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最悪邪宗! 創価学会コミュの創価学会脱会体験談 東京都 Nさん

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平成3年頃、夫が創価学会の異変に気づき、池田大作を批判したり、私の活動にも文句を言うようになってきました。

私は、聞く耳をもたず、「池田先生に弓を引くようなことをしてはならない!」と夫に言っては、ケンカになることも度々でした。

しかし、創価学会からは「お寺に行くな!、登山はしなくていい!」という指導が頻繁に出るようになり、私もさすがに疑問を持ちはじめました。

そんな矢先、とんでもないことが起きてしまいました。

公明党の国会議員秘書をしていた弟が自殺してしまったのです。

私には、とても信じられませんでした。

優秀な弟でした。

国会答弁の原稿を作ったり、マスコミ関係者との交流もあり、公明党の中国訪問団の一員として、先陣を切って中国へも行った弟でした。

嘆き悲しむばかりでした。
 
さらに不審だったのは、公明党の職員が来て、その人と、創価学会の圏幹部をしていた妹と母とで話をした結果、

"このことが外部に漏れては池田先生に申し訳ないので、弟の葬儀は行なわない"

ということになった、というのです。
 
弟と同居していた母も、その後しばらくは、近所の人々の目を避け、隠れるように妹の家に身を寄せました。

いったい、どうしてこんなことになったのか。

弟は、一生懸命に学会活動をして、組織のために頑張ってきたのに、自ら命を絶つという末路となってしまいました。

そして、その弟の死について、創価学会や公明党は、「なかったこと」のように扱い、一切は闇に葬られてしまったのです。

あまりに非情な対応に、私は悔しくてなりませんでした。
 

そして、そのことがキッカケとなって、うすうす懐いていた池田大作と創価学会に対する不信が確たるものとなり、夫とも話し合えるようになっていったのです。


そのような時、妙観講の方が2人、我が家を訪ねてきてくれて、話を伺いました。
 
ところが、その日の夜遅く、妹からひどく興奮した電話が入りました。

私が妙観講の人たちと話していたのを、地域の創価学会幹部が目撃し、妹に連絡がいったのです。
 
妹は必死で私を説得してきましたが、私は、弟の一件もあって、もう創価学会には何の未練もありませんでした。
 
善良な庶民の顔をして、人を惑わし、たぼらかす創価学会。

こんなに恐ろしい組織はない、と思い、そんな団体で活動を続けてきた自分が情けなく、なんと愚かな月日を費やしてしまったのかと、後悔するばかりでした。

そして、夫と共に創価学会を脱会して、晴れて法華講員となったのです。

法華講員となって、まず最初にびっくりしたことは、勤行・唱題の姿勢でした。

創価学会では、皆、競うように大きな声を張り上げて唱題し、それが確信の強さであるかのように思っていたのに、
講中では、皆さんが導師の声に耳を澄ませて唱和し、自分勝手に大声を張り上げる人など、1人としていません。

その唱題の声に、本当に御本尊様をお慕いする心、御本尊様の前に身を低くして信心に励む謙虚な心が滲み出ているようで、深い感激を覚えたのです。

学会とはまるで違う荘厳な唱題の声に、私の心に安堵と喜びが込み上げてきました。

そして、「一から信心をやり直そう。素直になって先輩の皆さんに異体同心していこう」と思いました。
 

こうして新たなスタートを切ってから5ヵ月後、夫が末期の胃ガンであると診断されました。

夫の身体は、創価学会時代にガンに蝕まれていたのです。

私は、涙が溢れ出て、どうすることもできませんでした。

御本尊様に、「たとえ1ヵ月でも、夫の寿命を延ばしてください!どうか成仏させてください!」と祈っていきました。

手術の前、夫は、講中の皆さんの手を借りて、総本山に参詣させていただくことができました。

これが、夫の最後の登山となったのですが、夫は大変感激しておりました。

私は講中の先輩方に励まされ、「残された期間の中で、何としても罪障消滅し、成仏させなくては」と心を定めました。
 
3人の子供達も、講中の皆さんから折伏していただき、夫のために唱題するようになってくれました。
 
長男は21歳、長女は19歳、次男は高校に入学したばかりでした。

とくに次男は、「どうせ法華講も創価学会と同じで、いつか家庭をかえりみない母親になるに違いない」と決めつけ、なかなか信仰できずにいましたが、ようやく共にお題目を唱えてくれたのです。
 
こうして、夫は、家族が見守る中、息を引き取りました。
 
日蓮大聖人様は、
 「善人は設(たと)ひ七尺八尺の女人なれども色黒き者なれども、臨終に色変じて白色となる。又軽き事鵞毛(がもう)の如し、軟らかなる事兜羅綿(とろめん)の如し」
と仰せです。

夫の遺体は、このとおりの成仏の相でした。

病院から帰宅した夜、さらに次の夜と、講中の皆さんが途切れることなく唱題してくださる中、遺体を納棺しようとしたところ、あまりの身体の柔らかさに驚いてしまいました。

また、ドライアイス等を入れなかったにもかかわらず、最後まで臭いも出ることなく、顔色も良く、いつまでも柔らかいままだったのです。

主人が御本尊様の御加護で、霊山へ旅立つことができたのだと確信することができ、本当に有り難くてなりませんでした。


主人が亡くなってから、私は、働けるかぎり働いて生計を立て、68歳の定年までの15年間、無事に勤めることができました。

この不況の中、このように安定した仕事につけたのも、本当に御本尊様の御加護と感謝しております。

また、長男は、以前は覇気(はき)に欠け、仕事が長続きしなかったり、働いているのに収入が得られなかったりでした。

ところが、法華講員として信心するようになってから、打って変わって明るくなり、しっかり働けるようになったのです。

また、私と嫁は、近所の人から「本当の娘さんかと思った」と言われるくらいに仲がよく、嫁姑の確執などは、私たちには縁がありません。

このような満ち足りた幸せな人生が自分に巡ってこようなどとは、創価学会時代には夢にも思いませんでした。

本当に法華講員になってよかった、と御本尊様に心から御礼申し上げる日々です。

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