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孫崎亨・広原盛明・色平哲郎達見コミュの【色平哲郎氏のご紹介】 「株式会社の世界史」「負債論」

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1970年代の石油危機、OPEC諸国の富が西側の銀行に流入、それを第三世界の独裁者に貸し付け、1980年代初頭の米国の金融引き締め政策によって金利が20%近くにまで跳ね上がり、1980年代と90年代を通じて第三世界の債務危機を招いた。
「IMFが介入し、再融資と引き換えに、基礎食品の価格維持政策あるいは戦略的食糧備蓄さえも放棄するよう最貧国に要求するにいたったこと。無償の健康保険、無償の教育の放棄もそこにはふくまれていること。そしてこういったことすべてが、地球上で最も貧しく最も脆弱な人びとのための最も基本的な支援の解体をひきおこしたこと。貧困、公共資源略奪、社会の崩壊、暴力の蔓延、栄養失調、絶望、生活破綻についてもわたしは話した。」 (5 頁)
「これら貧困国の多くが現時点ですでに借用分の3倍から4倍の金額を返済している」(6 頁)
http://0a2b3c.sakura.ne.jp/fusairon.pdf   
グレーバー『負債論』(以文社)ノート
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どんな株取引においても、勝者と敗者が生まれる。しかし、バブルとその崩壊が引き起こした勝敗は、国家の秩序を揺るがしかねないほどに過大なものとなる。
狂乱的な南海バブル崩壊の後、イギリス国内では破産するものや自殺が相次ぎ、社会不安へと発展することになる。
その結果、イギリス国教会、英国議会は株式会社というものを、詐欺と醜聞の温床になるという理由で禁止したのである。
英国議会は(1720年7月、)バブル法を制定し、以降100年以上の間、特別に勅許された会社以外の株式会社の自由設立はできなくなった。
ある意味で、ここで、株式会社は歴史上一度死んだことになる。
「株式会社の世界史」 「病理」と「戦争」の500年  東洋経済新報社 68p
刑法「泡沫会社禁止法」(バブル法) 1825年廃止
(Royal Exchange and London Assurance Corporation Act of 1720、Bubble Act)
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(ヘレン・ケラーのいう unlearn の態度こそ 知の本質)
私が引っかかっているのは、、、集積された「情報」が「知」であると考えられている点である。
私は才能にあふれる、彼らインターネット世代の揚げ足を取りたくて、些細なレトリックにこだわりたいのではない。
「情報」を「知」と読み替えることこそ、市場化された「現在」を特徴づけている本質なのではないかと思っているのである、、、
インターネットの出現とそれに続く情報の氾濫によって、確実に人間は知性的であることの意味と知に対するマナーを見失うことになるだろう、、、
情報をいくら集積しても、それは量の増大に過ぎない。それを「知の集積」と呼んでしまうところに、テクノロジー信仰の根本的なあやうさがある、、、
「知性的であることの意味とマナー」と書いた。噛み砕いて言えばそれは次のようなことである。知識は積み木のように積み上げてゆくことができるが、知性とはそのようなものではない。
むしろ、積み上げてきた思考のプロセスを、積み木崩しのように、崩すところからしか、新しい知性というものは生まれてはこない。私(たち)が、何度も繰り返してきたように、知性とは自分が何を知っているかではなく、自分が「何を知らないか知っている」というところにその本質を持っているからである。
これもまた、メタ「知」である。しかし、それは「知」に対する「知」ではなく、「不知」に対する「知」である。それはまた、自分がすでに知っていると思うことをもう一度相対化してみることでもある、、、
ソクラテス、デカルトの昔から、ニーチェ、マルクス、フロイト、あるいは孔子、孟子から空海、一遍、親鸞にいたるまで、先賢の「知」の初源には、自分が何であるのかよくわからないという疑問が横たわっていたと言えよう。自分が何であるかよくわからないということは、すなわち、自分の知もまたよくわからないものの活動であるということである。知はどこまで行っても、このよくわからないものに触れることはできないが、よくわからないということを深く実感することだけはできる。
ネットの向こう側に知があり、ネットで繋がった人の輪があると考えるのは自由だが、知も、人もどこか影の薄い情報に過ぎないと疑ってみる必要はあるのではないだろうか。
平川克美「株式会社の世界史」292p
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負債とは何か
「もし歴史の教えというものがあるとしたら、暴力に基盤を置く諸関係を正当化しそれらをモラルで粉飾するためには、負債の言語によってそれらを再構成する以上に有効な方法はないということだ。」
デヴィッド・グレーバー「負債論」10p
「第三世界の債務国は、ほとんど例外なく一度はヨーロッパ諸国によって攻撃され征服されたことのある国々である。そして多くの場合、かつての侵略国に債務を負っている。」
「合衆国の対外債務は、諸外国(ドイツ、日本、韓国、台湾、タイ、湾岸諸国といった)の投資家が所有するTボンド(Treasury bonds、財務省長期証券)の形態をとっている。そして多くの場合、それらの諸国は合衆国の軍隊によって保護され、赤字財政支出の原因そのものである重装備の米軍基地によって覆われている、、、中国さえも、非常に多額のTボンドを所有することで、ある程度は合衆国に奉仕させられているのであって、その逆ではないのだ。では、合衆国財務省に向かって集中をつづける、この貨幣の本質とはなにか?これらは『融資(ローン)』なのか?それとも『貢納』なのか?」
デヴィッド・グレーバー「負債論」11p、12p
「メソポタミアにおいてと同様に、聖書においても、『自由』とは、なによりもまず負債の影響からの解放を意味するようになった。」
デヴィッド・グレーバー「負債論」123p
「古代中東における抵抗は常に、反乱の政治というより大脱出の政治、つまり共同体や家族とともに――しばしば連れ去られてしまう前に――逃散することの政治である。」
「世界中の聖典――旧約聖書、新約聖書、コーランをはじめ中世から現代にいたるまでの宗教文学など――は、腐敗した都市生活に対する軽蔑と商人に対する疑念、そしてしばしば強烈な女性嫌悪症の合体からなる、この叛逆の声を反響している。」
デヴィッド・グレーバー「負債論」276p
「ほとんどの都市(ギリシャの)が最終的にみいだした解決策は、近東のそれとは大きく異なるものであった。定期的な恩赦を制度化するかわりに、ギリシャ諸都市は負債懲役制度を制限するか全面廃止する方向にむかい、次いで将来の危機を防ぐため〔領土〕拡張政策をとり、貧者の子供たちを送り込んで海外に軍事的植民地を確立したのである。またたくまにクリミアからマルセイユまでの沿岸全体にギリシャ人都市が点在するようになり、今度はそれらの都市が活発な奴隷貿易の流通経路としての役割をはたすようになった。奴隷の急増は、転じて、ギリシャ社会の性格を徹底的に変質させた。なによりも、つつましい生活を送る市民さえも都市の政治的・文化的生活に参加できるようになり、真の市民的意識を抱くようになったのである。だがこのことが旧貴族階級をして、新しい民主国家の卑俗性やモラルの荒廃と彼らの眼にはみえたものからみずからを遠ざけるべく、ますます手の込んだ手段を発展させるように駆り立てたのである。ギリシャが真の幕開けをむかえる前5世紀には、だれもが金銭について議論していた。
現存するほとんどの文献の執筆者たちは貴族であるが、彼らにとって金銭とは腐敗の化身であった。貴族たちは市場を軽蔑していた。名誉ある男たちの理想は、必要なものすべてをじぶん自身の地所で調達し、現金をいっさい手にしないことだったのだ。」
デヴィッド・グレーバー「負債論」282p
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生粋の紙幣について語ることができるようになるのは、1694年のイングランド銀行の創設によってはじめてである。
その銀行券が、決してもろもろの公債証書ではなかったからである。その他すべての手形と同様、それらもまた国王の戦債に根ざしている。このことはどれほど強調してもしすぎではない。
もはや、「王への負債」ではなく、「王による負債」であるという事実が、その貨幣をそれまでの貨幣と大きく異なったものにした。多くの意味で、それはそれ以前の貨幣形態の〔反転した〕鏡像だったのである。
イングランド銀行が創設されたのはロンドンとエディンバラの商人40人ーーその大部分が既に国王への債権者であったーーからなる協会が、対仏戦争を援助するため、国王ウィリアム3世に120万ポンドの融資をおこなったときであることをおもいだそう。その見返りとして銀行券発行を独占する株式会社の結成を許可するよう、彼らは王を説得した。
そして、その銀行券は、「事実上、王が彼らに負って〔借りて〕いる額面の約束手形だった」のである。
これが世界初の独立した国立中央銀行であり、それは小規模の銀行間でやりとりされている負債の手形交換所となった。
その手形が、まもなく、ヨーロッパ初の国家紙幣に発展していくのである、、、
ここでわたしたちは奇妙な逆説に直面する。
資本主義と関連づけられるようになった金融装置を構成するほとんどすべての要素ーー中央銀行、債権市場、空売り、証券会社、投機バブル、証券化、年金といったーーが、経済学という科学のみならず、工場そして賃労働にさえ先だって出現していたのである。このことはおなじみの見方に対する真の挑戦である。
デヴィッド・グレーバー「負債論」501p、509p
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将来、この鋼鉄の〈檻〉に住むのは誰なのかを知る人はいない。
そしてこの巨大な発展が終わるときには、まったく新しい預言者たちが登場するのか、それとも昔ながらの思想と理想が力強く復活するのかを知る人もいない。あるいはそのどちらでもなく、不自然極まりない尊大さで飾った機械化された化石のようなもの
になってしまうのだろうか。最後の場合であれば、この文化の発展における「末人」たちにとっては、次の言葉が真理となるだろう。
「精神のない専門家、魂のない享楽的な人間。この無に等しい人は、自分が人間性のかつてない最高の段階に到達したのだと、自惚れるだろう」。
Max Weber【Die protestantische Ethik und der Geist des Kapitalismus】(1920)
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かつて中国は「株式会社」を持たなかったがゆえに没落した
現在の中国企業の本質は?  野口悠紀雄
ヨーロッパの中世を支配したのはカトリック教会であり。これは、ある種の官僚組織だ。しかし、ルネサンス以降のヨーロッパ国家の原型となったのは、カトリック教会ではなく、古代のローマ帝国だ。その基本形は、帝国になる以前のローマ共和国に見られる。これは、小さな官僚機構しか持たない分権国家であり、商業的な利益を守るのが、その基本的な性格だ。
アウグストゥスが築いたローマ帝国は、この理念を現実化したものだ。「帝国」という名とは裏腹に、分権国家だったのだ
(アウグストゥス自身は、「帝国」という言葉を避けている)。
ローマ帝国は滅びたが、その後のヨーロッパに誕生した国家は、フランスやスペインを除けば、基本的にはローマ共和国的な性格の国家であり、経済的利益を重視した。
とりわけ、イングランドオランダがそうである。
神聖ローマ帝国(ドイツ)も極めて分権的な国家だ。
また、国家ではないが、ハンザ同盟のような商業都市の連合体もあった。このようなヨーロッパ型国家が、株式会社を作り、大航海を実現したのだ。ヨーロッパの大航海は、新しいフロンティアを求めた。それは商業的利益の追求に導かれたものではあったが――というよりは、商業的利益に導かれたものであったために、世界を大きく変えた。
この流れが産業革命をもたらしたのだ。産業革命以降の時代は、株式会社によって切り開かれた。株式会社がなければ、産業革命が世界を変えることはなかっただろう。このように、大航海時代以降の世界史をリードしてきたのは、中国的な理念ではなく、
ローマ共和国的理念だった。
このため、ローマ共和国の理念は、単にヨーロッパ社会やアメリカだけではなく、人類的な普遍性を持つものになった。
アメリカ建国の父たちは、ローマ共和国を理想国家像とした。
アメリカ合衆国は、ローマ共和国の再現を目的とした。
だから、アメリカの基本思想と中国の基本思想は、本来は決して相容れないものだ。
では、改革開放後の中国に登場した株式会社は、中国社会の基本的性格が、長い歴史をもつ「中国的」なものから変質していることを意味するのか?それとも、それは、ヨーロッパで生まれた株式会社とは表面的に似ているだけで、本質的には異質のものなのか?
これこそが、人類の未来を決める重要なポイントだ。
https://bit.ly/38mDPip

コメント(2)

政治・統治のやり方としてのアメリカ式(民主主義)と、中国式(少数のリーダーによる徳治政治)とは、たしかに、基本的に思想がことなるが、これが、経済的にどちらが有効か?(どちらが、歴史に耐えうるか)は、侵略や戦争が起こらなくて、経済戦争のみであったら、歴史がもう100年もすれば、証明するであろう。

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