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孫崎亨・広原盛明・色平哲郎達見コミュの《バグダッド発大韓航空機墜落事故の実行は北朝鮮か、韓国か。誰が得をし、実行が容易かの検証》

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「序文」
櫻井智志

 歴史にif?は許されないと言われる。けれど、歴史を揺るがす大事件を、今までの視点にとどまらず、それなりのデータと判断において検証することは、独断偏見ではないかぎり、重要な営みである。
 孫崎享氏が以下に記述した内容については、読んで判断がわかれるところとなるだろう。私も孫崎氏の見解をおしつけるつもりはないし、孫崎氏ご本人が結論は述べていない。ただ経緯のデータを読者に提供する謙虚さに終始している。読者諸氏も結論がどうかでなく、過程を読み取っていただけたらと願う。



【孫崎享のつぶやき】
《バグダッド発大韓航空機墜落事故の実行は北朝鮮か、韓国か。誰が得をし、実行が容易かの検証》
2015-03-03 06:571



A. まずウィキペヂアの説明を見てみたい。

「大韓航空機爆破事件は、1987年11月29日に大韓航空の旅客機が北朝鮮の工作員によって飛行中に爆破されたテロ事件である。

 当時の大韓航空の時刻表によると、この便は本来、マクドネル・ダグラスDC-10-30型機で運航されていたが、当日は機材変更によりボーイング707-320B型機で運航された。

 乗員:11名、乗客:104名 乗客のほとんどは中近東(イラク)への出稼ぎから帰る韓国人労働者。うち9人は「デッドヘッド」と呼ばれる業務に就いていない操縦乗務員(機長、副操縦士、航空機関士各3人ずつ)で、中東へのフライトから帰国する途中であった。

 858便はアブダビを協定世界時日曜日の午前0時01分に離陸、インドを横断し、ボンベイ(現:ムンバイ)から始まるアンダマン海上の航空路R468を飛行して、ビルマ(現:ミャンマー)の航空管制空域に、離陸から4時間半後の現地時間午前10時31分(協定世界時:午前4時31分)に到達した。インドとビルマの境界である"TOLIS"ポイントからラングーン(現:ヤンゴン)の航空管制官に対し「現在37000フィート(およそ10700m)を飛行中。次の"VRDIS"には午前11時01分、"TAVOR"(ビルマ本土上陸地点)には午前11時21分に到達の予定」と報告したのが858便の最後の通信[1]となった。ここで858便は航空路ロメオ68を飛行しており、ほぼ定刻通りにバンコクに到着するはずであったが、ラングーンから南約220km海上上空の地点で午前11時22分に機内で爆弾が炸裂し、機体は空中分解した。

パイロットは緊急信号や地上の管制機関に緊急事態を宣言する間もなく、爆発の衝撃で即死したと見られる。乗客・乗員115人全員が行方不明(12月19日に全員死亡と認定)となった。

 事件直前、バグダッドで搭乗して経由地のアブダビ空港で降機した乗客は15人いたが、その中に不審な男女各1名がいた。この2名は日本の旅券を持っており、30日午後にバーレーンにガルフ航空機で移動し、同国のマナーマのホテルに宿泊していた。

 2名はバーレーンの空港でローマ行きの飛行機に乗り換えようとしていたため、日本大使館員がバーレーンの警察官とともに駆け付け、出国するのを押し留めた。

 女はマールボロに隠された青酸系毒薬のアンプルを警官からひったくって自殺を図ったが、バーレーンの警官のハッサンが飛びかかり、直ちに吐き出させ、完全に噛み砕けなかったために青酸ガスで気を失って倒れた。男は死亡したが、同伴の女は一命を取りとめ、3日後に意識を取り戻した。

 北朝鮮の説明とは全く異なる繁栄ぶりに驚愕し、ついに朝鮮民主主義人民共和国工作員の金賢姫であることを認め、航空機爆破の犯行を自供した。

 なお金賢姫の供述によれば、爆発物は時限装置付きのプラスチック爆弾が入った携帯ラジオと液体爆弾が入った酒ビンであるとされた。爆弾は2人の座っていた機体前方の7Aと7B近くのラックの中に入れており、爆発物は彼女がバッグの中に入れて機内に持ち込んだと供述した。

現在も北朝鮮は事件への関与を否定しており、韓国による自作自演を主張しているが、この事件の指導と総指揮は、当時既に金日成の後継者に指名されていた朝鮮労働党書記金正日が執ったと言われている。

その主な目的は、「大韓航空機の原因不明の空中分解」によって大韓航空のみならず韓国政府の国際社会における信頼低下を引き起こし、その結果として翌年にソウルで行われるソウルオリンピックの妨害を行うことであったと言われている

 2005年には韓国政府自身が捏造説の真偽を調査し、「政治的に利用されたのは事実であるが、事件自体は真実である」という調査結果を公表している。

 B:韓国の情勢

1:ジェームズ・リリー元駐韓国大使『チャイナハンズ』

・全斗煥大統領の任期切れにともなうソウル政界の緊張だった。

 1986年の時点で、韓国の若者を苦しめ、年配を当惑させていたのは、1980年の「光州事件」だった。1980年代中ごろの韓国では「光州を忘れるな」が民主化を求めるすべての韓国人の合言葉になっていた、公式発表では衝突による死者は240名だったが、死者の数は二千名に上るという非公式の見方もあった。

 全斗煥は任期切れの1988年にあわせ、政権を平和裏に明け渡すと公言しながらも、居残って権力にしがみつく姿勢も見せていた。大方の観測では軍事力を行使して政権維持を図るのではないかと危惧されていた、「文民化」が「韓国政治からの軍人排除」を意味していることは誰の目からも明らかだった。

 1987年6月10日の盧泰愚の大統領候補への正式指名はソウルで前代未聞の大規模な抗議デモ(20万から30万集結)を引き起こした。

 12月に韓国で行われた大統領選挙で金泳三は共同戦線を組めず、36%しか得票できなかった盧泰愚が漁夫の利を占めた。

 金賢姫のソウル到着は世界中のトップニュースになり、盧泰愚に追い風となった。

 盧は830万票獲得し、次点の金泳三の640万票に大きな差をつけた。盧の側近はのちに朴(外務次官補)に向かって、金のソウル入りが少なくとも150万票を動かしたと語っている。

 C:評価

・韓国の大統領選挙では民主化の流れが強く、全斗煥に極めて不利な大統領が出る可能性は高かった。

・全斗煥はすでに光州で二千名もの犠牲者を出した人物である。

・バグダードは当時イランイラク戦争の中にあって極めて厳重な警戒の中にあった。

・金などは乗り換えを行っているが、一度出て再検査を受けている。こうした中、時限爆弾の持ち込みは極めて困難である。

・当時機長などは交信を行っており、一瞬の爆破でこっぱみじんになったと想定せざるをえない。仮に時限爆弾をバッグに入れて入ったとしてそれが可能か。

・もし、事前に機内に仕掛けておけば、極めて簡単である。


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コメント(2)

この事件は未だに疑義がありますが、韓国側にそんな事情があったのですね
>>[1]

国際情勢というのは、非常に複雑で怪奇なものですね。
孫崎さんの見解をすべて鵜呑みにしていませんけれど、新たな視点を提供してくれて参考となります。

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