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小説『白夜行』の謎 コミュのレヴューに見る『白夜行』

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管理人です。長らく放ったらかしにしてすいませんでした。
『白夜行』という作品の最後の謎について取り組んでいるところですが、その前に、アマゾンのレビューから、管理人の独断でいくつかを拾って、それにコメントを付けたりしてみました。

?「過剰反応ではありません 」2005/1/1
レビュアー: 理系読者 (横浜)
秘密、手紙、そして白夜行。東野ファンから借りた大切な三部作目なのですが、またしても隠し球。しかも忌まわしい・・・。さらに秘密以上の後味の悪さ。
次々繰り出されるドギツイ刺激に辟易しながら、東野ミステリーの大作とはこういうものなのか、今枝探偵をキーパーソンとなり得る存在として登場させておきながら殺してしまった時点で興味の大半が削がれ、この手の本は目くじらを立てずに軽く受け流しながら読むものなのかなとも思いますが。
犯罪者とされる主人公男女は実は過去においては重大な被害者であったわけであるが、白夜と称する倒錯を妄想との批判を恐れず、ここまで書き綴れる構成力と描写力には感心するが、読後に与える後味の悪さは作者の趣味なのか、意図なのか別の意味でも寒心させられた。
幼くして心身に傷を負わされ、やむにやまれず行ったことが殺人やその幇助だったとしても、成長後は同種の犯罪を憎むことはあっても、その後ずっと健全な感情を持たない犯罪者として成育し、身近な罪のない人々を傷つけていくなどというあり得ないことを実際起こった事件を持ち出してまことしやかに設定すること自体、現実の性犯罪被害者やその家族にとってはとても受け入れられないし、何の罪もない被害者に対する冒涜とも受けとられかねない。
描写にリアリティがあるだけに、娯楽のための架空のミステリーものですよ、では済まされない重みが作者が素材として取り上げた対象にはあることを認識すべきだと思う。
ミステリーは虚構のうえに成り立っているとはいえ、児童期に心の傷を負わされた犯罪被害者の心情に配慮のないストーリプロットに送られる賛辞には到底、同意できない。
そもそも、「白夜」を照らすものは、やはり明るく暖かい太陽であり、作者が描きたかった太陽が昇らない暗黒の闇夜が続く状態は「極夜」という。こういう独善的でとんでもない誤用も隠し球と同様に不愉快であると私は感じます。
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 >最後の段落で余計なうんちくを披露してレヴューそのものを台無しにしてしまっているのが残念。「白夜」の太陽に明るく暖かい、というイメージを抱くのは勝手だが、独善的に誤用しているのはむしろレビュアーの方であろう。
幼児虐待の経験者に対する配慮が足りない、という指摘はこの他に幾つもあった。確かにその通りであるが、だからといって「児童期に心の傷を負わされた犯罪被害者の心情に配慮のないストーリプロットに送られる賛辞には到底、同意できない。」というような指摘はピントがずれているのではないか。
幼児虐待経験の小説での描き方というのは、下手をしたら、そういう変態嗜好がある読者の潜在的欲求を充足させてしまうような危険もあるだろうが、『白夜行』はその辺の描写を最小限に抑えて、そうした卑劣な犯罪に対して「正当な非難」を(間違った読み方をしない限り)読者に喚起させるような構成になっているから、むしろ未然に防ぐ為の啓発に資していると考えた方が正しいのではないかと思う。それにこの作品を高く評価をしている他の読者が「犯罪被害者に配慮の無いストーリープロットに」対して賛辞を送っているという決め付けも独善的でまるで的を射ていない。
「理系読者」というペンネームだが、理系・文系の二分法を簡単にしてしまう風潮はいい加減やめるべきだと思う。東野圭吾も「理系作家」といわれることにうんざりしているだろうし。


?「叙述トリック」2006/1/17
レビュアー: アエラ
読ませる小説なのは、たしかであるが、過大評価されているのでは。
まず雪穂と桐原の心理描写がないのは不満です。
二人の心理がつかめない中で、物事だけは目まぐるしく展開するもんだから、読み手はずっとモヤモヤを抱えたままです。
その不満が読後の充実感? と勘違いする人が多いのかもしれません。
東野に一本取られたって感じですね。
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 >二人の心理を描かない、というのがこの作品の骨格なんでは?
 心理描写を楽しみたいのであれば、『幻夜』の方が向いているかも。ただし、このレヴュアーのいう「充実感」が得られるかどうかは分からないが・・・。
 「その不満が読後の充実感? と勘違いする人が多い・・・」という指摘も、このレヴュアーの自分自身の読解力を磨いた後でないと、到底説得力は出てこない筈だが、そうした能力の欠如が文面に出てしまっているのも哀れな話である。


?「不愉快」2005/8/30
レビュアー: カスタマー
出てくる女性にリアリティがない。性犯罪や性的虐待などを
安易に扱いすぎではないだろうか。特に幼児期の虐待などは
「最近注目されているから入れてみた」という感じ。
いかにもウソ八百でデタラメ感のある話なら現実と切り離して
見ればいいだろうが。ここまでしつこく書くなら、ちゃんと取材などして
被害者の心情や人生など調べてからにしてほしい。
幼い時傷を受けたので、犯罪に走る。ではあまりにもあまり。
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 >二人の動機に関して、「幼少時の性的虐待のトラウマ」というのは安直とか甘い、と指摘する人は多いのであるが、それ以上、何を動機にすれば納得できるのかが良くわからない。それ以上の「刺激的な動機」を要求するような読者サイドの態度は、好ましくないだろう。こういう態度が行き過ぎると、TVドラマのように「屍姦」したり「生きたまま生命維持装置を外す」ようなグロテスクな描写にエスカレートしていく心無い脚本家の様になってしまうのだから。
雪穂に女性としてのリアリティがないのはその通りだが、そこを批判してもしょうがないのではないかと思う。東野圭吾は「ボロボロになって献身する男の姿を書きたかった」と言っているので、対(つい)として献身される女性像はそれに見合うだけの、つまり男が献身すればするほど雪穂は現実的な人間像から離れざるを得ない宿命である、ともいえるからである。。栗原典子という「普通の女性」も、雪穂像に対する一種のアンチテーゼとして登場することで物語の厚みを増しているのと思うのだが、「出てくる女性(全てに?)リアリティがない」などと思いつきの感情的な批評をする前に、冷静に物語全体を眺める必要があったのではないか(レヴューの多くは同様の欠点を抱えていてあまり参考にならないものが多い。)
もちろん、幼少期の性犯罪の被害者が、その後に亮司や雪穂のように成長する可能性は現実的にはまず無いだろうから、「全ての性犯罪の被害者が心の闇を抱えてしまう」というようなバイアスを読者に与えかねない危険性はある作品かもしれない。また、性的暴力の描写が露骨でそこに嫌悪感を覚える、という指摘も他にいくつかあり、同感ではある。
ただ、物語はそんなに単純な話ではなく、雪穂が自分にとっての脅威となる他の女性の存在を性的暴力を駆使して支配していく過程に、無意識のうちに自己の負ったトラウマをミーム(個々の文化の情報をもち,模倣を通じてヒトの脳から脳へ伝達される仮想の遺伝子)の伝播という形で表現しているのではないかと、私は解釈している。単に暴力を駆使した「支配欲」だけではなく、自己の(不幸な)体験や記憶を、自分が受けたのと同様の暴力を持って他人に知らしめるという目的や行為自体も、雪穂の大きな動機を構成していたのではないか?つまりミヤコ、江利子、美佳に対するレイプ事件は雪穂以外の登場人物に関する描写だが、それらは取りも直さず雪穂自身が受けた行為そのものであることの一種の隠喩であろう。確かに数々の性的暴力の描写に嫌悪感を覚えるのだが、そのことが却って雪穂の背負わされた「業」というものについて、読者は立ち止まって深く考えざるを得ない。従って、その種の批判は現実にある「卑劣な犯罪」に対して向けられるべきであって、作品のクオリティー自体を非難するのは筋違いであろう、と考える。

?「現代によみがえった『悪女について』」, 2006/1/5
レビュアー: kokodokodoko (kitakantou)
有吉佐和子の『悪女について』は今なお多くのファンを獲得しているのでよみがえったというのは語弊があるかもしれないが,
多くの人の視点からあらわした悪女一代記です。
主人公は被害者の息子と容疑者の娘ですが本人たちの視点は排除し,起きたことが周囲の人間たちの目からつづられます。
切ない物語なのですが,個人的には有吉佐和子に軍配が上がります。
悪女は本人の動機付けでなってほしいなぁと,幼児期の****では悲しすぎます。
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 >少数意見なのは承知だが、雪穂は本人の動機付けで「悪女」になったと私は考えているので、幼児期のトラウマが主人公を犯罪行為に走らせた、という読み方には納得が出来ないのであるが・・・。
有吉佐和子の『悪女について』を引き合いに出していた唯一のレヴュー。
出版が昭和58年で、雪穂は丁度大学を卒業する頃であり、原作には勿論出てこないのだが、雪穂もこの本を読んでいたのでは、という想像も充分に通用すると思う。レビュアーの指摘の通り、「悪女」一代記としては有吉に軍配が上がるというのも、ある意味で納得できる。
『白夜行』と比較される作品は他に『火車』(宮部みゆき)や『永遠の仔』(天童 荒太)などが挙げられているが、私は両方とも読んだこと無いので何ともいえない。『悪女について』は間違いなくお薦めの本。

私が他に比較対象となる文献を挙げるとしたら・・・、
『リング』『らせん』『ループ』三部作(鈴木光司)
 主人公「貞子」の受けた虐待経験がどのようにして「憎しみの連鎖」に繋がっていくか、がテーマになっているという点で。映像だと「怖い」というイメージしか残らなかったけど・・・。

『三四郎』(夏目漱石)
 漱石が対峙した「無意識の偽善(アンコンシャス・ヒポクラシィ)」というテーマは現代文学でも中心的な命題として数々の作品で取り上げられているといっていいのではないか。(アンコンシャスヒポクラシィとは、「巧言令色が努力してあるのではなく、殆ど無意識に天性の発露のままで異性をとりこにするような女性をいう(漱石談)」)
笹垣のセリフ「雪穂は本当の姿を誰にも見せず・・・」という部分に、現代的な「アンコンシャス・ヒポクラシィ」というテーマを個人的には感じているのである。『悪女について』も同様のことがいえるかもしれない。
『三四郎』も『門』、『それから』という三部作の序章だった。『白夜行』も三部作で構想されているという話だが・・・。

コメント(5)

その作品に対しての感想というのは、それこそ十人十色なのですね。
「性的被害者に対して配慮がない」というのは、ちょっとうなずけないな。もしその怒りは小説に向けるものではなく、現実の性犯罪に向けるべきことででしょう。そして、どうしたら性犯罪を社会からなくすことができるかを然るべきところで議論し訴えていくという行動をとったほうが建設的ではなかろうか。

私も「性的虐待」がその後の犯罪の動機付けだとは思えない。彼女は持って生まれた野心家なのではないでしょうか。
というのも、「性的虐待」と受ける以前、唐沢家への養女になるために既に綿密な策を練っているといること。 まいけるさんの指摘している部分ですよね。

もちろん「性的虐待」の犠牲になってしまったことは、後の彼女にそこから逃れなれないほどの傷を与えたのは間違いないでしょう。物語中にもそうと読み取れる箇所はなんどとなく出てますよね。
特に美佳がレイプされた夜、彼女の恐怖をいい当ててるということで文中で具体的に雪穂自身が経験した恐怖を描いていること。―追体験ということになるのかな?
けど、その悪夢は彼女が人生を選択するときに強い影響を与えたというより、その悪夢を共有するという意味で亮司との絆を深めたんじゃないかと私は思ったけんだけど。

彼女は悪女なのかな。「悪女」定義がわからないけど、私には痛々しいほど孤独な女に思えてなりません。

「永遠の仔」と比較されることがあるんですか?どういった点で?
あぁああ。書き忘れましたぁあ。

彼女が野心家だと私が思った大きな理由。
刑事が訪れた時に彼女は「風邪と共に去りぬ」を読んでましたよね?
「赤毛のアン」でも良いところをあえて「風邪共に去りぬ」にしているのはこの物語の中で意味が無いこととは思えないのです。スカーレット・オハラ

失礼しました。スッキリした^^;
そもそも、小説の中の話は「フィクション」なのであって、そこに「現実世界の全て」を求めてはいけないと思うのです。
それに、あまりに「現実的過ぎる小説」なんて、そんなものを読むよりは「ノンフィクション作品」の方を選ぶでしょうし…

多少作者のエゴがあってこその「作風」だと、自分は思うし、多少の「作品内での非現実の事実」があってこその「小説」だと思うのです。

読み進めていくうちに、不快感を抱いたのならば、そこから先を読まなければいいのであって…


それと、心理描写に関しての文句のレビュー

東野圭吾氏は、文章の中に全ての答えを入れない作風なので、あのレビューは「白夜行しか読まなかった読者」の意見の代表的な例である。
しかし、他の作品を読んだ所で、心理描写の少なさに不満を言うのなら、全ての作品にも文句を言うのであろうが…


それと、個人的な意見としては…
「白夜」の意味合いとして東野氏が描きたかった事は

亮司にとって雪穂は「太陽」であった。

夜の中を歩き続けてきた亮司には、太陽が夜になっても沈まぬ「白夜」という淡い光であっても、眩し過ぎた。

しかし、大人になった亮司は雪穂と共に歩くことは終ぞ無かった。


そういった、亮司の心象風景が「白夜」なのではないか、と…

太陽に憧れるが、自分は夜の暗闇の中でしか歩けない…
ならば、太陽が夜になっても沈まぬ「白夜」に憧れよう…

といった感じで。


まぁ、本当の意味なんて「作者のみぞ知る」だからこそ小説は面白いんですけどね(苦笑)
>テンテンさん
 こんばんは。
 
 「野心家」の件、スッキリされたようで、私もホッとしました(笑)
 東野さんは「スカーレット」のような女性を描きたかったというインタビュー記事を、どこかで目にした記憶があります。野心あふれる女性、と言うコンセプトはもともとあったのでしょうね。
 この作品で、雪穂の虐待経験がトラウマになっていること自体は、私も間違いないと思います。美佳との会話の中でも、雪穂にとっては、やはりいつまで経っても消えない傷なのだったと推し量らざるを得ないでしょう。
 ただ、世の中、そういう便利な言葉で安易に納得してしまうような風潮がありますよね。
 ハタからみたら、ささいな出来事がきっかけで重たい病気に苦しむ人もいますし、めっちゃ悲惨な人生を歩んできたはずなのに、活き活きとした人生を歩んでいる方もたくさんいるわけで・・・。
 まあ、なんでも十把一絡げは楽なんですが(笑)
 
 私はむしろ、雪穂は本来的に確信犯であったと思います。
 私の書いた記事の数箇所でこの言葉を誤用してますけど(笑)
 本人は内心で正しいと信じて選択している行動が、外形からみると、立派な犯罪行為だというのが「確信犯」の本来の意味だそうで・・・、
 善悪の区別のつかぬ小学3年生ぐらいから雪穂は性的虐待を受けていたと思われます。
 そして、二人の「経営者」の存在ですね。
 ある意味ボンボンで気障な「桐原洋介」と、モーレツ中小企業の社長、「寺崎忠夫」です。
 雪穂が「相手の魂を手っ取り早く奪う」ための手段を身に付けたのは、そういう時期に、そういうタイプ(様々な意味で利己的)の人間から「学習」した経験が大きかったのではないかと思います。
 
 また、雪穂の野心が、どういう目的に向けられたものだったのか、というのは、この小説の大きな謎だと思っています。お金や名誉のためでは恐らく無いのではないか、と。
 ですから、私は雪穂が「野心家」というタイプとは少し違うように解釈していますね。唐沢家に養女志願したのは、野心というのもあるのかもしれませんが、幼かった彼女の考えうる唯一のへイヴンでもあったのでしょう。

 『幻夜』が続編だと解釈すれば、彼女の究極の目的について、その答えらしきものは描かれているかと思います。
 私も『幻夜』については全てを納得している訳ではありませんが。

 「永遠の仔」ですが、上にありますように私も読んだことはありません(苦笑)
 幼児期の虐待がテーマになっているようですが、私もいつか読んでみ庸と思います。

>いっしぃ改めホルモンさん
 こんばんは。
 雪穂と夏美の会話と、亮司と友彦の会話でそれぞれの心境は語られていますし、個人的には、雪穂が中道正晴に言った、
 「男の事で死ぬなんて馬鹿らしい」
 といった部分に雪穂らしさを感じていますが(笑)
 心理描写はこれで充分ではないかと、むしろ思います。

 レヴュアの方は、あまり吟味しないで書き込みしているのか…、勝手に使っておいてなんですが、アマゾンのレヴュで素晴らしいと思えるものはあまりありませんでした。
 一番上の「理系読者」さんなんて、とても面白い視点だと思ったのですね。
 「…白夜と称する倒錯を妄想との批判を恐れず、ここまで書き綴れる構成力と描写力には感心するが…」という指摘なんて、なるほど〜と感心してたんですが、この人が一番言いたかったのは、本編とはあまり関係のないトリビアを披露することだったんだ、と脱力(笑)
 いっしぃ改めホルモンさんは、亮司からみた雪穂が「太陽」だったという視点ですよね。これはとてもユニークだと思います。「太陽」と言っている張本人は雪穂ですからね。
 ただ、亮司が雪穂に対して常にそのように思い続けたことを酌みとって、雪穂の口から思わずに出たセリフとも解釈できるかと思います。
 お互いを太陽と思って生きてきたのでしょうか。
 別のコミュで、『白夜行』の「行」の字に、二人で共に歩んで行くというニュアンスが感じられるが、『幻夜』にはそれが無い、という鋭い指摘があったと思います。
 
 もし、三作目が出るんであれば、有吉佐和子の『悪女』のような最期を、雪穂は遂げるのではないかなという思いを、秘かに抱いています。
う〜ん、なるほど。
初めはは社会的地位や金が目的だったのだと思う。そこにたどり着ければ彼女の欲求も満たされると思ったんではと。ただ、次々に目標はクリアするがいつもその場所に満足できず彷徨ってるような。彼女は自分が「太陽」になれる場所を築きたかったんではないかな。

私は雪穂と亮司が相思相愛だったとも思ってない。
亮司にとって「究極の愛」だったかもしれないが、雪穂にとっては戦友。

>本人は内心で正しいと信じて選択している行動が、外形からみると、立派な犯罪行為だというのが「確信犯」の本来の意味だそうで・・・、
再びスッキリ。
文中にでてくる「最愛の人」。そして、彼女にとっての「太陽」というのは江利子だったんだろうと思う。
その後の篠崎に対する言動もうなずけるわ。

「幻夜」は、もう少し「白夜行」の世界を楽しんでから読んでみたい。

「永遠の仔」は読んだけど、「白夜行」と比較できないな、私は。テーマが違うと思うから。

スッキリしたところでおやすみなさい。

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