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孫崎亨・広原盛明・色平哲郎達見コミュの【孫崎享のつぶやき】 『朝鮮戦争の正体』(7月予定)

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朝鮮戦争はソ連が仕掛けた戦争が通説。代表的見解トルーマン「韓国陥落なら米国に近い諸国まで蹂躙」。だが実際は「北は南を銃剣でつつきたがってた」(フルシチョフ回顧録)。スターリン→駐北ソ連大使「我々が引きずりこまれない様に」
2020-05-28 07:031
1:朝鮮戦争画が起こった時の、トルーマン大統領の反応を見てみましょう。
「・1950年6月24日土曜日、ミズーリ州インデペンデンスにいた。夜10時ちょっと過ぎ。。。。電話が鳴った。。。。「大統領閣下、きわめて重大なニュースです。北朝鮮が南鮮に侵入しました。彼(アチソン国務長官)は私に米国として国連に会議を招集して、韓国に対して侵略があったことを宣言するよう要求する提案をした。」そしてトルーマンはワシントンに向かいます。。ぎ「機上では私は考えごとをする時であった。。。。もし韓国が陥落するのを許せば、共産主義者たちはこれに勇気づけられて、米国の沿岸に近い諸国まで蹂躙するようになるだろうと考えた。」
このトルーマン大統領の反応が、基本的に朝鮮戦争解釈の定番になります。
2:ではスターリンはどう対応していたのでしょうか。 長い間、公的なものはありません。
 一番、信用されそうな文献はフルシチョフのは回想録フルシチョフはスターリン後、1953年3月から 1964年10月まで、ソ連共産党第一書記です。1949年12月、ウクライナからモスクワに戻ります。失脚後米国で出版されたのがフルシチョフの回想録です。
「1949年終わり金日成が代表団をひきつれて訪れ、スターリンと協議した。北朝鮮人は南朝鮮を銃剣の先でつつきたがっていた。金日成の言によれば、最初のひと突きで南朝鮮の内部に爆発が起こり人民の力が勝利を得る ーすなわち北朝鮮を支配している力が勝ちを得るということだった。その考えが共産主義者としての彼の信念にさらに強く訴えたのはこの闘争は朝鮮人の自分達だけで解決する内部問題となるからだった。北朝鮮は李承晩に踏みにじられている自分達の兄弟に援助の手を差し伸べたいと望んでいた。スターリンは金日成にこの問題をじっくり考え、よく計算した上で具体的な計画をねって戻ってくるように説いた。
金は帰国し、全ての段取りをつけてからまたモスクワにやってき来た。彼はスターリンに絶対に成功を確信しているといった。私はスターリンが彼なりの疑惑を感じていたことをおぼえている。スターリンが心配していたのはアメリカが介入することだったが、我々は、もし戦争が迅速に展開すれば―むろん金日成も素早く勝利を収めうると確信していたが―アメリカの介入は避けられるとする考えに傾いた。」
3:モスクワ国際関係大学は卒業生にラブロフ、ベススメルトヌイフ、コズイレフ等の外務大臣を輩出しているロシア外務省付属大学であり、国際関係および外交専門家などの養成のための高等教育機関です。この学長がトルクノフです。彼の著書『現代朝鮮の興亡』を見てみます。
スターリン発→シトゥイコフ駐北朝鮮・ソ連大使
【南朝鮮政府内の極めて影響力のある人物が、北朝鮮への侵攻を主張している。】
 潜在的な敵を挑発しないように、そして軍事行動が始まった場合、ソ連が一線を画すために、モスクワは、自らの海軍基地と在北朝鮮空軍代表部を閉鎖することに決めた。クレムリンの文書の中で、この点に関してはこう述べられている。我々の平和志向を宣伝し、敵を心理的に武装解除させ、南の侵攻に対し起こりうる戦争に我々が引きずりこまれないようにするために、我々の軍事施設を撤去するのが政策的にただしいだろうと。」

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