ宇宙船に搭乗したジャーナリストの秋山豊寛さん(69)。その後、福島県旧滝根町(現田村市)に移住、有機農業に取り組んでいた。福島第1原発の事故を受けて、今、どこで、どんな思いで過ごしているのか? 訪ねてみた。【大槻英二】

 ◇福島で農業15年、群馬へ/平和な老後、破壊された/経済成長に頼らぬ生き方を

 「こっち、こっち」。待ち合わせ場所のバス停に、長靴をはいて現れた秋山さんは真っ黒に日焼けし、すっかり「農家のオジサン」になっていた。ここは福島県ならぬ群馬県藤岡市の鬼石(おにし)町。そのまま埼玉との県境を流れる神流(かんな)川のほとりにある田んぼに案内された。有機農業に取り組む知人から借りた6畝(せ)(約6アール)の水田。7月の初めに手植えをした。

 「福島では5月20日前後に田植えをしていたけど、なかなか水温が上がらなくてね。ここは稲がどんどん伸びて、びっくりします」。ハウスではアスパラガスやカボチャ、ピーマンなどの野菜も栽培。避難先とはいえ、ようやく「農のある暮らし」を取り戻し、秋山さんもホッと一息という表情だ。

 東京放送(TBS)記者だった秋山さんが、旧ソ連カザフ共和国(現カザフスタン)のバイコヌール宇宙基地からソユーズ宇宙船で宇宙へ飛び立ったのは、90年12月2日のこと。生中継で東京のスタジオからの呼びかけに、「これ、本番ですか?」と聞き返したのが、宇宙からの第一声となった。その後、国際ニュースセンター長となったが「管理職になって、現場を離れるのは耐えられない」と95年に退社。福島・滝根に移り住み、自給自足を目指して有機農業を始めた。現在も月刊誌「自然と人間」に「農のある暮らしから」を連載するなど、執筆活動を続けている。

 滝根では阿武隈山地の標高約600メートルの山里に1ヘクタールの土地を購入。シイタケの原木栽培をはじめ、コメや野菜づくりに取り組んでいた。16年目の今年は、田んぼの一部をレンゲ畑にして、ニホンミツバチを飼って、ハチミツの自給に挑もうと考えていた。そのさなかの東日本大震災だった。

 「福島第1原発は運転開始から40年がたち、僕の計算では今年あたりから廃炉の作業が始まると思っていました。まあ、これが浅はかな考えだったわけですけどね」

 原発から自宅までは約32キロ。震災翌日には、近くの体育館に、第1原発がある大熊町の住民が避難してきた。テレビは「空中からセシウム検出」と報じ、屋外に出ると、以前から持っていた放射線警報器が鳴り始めた。身の危険を感じた秋山さんは、郡山市の宿泊施設に避難、事故が長期化するのを見越して、鬼石町の知人宅に身を寄せた。

 避難から4カ月余。原発から約200キロ離れ、いま何を思うのか?

 「『経済成長がなければ、幸せになれない』という神話、いや、これはイデオロギーですよ。このイデオロギーから脱却しない限りは、今回のこの悲惨な事態の教訓を生かすことができないんじゃないでしょうか」

 60年安保闘争の余韻の中で学生時代を過ごした秋山さんが、一貫して追い続けてきたテーマは「日本の近代化とは、何だったのか?」。農の世界に飛び込んだのも、近代化以前の自給自足の暮らしを追体験したいとの思いから。宇宙ステーション「ミール」から地球を眺めた体験は、環境破壊の進行を前に、自分も行動する時ではないか、との思いを強くしてくれたという。

 日本は戦後、高度成長からバブルへと、常に経済成長を求めて突き進んできた。「80年代には、既に買い替え需要しか望めなくなっていた。ものが行き渡った先では、欲望を刺激するしかありません。だから、必要ではないにもかかわらず、あたかもそれがないと暮らせないようにあおった。IT化もその一環ですよ。誰にとっての幸せなのかの問いかけもないままに、便利だということが呪文になった。便利さとは電化することであり、その延長線上に、エネルギー供給、すなわち原発があるわけです」

 パソコンは60歳のときに手放し、「原発難民」になるまでは携帯電話も持たなかったという。それでは、経済成長に頼らない生き方のヒントは、どんなところにあるのか。

 「農業や漁業など1次産業が軸にしているのは、暮らしですよ。利益や発展を必ずしも求めているわけではなくて、そこで暮らしを維持していけることが基本目標なんです。私もシイタケを栽培しながら、コメや野菜をつくって、それなりに食べていけていたわけです。ナスが一山いくらになったかに一喜一憂するのではなく、ナスがなったからただそれを食べるという暮らし。豊作の年もあれば、不作の年もある。株式会社が農業に参入するというけれど、それは利益が目的であり、そもそも1次産業に単年度決算なんてそぐわないわけです」

 依然、収束のメドが立たない原発事故。秋山さんの滝根の家は30キロ圏外にあり、「自主避難」の身だが、この先どうするつもりなのか。

 「(原子炉建屋に)ふたがされれば戻れるかなとも思っていますけど」。しかし、直接販売で年間100万円の売り上げがあったシイタケは、放射性セシウムなどを吸収しやすいとされることから、当面はあきらめなければならないという。

 「おそらく30年は……。そんなにたったら、俺は白寿(99歳)だよ。セシウムはそれでやっと半減だからね。政府が言うように『ただちに健康に影響を与えるような数値ではない』かもしれないけれど、人様に安全な食べ物です、と言って売れません。風評被害は政治不信そのもの。詳細なデータを公表することもなく、基準値以下ですと言われても、消費者が買わないのは、庶民の知恵ですよ」

 そして、率直な胸中をこうも表現した。

 「平和な老後をおびただしく破壊されました。秋に稲刈りをしたら、わら人形を作り、原子力ムラの人たちの名前を張って、くぎを打ち付けたい思いです」

 それは、福島の人々の怒りでもあるかもしれない。山里で地道に農業を営んできた秋山さんが、人を呪わなければならないとは……。原発事故の業は深い。

コメント(4)


http://d.hatena.ne.jp/byebyegenpatsukyoto/mobile?guid=on&date=20120216

【毎日新聞】
「原発難民」となって−−元宇宙飛行士・秋山豊寛さん+【朝日新聞】日本初の宇宙飛行士秋山さん避難先転々 原発事故に怒り
20120202
http://d.hatena.ne.jp/byebyegenpatsukyoto/20120202/1328190463

秋山氏は今年4月から京都造形芸術大学教授に着任予定だそうです。

【日本人初の宇宙飛行士となった秋山豊寛氏談】

「私の老後は原発によって破壊されました。今後、自分が『安心して幸せに暮らせる町』を探すにしても、原発リスクを考えなければ、『砂上の楼閣』となってしまうかもしれません」

 そう語るのはTBSの元社員で、日本人初の宇宙飛行士となった秋山豊寛氏(69歳)だ。同局を'95年に早期退職した秋山氏は、福島県田村市に移住。無農薬農業に従事する第二の人生を送っていた。だが、福島第一原発の事故により、県外への避難を余儀なくされた。心ならずも「終の棲家」を追われたショックと怒りは、今も消えることはない。

「まるで、強盗にあって身ぐるみはがれたような気持ちです。国内に54基もの原発を抱えている日本のような国は世界でもまれでしょう。そう考えると、本当の意味で持続可能な幸福を保証する場所は、日本にはないのかもしれません」

 秋山氏は今年4月から京都造形芸術大学教授に着任予定で、新たな生活基盤を手に入れることができたが、不安は尽きない。

「京都は、若狭湾にある原発から60~70kmしか離れておらず、ちょうど福島原発から郡山市や福島市までと同じ距離感覚です。私は、原発を拒否する住民が多いところが一番いい場所だと考えていますので、若狭湾の原発全廃のために市民が立ち上がれば、京都も幸せな町になるでしょう」


「万一を考えて買っておいた警報機。まさか役立つ日がくるなんて」
http://d.hatena.ne.jp/byebyegenpatsukyoto/mobile?guid=on&date=20120216

【朝日新聞】
日本初の宇宙飛行士秋山さん避難先転々 原発事故に怒り
20111207
http://www.asahi.com/national/update/1207/TKY201112070153.html


避難生活を共にした軽トラックと秋山さん=11月28日、群馬県藤岡市鬼石、高橋淳撮影

 元TBS記者で、日本人として初めて宇宙を旅した秋山豊寛さん(69)。16年前から福島県で農業を営んでいたが、東京電力福島第一原発の事故で避難生活を続けている。

 キュッキュッ――。首から下げた放射線警報機が音をたてた。原発から約32キロの田村市内。震災翌日の3月12日、着替えをスーツケースに詰め、軽トラックで家を出てまもなくのことだった。「万一を考えて買っておいた警報機。まさか役立つ日がくるなんて」

 TBSでワシントン支局長などを歴任した秋山さんは1990年、社内プロジェクトで旧ソ連の宇宙船ソユーズに搭乗。宇宙ステーション「ミール」に滞在した。5年後に早期退社。阿武隈山地の雄大な自然にほれ込んで移り住み、自給自足の暮らしに飛び込んだ。

 泥の手触りを楽しみながらの田植え。収穫の秋には生きる実感をかみしめる。裏山では収入源となるシイタケを栽培した。「退職金をブチ込んで農地を買い、家を建てたのに。強盗に身ぐるみはがされたようなものだ」と原発事故への怒りをぶつける。


【原発難民日記怒りの大地から】
著/秋山豊寛
版/岩波ブックレット(825)
時/20111207
560円

秋山豊寛さんは「日本人初の宇宙飛行士」であり、元TBS記者であり、TBS退職後、福島第一原発から32kmの場所で、農家を営んでいた。

(3月11日)
『事故隠し』
P7L6
東京電力は、これまでも「事故隠し」の前歴があるので、彼らが「大したことはない」と言っても信用はできない。

(3月12日)
『「ハイそうですか」とは言えない』
P10L5
危険に対しては、自分で身を守るほかない。すぐに健康に影響するわけではないと言われても「ハイそうですか」とは言えない気分。

(3月13日)
『東電の使う「言葉」は異常だ』
P12L4
「爆発」を「大きな揺れが発生し、大きな音があり白煙が発生」と発表する。

(3月14日)
『テレビがこの点に触れないのも「アヤシイ」』
P13L2
三号炉では、MOX燃料が使われている。

『外国のほうが情報が多いのか』
P13L13
どうやらIAEAを通じて、日本の原発情報を日本国民より詳しく知っている感じがする。

(3月16日)
『同情するなら田畑を貸してくれ』
P19L2
何とか、田圃や畑を貸してもらえるだろうか。いよいよ“難民”としての漂流が始まるわけだ。

(3月17日)
『何かを隠している』
P20L1
テレビ局は、何か勘違いしているのではないか。こういう時に、本当のことを伝えずに、危険を伝えずに「政府広報」と化すことのデメリットがわからないのだろうか。

(4月20日)
『風評被害』
P38L15
風評被害などという言葉は、いかにももっともらしいが、「風評」なるものに根拠が全くないというわけでもない。風評なるものの「実体」は、誰も、実はお上の言うことを信用していないということなのだ。

(5月11日)
『がんばれ西日本』
P47L5
「がんばれ東日本」などと言って、汚染された食品を全国に流通させるのではなく、「がんばれ西日本」と言って、西日本の農家に、国民のためにさらなるがんばりを求めるべきなのだ。

(6月1日)
『本気で「脱原発」を実現させたいなら』
P50L14
“インチキ”と見たほうが良い。
油断は禁物。
何故か。
現行の「原子力ムラ」を支える構造に手をつけようとしてないからだ。
「原子力ムラ」構造は、法律面から手をつける必要がある。


資源エネルギー庁の“総合資源エネルギー調査会”を国民会議にする。

資源エネルギー庁の長官が電力会社に天下るのを禁止する。

脱原発の実現のためには、まず焼け太りを許さない論理と、法改正などによる「ムラ」の解体。
そして「仕方がない」と洗脳された人々の思い込みという汚染の浄化が出発点になる必要がある。

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秋山さん。
人々は、浄化という出発点に、
立ったようです。

次は、法改正によって

「原子力ムラ」の解体

を約束する政党を、
私たちが選挙で選べるか、
どうかだけ。


脱原発の工程表が難しくても、

「原子力ムラの法改正による解体」

を約束しない政党は
“インチキ”ですよね。


【原発問題】
「命に影響することが解ったら、福島県民の怒りは爆発しますよ」
秋山 豊寛氏
2014/08/23
http://blog.goo.ne.jp/jpnx05/e/73587dd1a828d3efd6c69a50cfbe1d25

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