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聖書研究入門 コミュの安息日の意味 その2

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4.奉仕の日

★マルコ3:1-5
<1 イエスがまた会堂にはいられると、そこに片手のなえた人がいた。
2 人々はイエスを訴えようと思って、安息日にその人をいやされるかどうかをうかがっていた。
3 すると、イエスは片手のなえたその人に、「立って、中へ出てきなさい」と言い、
4 人々にむかって、「安息日に善を行うのと悪を行うのと、命を救うのと殺すのと、どちらがよいか」と言われた。彼らは黙っていた。
5 イエスは怒りを含んで彼らを見まわし、その心のかたくななのを嘆いて、その人に「手を伸ばしなさい」と言われた。そこで手を伸ばすと、その手は元どおりになった。>


イエスは、安息日に良いことをするようにと言われています。


5.祝福された日

神は安息日を通して人間に充実した豊かな生活を約束されました。
しかし創世記2:3ではその具体的内容が明らかにされていません。

★創世記2:3
<3 神はその第七日を祝福して、これを聖別された。神がこの日に、そのすべての創造のわざを終って休まれたからである。>

ここでは、第七日を祝福され、聖別され、創造のわざを終えて、休まれたということしかわかりません。
ただし、救済の歴史の中でそれは少しずつ明らかにされていきました。

 『出エジプトでにおいて、神の契約の民として召されたイスラエル民族に、その意味が示された。ここで安息日は世界の創造だけでなく、エジプトから奇跡的な神の力によって救い出された新しい民と関連付けられ、神の民に対する即座イの計画の救済論的、歴史的シンボルとなった。すなわち、安息日は神の民の日常生活に深くかかわりのあるものとなったのである。そのはじめはマナを与えられた経験からである。その時、安息日にマナは与えられなかったが、保存できた。これは神の特別な力による。ここに現れた安息日の祝福は、彼らの肉を養い、生命を保つ賜物を保証されたことである。』

★申命記8:3
< それで主はあなたを苦しめ、あなたを飢えさせ、あなたも知らず、あなたの先祖たちも知らなかったマナをもって、あなたを養われた。人はパンだけでは生きず、人は主の口から出るすべてのことばによって生きることをあなたに知らせるためであった。>

み言葉に生きる道があります。

★ヨハネ6:51
<わたしは天から下ってきた生きたパンである。それを食べる者は、いつまでも生きるであろう。わたしが与えるパンは、世の命のために与えるわたしの肉である」。>

安息日の前日に、2倍のマナが降りましたが、それはイスラエルの民が金曜日と安息日の二日分を残しておかねばなりませんでした。それは、安息日に休息し神の祝福を受けるためでした。この祝福は、究極的には、生きたパンであるキリストご自身のご臨在を表し、永遠の命に繋がることを意味しています。


●安息日について、安息日はユダヤ人のもので、現在は日曜日に変更されているという人々がいるようです。

それは、コロサイ2:16-17が引照されます。

★コロサイ2:16-17
<16 だから、あなたがたは、食物と飲み物とにつき、あるいは祭や新月や安息日などについて、だれにも批評されてはならない。
17 これらは、きたるべきものの影であって、その本体はキリストにある。
18 あなたがたは、わざとらしい謙そんと天使礼拝とにおぼれている人々から、いろいろと悪評されてはならない。彼らは幻を見たことを重んじ、肉の思いによっていたずらに誇るだけで、>

聖書の中で、律法と呼ばれるものは、十戒と幕屋の奉仕を中心とした、宗教儀式に関する律法、および、ユダヤ人の社会生活に関するものです。

□十戒・・・・

道徳律と呼ばれる。
神の ご品性にもとづいた人間の行動基準。
その性質上永遠に不変のもの
不変


★マタイ5:17〜18
<17 わたしが律法や預言者を廃するためにきた、と思ってはならない。廃するためではなく、成就するためにきたのである。
18 よく言っておく。天地が滅び行くまでは、律法の一点、一画もすたることはなく、ことごとく全うされるのである。>

このみ言葉の前後関係から、このイエスが語っておられる律法は、十戒です。

□礼典律・・・・犠牲制度を教えています。

□社会的律法・・・十戒の適用を教えたもので、時代の変化に応じて、適用方法は変化します

社会的律法や儀式に関するものも含まれていたかもしれませんが、
礼典律は犠牲制度(キリストの贖罪をあらわしている)を教えているもので、キリストご自身が十字架にかかられることで成就しました。
礼典律は、キリストを象徴してしましたが、イエスが息を引き取られた時、その本体が象徴と合致したため、聖所と至聖所を区切っていた幕が上から真っ二つに裂け、犠牲制度の終了を意味しました。

コロサイ2:17の「きたるべきものの影」・・・・安息日は「来るべきものの影」ではありません。十戒の第四条の「安息日」は、神の創造の記念日であって、きたるべきものの影ではありません。ここでの安息日と呼ばれているものは、礼典律の祭りや新月と同じ贖罪の型をあらわす安息日であると考える必要があります。

 『主はまたこう言われる。「もし安息日にあなたの足をとどめ、わが聖日にあなたの楽しみをなさず、安息日を喜びの日と呼び、主の聖日を尊ぶべきものととなえ」るならば、「その時あなたは主によって喜びを得」る。(イザヤ58:13-14)。安息日をキリストの創造とあがないの力のしるしとして受け入れるすべての人にとって、この日は楽しみとなる。彼らはその中にキリストを見出し、霧いすとのうちにあって喜ぶ。安息日は創造のみわざを、あがにあにおけるキリストの大いなる力の証拠として、彼らに示す。それは、エデンの失われた平和を心に呼びもどすと共に、救い主を通して回復された平和を告げている。こうして失われた平和を心によびもどすとともに、祝福を通して回復された平和を告げている。こうして自然界のすべてのものは、「すべて重荷を負うて苦労しているものは、わたしのもとへ記なさい。あなたがを休ませてあげよう」 (マタイ11:28)とのキリストの招きを繰り返しているのである。』(各時代の希望。

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