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文学哲学読書会コミュの「贈与論」 マルセル・モース

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文化人類学の基礎的書物の一つ。1925年という大戦争に挟まれ、資本主義と帝国主義による暗い時代に書かれた倫理の書。

モースは未開民族の交換活動を分析しながら、当時の社会に警告をならした。

コメント(8)

我々がこれらの社会における交換と契約の諸現象について述べるつもりである。これらの社会には経済的取引が欠けてるいると主張されたが、そうではない。というのも、取引というものは、既知のどんな社会にも存在するであろう人類的な現象である。ただその交換の制度が我々のものと違っているのである。

われわれは、このような道徳と経済が今もなお、いわば隠れた形で我々の社会の中で機能していることを示している。また、我々の社会がその上に築かれている人類の岩盤の糸栂そこに発見されたように思われる。それらによって、現代の法と経済の危機が生む問題に関するいくつかの道徳城の結論を引き出すことができるだろう。
ある人から何かものを受け取ることは、その人の霊的な本質、魂を受け取ることになるからである。そのような物を保持し続けることは危険であり、死をもたらすかもしれない。

贈与は人と人との間だけに行われる物ではなかった。人と神の間にも贈与が行われた。そのようなときは贈与は財産の破壊という形をとった。

施しは一方で贈与と財産に関する道徳観念の所産であり、他方では供犠の観念に由来する物である。

贈る義務はポトラッチの本質である。物を受け取るという義務も強制されている。

利益という語自体は最近の物であり、それは徴収する地代に応じて帳簿の書かれた語であった。

つい最近、われわれの西洋社会は人間を「経済的動物」にしてしまった。しかし、今のところ我々のすべてがこうした存在になっているわけではない。大衆においてもエリートにおいても、一般的に行われているのは純粋で非合理的な消費である。
この研究の終わりに見いだされるのは以上ののような事柄である。諸社会は、社会やその民族集団や成員が、どれだけ互いの関係を安定させ、与え、受け取り、お返しすることが出たかに応じて発展した。交際するためには、まず槍から手を離さなければならない。そうして初めて、クランとクランの間だけでなく、部族と部族、民族と民族、そしてとりわけ個人と個人の間においてでも、財と人との交換に成功したのである。その後になってようやく、人々は互いに利益を生み出し、ともに満足し、武器に頼らなくてもそれらを守ることができるようになった。こうして、クランや部族や民族は−だから、文明化されているといわれているわれわれの社会においても、近い将来、諸階級や諸国民や諸個人は同じようにならなければならない−虐殺し合うことなく対抗し、互いに犠牲になることなく与え合うことができたのである。これこそが彼の知恵と連帯の永遠の秘密の一つである。
近代合理主義が崩れた世界を想像できるだろうか?例えば認知症の老人は近代合理主義が目指した理性によってすべてを管理するという人間像を脱ぎだしているのではないだろうか?
そうした人々は前近代の原始的世界にもどり、人と人との関係も贈与の互酬性の世界へ戻っていくのではないだろうか。そしてさらに認知症が深くなれば1対1の母子の世界へ戻っていくのだろう。
母−子関係から始まり、吉本隆明のいう共同幻想の最初の鳥羽口は互酬関係ではないかと思う。

老人介護では次のような話がある。
80代の認知症のある元芸者のTさんに週4回のホームヘルパーが入った。ヘルパーのWさんはベテランのヘルパーだったが、Wさんがヘルパーに入って1ヶ月ほどたつと、TさんはWさんのことを泥棒と言い始めた。全面的に生活をヘルパーに頼らざるを得ないTさんにとっては、ケアをしてもらうことは心理的負担だったようだ。その心理的負担を被害妄想として解消しようとしたのだ。
WさんはTさんから小唄を習うことにした。そうすると泥棒ということはぴたりと止んだ。これはTさんとWさんの間に互酬関係を築いたことが問題解決になったのではなかろうか。

次に近代以前の互酬性の社会がどのように豊かなものを持っていたのか、石牟礼道子の小説から考えてみよう。
いつもあの、昔話ばせろちゅうかえ。よし、よし。
 いつもあの、ふゆじ(無精者)どんの話ばして、くりゅうかい。
 むかし、むかしなあ、爺やんが家の村に、ふゆじの天下さまのおらいたちゅう。
 なして、ふゆじどんになりいたかちゅうと、三千世界に、わが身ひとつ置くところが無か。辛かわい辛かわいちゅうて、息をするのも、世の中に遠慮遠慮して、ひとのことも、わが身のことも、なんにもでけん、おひとになってしまわいて、ふゆじの天下さまにならいた。
 泣き仏さまじゃったもんじゃろう。こら、杢(胎児性水俣病患者)、お前がごたる、泣き仏さまじゃったろうぞ、そのふゆじどんは。
 なして、それほど遠慮遠慮したおひとにならいたかちゅうと、あんまり魂の深すぎて、その深か魂のために、われとわが身を助けることが、できられんわけじゃ。のう、杢よい。
 ちょうどお前のごたる天下さまじゃのう。
 それでまあ、わが身のこともなにひとつ、わが手で扱うことはできらへん、そのふゆじどんが、道ばたに寝ておらせば、爺やんが家の、村の者どもは、
――ふゆじどん、ふゆじどん。お茶なりと、あげ申そかい。
 という。
 ふゆじどんは、わが身がふゆじじゃけん。気の毒さにして、こっくりをするような、いやいやをするような首を、振りなはる。すると、村の者どもは、
――そら、ふゆじどんの、こっくりをせらいたぞ。はよ、お茶があげ申せ、唐芋もあげ申せ、
 ちゅうて、自分たちの後生のために、お茶ばあげ申す。
 霜月の田の畦にでも寝ておられば、村の者どもはもう、おろおろ、おろついて、
――なんちゅうまあ、こういう所に、黙って曲らいて、体のさぞかし傷まいたこつじゃろう。はよはよ、寝藁ば積んで寝せ申せ、猫の仔どもなりと、連れてきてあげ申せ。こういう霜月にふところ寒うしてなるもんかえ。
――まあ、寒かったろ、寒かったたろこういう人を打ち捨てておいくは、わが身を捨てるもおんなじことじゃ。罰かぶる、罰かぶる。
――ああ後生の悪か、後生の悪か。
 ちゅうて、村のもんどもは、拝まんばかりにする訳じゃ。
金銭に縛られることなく、
単に物やサービスの売買だけでなく、
人々はお互いに困っている人や足りない人たちに施し合うような世の中になったら幸せですね。
 さてそのふゆじどんが、ひょいと、あるとき発心をして、旅に出かけらいた。
 田舎者じゃけん、ふとか往還道にたまがって、そろい、そろいと地に足をつけて、歩いてゆかいたわい。
 八月の炎天みちじゃったげな。
 ふゆじどんは、もうさきほどから、じつは、腹のへって腹のへっておらいましたが、遠慮深い人じゃから、なかなか、尻べたをおろす軒の下もなか。よその村じゃったけん、ふゆじどんの通らることをしっとるものはおらん。
 はて、誰なりと、通ってくれんもんじゃろうかい、おるが背中にゃ、村のおなご衆の作って持たせてくれらいた、塩のついた、梅干しの入った、ほっぺたごたるふとかにぎりめしの、あるばってん。
 誰なりと背中のにぎりめしば藁づとから、ほどいてくれる人はおらんもんじゃろうかい。その人と二人で、わけおうて食おうばってん。
 ふゆじどんは、腹はへる。藁づとのにぎりめしをとってくるる人は来ん。
 困りはてて、やっぱり、それでも往還道のどこまででも続くけん、どこまででも、ぼっつり、ぼっつり、歩いてゆかるより、しようがなか。
 ふゆじどんは、悲しゅうなって、しゃがみこんで、しばらく地面ば見よらいた。
 すると蟻どんがな、この暑か八月のさなかに、一心に、荷物ばかたげて地の上ば、どこまででん、行ばしてゆきよるけんのう。よくよくみれば、その歩いて行く地の上の長さちゅうもんは、とても人間の歩いてゆく比じゃなか。
 ふゆじどんは、蟻にむかっていわいた。
 ほんに、おまいどんが太鼓も破れてしもて、あなのあいとるわい。それでもやっぱり、どんつく、どんつく、どこまででん、行列つくって叩いてゆかんばならかい。おお、おう、もぞなげ、もぞなげ(いとしく、かわいそう)――
 するとわらわらと涙が、ほっぺたに流れ出て、ひもじゅうして、咽喉のかわいた口に入る。ふゆじどんは思わいた。涙ちゅうもんは、なんとまあ、この世で、うまかもんよのう。
 自分の涙をすすりこんで、また歩いてゆかいた。
 すると、向こうの方から、身につけたもんは、頭にのせた、ばっちょ笠いっちょの人間が、首をかたむけて、こっちをむいて、ひょろりひょろりと歩いてこらるげな。
 あらよう、来らいた来らいた。
 人間の懐かしさのう。腹の減らいたらしかお人の、どこやらひょろりひょろりとして、やっとこさ来よらるよ。あの汝こそきっと、背中の握り飯を、とってくるるお人にちがいなか。おう、おう、みればあの汝は、よっぽどひもじかおひとにちがいなか。
 あのように往還道を、口をあんにゃ、あんにゃとさせて、歩いてこられ申す。あのように、ひもじかそうなお人ならば、ご相談もしやすかろ。
――あの、もし、これはこれは、ほんに、よかところでおもいさまと逢い申した。つかぬご相談じゃが、じつを申せば、このわしが背中に、村の女ご衆の握って下さいた握り飯の、藁づとに入れてあり申す。ほんに、ほんに、お世話じゃが、おまいさまと二人して食ぶるけん、背中のにぎりめしをば、藁づとおろしてくださる訳には、ゆき申さぬじゃろか。
 ふゆじどんの、そのように、ご相談をせらいた訳じゃ。
 するとその、ばっちょ笠のお人が、いよいよ、ゆるゆらと笠も体も泳がせて、いわるには、
――おうおう、なんとなつかしか。わしが方こそ、ほんとによかところで、おまいさまに逢い申した。わしが方こそ、きっとおまいさまに、ご相談せねばならんと思うとった。
 じつは、このばっちょ笠の、ほらこのとおり、あご紐の解けて垂れさがっとる。
 ああ、誰なりと、よか人にお逢いして結んでもらい申そ。その人に逢うまでは、なんとしても、この笠を風どもにふき飛ばされてはなるまいぞ、そのように想うて、わしはいかに苦労して、笠を落とさんように、あごで拍子をとりとり来たことか。せっかくの往還道をば、横歩きして、えらい遠か道になり申したわい。やっとこれまで、辿りつき申した。おまいさまに逢うたが、天の助け。しにくいご相談じゃが、わしがばっちょ笠の紐をば、なんとか、結んでは下さるまいか。
 二人のふゆじどんたちは、おたがい天の助けになりおうて、笠の紐を結んであげ申し、塩のついた、ふとかにぎりめしを藁づとからおろして食べ合う手、また後さねと前さねと、わかれて歩いてゆかいとげな。

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