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孫崎亨・広原盛明・色平哲郎達見コミュの【孫崎享のつぶやき】 政治思想:大衆・政治家と政治(オルテガの思想の紹介)

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「一切の歴史的経験や自らの経験を超えた偉大なものから学ぶという精神を失った人々は、もはや自分自身でものを考えるすべも持たない。ところが高度な民主主義の政治は、こうした人々を政治の主役にしようとする」
2021-01-16 09:277


ホセ・オルテガ・イ・ガセット(1883年- 1955年)は、スペインの哲学者。代表先に『大衆の反逆』。佐伯啓思著『近代の虚妄: 現代文明論序説』からの引用。
 一切の歴史的経験や自らの経験を超えた偉大なものから学ぶという精神を失った人々は、もはや自分自身でものを考えるすべも持たない。
 ところが高度な民主主義の政治は、こうした人々を政治の主役にしようとする。
 かくて、実際には、ほとんど気分に左右され、社会の大勢に同調するだけの凡庸な人々が、その凡庸さをひとつの権利として、あるいは、政治的意見として主張するのである。
{今日の大衆は、彼等が喫茶店から得た結論を実社会に強制し、それを法の力を与える権利を持っていると信じているのである}と彼はいう。「法とは本来、過去の経験から積み上げられるものであり、法の中に暗示された経験は、間違いなく、喫茶店でのでまかせな政治主張よりは深いものを持っているであろう。大衆はそのことを一顧だにしない」と彼は述べる。
 また、次のようにもいう。「今日の特徴は、凡俗な人間が、己が凡庸であることを知りながら、凡庸であることの権利を敢然と主張し、至る所で、それを貫徹しようとすることである」と。
 過去の経験から我々が知りうること、それは政治とは本質的に、優れた者による公共性を持った指導的行為だ、というのである。大衆とは、その優れた者に付き従う存在であった。ところが大衆は、その本来のあり様に自ら反逆して、彼等自身が政治的主役になろうとする。
 かくて大衆とは、自らを謙虚に顧みようとする意志も、歴史から何かを学ぼうとする力も失い、自らに対する義務も、高貴なものへの敬意も忘れた存在である。
 自分の受け取る豊かさを当然なものとみなし、その豊かさや安楽な生を可能とした条件を徹底して忘れ去っている。
 そして過剰なまでのデモクラシーがまさしくこの種の「大衆」をおだて上げ、社会の主役にしてしまったのである。
 今日では指導者であるはずの政治家が大衆に迎合するばかりか、彼等自らが大衆の代表なのである。
 ありのままの現在の自分に満足し、自分を加ttに分別ある人間と考えて、自らを省みず、自らに強い義務を課そうとはしない人間なのである。

コメント(1)

やっぱり、馬鹿な指導者は、ばかな大衆が作り上げているのか?

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