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文学哲学読書会コミュの「遊動論」 柄谷行人

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高齢者看護にたずさわろうとしている私にとって、1978年沖縄本島、1978年宮古諸島で行われた疫学的研究は実に衝撃的なものだった。それは高齢によって記銘曲、認知力が低下しても、一般にいわれるような認知症は存在しないというものだった。大井玄はそのような状態を純粋痴呆と呼び、自分も年老いたらそうなりたいといっている。ボケても幸せでいられる社会というのは、まさに私の理想とするものであり、高齢化社会、認知症社会を迎える日本の医療・介護会にとっても、もっと研究を深めるところであると思う。また注意すべきところは、大井玄の研究によると、那覇市と杉並区の老人の比較調査で、長谷川式認知症スケールによる認知症検査では那覇でも杉並区でも記銘力の低下や記憶力の低下した人口の比率は変わりなかった。これは那覇でも杉並区でも生物としての人間の老化は変わらないが、社会的環境の違いによって老化による障害(認知症)の発生は違うということである。

最初にこの研究を発表した真喜屋浩は、沖縄人の敬老精神や高齢になっても労働力として必要であることを述べているが、私はこの「敬老精神」の実質とは何かを知りたかった。
新村拓は痴呆老人の歴史で「前近代社会の人びとの心を支配し、行動を規制してきた忠孝道徳と祖霊信仰である。老いて死ねば他界に赴き、やがて祖霊へと昇華して子孫の守護神となると考える祖霊信仰のもとでは、老親の介護をなおざりにすることはできない。もしそのようやことをすれば、親が祖霊となったとき、その守護が受けられず、自分たちの反映は保証されないことになるからである。したがって、老親が痴呆となって人間離れした行動をとることになったとしても、それは神の自由な世界に一歩近づいたものと思惟し、祖霊に対するがごとく接したのである。」と述べている。
沖縄はイザイホーなど祖霊信仰の強いところである。また遺伝子的に沖縄の人に近いとされるアイヌでは「老人がボケると神さまに近くなり、何か分からないことを話してもそれは『神語』話しているのであるという独特の敬老精神を持っている。

少なくとも地方では1980年代までは神は私たちと近いところに住んでいたのだ。水俣の漁村で網にかかった石が形がよいとのことで神として拝み(「苦海浄土 第1部」)、山形では土の中から掘り出された道祖神を新たに拝む(「1000年刻みの日時計」小川伸介 映画)というように。

「遊動論」は神は死んだのか?という問題に筋を付けてくれる。少し強引だが私はそのように読んだ。

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しかし、柳田国男が一国民俗学を唱えたのは、戦後の日本のような状態においてではない。からがそれを言い始めたのは1930年代、満州事変以後の戦争記である。つまり「五族共和」や「東亜新秩序」が唱えられるような時代である。そのような情勢に対して、比較民俗学ないし世界民俗学が提唱されたとき、柳田はそれを斥け、先ず日本一国内で民俗学を確立すべきだと主張したのだ。つまり、彼がいう「一国」主義は、戦後のそれとは、意味合いが異なるのである。
1930年代において、柳田の一国民俗学は、時代状況に抵抗するものであった。
柳田国男は常民論により単一民族神話を肯定していると思われているが、柳田は日本人が多種多様な民俗の混合であることを考えていた。それには農耕民族によって産地に追いやられた山人を考えていた。
柳田は農政官僚として、焼畑農民にみられるような自治的な相互扶助システムに注目した。柳田は共同自助を考えた。
柳田は協同組合を農業だけではなく、農村、すなわち人びとのさまざまなネットワークから考えようとした。したがって、それは、農村、牧畜、漁業のみならず、加工業、さらに流通や金融を包摂するものである。柳田の協同組合は、究極的に、農村と都市、農業と工業の分割を揚棄することを目指すものである。
柳田は九州南部の焼畑狩猟民の生活をみて、そこでともの平等的分配という「社会主義の理想」が行われたことに強い衝撃を受けている。そこから彼は稲作に依存しない「山人」というものを構想する。山人は先住異民族の末裔だと考えた。
仏教が日本に導入されたのは、大和朝廷が集権的な体制を作ろうとしたときである。氏族を超えた神が必要となったからだ。日本にあった固有信仰(祖霊崇拝)が歪められたのは、仏教のせいではなくて、社会的な変化のせいである。ゆえに仏教を否定したところで、固有信仰が取り戻せるわけがない。
では、固有信仰はいかなる社会にあったのか。疑えないのは、それは国家以前の社会だということである。

固有信仰は次のようなものである。人は死ぬと御霊になるのだが、死んで間もないときは「荒みたま」である。すなわち強い穢れを持つが、子孫の供養や祀りをうけて浄化されて、御霊となる。これは、はじめは個別的であるが、一定の時間が経つと、一つの御霊に融けこむ。それが神(氏神)である。それいは、故郷の村里をのぞむ山の高みに昇って、子孫の繁栄を見守る。生と死の二つの世界の往来は自由である。祖霊は、盆や正月などにその家に招かれて供食し交流する存在となる。御霊が、現世に生まれ変わってくることもある。
柳田が言う固有新香の確信は、祖霊と生者の相互的信頼にある。それは互酬的な関係ではなく、いわば愛に基づく関係である。

柳田は先の大戦で戦死した若者たちに対してユニークな提案をしている。戦死者には彼らを祀る子孫がいないのだから、戦死者の養子になろうというものである。
宗教には二つの型がある。一つは信仰を「神と人との契約」におくものである。エジプトの宗教や古代ギリシャの宗教がそうであった。このような契約は互酬的なものである。人が神を信じ従うのなら、神もまた人を助ける。したがって神が人の信仰に対して充分に報いないのならば、神が捨てられる。国家が滅びるのなら人は神を捨てる。
もう一つの型は愛である。神が人を愛するという考えは、祖先崇拝から来たとしか考えられない。呪術や自然神信仰から来ることはない。イスラエル王国が滅びたときに多くの人が神を捨てた。しかしユダ王国が滅んだときには人びとは神を捨てなかった。このとき互酬的な関係が超えられたのだ。これは祖先信仰が高次元で回復されたからだ。このような宗教こそ普遍宗教と呼べる。

柳田は二つの信仰についてこう述べている。
「少なくとも二つの種類の神信心、すなわち一方は年齢男女から、願いの筋までをくだくだしく述べ立てて、神を揺すぶらんばかりの熱請を凝らすのに対して、他の一方はひたすら神の照願を信頼して疑わず、冥助の自然に厚かるべきことを期して、祭りをただ宴集和楽の日として悦び迎えるもの」

一般に、先祖崇拝は未開で呪術的なものであり、それを克服したのが普遍宗教であると考えられている。しかし普遍宗教も呪術的であり得る。
今日の日本のような超高齢社会においては、ほんと老人に対する心の姿勢というものを、都会においても根本から考え直してゆく必要がありますね。

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