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戦国時代/戦国武将コミュの織田信長のエピソードについて

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織田信長についてこんな逸話が残っている。
ある日信長が小姓を自分の部屋に呼んだ。
小姓が行くと別に用はないという。
小姓が下がるとまた別の小姓を呼んだ。
小姓が行くとまたも別に用はないという。
そして二人目の小姓が下がると三人目の小姓を呼んで別に用はないと……。
そして三人目の小姓が下がろうとした時、部屋の隅に落ちてあったゴミにたまたま気がつき拾っていった。
それを見た信長は、三人目の小姓こそ真の武辺者だといって賞賛したという。

歴史小説やビジネス本などにしばしば載っているエピソードなので、ご存じの方もいるかもしれないが、皆さんはこれを読んでどう思われたでしょうか。

コメント(13)

神経質だと言われる原因の一つでしょうねぇ・・・w
 おそらくは、観察眼の話でしょうか。

 武辺者、としているあたりから、理屈だけでなく視覚など五感を活用してどのくらいイレギュラーを収集出来るか、普遍的な生活習慣の中からもそれを出来るか(油断してないかどうか)、などを推し量っているのではないでしょうか。

 これとは多少異なる形で、北条氏政の飯に汁を二度かける話などありますが、普段からどれだけ真剣なのかを計りたがる逸話が多いですよね(江戸期の創作が大勢を占めるとは思いますが)。
 そういった向きの原型は、中国の古典からの影響も強いと思います。
信長らしい・・・w

信長の綺麗好きは有名だし・・・

りんごの皮で女中を打ち首にした事も有名だしね汗

一人目と二人目の小姓が殺されなかっただけよかったんじゃwww

三人目の小姓は蘭丸だったりしてwww
信長は年齢、身分、出自にかかわらず実力ある人をどんどん登用する人ですからねるんるん
完全にその小姓の能力を試したんでしょうね。

ただでさえ当時の尾張の兵は弱卒の代名詞ですから・・・質を重視したんですね。
蒲生 氏郷の小説で、人質時代の氏郷が小姓として行ったエピソード
として書かれていましたが、どうなんでしょう?

まず、何を思ったかと言えば・・・、
そんな余裕のある時間が、信長にあったんだ・・・、と思いましたね。
上洛してから、腰を落ち着ける暇が無かったようなイメージがありました
ので・・・。

いや、全然関係ないか・・・。
言いつけられた事だけをしているようじゃダメ!って事でしょうか?


尾張を平定、美濃を取るのに15年くらいかかってしまって、近江を掌握するのに6年。
「急がないと」って印象が強いのですが、素の部分って意外とこんな感じなのかも知れませんね。

しかし、部屋の隅に落ちていたゴミを拾わなかった若い侍女は、すんなり成敗されちゃってますけど…
(気分屋さんなので気をつけましょう(ノД\lll)・゚・コワイヨォォォォ・・・・゚・)
声高かったとか、ガキ大将だったとか色々エピソードありますよねるんるん

信長くらい謎やらエピソードある人間も不思議だ…
>>[9]
比叡山延暦寺焼き討ちについては、『多聞院日記』に周辺の人びとを逃がしてから、寺の建物を焼いたと書かれてあるようです。
>>[9]

「史実と異なる」かどうかはちょっと難しい話になりそうですが、「一次史料では証明できない」という定義なら半分以上あてはまる気がします。

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