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孫崎亨・広原盛明・色平哲郎達見コミュの【色平哲郎氏のご紹介】 良心を束ねて河となす〜医師・中村哲 73年の軌跡〜前半

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12月27日にはNHK総合にて中村医師と過ごした若者たちのドキュメンタリー
「中村哲の声がきこえる」が、12月28日にはNHK BS1にて中村医師のドキュメンタリー
「良心を束ねて河となす 〜医師・中村哲73年の軌跡〜」が放送予定です。

[NHK 総合] 中村哲の声がきこえる
2020年12月27日(日) 午前10:05〜午前10:55(50分)

[NHK BS1] 良心を束ねて河となす〜医師・中村哲 73年の軌跡〜
2020年12月28日(月) 午後9:00〜午後10:50(110分)

日本から6000キロ彼方のアフガンの地で1600本の井戸を掘り、25.5キロに及ぶ用水路を拓いた日本人医師の唯一の自伝を、ぜひお手に取りください。

https://bit.ly/3nBWX0B

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2013年4月、中村先生から突然、「企画の件、もしまだ生きているようでしたら、7月までに原稿を送ります」との一報が入ります。びっくりして先生の盟友である石風社社長・福元満治さんに確認したところ、先生は「書籍化の約束は必ず守る」と常々おっしゃっていたとのこと。
そして2か月後、全12章分が一気にメールで私のもとに届きました、、、

「道で倒れている人がいたら手を差し伸べる――それは普通のことです」

https://bit.ly/2LZn97v

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コロナ禍、看護師悲痛「夜間は戦場」 仮眠とれず オムツして業務も

新型コロナウイルスの感染拡大に歯止めがかからない中、医療の最前線に身を置く看護師たち
がギリギリの闘いを続けている。東京都は医療提供体制の警戒度を最高レベルの「逼迫(ひっぱく)している」に引き上げ。基幹病院は昼夜を問わず入院患者を受け入れており、使命感で献身する看護師らの疲労困憊(こんぱい)ぶりはもはや限界に近い。「夜間帯の現場は戦場」「どれだけ入院患者が増えても人員が補充されない」。悲痛な叫びは、コロナ対応の長期化と慢性的な人手不足に苦悩する医療現場の実態を示している。(三宅陽子)

https://bit.ly/3paeEVe

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「同情するなら、金をくれ」 「感謝するなら、差別を止めてくれ」

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折々のことば:2030 鷲田清一  朝日新聞 12月22日

私たちは自分の仕事を全うするだけですので、感謝の言葉は要りません。ただ看護に専念させて欲しいのです。(日本看護管理学会)

12月10日付の声明「日本看護管理学会より国民の皆さまへ」から。コロナ禍対応に疲弊する医療現場。感染患者に顔をすり寄せるようにして聞き、看護にあたるスタッフは、緊張と過労以上に、時に家族にすら業務の実態を隠さざるをえない、社会の「偏見」に追いつめられていると、学会は訴える。欲しいのは理解と協力なのだと。

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内田樹@levinassien 4時間

変異種ウイルスの感染拡大に伴ってロンドンのロックダウンを英政府が発表しました。市民には外出自粛を求め、生活必需品を扱う店以外は閉店。米が感染者1700万人、死者31万人。英がロックダウンで年を越す中で、日本は28日までGoToやって五輪開催まであと215日って本気なのかな?

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「人を認める」
「人を排除しない」
「仲間をつくる」

https://bit.ly/3nG0DP2
星槎大学

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「南部プランテーションでは、肥料の多用や輪作など手間のかかる土壌保全に努め、同じ場所で継続的に綿花などの商品作物を栽培する、という手法を採ることは稀であった。そのかわりに、ある畑の栄養分を使い果たすと、新しい土地に移動して綿花栽培を行い、その土地の地力が落ちると、また別な土地に移っていくということが一般的だった。このときに必要だったのが、奴隷の労働力である。南部プランターにとっては、西部への拡大ができるか否か、その地に奴隷制度を持ち込めるか否かは、まさに死活問題だったのである」

<杉田米行『知っておきたいアメリカ意外史』2010 集英社文庫 p.30>

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「ポルトガルは1500年にブラジルの領有権を主張し、その後50年のうちに、大規模な砂糖プランテーションの経営を開始した。砂糖プランテーションでの労働は、人類史上もっとも苛酷な労働であったと言われている。したがって、それは完全に奴隷労働の領分であった。
1550年から1800年の間に、ブラジルだけでおそらく250万余りのアフリカ人奴隷を
吸収したものと思われる。だが、1800年の黒人人口は100万人にすぎなかった。彼らはどこへ消えてしまったのだろうか? 大半が亡くなり、逃亡した者も少しはいた。奴隷所有者は、まじめに働く奴隷なら2年後には利益を生み出しはじめると計算した。しかし、5年ないし6年後には使い物にならなくなり、新たな奴隷が必要となった。そして、彼らの労働条件を改善したり、家族を持たせたりするより、死ぬまで働かせて、後釜に切り換える方が費用対効果の点で有利であることが明らかになった。あらゆる歴史のなかで、これほど人間の尊厳を損なった金儲けの例は稀である」

<クリス・ブレイジャ『世界史の瞬間』2001 青土社 p.108-109>

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本書の論点は2つある。その1つは、18世紀の半ば1750年頃まで、西欧と東アジアの経済発展の度合いにはほとんど差がなく、「驚くほど似ていた、ひとつの世界」であったことを明らかにした。旧世界に散在した4つの中核地域――中国の長江デルタ、日本の畿内・関東、西欧のイギリスとオランダ、北インド――では、比較的自由な市場、広範な分業による手工業の展開(プロト工業化の進展)、高度に商業化された農業の発展を特徴とする「スミス的成長」が共通に見られた。資本蓄積のみならず、ミクロな指標として1人当たりカロリー摂取量、日常生活での砂糖や綿布消費量や出生率でも、これら4地域では差がなかった。比較対象として、中国全土でなく、最も経済が発展し人口密度も高かった長江デルタと西欧(現在のEU圏)に着目した点がユニークである。 第2は、ユーラシア大陸において発達した市場経済が、18世紀後半の人口増加に伴う生態環境の制約(エネルギー源としての森林資源の縮小や土壌流出など)に直面する中で、西欧だけがその危機を突破した原因を解明する。食糧・繊維(衣服)・燃料・建築用材のいずれを増産するにも、土地の制約に直面するなかで、イギリス(西欧)のみが、身近にあったエネルギーとしての石炭と、新大陸アメリカの広大な土地の活用によって、産業革命につながる社会経済の変革を実現できた。石炭と新大陸という全く偶然的な「幸運」があって初めて、西欧の台頭と工業化は可能になったのである。

https://s.nikkei.com/37G2dLb

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「IR参入は口実で、中国資本の真の狙いは、北海道内に居留区を確保することだ。背後に中国共産党がついていて、すべて計画通り」「中国資本は、1700億円ほどつぎ込んで、留寿都(るすつ)村にホテルやコンドミニアム、学校、病院、プライベートジェット用の滑走路を造って、中国人集落を造成する計画だった。中国共産党の指示で、3年ほど前から計画が出ていた。
最初はカジノの話は出なかったと聞いている」

https://bit.ly/34CYvjz

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軍関係労働者は検疫も隔離もなし

その一方、米連邦政府からグアム島内の米軍軍事施設の工事のために送り込まれる労働者に限っては、「必要不可欠な労働力」としてH2就労ビザが与えられ、入島時の検疫のみならず
14日間の強制隔離も免除されている。島民や観光客とは明らかに異なる扱いを受けているが、グアム政府はそれに対して反対も抗議もできない。なぜなら、米連邦法上「グアムはアンインコーポレッド・テリトリー(未編入領土)であり米連邦政府の所有物である」と明記されているからだ。未編入領土というと聞こえはよいが、事実上グアムは米国の「植民地」である。1950年、グアム島民に米国市民権が付与されて以来70年も連邦政府が定める法的義務を果たし、合衆国憲法を順守しながら生活をしているにもかかわらず、大統領選挙はおろか国政選挙の選挙権もなく、ワシントンDCの連邦議会に地域代表の議員を立てる権利も認められていない。つまり、米軍基地外に住むグアム島民のコミュニティーは存在していないも同然で、グアム政府は連邦政府の決定には口出しができない一方的な支配関係が21世紀の現在も続いているのだ。

https://bit.ly/3nI6Qdg

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「おとなしいと思っていた沖縄の人がここまでやるとは。今まで虐げられ、たまっていたものが一気に噴き出した」と雛さんは感じた。今でこそ、地方都市でよく見かける市街地のようなこの場所で、たった1件の交通事故がここまで大きな騒動に発展した背景には、25年に及ぶ米統治下では全てが軍事優先で住民の安全、人権がないがしろにされてきたことがある。 住民を巻き込んだ地上戦で当時の県民の4人に1人が犠牲になった沖縄。戦後は新たな苦難の始まりだった。沖縄を統治した米民政府は1953年、「土地収用令」を公布・施行。当時の真和志村銘苅(現在の那覇新都心地区)、伊江島、宜野湾村(現宜野湾市)伊佐浜などで、武装米兵を動員し強制的に接収した。56年にはアメリカの沖縄統治を批判しその不当性を訴えた瀬長亀次郎氏が那覇市長に当選したが米民政府は財政融資資金を凍結するなどして瀬長市政を麻痺させようとした。 米軍人・軍属による犯罪も多発していた。ベトナム戦争が激化する1960年代半ばには年間千件を超え、コザ騒動が発生した70年は960件の犯罪が起きていた。犯罪多発の一方で、米軍人・軍属に関わる交通事故の場合、捜査権、逮捕権、裁判権などは全て米軍当局に委ねられ、沖縄側ではどうすることもできなかった。加害者が無罪になったり、アメリカへ帰ったまま未解決になった例も少なくなかった。 1963年には那覇市内の軍道1号(現国道58号)で青信号の横断歩道を渡っていた中学生が、突っ込んできた米軍トラックにひかれ死亡した。
赤信号を無視して人命を奪った米兵は、軍事裁判で「太陽の光がビルの壁に反射して信号が見えなかった」という趣旨の主張をし、無罪になった。コザ騒動が起きる3カ月前の1970年の9月には糸満町(現糸満市)で、酒に酔った米兵が運転するスピード超過の車が主婦をひき殺したが、12月11日に上級軍法会議は「証拠不十分」として米兵に無罪判決を下していた。

https://bit.ly/38H3ukz

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2021年1月
斎藤幸平『100分de名著 カール・マルクス『資本論』』NHK出版
斎藤幸平(@koheisaito0131)さんがツイートしました: 紅白は見るんだ笑

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「資本主義的生産は物質代謝の次元を十分に考慮することができないために、自然を破壊し、
人類の生存までを脅かす。資本にとっては、価値増殖という目的がなんらかの形で実現されればいいのだから、地球の大半が人間や動物の生存に適さなくなろうとも関係がない。それゆえ、自然の復讐による資本主義の崩壊を待っているわけにはいかず、むしろ、こうしたエコロジー危機に直面した労働する諸個人が自然との物質代謝の意識的・能動的な制御を行うようになることが、未来社会の実現にとって不可欠なのである」

「大洪水の前に」マルクスと惑星の物質代謝 斉藤幸平 19年4月

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「環境危機の問題は利潤の減少ではなく、資本主義という社会システムが人間の自由で、持続可能な発展という観点にとって非合理的なシステムであるということであり、だからこそ、それは人々の手で意識的に変革されなくてはならないのだ。その際に重要なのが、階級という視点である。なぜなら、1%の人々は気候変動から生じる環境危機をオフショア化しながら、
資本主義蓄積を継続する一方で、資本と違って簡単に移動することができない99%の人々は『環境プロレタリアート』、あるいは『環境難民』として、自然からの疎外に苦しむことになるからである。その限りで、気候正義への取り組みは階級闘争という問題を避けることができないのである」

「大洪水の前に」マルクスと惑星の物質代謝 斉藤幸平 19年4月

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「奴隷制がなければ綿花はない。綿花がなければ近代工業はない。奴隷制は植民地に価値を与え、植民地は世界貿易をつくりだし、世界貿易は機械制大工業(産業革命)の必須要件だった」
マルクス 1846年12月28日書簡

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独立不羈の生活をおくっていたインディアンは、体質的・気質的に、苛酷なプランテーション奴隷制に適応しえなかった、、、「インディアンの部族心、宗教的祭式を無視して鉱山に送り、単調、苛烈かつ異常な労働に従事せしめることは、インディアンよりその生の意味を奪掠するにひとしい、、、それは身体のみならずインディアンとしての魂をも奴隷化することにほかならぬ」、、、インディアン奴隷の能率は低かった。スペイン人の観察によれば、一人の黒人は四人のインディアンに匹敵した、、、インディアン奴隷の供給源は限られていたのにたいし、アフリカ人奴隷の供給源は無尽蔵だった。このようなわけで、アフリカから強奪された黒人が、インディアンから強奪されたアメリカの土地を耕すことになったのである。航海者エンリケ公の航海が、コロンブスの航海を補足したように、西アフリカの歴史は西インド諸島史の補遺となった。しかしながら、インディアンの後を継いだものは、直接には黒人ではない。白人貧困層(プア・ホワイト)だった。
「資本主義と奴隷制」エリック・ウィリアムズ 20、22、23p

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奴隷海岸に酒への嗜好をひろくゆきわたらせること、それは儲けになることだった。黒人の仲買人を酒攻めにし、正気を失うまで飲ます。そこで買いたたくという寸法だった。ある奴隷仲買人は、かり集めた奴隷を売った代金で鞄をいっぱいにしたが、奴隷船の船長から食事に招待され、愚かにもそれにのってしまった。かれは酒攻めにされ、翌朝目覚めてみたら、金は行方不明、あまつさえ衣服まではぎとられて焼印をおされ、自分がたたき売った連中といっしょに奴隷にされているのに気がついた。
「資本主義と奴隷制」エリック・ウィリアムズ 133p

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19世紀においては、バーミンガム製銃器はアフリカ産ヤシ油と交換された。しかし、18世紀においては、もっと悪辣な取引がみられた。18世紀のバーミンガム製銃器は、人間と交換された。黒人一人の値段はバーミンガム銃一丁と言い慣わされていたくらいである。アフリカ・マスケット銃はバーミンガムの重要な輸出品であり、年間の輸出は10万ないし15万丁に及んだ。バーミンガムの銃器製造業者にとって、アフリカは、イギリス政府および東インド会社と並ぶ最大のおとくいだった。
「資本主義と奴隷制」エリック・ウィリアムズ 139p

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コメント(4)

今も、アメリカ人は、日本という植民地に対し、17〜8世紀とおなじことをしてるね。
日本人は、馬鹿だから・・
>>[1]

「日本人も馬鹿」かも知れませんが、馬鹿を搾取する植民地主義宗主国アメリカは、馬鹿では済まされない巨悪ではないでしょうか?

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