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反改憲!【条約より憲法が上】コミュの羽仁五郎botへのTwitter_文科省廃止以外ない。

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羽仁五郎bot
‏ @gorohani

教育というものは自由でなければいけない。教育と権力はあいいれない。つまり命令されて人間はいい人間になれるわけがない。自分でなろうとしなければだめだ。上から命令すればするほど自発性はなくなっていく。教育の根本はその自発性なのだ。


20:23 - 2018年11月15日

https://twitter.com/reef100/status/1063032732207509504
アステローペ・リーフ
‏ @reef100
返信先: @gorohaniさん

文科省廃止以外ない。

1970年10月25日初版 「教育の論理」(文部省廃止論)羽仁五郎著

p.22
*−−引用開始−−*
立法の三つの根本原則
 第三に、立法論からの文部省の問題を考える必要がある。
 文部省は行政機関であり、その行政の基礎をなす法律によって、文部省は成立している。その法律というものについて、日本国民の認識は非常に不十分である。

法律というものは、どういう法律でも、法律として議会を通過しさえすれば、それによって合法化されると考えるべきではないのであり、法律にも限界があるのである。
 大学で教えている法律学では、そういう法律の前提、根本的な基礎、あるいは哲学的な根拠を教えていないのだ。だから日本では、法律というのは技術的なこととしか考えられない。けれどもイギリスなどの場合には、法律の前提、根本的な基礎、その哲学的根拠が非常にはっきりと国民の常識になっている。
 それはどういうことか、というと、立法の根本原則の第一は、その法律がなければならないか、いなか、の問題である。その法律がなければ社会が一日も成り立たない、という法律をつくることはゆるされるが、そういう法律がなくても社会が成り立たないということはない、というような法律をつくるのは、立法権の乱用だ、という事である。この点は、日本ではぜんぜん認識されていない。だからこそ、なくてもいいような法律を盛んに作ることになるのである。
 第二は、乱用の恐れのある法律、弊害のあるような法律をつくることは、絶対にゆるされない。
 それから第三は、法律は人間の考えることであるから、充分に考えて、これは弊害がないと思ってできた法律であっても、万一弊害がある場合には、この万一の弊害を救う方法がないような法律をつくることは、立法権の乱用だということである。
 この三点は、イギリスなどでははっきりと立法の原則として認識されているが、日本ではまったく無知という現状である。

文部省は立法権の乱用

ところで、文部省がなければ、日本の社会は一刻も成り立たないかというと、そんなことはないのだ。現に、世界の多くの国には、日本のような文部省などというものは全然ないのである。・・・
*−−−−−−引用終了−−−−−−−*

 こんなわずかな文にさえも、憲法98条の真意がにじんでいる。
国家は人民の自然権を守る為に、人民が国家を作ったという約束定義の真髄がにじんでいる。
人民主権がにじんでいる。(人民主権の主権とは政治を最終的に決定する権利は人民にあるということ)

 憲法99条の意味もわかる。
 憲法を守らないような国家権力は、リセットしなければならないというのは、主権者人民の義務であるということが分かるではないか。

 何も小林節氏の本など読まなくても、こんなことは先進Democracy国家では常識。憲法学者の特許ではない。
(小林節氏の言葉)『個々の国民が個性を持った存在であり、かつ幸福に生きる権利を持っているという考えは普遍的な考え方だ。』
(小林節氏の言葉)『そのうえで、人間は一人では生きていけないから、国家というサービス機関を作った。だから人と国家が対立し、国家が人の人格的生存を侵すのは国家の誤作動。そのような場合、人間は革命を起こさなければならない。』←まさに憲法98条、99条の中身だ。
【(上記小林節氏の言葉)の出典:
「片山さつき氏の天賦人権説否定ツイートに対する小林節慶大名誉教授の批判」
2015-07-07 22:31:09
なか2656の法務ブログ様
https://ameblo.jp/naka2656/entry-12047815748.html … 】

※小林節氏に限らず、憲法学者の説は、まどろっこしいい言い方だから、これでは一般大衆、老若男女にまず頭に入らない。
何をいってるかというと、

約束定義「国家は人民が作った。」
約束定義「人民の自然権を守る為に、人民が国家作った。」

ここから導出されること

「国家の目的は人民の自然権を守る事」
「国家権力は、人民の自然権を守る為に、国家が人民から信じて託されたもの」

よって、

(小林節氏の言葉)『人と国家が対立し、国家が人の人格的生存を侵すのは国家の誤作動。そのような場合、人間は革命を起こさなければならない。』
すなわち「国家が人民の自然権を守らないなら、人民は、国家をリセットしなければならない」
ということ。

これが国民の常識。
でなければDemocracy国家とは言えないということ。

「民主主義」といくら叫んでも、「多数決=民主主義」。「法律は絶対守らねばならない」。そんなものが「民主主義」なら、民主主義はDemocracyとは似ても似つかないものだということだ。そんなことでは、人民主権の確立などありえないということだ。 こんな常識では、とてもじゃないが「論理という資源」を解放した人民とは言えない。 人間牧場の柵の中で草を食んでいる家畜だ。



20:35 - 2018年11月15日

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