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反改憲!【条約より憲法が上】コミュのおみくじ引く暇が有ったら、どうすれば安倍政権を倒せるか、どうすれば、国民の基本的人権を守れるのか、考えるべきだ。

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■大大吉・凶なし…おみくじ様変わり 不安な世相を映す?
(朝日新聞デジタル - 01月03日 10:34)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=3786825

●【おみくじ引く暇が有ったら、どうすれば安倍政権を倒せるか、どうすれば、国民の基本的人権を守れるのか、考えるべきだ。】

おみくじで救済されるなら、厄除け神社で救済されるなら、国家予算のすべてを使ってでも、日本中、金ぴかの厄除け神社を作り、国民の大多数を神社で働かせて失業対策ができる。

だが、戦争法は、おみくじで廃棄できはしない。

政治を変える以外ないのだ。

国家を変える以外ないのだ。



●【日本人民は、国家が何かを理解していない。】

国家こそは最大最強のボランティア団体なのだ、本来は。

その為に国家を人民は作ったのだ。それが近代だ。

それが近代の国家の理念だ。

国家を暴力的権力、非合理な権力から、市民的平和権力、非民的平等権力、合理的権力に変えれば全部よくなるのだ。


●【なぜ、現役の御嬢さんや青年がおみくじにたよるのか、
なぜ、往年の娘さんまでが、よろめきドラマに恋い焦がれ自らも実践を試みたがるのか、
なぜ、夜は夜で、名探偵コナンや、相棒などの悪者をやっつける実在しない偶像に恋焦がれて釘づけになるのか、
なぜ、夜は夜で、スポーツ番組に親父は入れ込み、球蹴りや球撃ちにのめり込むのか。
なぜ、ミクシィには、秘密クラブのようなコミュニティができ、よろめき志願者が殺到するのか。
なぜ、ミクシィには、よろめき志願の、それでいて、リアルのよろめきは求めないという日記、つぶやき非公開の集団的発生があるのか、
すべて、政治に関係している。

市民的平等権力がないからだ】

現実の社会は、学歴偏重、その学歴でさえ、高度な学歴を積んで世の中に出てきても、白い巨塔をはじめ、巨塔だらけである。
市民的平等などない。力のハラスメントの山だ。非合理、理不尽の山だ。その中で訴えるところなどどこにもない。役所も警察も裁判所も、非合理な権力でしかない。人間関係自体が非合理な関係でしかない。ひとりぽっちなのだ。都市とは助け合うものが都市の実態だが、日本にはそんな都市はない。日本には、市民的平等権力などないからだ。市民的平等権力のある都市を持つ国家は、大学生の学費などゼロ円だ。教育は国家の柱だ。基本的人権を守る柱だ。貧困が貧困を再生産しない為の柱の政策だ。日本はそれがない。都市がないからだ。市民的平等権力がないからだ。

市民的平等権力がないということは、さまざまな弊害をもたらしている。

娘や息子は、学校で、特高化した警察化した学校で、自己主張をできず、偏差値教育で縛りあげられ、人間喪失になっている。
スポーツの部活も、街のスポーツクラブも、選別と強制と非合理のるつぼだ。

せめてもの逃避先はたとえばゲーム、ぶらつき、禁じられた遊び・・・。


奥様は奥様で、不満、鬱憤、不安の中、どこにも市民的平等などないなか、昼下がりのよろめきドラマと、自らもアバンチュールへの憧れで、仮想の世界へと自らをいざなっている。


学校出たての社会人は、こんな非合理で理不尽な市民的平等のない社会に幻滅し、
SNSなどネットに仮想の世界を求めて閉じこもる。


老いも若きも、夜は夜で、非合理な、理不尽な、すなわち市民的平等権力のない絶望的な現実の逃避先として、刑事モノ番組に、暴力番組に、スポーツ番組にめり込む。

すべては、大人も子供も学生も、政治的に、市民的平等権力ができていないことによる現象をあらわしている。


この非合理な権力の象徴は天皇制である。

現在の日本の政府の与党である自由民主党と暴力団の関係は、議員に暴力団の関係者がいるばかりではなく、両者の活動資金が同じところから出ていることから明白だ。銀行は自民党にも暴力団にも金を垂れ流している。
政治的暴力団が自民党で、あるいはその衛星党で、社会的暴力団が一方にいて、
昨今の大暴力団の分裂騒動など、オリンピックに絡む利権の金でもめた現象という。
このオリンピックの施設利権に、自民党の元総理らが関係しているのはすでに多くの国民が知っている。
暴力団と政治は表裏一体なのだ。

この暴力団と天皇制はまた表裏一体である。
暴力団が、天皇制や日米安保体制を支持している。
天皇制を支持しながら、その天皇制の日本を、軍事的にアメリカの支配下に置く体制を主張している日本の暴力団というのは、愛国主義としては矛盾しているようだが、見方を変えれば矛盾していない。日本の政治の背後にいる銀行資本(独占資本)が、日米で癒着しているからだ。
テレビや新聞も、暴力団と癒着しているから、正しい暴力団の実態を報道しない。
金の流れと癒着の実態が、暴力的権力、非合理な権力の日本を実現している。

非合理・理不尽の問題の最後は、天皇制に関わってくる。
暴力団は、天皇制を支持する。
そして、この菊の御紋が目に入らぬかという非合理で、
合理的な市民的平等権力を、暴力で人間の壁で黙らせる。そのような非合理な権力の象徴として、天皇制を利用する。
非合理には、御紋が必要なのだ。この御紋を見せたら人民がひれ伏すという体制が必須なのだ。それが非合理の手法だ。合理的な説明では屈服させられないのだから。
日本の警察は、いつでも天皇の警察に変わりうるものだ。
たとえば改憲で、一夜にして変わる。

暴力団と政治家のこうした癒着を暴こうとした議員などは暗殺されている。
暴力団と、CIAと、検察・警察・司法という権力も癒着している。国家が総ぐるみで癒着している。

政治暴力団化した国家の下で、ブラック企業などなくなるわけがないのだ。
今やTPPをはじめ、医療保険制度、介護保険制度、なにもかも、国家総ぐるみで、ブラック企業化だ。

だから、学校出たての社会人が、会社でブラックな社会の実態に絶望し、
市民的平等権力の存在しない現実の中では、おみくじ、SNSの秘密クラブ、ゲームにのめり込み、パチンコのめり込む。

現役のお嬢さんも往年のお嬢さんも、アバンチュールやら、まだ見ぬ架空の恋をもとめてよろめきドラマに夢中になり、実践としてもよろめく。

親父は、やりきれなさに、赤ちょうちんと、スポーツ番組と、夜の街のカオスにのめり込んで憂さを晴らす。

すべては、政治的に、市民的平等権力が樹立されていないからだ。


●【選挙で変わるか?変わらない。選挙で自民党が消えるわけがない。公明党が消えるわけがない。大阪維新が消えるわけがない。民主党前原らの勢力が消えるわけがない。暴力団が消えるわけがない。どうしたら消えるか?】

無血democracy革命を覚悟する以外に道はない。
無血democracy革命により、市民的平等権力を樹立したら、非合理な権力は消える。

市民的平等権力を選挙で樹立できるか?できない。
無血democracy革命を覚悟して、はじめて、選挙に勝てる。

無血democracy革命はどうやってどのように実現可能なのか。
無血democracy革命は、爆弾も、機関銃もいらない。
己の脳みそを脳内革命する日本人民が広まればおのずと実現する。

脳内革命とは何か?

democracy【人民支配、人民主権】について、理解することだ。
これは、近代社会契約について理解することと同じだ。

これを理解すれば、脳内革命だ。脳内革命は、必ず現象化する。無血democracy革命に向かって行進をはじめずにはおれない。

1.国家とは、人民が作った。人民の基本的人権を守る為に。

これが近代社会契約の国家の定義だ。

2.近代社会契約を基盤に、日本国憲法は作られている。

3.主権は人民にある。裁判所にも国会にも内閣にも主権はない。

主権は政治を最終的に決定する権利だ。


4.国家権力とは、人民が国家に信託したものだ。
国家に国家の仕事をさせるために。
個人では守れない基本的人権でも、国家なら守る力があるのだ。その為に人民は国家を持ったのだ。


5.「国民は法律を守れ」なんて我が国の憲法は一言も言ってない。憲法98条は「国民はこの憲法に反する法律に従うな」と言って、近代社会契約を礎とする近代憲法として、国民の抵抗権、革命権を保障しているのだ。

6.憲法99条は、大臣や国会議員や裁判官や天皇らの国家中枢公務員職を名指しして、この憲法を守れと命令している。
近代憲法は人民が国家を縛ったものだ。近代立憲主義とは憲法に縛られて国家が仕事をすることだ。

もし、国家が憲法に反する法律を作ったり憲法に反する行政をしたり、憲法に反する司法判断をしたら、緊急時には緊急時の手段が必要なのだ。抵抗権、革命権の行使をしなければならないのだ。それもれっきとした人民主権の主権の行使だ。

抵抗権も革命権もれっきとした人民主権の主権の行使だ。

democracyの中身は、人民支配であり人民主権だ。democracyとは人民支配であり人民主権のことだ。
多数決や議会制民主主義と言う間接民主制は
たんなるツール、道具だ。人民支配、人民主権を実現する可能性のある道具だ。
道具は、democracyを実現するとはかぎらない。ヒトラのように、ファシストは、人民が低レベルならいつでも言葉を使って長い舌で丸め込んでdemocracyを、すなわち、人民支配、人民主権を、停止する道具にもなるのだ。
ヒトラは多数決で、議会制民主主義で全権委任法を作ったのだ。
多数決で、議会制民主主義で、人民主権を停止したのだ。

多数決や議会制民主主義と言う間接民主制が、democracy(人民支配や人民主権)であるはずがないのだ。



(人民支配や、人民主権)が、(人民支配や、人民主権)を停止することなどできはしない。
(人民支配であり)ながら(人民支配でない)などと言うことはあり得ない。
(人民主権であり)ながら(人民主権でない)などということはあり得ない。

(democracyであり)ながら(democracyでない)などということはあり得ないのだ。
そんなオブキュスランティズム(曖昧主義)は、社会科学ではない。ファシズムのたわごとだ。

人民支配、人民主権を破壊するのは、democracyではない。反democracyだ。ファシズムだ。
ファシズムは、立法、行政、司法の三権を一手に掌握することを目指す。そして、一手に掌握したらバンバン法律を作り、バンバン執行する。司法はそこに癒着している。法律の乱発に裁判は追い付かず、たとえ追い付いても国策判決をする。

今の日本はファシズムそのものではないか。

●【無血democracy革命しかないではないか。】

己の脳ミソをdemocracyに覚醒させ、社会契約に覚醒させることだ。

無血democracy革命は主権者人民の脳内革命から始まる。

今の日本は、人民の脳内革命により、近代社会契約にふさわしい、日本国憲法にふさわしい、国民となり、日本国憲法を実現する、そんな無血democracy革命以外ない。

無血democracy革命に爆弾も機関銃もいらない。

憲法98条に則った法律のボイコットと、憲法99条に則って国家権力者の一新をすればいいだけだ。

国家権力者が憲法システムを破壊した時には、憲法99条をもって逮捕投獄できる。それが憲法99条だ。

国家権力者が憲法システムを破壊した時には、
その国家権力者を国家権力の座から退治するには、
憲法99条の履行以外ないのである。

国家権力者が憲法システムを破壊した時には、
憲法の下にぶら下がっているいかなる法律も威力はない。国家権力が三権を一手に掌握しているのだから。
そうしたファシズムを倒すために革命権があるのだ。

脳内革命をした国民が日本全土を海原の様に歩き出せば、燎原の炎の様に歩き出せば、
その瞬間に日本は変わる。
脳内革命をした人民は自動的に歩き出す。
脳内革命をした人民はなにかのトリガーで一斉に歩き出す。

無血democracy革命は主権者人民の脳内革命から始まる。





●『羽仁五郎が、敗戦の日、だれも牢屋に救出に来てくれないことに対して、こう言っている。】


(出典:自伝的戦後史 羽仁五郎著 講談社 P.106〜P.107)
*−−−−−−引用開始−−−−−−−*
「八月十五日の淋しさ

 さて、ここであの「八月十五日」の問題に話を進めよう。
 八月十五日には、天皇の放送で国民全体が虚脱状態に陥ったと一般に言われているが、そんなことはウソだ。
 世界のどの国でも、敗戦はかならず革命につながっているのだ。ロシア革命でも、第一次世界大戦のロシアの敗戦からレーニンの革命になった。
 ぼくが留置場にいたときの八月十五日、日本はポツダム宣言を受諾し、敗戦となって無条件降伏をした。そのときこそ、日本の革命の絶好のチャンスだった。だからぼくは一刻も早く留置場を出たいと思った。また、ぼくといっしょに勉強した若い人たちが、当然ぼくを迎えにくる、つまり釈放を要求してくれることを期待した。当時の警察は、それを拒否する力はぜんぜんなかったのだ。警視庁から玉川警察の留置場に移されたときには、玉川警察の留置場には国文学者の近藤正義君や新興宗教の女性がいた。この女性はなかなか立派な態度だったが、彼らもほかの留置人もみんな出されてぼくひとり警察に残っていた。だれか、ぼくの釈放を要求すれば、警察でもそれを拒否できなかっただろう。
 だから、あのとき、ぼくといっしょに勉強し、ぼくが最も愛し尊敬していた若い青年たち、学者たちがやってきて鍵をはずし、ぼくを迎えてくれたら、革命はできたのだ。なにもぼくがやると言う意味ではないが、当時は歴史的に革命が必然的な状況だったのだ。逆にいうと、日本の八月十五日は、世界の歴史の上で敗戦が革命につながらなかった唯一の例だろう。これはそうとう深く考えなければならない。
 『思想の科学』で鶴見俊輔が、「語り継ぐ戦後史」というテーマでぼくと対談したとき、ぼくは、戦後史よりもなによりも、八月十五日に自分は何をしていたかが問題だといった。
 ぼくは牢屋のなかに座って、若い連中がぼくを迎えにきてくれると思って、一日中待っていたが、夕方になってもこない。夜になっても、そして翌日になってもだれもきてくれない。そのとき、日本の革命の唯一の絶好のチャンスが失われていくことをしみじみ感じた。いままであんなに淋しい思いをしたことはない。
 外にいた羽仁節子があとで話したのだが、疎開先で食糧を手に入れようと紹介してくれといってきたぼくの若い学友がいた。疎開して食糧探しをしている場合ではないではないかとたいへん淋しい思いをしたというのだ。だから、あの淋しさはけっしてぼくだけの感じでもなかったわけだ。
 これはくり返してはならないことだ。前から話しているように、なにもぼくのあとをついてこいとはいわないが、逃げる必要はないのではないか。
 結局、ぼくを牢獄から救い出してくれたのは、一緒に勉強した若い学徒のひとりではあったが、残念ながら日本人ではない、カナダのハーバート・ノーマンという学者外交官だった。

・・・
*−−−−−−−引用終了−−−−−−*


現代はある意味、毎日が八月十五日だ。

毎日が敗戦の日だ。毎日、玉音放送が流れている。

八月十五日、それは、日本で唯一日本の革命をする絶好のチャンスの日だった。

だが、疎開先で食糧探しをしていたのだ。

インテリゲンチャも、若い学生も


上記手記のなかで、羽仁五郎は、「日本の八月十五日は、世界の歴史の上で敗戦が革命につながらなかった唯一の例だろう。これはそうとう深く考えなければならない。」そう言っているが、

改憲の危機を前に、日本がファシズムのまま、democracy(人民支配、人民主権)に覚醒もせず、どんどんファシズムに流されていくというのは、まさに、その「そうとう深く考えなればいけない八月十五日とつながっている。

なぜ、八月十五日、日本人民は、世界の歴史の上で敗戦が革命につながらなかった唯一の例を作ったのか。なぜ、疎開先で食糧探しに、最先端のインテリゲンチャである若者まで堕落し続けていたのか。

それは、日本国人民が脳内革命を実現していないからだ。

democracy【人民支配、人民主権】を認識していないからだ。

【了】


<追記>

政治詩 「 毎日が八月十五日 」

              リーフ作(2016/01/03)

現代はある意味、毎日が八月十五日だ。

毎日が敗戦の日だ。毎日、玉音放送が流れている。

八月十五日、それは、日本で唯一日本の革命をする絶好のチャンスの日だった。

だが、疎開先で食糧探しをしていたのだ。

インテリゲンチャも、若い学生も。


今、我が国は、毎日が 八月十五日だ。

そして、まもなく、第二の治安維持法時代が始まる、このままでは。

すでに法律は整った。

あとは改憲一直線で完結する。

束の間の八月十五日が、毎日毎日続いた後、天井が落ちてくる。



(了)

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