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1970年代 J ポップが好き!コミュの青春のバイブル’70

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'70年安保を境にして、目(意識)が外から内へ向かった結果として生活にねざした、いわゆる生活派フォークが生まれた。
'71年、フォークの世界に三上寛、ガロ、小坂忠など新しいグループ、新しい人たちが登場し、既にデビューしていた人たちとともに活動を繰り広げるようになる。'69年までは関西フォークという明確なポリシーに支えられていたフォークソング運動も'70年を境に空中分解し、その結果として運動としての方向性も完全に見失っていった。それでも、関西フォークのまいた種は至る所で芽を出し、たくさんの新しいフォークシンガーやグループも生まれてきた。彼らはさまざまな場所で、思い思いにコンサートを開いて活動をしていたわけだが、そんな彼らがあたかも強い磁石に吸い寄せられるようにして<第3回全日本フォークジャンボリー>に集合する。

コメント(3)

岡林信康、五つの赤い風船、遠藤賢司、吉田拓郎、岩井宏、かまやつひろし、長谷川きよし、上條恒彦、カルメンマキ、三上寛、ザディラン‖、六文銭、はっぴいえんど、はちみつぱい、友部正人、小林啓子など、実に多くのミュージシャンが参加した。
このジャンボリーに武蔵野タンポポ団の一員として出演し、目のあたりにその光景を目撃した山本コータローは「誰も知らなかった吉田拓郎」の中で次のように書いている。
……風雲急を告げ、群雄割拠する状況のもとで、多くの若者の期待を担って開催された<第3回全日本フォーク・ジャンボリー>は、最初から荒々しい雰囲気に包まれていた。演奏中に爆竹が鳴る花火が上がるといった騒ぎであった。聴衆は初めからスターの登場を渇望し、待ち続けていた。しかし、そのスターは拓郎ではなく、再び沈黙を破って中津川にやってきた岡林信康であった。だが、明らかに聴衆の間で変化が起きていた。前年、遠藤賢司が一躍踊り出たメイン・ステージに登場する資格を得ていた拓郎と加川良に、次第に熱い視線が集中されるようになっていたのだ。
コウタローのいうように、このジャンボリーは、フォーク運動にとってエポック・メイキングな出来事だった。拓郎が岡林にとって代わったことは、単にスターの交代を意味するだけでなく、フォークの状況、及びそれに答えうる歌とは何か、ミュージシャンとは何かが、改めて問い直されたことを物語っていた。

歌い手と聴き手とのギャップは、'68年8月に開かれた第3回フォーク・キャンプから既にその兆しをみせていたが、それがこのジャンボリーで、決定的な形をとって現れたわけだ。そしてこれに伴って、フォーク運動の本質そのものも、関西フォークのそれと異なり、新しい時代に対応した新しいものにならざるをえなかったようだ。
つまり、フォークの大衆化である。それまで反体制的な匂いを漂わせていたフォークが、四畳半フォークに変質し、反体制というレッテルがはがされたことによって、より多くの若者にアピールした。
そんなフォークの流れのトップに立っていたのが拓郎だった。

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