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音読厨毒コミュのミネハハ「2012年9月東北・福島支援コンサートご報告」を読んでください

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今年も9月に東北・福島支援コンサートツアーで16か所で歌を届けてまいりました。
このときの報告書を是非皆様に読んでいただければと存じます。
報告書を印刷して、たくさんの方にお配りしていますが、目の不自由な方にも是非知っていただきたい活動内容となっています。

読みたい日にちのコンサートの報告書を抜粋してでも結構です。

音読いただきました方の中から選考させていただき、わかりやすく音読いただけた方の音声をミネハハのfacebookページ「ミネハハ chance choic challenge」http://www.facebook.com/minehaha.3c
や、HP、アプリケーションで無料配信させていただきます。
報酬は、ございませんが、もしかしたらミネハハさんのコンサート招待券をいただける可能性がございます。
可能性なのでお約束できませんが、ご了承いただける方のご参加をお待ち申し上げます。
よろしくお願いいたします。


http://www.minehaha.com/2012/09/2012-1.html
以下が掲載記事となります↓
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2012年9月東北・福島支援コンサートご報告


9月に行いました東北・福島支援コンサートのツアーから、ミネハハは元気に戻って参りました。
ご尽力下さいました関係者の皆様に深く御礼申し上げます。




そのご報告内容をアップいたします。長文ですがお読み頂ければ幸いです。

パンフレットも9月末に出来ますのでご希望の方はミネハハ事務所までご連絡下さいませ。





『MINEHAHA・東北支援コンサート・リポート 

2012年9月8日(土)〜9月15日(土)』

9月8日:14時〜八戸市水産科学館マリエント (有料)

八戸漁港の一番突端に位置する海の総合文化施設―。太平洋を一望する五階のマリンビューで海を背景にして歌を披露した。実は昨年、ミネハハは招かれこの施設でコンサートを開催した―その5日後に東日本大震災が起こった。幸いにも、マリエントは深刻な被害を免れている。今回の訪問でサプライズな出来事があった―海に面する2ヶ所の空地に、何百羽というウミネコが幾重にも隊列をなして、会場に向かう私たちの車を出迎えてくれた。八戸のお世話をしてくれた栗澤由貴さんもこれには驚き、「こんな、ウミネコの姿は初めて見ました!」と興奮気味。また館長の吉井仁美さんは「ここでは、3・11以降ずっとミネハハさんの歌を館内に流しています。私たちの心と共鳴しています。」と最高のご評価を頂く。会場は満席の121名。八戸市長夫人をはじめ教育関係者、地元経済人も参加。幅広い年代の方々が駆付け「みんなでミネハハさんの歌をもっと広めたい!」「来年も歌いにきてほしい!」別れを惜しむ声に見送られ、二戸に向かった。




9月8日:19時〜二戸駅前「かとれあ」 (有料)

この日、二戸は夏祭りの真っ最中。にもかかわらず会場には40名以上の方が駆け付けてくれた。二戸は内陸部のため3・11の直接的な被害は受けていない。しかし、今回の東北福島支援コンサートに賛同した皆さんがミネハハ・カンパの為にコンサートを開催してくれた。会場の「かとれあ」は、知性を感じさせる素敵なサロン―主催してくれた小松さんは、あの有名な南部せんべいの老舗・岩手屋さん。歌が、会場の皆さんとひとつになって響く ―ここ二戸では、東北人の心の豊かさ奥深さを、しみじみと感ずることができた。人の痛みを我が痛みにして、臆せず動ぜずやさしさで包みゆこうとする東北の魂―そのようなお人柄の方々に出逢うことができた。また、皆さんから地元伝統の踊り「なにゃとやら流し踊り」や「南部鉄瓶」そして「南部せんべい」にまつわるお話を沢山お聴きする貴重な機会も得た。「東北から大いに学ぶこと―そこから新しいなにかが生まれる!」これが率直な実感だった。




9月9日:13時半〜宮古市総合福祉センター

夏祭りのメインイベントとして参加―これは岩手県立宮古病院の副院長や地域医療を推進する方々のお力を得て宮古市社会福祉協議会の主催で実現した。33度の炎天下・特設ステージで一時間のコンサートが始まると会場に詰めかけた市民からは惜しみない拍手が送られ、フィナーレは「ありがとう地球」の大合唱が会場に響きわたった。その後、福祉センター内で交流会が開かれ地元関係者や遠野市から駆け付けてくれた昔話の語り部や松ぼっくり工房の主宰者、また遠く神奈川県からボランティアとして参加した―あの奇跡の生還を果たした「はやぶさ」のエンジン設計に携わった技術者など、多彩な方々との交流を深めあう場ともなった。最後に、宮古市社会福祉協議会・葛浩史事務局長に(株)コロナから提供されたミネハハ最新アルバムNANO・VOICE50枚を寄贈し今回のスタッフの皆様や、被災者の方々へお届した。




9月9日:19時〜宮古市山口公民館

この会をお世話頂いたのは、千人歌CD「夜明―AURORA」の中で三曲を作曲した宮古市在住の三上憲夫さん。三上さんは、20年以上に渡って障がい者福祉のボランティア活動を行っている。その宮古市に、大分県日田市夜明地区のアウローラ合唱団の8名が遠路駆け付けてくれた。そして千人歌「夜明―AURORA」から、「夜明旅立ち」をミネハハと一緒に披露 ― 会場に詰めかけた宮古市民から盛大な拍手が送られた。挨拶に立った安達貞男夜明センター長は「人と人の交流から、このような歌が生まれさらに夢や希望が見えてくる―この輪をもっと広げたい!」と熱い思いを語った。ミネハハのコンサートに引き続き、千人歌CDの売上から10万円の分配金がミネハハからNPO法人 宮古圏域障がい者福祉推進ネット・レインボーネット事務局次長 加藤伸次さん に手渡された。その後、夜明アウローラ合唱団の皆さんとレインボーネットの皆さんとの懇親会が開かれ、活発な意見交換が交わされた。「交流から沢山のことを学んだ!」翌朝の朝食を取りながら談笑する皆さん の表情には、夜明の輝きがあった―。  *夜明地区アウローラ合唱団から千人歌「AURORA-夜明」が寄贈された。





9月10日:11時半〜大槌町北小 仮設商店街「復興きらり駅」

宮古市からカーナビを頼りに大槌町へ向かう―大槌町の被害も甚大なものだった。カーナビが示す町の中心地に入ってみると一面の空地が広がっている―。良く見ると雑草に隠れるようにコンクリートが見える。根こそぎにされた建物の基礎部分だけが、かつてここに町があったことを教えてくれる。何事もなかったかのような今の光景がいっそう3.11の悲惨さを伝えてくる―。道に迷いボランティアの方の道案内でようやく会場に到着。震災前には小学校の校庭だったその両側には、プレハブ仮設の商店街が立ち並んでいた。中庭でコンサートを始めた― 当初、人影もまばらだったが次第に人が集まり始め、やがて同じTシャツを着た大阪国際大学の学生たちがミネハハを囲んだ。「いい歌ばかりで心にぐっと来ました! また機会があればお会いしたいです。写真までとらせていただき 感謝の気持ちでいっぱいです。」食い入るように聴いていた学生から翌日に届いたメールに、こう綴られていた。人の苦しみを少しでも分かち合おうとする若者たちと、苦境から立ちあがり未来を目指す大槌町の皆さんが、歌でいっそう心が繋がることを願い歌った。別れを惜しむ間もなく、大槌町から気仙沼まで約90kmの道を車で移動した。





9月10日:16時半〜気仙沼市南町紫市場 特設ステージ

気仙沼は、一年半前に比べれば町並もきれいになり仮設と共に新しい建物が目立つ。そんな町並の一角に仮設の商店街があった。仮設の舞台横に車を横付けして、音響機材をセッティングし始めると、商店街の皆さんが一生懸命にお手伝いしてくれる。電源を引く若い男女、椅子をならべ丁寧に雑巾がけしてくれる女性、周囲の皆さんに声かけして集客してくれる商店会の役員、、皆さんが力を合わせて場づくりをしてくれた。ハプニングが起こった―「声が出ない!」ミネハハがしきりにタンを出そうと咳き込むがタンが出ない。そして益々声が出なくなってきた。慌てて近くにある病院に駆け込んだ。商店会の役員の方も心配して病院に向かった。コンサート開始の時間になった。お世話頂いた商店会の村上さんが挨拶を終えるころミネハハが戻ってきた。押し殺すような声で「始めましょう、、」と 舞台に上がり歌い始めるが、声がかすれいつもの「歌」にならない。「皆さん。実は、、」観客に喉の調子が悪いながらも最後まで歌うことを告げると、会場から驚きの声と大きな拍手が沸き起こった。曲が進むうちに次第に声が出はじめ、最後に「ありがとう地球」を歌い上げると手拍子と大合唱が青空高く吸い込まれていった。「こんな状況にも関わらず、最後まで歌って頂き感激しました。歌が体と心に沁みました!」コンサート終了後、千人歌CD「COCORO」を手にサインを求める被災者の方から感激の声と力強い握手が返ってきた。

9月10日:19時半〜気仙沼市大橋仮設住宅集会場

ミネハハの喉の痛みが治まらない中、時間に追われるようにして集会所に移動。ここは、年5月8日に訪れた気仙沼市民会館の近くに立てられた仮設住宅。準備しながら、その時の光景が浮かんできた― 昨年5月8日、市民会館の総てのフロアーは、部屋も廊下も被災者の皆さんで一杯だった。足の踏み場もないすし詰めの状況に通され「歌って下さい。どうぞ!」と係の人に告げられても、被災者の深刻なお顔を前に歌うことは、相当な勇気が必要だった「ヨシ!やろう!」マイクを手にミネハハが歌い始める―最初、歌を聴く人は、ほとんどいなかった。「勝手にやれ!」の雰囲気の中で3曲〜4曲目に入ると周囲が静かになりミネハハの周りに人が集まり始めた。中でも印象的だったのは壁にもたれ掛けていたご老人だった。初めは歌を無視していた。それから廊下に出て行きやがて戻ると、歌を聴き始め食い入るような目から涙を流した。歌が終わると「サインを貰ってもいいかね?」紙と鉛筆を手にご老人が近寄ってきた。その顔は穏やかになり、深刻な表情は消えていた。「ありがとう!」ベランダから帰路につくミネハハに手を振り続けるご老人のお姿は決して忘れることができない―今回、仮設の集会所に集まった被災者の方々の眼差しの中に、そのご老人のお姿を見るようだった「元気に暮らしているよ!」そんな声が響いてきた。





9月11日:11時〜石巻市北上町十三ヶ浜仮設住宅集会所

石巻市の市街地から車で約一時間のところに13の集落が点在する十三ヶ浜。震災当初は、中心地から遠く離れているため支援の手が行き届かず復旧は困難を極めた。その窮状を見た千葉県我孫子市在住の歯科医師・仲村さんご夫妻を中心に十三ヶ浜支援活動が始まり今日まで物心両面での支援が続いている―。その仲村さんの要請でミネハハは、昨年7月と10月、現地で支援コンサートを行い、そして12月には我孫子で副市長も参加してチャリティコンサートを開き支援交流を重ねてきた。会場では、十三ヶ浜復興の立役者佐藤清吾漁業組合長をはじめ懐かしいお顔と感激の再会。コンサートの冒頭、被災者で地元の音楽愛好家・渋谷さんがギターを手にオリジナルの歌を披露―ふるさとを思うその歌が共感を広げる。十三ヶ浜には、ミネハハファンが多くオリジナル曲が流れると一緒に口ずさむ人も。フィナーレを「ふるさと」の大合唱で締めくくった。そして「皆さん!十三ヶ浜合唱団をつくりましょう!皆さんの思いを歌にして、全国にお届けしましょう!」ミネハハの提案に戸惑いながらも、明るく拍手で応える被災者の皆さん「楽しみにしていました。願いが叶いこんな嬉しいことはありません!」又「良い歌とご提案に感動しました!」旅館業を営み復興に尽力する横山さんが声を懸けてきた。その声に励まされ次の会場へ―。





9月11日:15時〜石巻市仮設大橋団地集会所 (ご協力:志ネットワーク)

大橋団地には、今回の支援コンサートの手配をして頂いた東京在住の木原さんと地元の世話人の土屋さんが駆け付け、遅れて到着したミネハハのつなぎ役を果たしてくれていた。お集まりの被災者の皆さんは、被災直後に同じ非難所で生活を共にしたいわば同志の皆さん。その絆を深め力に変えて行こうとの集まりに招かれた。「みんな繋がっている!そのことが力になります!ミネハハさんの歌で一層そのことを感じました!」「大変なスケジュールの中を駆け付けて頂き感謝で一杯です!」事務局統括の須田祥蔵さんから歓びのご挨拶を頂いた。その後、石巻市で被災され今回の世話人・土屋さんご夫妻の九死に一生の体験を聞いた。「生きるか死ぬかは運としか言いようがない!」津波の恐ろしさと同時に、人の愛情の力が無限であることを教えられた。その日、津波は音もなく襲ってきた。間一髪自宅二階に難を逃れた土屋さんは、ひたすらご主人に助けを求めた!しかし、そのご主人は石巻から車で30分の職場で被災。かろうじて一命を取り留め、雪の降りしきる中を胸まで真っ黒な海水につかりながら三時間かけようやく奥さんの待つ自宅に辿りついた。「低体温で震えが止まらない主人の身体を自分の身体で必死に温めました!」「父ちゃんは頑張ったぞ!」笑いながら話すお二人。生と死を分けたのは紙一重の運ばかりでなく、深い愛情の絆だった―。



9月12日:11時〜石巻市仮設鮎川小学校団地内集会所

石巻の中心街から車で約一時間かけて移動した鮎川は、かつて鯨漁で賑わった漁師町。「震災後に職を奪われ沢山の人が町を出て行きました。」かけがえのない命と財産を一瞬に失い、そして職場を奪われ故郷を離れざるを得ぬ被災者達。後に残った被災者の皆さんも、先の見えぬ不安を語る。そんな重苦しい生活を余議なくされた皆さんを前に歌った。ミネハハの歌を聞くのは勿論初めての方ばかり。コマーシャルソングを披露すると、次第に表情も明るくなり、懐かしい叙情歌や耳慣れた曲では、一緒に口ずさむ姿も見えてきた。そしてオリジナル曲では、涙する人がほとんど。「歌で、こんなに感動したのは初めてです。先ことを考えると不安になりますが、歌を聞いて今日を精一杯に生きようと思いました!」3.11はまさかの出来事だった。死の恐怖を乗り越えた今、襲ってくるのは生への恐怖。生活の基盤を失うことの本当の怖さが、被災者の皆さんを直撃している。「もう二度と前の生活には戻れません!今を基盤にして前向きに生きて行きます。」「ミネハハさんの歌は、私達に勇気をくれました。」寡黙で親切、東北人気質が溢れるお人柄の世話人・古内さんの一言が胸に響いた―。息子さんが新しく始めたお寿司屋さんのにぎりを頂きながらご成功を祈った。



9月12日:14時〜石巻市仮設開成ささえあいセンター集会所

会場の開成公園は、本来は企業誘致のために開発された地区。それが3.11以降は巨大な仮設住宅のセンターとなった。近くまで車できたものの右も左も仮設住宅が立ち並び、道に迷いお世話する方に先導してもらいながらようやく到着。会場には、仮設住宅の方ばかりでなく、今回、気仙沼で初めてミネハハの歌を聞いた被災者の方も駆け付け絶賛の言葉を頂いた。「一度聴いたら、耳から離れません!東北にいる間にもう一度聞きたくて駆け付けました。」地元石巻で歌の教室を主宰し、ミネハハの歌を広げようと活動する声楽家も駆け付け「ようやく生でミネハハさんの歌を聞けます!感激です!」と興奮を隠さない。今回の支援コンサートの運営手配をしてくれた木原啓子さんもこれにはビックリ!「ミネハハさんの歌の力を、あらためて感じました!」歌い終えたミネハハは、被災者の皆さんと記念撮影に応じたり、親しく言葉を交わし合いながら楽しく交流した。歌は年齢、性別、民族、時代、すべてを超える人類の持つ最高の遺産―。その歌に携わるものとしての役割を果たしたい!ミネハハの長年の思いが通じ始めたと実感される出来事だった。その後、津波で犠牲となった宮城県の漁業関係者の慰霊碑を訪れた。これには宮城県漁協石巻総合支所長・渥美武義氏も立ち会い「未来へ」と題する慰霊碑に手を合わせご冥福を祈った。



9月13日:10時〜宮城県亘理郡公共ゾーン第2集会場

仙台市の中心部から車で約一時間の海沿いに広がる亘理(わたり)町。亘理駅の東口から2〜3分の田んぼが広がる中に公共ゾーン第2集会場はあった。昨年の5月にもこの地を訪れた。常磐自動車道を境にして海側に入った途端、風景が一変していた。盛り土されて造られた常磐道が、いわば堤防の役割を果たし津波がくい止められたのが良くわかった。しかし海側の地域は悲惨な状況だった。田んぼに家や船が横たわり電柱は倒れ、電線が垂れ下がっていた。人影がまばらで動きがまったく感じられない灰色の世界がそこに広がっていた―。被災された方々のお話に返す言葉もなかったが、ミネハハの歌に「なによりの励ましです。また来て下さい!」と嬉しい言葉を頂いた。その約束を果たすために再訪。世話人の白井さんご夫妻のご案内で1年3ヶ月にぶりにお会いした被災者の方々の表情は明るかった。コンサートが終わり一人のご婦人が紙に書いた絵をミネハハに差し出した。そこには大好きな歌のイメージが描かれていた。「被災後にふさぎ込み、なんとかしようと大好きな歌の絵を描き始めました!」その絵には斎藤カツイさん(70)の夢と希望が耀いていた。「みんなが、この絵を見て喜んでくれるから、、」トツトツと思いを口にする。人の為に!この思いが斎藤さんの病状を改善させ勇気を与えている。そのことをしみじみ感じさせられた。「今日の歌をかみしめて、元気になります!」斎藤さんの言葉に涙が溢れてきた。かえって、こちらが励ましを受けた―。





9月13日:12時〜FMあおぞら生放送出演

このFMあおぞら局は、3.11の直後に開局し、被災状況や安否確認、支援物資の配布状況、ボランティアとの交流状況、行政からのお知らせなど地域に密着した情報を発信して復興の目となり耳となってきた女性中心で運営するFM局。「20年ぐらい前に偶然、仙台でミネハハさんの歌を聴いています。その時の感動は今も忘れません。」とミネハハの訪問を喜んでくれたのは、吉田圭FMあおぞら放送総合担当チーフ。手際の良い対応と女性のやさしさに満ちた局内は、狭いながらも地域密着の仕事ぶりを良く現していた。生放送でミネハハは「ありがとう」の歌をマイクの前で披露した。「一年3ヶ月前とは、見違えるほど町も皆さんも明るくなっています。そこにどれほど努力されたのかを伺い知ることが出来ます。私達はそこに学んでいきたい!そしてこの東北の皆さまのお心を歌に乗せて発信していきたい!」とインタビューにも応えた。その後、「CM女王のミネハハさんにお願いがあります!FM「あおぞら」のコマ―シャルソングを是非!」の要望に即対応。その場で3種類のサウンドロゴ(コマーシャル)を歌うとスタッフの皆さんは大喜び。早速このサウンドロゴは「あおぞら」局から亘理地区に発信されることになった。出会い、ふれあい、助け合う、そこから新しい力が生まれる―そこには女性の力が存分に発揮されていた。



9月13日:14時半〜宮城県亘理地区デイサービスセンターしんまち

ここも昨年5月に続いての訪問。一階の食堂は、利用者のお年寄りとスタッフの皆さんで一杯となった。叙情歌と戦前・戦後の懐かしい歌を披露すると、一緒に口を動かし手をたたいて歓ぶ姿が見られた。一番感動したのは90歳の吉田ハツエさんの行動だった。足がご不自由で車椅子に腰かけ一番前で歌を聴いていたハツエさん。歌っているミネハハが誤って飲み物を倒したその時、ヨロヨロと立ち上がると、こぼれた飲み物を起こし、ご自分のハンカチで拭き始めた。これには、周囲も慌ててフォローしたが「大丈夫!大丈夫!」とご本人は極めて自然体。ミネハハも歌い終わってから「普通は直ぐに動けないものです!足がご不自由にも関わらず、感動しました!」するとハツエさん「ん!当り前のことです!」とすこし照れながらの笑顔。このハプニングに会場は一層なごやかな空気に包まれた。(当り前のことを当り前にやることは勇気がいる。常日頃から心がけていないと行動にはつながらない。)このことを大先輩は自らの行動で示してくれた。終了後に出されたお茶とお菓子を頂きながらの交流会は話しも弾み、笑顔のハジける楽しい一時となった。



9月14日:14時〜福島県相馬市大野台第6仮設住宅集会所

この仮設住宅には、飯館村から避難してきた方々が暮らしている。突然の非難命令そしてふるさとに帰れぬ不条理。昨年8月に訪れた際には、その思いを痛切に感じ取ることが出来た。ここには「復興」の文字はない。あるのは「不安」な現実だけ。「私達は捨てられた。そして忘れられる、、」大熊町で500年続いた農家のご婦人の言葉が胸をえぐる。被災してご主人が病に倒れ、そして家に戻ることが出来ない。不安な中で生きることを余儀なくされた生活―飯館村と大熊町、状況の差はあれど目に見えぬ放射能の汚染の現実から逃れる術がない。「皆さん!肚の底から笑いましょう!」広島からやってきた福山笑いヨガのリーダー渡辺亮代さんが、いきなり笑いだした。するとどうだろう、それまで身構えていた被災者のみなさんがクスクスと笑いだす。つかさず渡辺さん「いいだべさぁ〜いいだべさぁ〜ワッハッハッ」と笑う!「さあ!皆さんご一緒に!」とタタミみかけると「いいだべさぁ〜いいだべさぁ〜ワッハッハッ」と全員が笑いだす。アッという間に会場は明るく晴れやかな雰囲気にかわった。これにはミネハハも大笑い「いいだべさぁ〜」を連発して笑わせたり、歌で泣かせたり。そして、もう一人のゲスト小川祐子さんは埼玉から支援に駆け付けパントマイムと手品を披露して、やんやの喝采を浴びた。みんな笑顔の素晴らしい交流会。「来年も来て下さい!」握手を求める皆さんの手は喜びの力に満ちていた。



9月15日:14時〜福島県相馬市大野台第七仮設住宅集会所

今回の相馬市の支援コンサートは、昨年8月に引き続き演出家の田山さんご夫妻のお世話で実現した。田山さんご夫妻は、3.11以降ずっと相馬市を中心に支援活動を進め、ご主人の支援活動は500日を超えるという。「草の根でお一人おひとりの今を支援する。そのために何が必要か!これを実践してきました。」「主人の思うことを支える!それが全てです!」伊豆半島から車で福島へ通う。そのご夫妻の行動力に励まされた方は多い。仮設にお住まいの松本美恵子さんもその中のお一人。「津波で父を亡くしました。母は間一髪の時に後ろから振り向くな!逃げろ!の声で難を逃れました。その声が父の最後の言葉でした。何故こんな目にと悩みながらも必死で父を捜し24日目に車の中にいる父親と再会しました。」「24日の間、遺体安置所や海岸線をくまなく回り、悲惨な状況を目の当りにして、前向きに生きよう!と決めました。父がそう教えてくれたのです!」彼女に悲壮感は全くない。それどころかその笑顔は輝き周囲をやさしく包み込む「最近、結婚したんです。新居は仮設です。でも幸せです!」子供たちに英語を教えるその眼差しから未来が生まれていく!そう感じさせる出会いだった。    

以上 16会場  / 文責 岩城安宏


今回の支援コンサートと並行して、「志ネットワーク」のご提供により、

千人歌第二弾「COCORO」 440枚を、気仙沼の紫市場商店会をはじめ、

下記の地域にお届け致しました。

宮城県気仙沼市、石巻市、亘理郡、

岩手県大船渡市、新潟県十日町市、

福島県会津若松市



「(株)コロナ」のご協力により今回の支援コンサートを通じて、

ミネハハ・オリジナルCD「NANO・VOICE」500枚を被災地の皆様にお届けしました。



ミネハハ東北支援 2012.9

協力: 志ネットワーク/ 大分県日田市夜明地区 

フィランソ木原グループ/(株)コロナ / 静岡ミネハハ歌の教室

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