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文学哲学読書会コミュの「孔子伝」 白川静

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封建主義の道徳となった孔子の教えは、本来は変革者、反逆者の思想であった。
白川静は伝統的な学説を批判して、全く独創的な漢字学を打ち立てた(https://www.google.co.jp/#q=%E3%82%B5%E3%82%A4+%E7%99%BD%E5%B7%9D%E9%9D%99)。

新しい学の設立という志と孤独感、そして研究姿勢は、大学闘争の熱気を投影され、孔子の生き様に深く感応し、白川静は孔子を生きるかのようになった。
そしてその批判精神は現在でも生きているのである。

コメント(11)

古代中国では王自らが犠牲者となって自然との仲介者となっていた。孔子も成人という殷の湯王は9年間続いた日照りの時、雨乞いのため自らが焚殺された。
後に儒者が王に代わり焚殺されるようになり、非人道的だと中止されたのは、孔子の生まれる150年前ほどだった。
孔子は被差別階級に生まれた孤児だった。

孔子の生きていた時代はそのようなアニミズム、シャーマニズムの生きていた時代だった。孔子は比喩でなく周公を夢に見ていた。
孔子は述べて作らずといい、周公の伝統の復古をなそうとしたが、「伝統は追体験によって個に内在するものとなるとき、はじめて伝統となる。そしてそれは、個のはたらきによって人格化され、具体化され『述べ』られる。述べられるものは、すでに創造なのである」と考えられる。
孔子の思想の核心をなすものは仁であるが、仁とは「人を愛す」ることであり、「博く民に施して、よく衆を救う」ことである。志士仁人は「身を殺して仁をなす」ものではならない。人とは人民大衆である。人道とは、大衆のために献身することに外ならない。
この大衆への献身という犠牲的な精神を養うために、人は自己本位の立場、利己的な欲求を棄てなければならない。それが礼である。「己に克ち、礼に復る」とは、そういう高次の人道主義の立場に立つための、自己抑制を意味する。

歴史的研究は、いわば追体験の方法である。追体験することによって、過去ははじめて過去となり、歴史となる。すなわち歴史としての意味をもちうるのでる。しかしそのような追体験はあくまでも個人的な、また主体的な営みを通じて、行なわなければならない。その追体験の場をもつために、われわれは歴史学の方法をとるのである。
孔子の学は、後の世にノモス(規範)化され形式主義に陥ることを見抜いていた。そしてそれが超克されることを、弟子の顔回に望もうとしていた。しかし顔回は早世してしまった。孔子の悲しみは自らいうところの「礼」も崩してしまうほどだった。

「イデア的な完成は一回きりで終わるものではない。イデアは永遠にその実現を求めるものである。しかしイデアの体認が、つねに人格的な主体の実践によるものである以上、その新たなる発展は、別な人格の実践にまつほかはない。孔子はその意味で、それを顔回に期待したのである。」
「孔子の思想は決してノモス的なものではない。孔子が求めたイデアの世界は、ノモス社会とは全く相容れぬものであり、孔子の高くきびしい人間精神の探求は、常に反ノモス的なものであった。
ノモス的社会といえば、今日ほど巨大な社会、物量化された社会は、かつてなかった。そして今日ほど、ノモスが社会的な超越者として、おそるべき支配力と破壊力を示している時代はない。数千万の、時には数億の民衆が、ただひとつの規範に服している。人は完全にノモスの支配下にある.しかもノモスは、いよいよ自らを巨大にするために、巨大都市を造り、巨大国家を作る。人は巨大都市が文化の破壊につらなることをおそれるが、巨大国家が人間の生き方と、どのように関与するかを問わない。『子、九夷に居らんと欲す』と孔子が脱出を望んだ圏外の世界は、次第に失われつつある。空間的な世界のことだけではない。精神の世界において、それはいっそう深刻である」
>> 黒岩平さん

>新しい学の設立という志と孤独感、そして研究姿勢は、大学闘争の熱気を投影され、孔子の生き様に深く感応し、白川静は孔子を生きるかのようになった。


白川静さんについてはまったく知らないのですが、
大学闘争の頃、白川静さんは大学生だったのですか?
孔子とその弟子たちは14年間放浪生活を送ったという。イエスとその弟子たちも放浪生活を送っていた。
孔子もイエスも反逆者であって革命家だった。古代にあっては宗教と社会は切り離して考えることはできない。「礼」とは宗教と社会を取り結ぶものだった、イエスにおいては、社会革命家だったバラバとの交換がそうだった。

白川は、孔子は狂の人だったという。シモーヌ・ヴェイユは愛の狂気が唯一ファシズムに勝るものとされた。

白川静は新しい漢字学を作るにあたって学会の反逆者とならざるをえなかったろう。反逆者には反逆者の倫理が必要である。大学闘争の当事者(教授会)であり、反逆への希望が語られた時代において、「孔子伝」は自身を孔子に投影して語られた反逆の理論の書である。

孔子という人物を得て白川静が新たな倫理を唱えたことに深く感動する。
>>[6] 立命館の教授でした。大学がロックアウトしている時でも唯一夜11時まで研究を続けていて、学生たちもあの先生は違うと敬意を払ったそうです。
>>[001]、ありがとうございます。
面白そうな本ですね。


>後に儒者が王に代わり焚殺されるようになり、非人道的だと中止されたのは、孔子の生まれる150年前ほどだった。


孔子の前には儒者とか儒学というものはなかったのではないでしょうか?
>>[9] 「儒」は雨乞いで犠牲とされる巫祝を意味するものだそうです。記録によればBC639年に中止されたそうです。
儒教(学)と呼ばれるようになったのは孔子以降と思われます。
>>[010]

>「儒」は雨乞いで犠牲とされる巫祝を意味するものだそうです。


な〜るほどお、そうなんですか。
どうもありがとうございます。

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