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孫崎亨・広原盛明・色平哲郎達見コミュの【色平哲郎氏からのご紹介】誰のため,何のための保健医療か−「佐久」の実践が示すもの

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【色平哲郎氏からのご紹介】誰のため,何のための保健医療か−「佐久」の実践が示すもの


地域医療の原点・佐久総合病院

「佐久」での地域保健活動を知ったのは,そんな医学生の時です。「農民とともに」を合言葉に,地道な保健医療活動に取り組み,成果を上げている若月俊一院長(当時)と佐久総合病院は,「地域医療の原点」として,その存在を知られていました。
この「住民(農民)の中へ」「住民とともに」という精神は,もちろん今もしっかり佐久に受け継がれています。
若い医療者には,ぜひ「地域に出かけていく」医療のあり方を学んでほしいと思います。
一方,「佐久」総合病院は地域医療の原点であると同時に,千床を有する長野県下最大の病院
でもあるのです。つまり,地域で行なわれる地道な予防活動から高度先端医療まで,
保健医療のピラミッドのすべてがそこにあり,いい意味でそれらが1つになっているのです。
このようなモデルは日本にはほとんどありません。
1民間病院が,これだけの活動を行なっていることは,驚嘆すべきことであり,そのような意味でも非常に興味深いと言えるでしょう。

活動の中心は地域であるべき

保健医療というものを考える時,私たちは常に「誰のために」,「何のために」ということを問わなくてはなりません。だから,その時に関わる活動の中心的な場は地域(community)であるべきです。この場合communityとは,人々がともに喜び,悲しみ,苦悩しつつ生き死んでいく場を指します。 翻って,先進国,特に日本における医療には,これらの問いが欠けているように思えます。日本の医療の問題とは供給側の問題なのです、、、

保健医療の「政治性」

そのような意味では,国際保健も含め,保健医療というものは政治的なものなのです。本当に政治を動かしていかなければ,根本的に変わりません。ODA(政府開発援助)についてもそうです。なぜ,先進国と途上国でこれだけの生活の格差があるのかを問わなければ根本的な解決にはなりません。これは世界の構造的な問題なのです。

https://bit.ly/3JQUScL

誰のため,何のための保健医療か−「佐久」の実践が示すもの
若井 晋氏インタビュー   (東京大学教授・国際地域保健学)


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リンコーンは平民中の平民でした。
平民といふのは、肩書、身分など外側の装飾物なしに、生地(きぢ)のままに通用する人間のことです。花にすれば野花、石にすれば自然石です。リンコーンの長所は平民の長所であり、彼の欠点も亦平民の欠点でした。

リンコーンには多くの欠点がありました。その一つは起居振舞の粗野なことでありました。
殊に婦人に対する礼儀作法に不慣でありまして、度々人から注意を受けました。

彼は大統領として、多数の訪問客に接しましたが、随分振つた逸話があります。知名の政治家たる上院議員シャーマンが始めて彼をホワイト・ハウスに訪ねた時、リンコーンはいきなり、「ああ、貴下がジョン・シャーマンですか。一つ背比べをしませう。」
さう言つて、呆気に取られて立つてゐる威厳ある政治家の側へつかつかと歩みより、背中合せに身長を比べました。
リンコーンは自分の身長の高いことが自慢だったのですが、こんな賓客の迎へ方は、めつたにあつたものではありません。
シャーマンは後でその時の感想を人に語つて、「悪意のないことは感じられたが、少し粗野だね」、と言つたさうです。しかしシャーマンはこの初対面で、一度でリンコーンに推服し、彼の忠実な友人となりました。

或る時有名な黒人説教家フレデリック・ダグラスがホワイト・ハウスを訪ねたことがあります。リンコーンは彼の要求を容れませんでした。しかしダグラスは室から出て来た時、悦びに興奮して叫びました、
「彼は私を人間として扱つてくれた。彼は一瞬間も私に、皮膚の色の相違を感じさせなかつた」と。

「余の尊敬する人物」 矢内原忠雄  1940


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87年前に我々の先祖はこの大陸に1つの新しい国をつくりました。それは自由の意図をもち、すべての人間は平等につくられて居るとの命題に対して献げられたものであります。
今我々は一大内乱に従事してゐます、之はこの国若しくはそもそもこのやうな意図をもち、このやうに献げられた国が、果して長く続き得るか否かを験すものであります。我々はその戦争の一大戦場に集まつてゐます。我々は、その国を生かさんが為に己の生命を棄てた人々の為め、最後の休息処としてこの戦場の一部分を献げようとして、此処に来たのであります。
我々がこのことを為すは、全く適切であり至当であります。
併しながら、より大なる意味に於いては、我々はこの土地を献げることが出来ません、
聖め別つことが出来ません、神聖なものとすることが出来ません。ここで戦つたところの、生きてゐる又死んだ勇敢な人々が之を聖めたのでありまして、それに加へることも減ずることも、我々の力を遥かに越えたことであります。
世界は我々がここで語る言を、殆んど注意しないでありませう。
又長く記憶することもないでありませう。
併し彼らがここで為したことを忘れることは決して出来ません。
むしろ我々生きたる者こそ、此処で戦った彼らが之まで気高く進めて来たところの未完成の事業に対して、この場で身を献ぐべきであります。むしろ我々生きたる者こそ、我々の前に残されてゐる大事業に対して、ここで身を献ぐべきです。
我々は、之ら名誉の戦死者が最後の忠誠を尽くしたところの目的に対して、我々の忠誠を増すべきであります。これらの戦死者に無駄死にをさせないことを、我々はここで堅く決心すべきであります。この国は、神の御守りの下に、自由の新なる誕生を為すべきであります。
さうして人民の、人民による、人民の為の政府は、地球から滅ぶべきではありません。

A. Lincoln 1863年11月19日  矢内原忠雄・訳


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真実と単純とは平民の美徳です。リンコーンは人間としてこの美徳を有ちました。それが彼をして主義をもち原則をもつ政治家たらしめたのです。リンコーンの立つところ、彼の政治上の意見と政策とは何らの曖昧も疑もなく、明白に、公然と、山の上の城のやうに見られました。
リンコーンは、「いかなる政治上の意見を抱いてゐるかわからない政治家」、「いかなる政策を行ふか、政府に立つて見ねばわからない政治家」、とは類を異にする政治家でありました。
而して彼の主義あり原則ある政治が、建国以来稀有の非常時にありて、国民に確固たる目標を與へ、よく国難を克服し、且つ奴隷解放の大事業を成し遂げたのです。
リンコーン自ら言つたことがあります、「私が事件を支配したとは言はない。
むしろ事件が私を支配したことを率直に告白する」。彼は奴隷解放をば、自己の成した事業であると思ひませんでした。併し彼の一貫したる真実にして平明なる政治的原則の把握と、その原則を遂行するについて信頼し得べき彼の性格とがなかつたならば、時局は混迷して帰するところを知らなかつたに相違ありません。
勢をつくるのは社会であるが、それに明確なる形と方向とを與へるのは政治家の任務です。
この意味で政治の貧困は人物の貧困であると言はねばなりません。

平民リンコーンは宗教上の教義や儀式を重んずる人ではありませんでした。彼の同時代の教会は、彼をばいはゆる「堅い信者」と認めませんでした。教会の代表者が彼を責めた時、「私は基督者でない」と答へたことさへあります。

「余の尊敬する人物」 矢内原忠雄  1940


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週刊医学界新聞 > バックナンバー一覧 > 以前のバックナンバー > 2000年

第2392号(6月19日発行) Vol.15 No.6  

若者よ「佐久」に学べ−保健医療の原点

誰のため,何のための保健医療か−「佐久」の実践が示すもの(若井晋)


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「保健医療の原点」,「地域医療の原点」。

佐久(さく)総合病院(長野県南佐久郡,清水茂文院長;以下,佐久病院と略)はこう
呼ばれる。半世紀にわたる住民と一体となった医療の実践は,日本国内に留まらず,
アジア近隣諸国での地域医療にも影響を与え続けており,今も「佐久」を訪れる学生・医療者は少なくない。訪れた人は「佐久」に何をみるのだろうか。
さる5月12-14日に,長野県南佐久郡で行なわれた東京大学医学系大学院国際地域保健学教室の合宿に同行してみた。

https://bit.ly/3nbc3vI 
若者よ「佐久」に学べ−保健医療の原点


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ある人たちはずっと与えつづけることを好む。なぜなら、そうすることによって自分の見栄と優越感を満たすことができるからだ。

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国家の権力者たちが最初からもくろんでいるのは、相手国の民衆に彼らへの依存心を植え付けて骨抜きにすることなのだ。

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蝶はせまってくる死にいささかもうろたえない。自分が生まれてきた目的ははたし終わった。
そして今やただ一つの目的は死ぬことにある。だから、トウモロコシの茎の上で、太陽の最後のむくもりを浴びながら待っているのだ。

「リトル・トリー」


(元東大教授・若井晋ドクター編著の「学び・未来・NGO」掲載、教授担当章のエンディング)

昨年亡くなった若井教授に関しては、講談社「東大教授、若年性アルツハイマーになる」に詳述

コメント(2)

「蝶はせまってくる死にいささかもうろたえない。自分が生まれてきた目的ははたし終わった。
そして今やただ一つの目的は死ぬことにある。だから、トウモロコシの茎の上で、太陽の最後のむくもりを浴びながら待っているのだ。」
80才を超えた私には、ジーンとくる言葉です。
>>[1]

深みのある言葉ですね。私も70歳になり、老齢の心象風景がわかるような気持ちです。ありがとうございます。

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