孫崎亨・広原盛明・色平哲郎達見コミュの【孫崎享のつぶやき】随想⑩　茶碗と絨毯 2020-08-17 06:355

　新宿通り、麹町一丁目交差点に茶道具舗がある。ショーウインドーに茶碗が飾ってある。信号待ちの時に、時に覗き込む。店の中とは遮断されているのでお店の人と顔を合わせることもない。三輪休雪１８万円のように高価なものや、数千円の物もある。とうとう、安めの茶碗を買って、毎日、普通のお茶を飲んでいる。

　お茶を飲んでいた時、ふと元駐日イラン大使の言葉を思い出した。
「日本人とイラン人は似てます。日本はお茶の儀式で素晴らしいお茶碗を使う。水やお茶を飲むのに芸術性のある椀は別に必要ない。ガラスでいいじゃないですか。量産の茶碗でいいじゃないですか。でもお茶を飲むという日常の行動の中に芸術が入っている。これが日本でしょう。イランの絨毯も同じです。床や地面に敷くのにゴザのようなものでいい。しかしここに最も手の込んだ絨毯を敷く。日々の生活の中に芸術が入っているのです」

　イラン人と日本人は美を愛でるという点では同じだが、これに商売が絡むとイラン人は特別の才能を発揮する。イラン絨毯の素晴らしさは定評があるから外国人が買う。テヘランにいる時、西側の大使夫人がとっておきの工房があるから行こうという。多くの絨毯が陳列してある。何となく品がいい。その内、主人が話してくれた。「私は百年位たった、使い古し、ぼろぼろで、どうしようもない絨毯を買っているのです。そしてほぐして、その糸を再生します。糸本体も染料も昔のままです。そして昔の模様の絨毯を作ります」。絨毯の専門家なら専門家であるだけ、ここの絨毯を昔の絨毯と評価する。染料も昔の物、糸も昔の物、柄も昔の物。莫大な値段がつく。

　アインシュタインは１９２２年訪日し、日本の印象を語っているが、彼は「日本人の心の中に入るのは容易でありません」とした上で、「人間同士の直接の体験が欠けたものを、芸術（人間の手で創作しているものの全て）の印象が補ってくれました」と記している。彼は日本社会の日々の生活が「美術」と名をうったものでないが、美に囲まれているのを評価した。日本がユニークであったのは、普通の人々が美を生活に入れてきたことだろう。

　私は石川県小松市の出身で、育った所は農村部である。中学は県体で相撲やバレーボールで活躍する、そういう土地柄である。私の小さい頃はしばしば親類などが集まって酒盛りをした。その内、主人が自慢げに盃を出す。「これは先代の五十吉のもので」等。盃や徳利だけが素晴らしいのではない。各家には床の間がある。季節が変わる度に床の間の掛け軸を変えていた。普通の農民が「いい掛け軸だろ」と自慢し合っているのである。

　明治時代エドワード・モースは地方に出かけ、みすぼらしい旅籠屋に泊まって、しかし、部屋の壁にかけられた書き物が中国の古典であると知って驚いている。

　アインシュタインは日本の日々の生活に芸術が入っていることを見抜いたが、同時にその消滅がくるのでないかと懸念している。その懸念が今実現しているようだ。「西洋に出会う以前に日本人が本来持っていた、つまり生活の芸術家、個人に必要な謙虚さと質素さ、日本人の純粋で静かな心、それらすべてを純粋に保って忘れずにいて欲しいものです」