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孫崎亨・広原盛明・色平哲郎達見コミュの【孫崎享のつぶやき】 随想 61庭(東御苑・二の丸庭園)

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2021-09-06 08:123

 私は最近、しばしば皇居の二の丸庭園を散歩します。何よりも入園無料がいいです。
 私の高校は金沢で、当時兼六園はまだ無料でした。高校から駅まで遠回りですが幾度となく兼六園経由で駅まで歩きました。そういうことで、庭園巡りはよくします。京都の苔寺には感動致しましたし、高松の栗林公園の松は見事でした。松に感動して、公園入口で販売していた松の盆栽を買い、ベランダにおいて10年位立っているのでないでしょうか。
 日本三名園と言われる上述の兼六園や、岡山市の後楽園、水戸市の偕楽園も訪れましたが、私は島津氏第19代当主島津光久によって磯に別邸として建設された仙巌園が最も素晴らしいような気がします。案内の一部に「其地の勝たる、翠嶺後に圍み、裏海前に閘き、南開聞嶽より、海を隔て東福山に至り、凡そ三十里の景色、一望に入り、連山逶迤、潮水湛然、其山其水、清麗澄媚にして、櫻島海心に特立し、浮ぶが如く漂ふが若し」等と書いてあります。
 東御苑・二の丸庭園について『皇居の花』等の記述を見てみます。
・東御苑は旧江戸城本丸二の丸に相当する部分にあたります。1968年に一般公開されました。広さは約21ヘクタール。
・二の丸はかつて将軍の別邸やお世継ぎの殿舎があった所で、(三代将軍家光の命で)小堀遠州が造ったと伝えられる庭園がありました。現在の庭園は古絵図をもとにほぼ同じ位置に池が復元された。(ヒレナガニシキゴイはヒレの長いインドネシアのコイとの交配)
・二の丸の西半分は、現在雑木林になっています。これは失われつつある武蔵野の雑木林を皇居内に造ろうとの昭和天皇のご発意により1983年から三年にかけて造営されたもので2002年にされに拡張されました。
 ですから、今日の姿になっているのは2002年以降となります。
 小堀遠州が造った庭園は数々ありますが、ゆったりとした広さを持つ池はあまりないのではないでしょうか。
 私が比較的頻繁に東御苑を訪れるようになったのは、花を求めてです。
 私はツイッターやブログを日々発信していますが、世相を反映し、厳しい発信が続きます。発信する人間も気分が滅入ります。
 そんな折、ソ連の作家パウストフスキー全集をロシア語で読んでいて、彼やロシア人が如何に自然を愛しているかを読みました。その時、「自然を愛するという点では日本人は世界でどこにもひけを取らない民族だった。しかし、今私達の生活に自然が入ってくることはない。私達は何かを失っている」と思い始めました。
 そして、散歩の途中で目にする花をツイッターにのせることを決めたのです。花を求めて東御苑を歩き始めたのです。無料です方幾度でも訪れることができます。
 実に多くの花があります。そして『皇居の花 四季折々の花めぐり』を手にしました。著者の経歴を見ると「毎日広告社」に勤務していたとあります。皇居に面しています。多分昼時に散歩したのでしょう。そしてこんな素晴らしい場所を何故もっと訪れないのかという思いで本を出されたのでないでしょうか。

コメント(1)

私も、毎日新聞社の隣にあるビルにある会社に勤務していましたので、皇居の中を、時々散歩しました。花をゆっくり眺めている余裕が、現役時代はありませんでしたが。

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