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孫崎亨・広原盛明・色平哲郎達見コミュの孫崎亨、かくかたりき。

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【ニーメラーを読む時。「ナチの共産主義者への攻撃時声をあげなかった。私は共産主義者でなかったから」。官邸報道室は「未確定な事実や単なる推測に基づく質疑応答がなされ、国民に誤解を生じさせるような事態は断じて許容できない」として望月記者に圧力。】

【孫崎享のつぶやき】転載
2017-09-03 08:394



官邸報道室は菅義偉官房長官の記者会見での望月記者の質問に対し、東京新聞に宛てた書面で「未確定な事実や単なる推測に基づく質疑応答がなされ、国民に誤解を生じさせるような事態は断じて許容できない」として、再発防止を強く求めた。(産経新聞)

これは極めて深刻な申し入れである。記者会見であるから、質問が事実と違う内容を含んでいたら、官房長官が「違う」と言えばいい。何ら国民に誤解を与えることにはならない。重大なのは、「未確定な事実や単なる推測に基づく質問」を禁じようとしている事だ。同時進行している様々な事件は全貌が解らない。当然推論に基づく疑問が出る。これらを禁ずることは、政府の言う事に何も質問させないということだ。

言論界で何らかの関与をする人は次の、マルティン・ニーメラーの言葉をかみしめるべきだ。

・ニーメラー財団による詩
(ニーメラー財団は、1976年のニーメラーに対するインタビューを元として詩を再編成。)


「ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった
私は共産主義者ではなかったから

社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった
私は社会民主主義ではなかったから

彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった
私は労働組合員ではなかったから

そして、彼らが私を攻撃したとき
私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった」



丸山眞男は1961年の論文「現代における人間と政治」(1961年)の中で、同書(ミルトン・マイヤー著書『彼らは自由だと思っていた』)からの引用として紹介し以下のように訳した]。

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ナチが共産主義者を襲つたとき、自分はやや不安になつた。
けれども結局自分は共産主義者でなかつたので何もしなかつた。

それからナチは社会主義者を攻撃した。自分の不安はやや増大した。
けれども自分は依然として社会主義者ではなかつた。そこでやはり何もしなかつた。

それから学校が、新聞が、ユダヤ人が、というふうに次々と攻撃の手が加わり、
そのたびに自分の不安は増したが、なおも何事も行わなかつた。

さてそれからナチは教会を攻撃した。そうして自分はまさに教会の人間であつた。
そこで自分は何事かをした。しかしそのときにはすでに手遅れであつた。

― 丸山眞男訳、「現代における人間と政治」(1961年)
-------------<了>-----------------------------------------

コメント(1)

何か、時代が似てきました。恐ろしい気がします。

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