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石川啄木〜釧路時代の輝きコミュの「彼の日記の一節」について

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 啄木の不思議なメモがあります。

「彼の日記の一節」というメモです。「啄木全集第六巻」(筑摩書房)308ページです。

どうやら啄木が心に残った女性を列記しているようです。

最初は女神にランクされている女性のイニシャルが書かれています。

ギリシャ神話に擬していた可能性があります。

東京の浅草十二階付近の地図(千束付近)もあります。

当時の文芸倶楽部にも掲載されている地図とほぼ同じです。

釧路時代の三尺ハイカラらしい英語名もあります。

ネットを散策すると、「浅草十二階」で明治時代の千束付近の様子が分かります。

それぞれ誰を示してるのか、イメージするだけですが、啄木のことを知る資料だと思います。

啄木全集第六巻の次の309ページにはドイツ表記で忘れな草のメモもあります。

そこには、釧路時代の「坪ジン、大和いち」の名前が記されています。

「石川さく」は一体どんな人物なのでしょう。

そこには、梅川操の名前がありません。不思議です。

また、明治41〜42年の日記の住所録には小奴と市子の住所が記載されています。

そして、東京で再開したのは、梅川と小奴です。梅川は佐藤衣川と、小奴は逸身と一緒に上京したようです。(明治41年4月以降の啄木日記に記載されています。)

短歌や小説を生み出すために、全生涯を費やした啄木の生き方は破天荒なものでしたが、素晴らしい短歌を世に送り出しました。

啄木にゆかりのある人物のその後はどのようなものだったのでしょうか。

啄木によってその後の人生に影響を受けた人は少なくないのです。

最後の写真データは私なりに、人物を推定したものです。

画像をクリックすると大きくなります。

もっと詳しくご覧になりたい方は、自分のパソコンのズーム機能で拡大してください。

ギリシャ神話の七人ではなくて、日本の六地蔵に推定したのではないかと思いました。



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