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石川啄木〜釧路時代の輝きコミュの釧路行幸誌で発見〜芸妓妙子

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 なんと発見してしまいました。

五十幡熊五郎著「釧路の粋界」に掲載されている芸妓「妙子」の本名が東出妙子ですが、昭和12年発行の釧路行幸誌に226ページに掲載されてました。

釧路の粋界には妙子の出身は浦見町となっています。

しかし、浦見町八丁目は「畳屋」の多いところです。

また、釧路市街図には別の浦見町の場所に「巴屋 東出好」とあります。

この地図と釧路行幸誌には時間のずれがありますので、一概にはいえませんが、

巴という屋号を持っていたのは親族で、何人か芸妓を抱えていたことがうががえます。

大正時代になって、市子は大和屋という屋号を持ち、数人の芸妓を育てています。

啄木日誌より〜
三月三日
 朝、横山君が訪ねてきて、今夜この下宿へ来る事に決定。
 編輯は早く締切る。日景主筆が今暁四時無事鉄道操業視察を終つて帰社したので、五時から鶤寅亭に慰労会を開いた。南畝氏を初めとして、社中同人一同、小南、衣川、泔水に予。校書は小蝶、小奴、ぽんた、後で妙子といふのも来た。小奴は予の側に座つて動かなかつた。
 酔ふて九時半頃散会。出る時小奴は一封の手紙を予の手に忍ばした。裏門の瓦斯燈の仄暗き光に封を切ると、中には細字の文と共に、嘗て自分の呉れてやつた紙幣が這入つて居た。小奴の心は迷うて居る。予は直ぐ引返して行つて玄関をあけた、奴を呼んで封筒のまゝ投げて返す。
 本行寺の加留多会へ衣川と二人で行つて見たが、目がチラチラして居て、駄目であつた。帰りに小奴に逢つた。
 宿には横山城東子が約の如く待つて居た。今夜から隣りの部屋に居るのだ。



浦見町のこの地域には、芸妓が住んでいたという説話が残っていますので、少し時間をかけて調べたいと考えています。

なお、北畠氏の著作にも登場していますので、芸妓引退後は釧路で過ごしていたようです。

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