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クラシカル生活入門コミュの[G] Gratitude 感謝は幸福につながっている

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昨年来、国民の幸福度について、ブータン王国のことが話題になりました。
その前年あたりから、ボクも、あれやこれやと幸福論を読み進めていました。

この結果、ボクなりに分かってきたことは、
一定の条件から「幸福とはこうだ」と決定づけるには無理があるということです。

お金がある。高級車がある。大きな家がある。家族がいる…。

これらはある程度あれば、または多少不足していても、
あるいはまったくなくても、幸福を決定する条件にはならないということです。

モノを所有していることは、幸福になるための有利な条件ではありますが、
所有することが幸福そのものとはなり得ないことが分かってきました。

CMの世界では、商品を購入することによって、あたかも、みんなが幸福になれる!とアピールしますが、
所有欲を充足して満たされるものは、幸福感ではないのです。
社会心理学によると、所有欲を満たして得られるものは、欠乏感の満足であると説明しています。

たとえば、子どもが欲しがるゲームソフトを買い与えたとしましょう。
これによって、子どものゲームへの欲求は満たされますが、
それが幸福そのものとはなり得ないというのです。
仮に、幸福感を味わえたとして、それは一時的で刹那的な感情の高まりでしかないのです。

ひょっとすると、多くの人たちは、幸福の獲得と不満の解消を取り違えて、
理解しているのかもしれません。これこそが、誤解なのですexclamation

たとえば、私たちが憧れていた高級車や大きな邸宅を手に入れたとして、
これによって永続的な幸福を獲得できたと考えるのは大きな間違いであることが、
社会学や心理学、経済学、哲学からも明らかにされています。

ボクがあれもこれもと幸福論を学んできまして、その結論を申し上げますと、
真の幸福のもっとも大きな要因は、人と人、人と自然との心のつながり、向上心の高まり、
といった精神性の高い意識、すなわち「感謝」であると言えるようなのです。

ここまで、さまざまな幸福に関する文章を読んでみまして、
感謝の気持ちはそのまま幸福につながるとするボクの結論は、
かなりイイ線で核心に迫っているものと自負しています目がハート

収入(お金)や住宅事情など、物質的なものがある程度満たされると、
それ以上のものをいくら獲得しても、人は自分が幸福になったとは思えないのです。
このことは、この50年間、世界各国が調査した国民調査によっても明らかにされています。

第二次世界大戦後の1950年代から現在まで、欧米の各国と日本では、
幸福に関する国民調査が行われてきましたが、これによって明らかになったことは、
所得の増加と幸福感とは関係しないということです。
1950年代と現在を比較しますと、わが国では収入が4倍以上になっているにもかかわらず、
アメリカでは7倍以上にもなっているのに、幸福感の上昇は見られないのですexclamation
収入の増加とは関係なく、両国民の幸福感は横ばいのままです右斜め下右斜め下

このことから、経済的な繁栄が人々に幸福をもたらせるという、
従来の経済の考え方に、政治的な反省が加えられることになりました。
経済的に貧しいアジアの小国・ブータンが世界的に脚光を浴びる背景には、
こうした先進各国の幸福についての大きな問題点が存在したのでした。

現在、多くの科学者が幸福について明言していることは、
物質の充足によって一定の満足感、つまり不満の解消は出来るが、
それ以上のものは得られないということです。

つまり、物質によって満たすことが出来るのは、不満の解消であるということです。
不満の解消は物質的な充足ということ、それ自体で完結していて、
幸福への道筋とはならないということです。

不満足の反対側に幸福があるのではないということです。
不満足の反対にあるものは、不満の解消であったのです。

それでは幸福の反対側にあるものは何かといえば、
人と人との断絶や、向上心の欠如といった精神的な要素に問題点があるのでした。

物質的な不満の解消を超えた、ほんとうの意味での幸福とは、
物質の所有に取って代わる精神の豊かさということでした。
ブータンの国民意識調査には、このことが端的に示されていました。

それによりますと、村民一人ひとりの家族意識がつよく、だれにも協調的、
親和的で融和性に富み、心のつながりと自然を大切にしようという人々の意識が、
高い幸福感を支えていることが明らかにされています。

その一例として、ブータンのある村のはずれに美しい池があって、
この池には季節ごとにたくさんのツルがやって来ます。
この村人たちは、ツルたちを非常に大切にしていました。
あるときのこと、この村には電気がなかったので、
池のほとりに電線を敷設することになりました。

ところが、村民が言うには電気が通ると生活はとても便利になるだろうが、
電線によってツルたちがけがをすることが予想されるので、
電気を通す予定をあっさり中止したというのです。

この村の人たちが電気よりもツルとの共生の道を選んだという事実は、
日本の私たちには驚きであるかもしれませんが、
こうした生き方から、私たちが学ぶことは案外たくさんあるのかもしれません。

人と人とのつながり、人と自然とのつながり、これらを優先させること、
共生の文化の根本にあるものは、モノを所有する欲求ではなく、
心と心の慈しみとそのつながり、他を思いやる精神ではないでしょうか?

生命や自然が存在すること、存在それ自体に、意味が見出せる生活と文化を、
今、私たちはあらためて意識する必要があるのかもしれません。

だからといって、半世紀も前の時代に戻って、
不便な生活をしようと呼びかけているのではありません。
これまでの私たちが築いてきた文明を安易に否定する気持ちはありません。
今の私たちには、欠けていた精神要素があったことに反省を加えようというのです。

生命が存在することへの「ありがとう」の気持ちハート
私たちを生かしてくれている大自然への「ありがとう」の気持ちハート

これら一つひとつの感謝の気持ちを大切にして、
私たちの日常生活と文化を育てながら、新しい時代はつくられてゆくものと考えます。


コメント(2)

>>[1]
幸福論といわれる多くの書物に、この二年ほどの間、ボクは目を通してみましたが、家族を大切にすることは、幸福の決定要因の一つですね目がハートこれは、どうやら、まちがいありませんよ。

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