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文学哲学読書会コミュの「分裂病と人類」 中井久夫

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「私は一方では、分裂病になる可能性は全人類が持っているだろうと仮定し、他方では、その重い失調形態が他の病よりも分裂病になりやすい「分裂病親和者」を考える」

著者はこの一文を書くために相当の覚悟を要したという。医師が分裂病にかかったら(実際には分裂病患者である医師もいるのだが)、治療上の信頼性はがた落ちになってしまうだろう。

分裂病親和性は「もっとも遠くもっともかすかな兆候をもっとも強烈に感じ、あたかもその事態が現前するごとく恐怖し憧憬する」

分裂病親和性は「狩猟民族においてもっともその長所を発揮できていたのではないか、と考えられそうである。」

アフリカのブッシュマンは、三日前に通ったカモシカの足跡を石の上に認知し、一日五リットルの水を草の地下茎から得ているが、地表に現れた草の様子から水分の多い地下茎を見分けることができる。


私の勤めていた病棟では、いつもは寂しいと泣きじゃくっていた女性患者が、タロット占いをすると予言者めいた重みを持った表情となり、恐ろしくキレのある占いをしていたことを思い出す。実習に来た学生にはもれなく占いをしてもらったのだが、その当たりぶりにどの学生も驚いていた。
今考えれば、それは狩猟民族の能力であったのである。

コメント(11)

正直に言うと今まで私は病院の患者を差別していた。うつ病になってからも、統合失調症の患者は、「患者」であり、能力が劣り庇護しなければならない者であった。

糖尿病が、原始時代に飢餓にたいする生物の知恵であったように、統合失調症も生物の知恵ではないか。
ならばそれは個性の一面ではないかとようように考えられるように至った。
狩猟社会から農耕社会と変わるにつれて、分裂病親和性は少数者となっていた。
農耕社会の特性は強迫性にあり、それは検分しやすいように四角く田を作るような計算合理性を持っていた。
統合失調症の治療とは「強迫的なる者を身につける」ことの成否にあり、その多くは失敗に終わる。
農耕は人性の中から強迫性を引き出したのである。
分裂病親和者と対比させられるのが、執着気質者である。執着気質者倫理は、禁欲、勤勉、考行、忍従、正直、早起き、粗食などであるが、もっとも価値自由的である精神科医にとってさえ、これらの徳目が意識的、無意識的に開かれた態度で病者をみる妨げとなっていないとは言えない。
18世紀、市民社会、市民革命の到来を待って、臨床医学は誕生する。それまでは医学は教室で講じられるものであって、患者に触れようとはしなかった。また診察をして診断しても、治療は行われなかった。
18世紀を迎えて、実際に患者を診る臨床医学が誕生し、パリ大学では一年目から臨床のおもむき、解剖学は三年生で学ぶというようになった。
19世紀になり、精神疾患が発見され千人規模の精神科病院が建設されるようになった。また、それまでは精神科は存在せず、内科医が精神病の治療に当たっていた。統合失調症は1911年ブロイラーにより発見された。
ここに書かれていることは、別のトピのドゥルーズ&ガタリの物の見方にも通じるものですね。
中井は分裂病親和者は少数者であっても必要な人であり、分裂病親和者に対立させられる者として執着気質者を設定する。分裂病親和者は問題設定者であり、「世直し」をする革命家である。執着気質者の典型に二宮尊徳をあげ、執着気質者だけで構成された社会は、やがてレミングの行進のごとく自滅に至るであろうと。
>>[5] 実際に臨床に関わっている方なので信頼性が高いですね。
>>[007]

まさにフェリックス・ガタリも精神分析医であり、ジル・ドゥルーズとともに脱管理主義の革命を唱えたのでした。
>>[8] 精神医療は、症状によって苦しんでいる人に対して有効的であることによって、はじめて学となしうると思いますが、精神医療の現場では果たして何が有効であるのか、看護師である私にも分かりません。

「死ね」と言われる幻聴に、向精神薬が効果したとしても、その一方で恐ろしく当たる占いの狩猟民族的能力を奪うことが果たして治療なのか。それは幻聴と危険察知能力を天秤にかけて、今我々の「普通」では幻聴がない方場望ましいと考えられた結果に過ぎません。
時代が違えば彼女は希代の予言者となったかも知れません。あるいは魔女とされ、拷問死の憂き目に遭っているのかも知れません。

精神治療の現場では、我々が「普通」と考えられる枠に、どれだけ症状によって苦しんでいる人を型はめできるのかが、評価基準になってます。その「普通」と考えている枠が時代や地理によって違ってきます。

精神分析は科学か否かという論争がありますが、向精神薬、抗うつ薬の開発に寄与する脳科学も(そう、私はセロトニンとドーパミンの不足によって苦しんでいるそうです)、遺伝子や脳内化学物質をいくらいじっても、評価するのが現場の精神医療の言葉である限りは科学と言えるのでしょうか?

有能な精神科医とは幻聴などの症状を抑え、副作用(エピリファイの過剰投与によて高血糖となり、血液の酸化によって死亡するなど)を少なくすることに求められてます。

現在臨床現場ではアメリカ精神医学界の定めた「精神障害の診断と統計の手引き」DSMが多く使われてますが、これも本書を読めば一過性のものであることがわかります。

>>[3]

とっても勉強になるお話でした。
>>[6]

今の社会のありようが「執着気質的」「強迫的」なものだとしたら、その中でもうどうしても耐えられないという人たちがさまざまな世代にわたって続々と現れうる。何か上手い方法を見つけて彼ら彼女らは自分の中にある狩猟適性的要素を発揮するようにしないと不幸なことですね。

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