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石原莞爾平和思想研究会コミュの大東亜戦争の意味

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終戦前から日本には石油はほとんどありませんでした。国内産の原油は昭和の初めにはほぼ採り尽くされ、原油及び石油製品のほとんどは米国からの輸入に頼っていたのです。昭和16年に米国から「石油全面禁輸」の措置が取られたことは、日本にとって死刑宣告にも等しい事態でした。石油がなければ経済活動はストップします。

海軍が誇る連合艦隊の軍隊や飛行機も動かすことができなければ、戦争状態にあった中国大陸へ兵員や物資を輸送することも不可能になります。それまで石原莞爾は米英とは絶対に戦争をしてはならないと何度も繰り返し訴えていました。日本政府も米英との戦争は何としても避けたいと考えていました。

米国が石油の全面禁輸をおこなったことにより、事態は急展開しました。日本は石油を確保するために、連合国のオランダ領であるボルネオとスマトラの油田を奪わねばならなくなったのです。つまり日本は白人の優位な社会を終わらせ人種差別をなくして人類平等の世界を作る。そのためには石油のために大東亜戦争を始めることになりました。

戦後白人の奴隷から解放された事は確かなことですが、何の罪も無い現地の人々が、米軍と日本軍の戦闘に巻き込まれて、耐えようの無い強大な暴力の犠牲になっていた、ということも事実です。島々の地域での米軍と日本軍の戦闘に関する記事を読むときは、いつもそう思います。

マインドコントロールされている日本人は自分で真実を探索することもなく、米国人は日本から住民を「解放」したと思い込んでいる。しかし、米軍はその「解放」という行為の中で、住民の家を、村を、土地を、生活手段を破壊して、住民の故郷を見るも無残な廃墟にしています。

米国のヘレン・ミアーズのスクラップには、クワジャリンに関する記事があります。これは海兵隊のドナルド・T・ワインダー中佐が、無線送稿したものです。「ジャップと現地住民の関係はまずくは無かった。全体として住民の扱いは良かった。子供達が8時から11まで学校に行くことを義務付けた以外は、現地の生活習慣に介入しようとはしなかった。」

「ジャップは、すべてが首長に帰属するマーシャルの共同財産制度を破ろうとした。当然、これは島の上流階級には不人気だったが、一般島民は歓迎していた。」パールハーバー、ジョンストン島と同じように、クワジャリン環礁は実に重い、しかし答えの無い疑問を突きつけてくるのです。

それは、戦後、日本が戦争に負けてしまいましたが、アジアの島々は植民地から解放されました。米国は日本語を強制的に押し付けていたと流布しましたが、実際に語る島々人々は日本語教育を受けて道徳を学び・法律を学び日本が統治した国は発展しているのです。その現実をわからない日本人は残念でならないのです。

高名な文明論者、アーノルド・トインビーは、大東亜戦争について以下のような客観的評価をしています。「日本人が歴史に残した功績の意義は、西洋人以外の人種の面前において、アジアとアフリカを支配してきた西洋人が、過去200年の間にいわれたような不敗の神ではないことを明らかにしたことである」(「オブザーバー」紙、1956年10月28日付)

東南アジアの民衆は、日本軍のたったの一撃で白人支配がもろくも崩れ去ったのを目の当たりにした。そして日露戦争における日本の勝利以上に大きな刺激を受けたのです。白人の絶対不敗神話の崩壊は、人々に強い自信をもたらし、植民地解放のきっかけと力になったのです。

やはり有名なイギリスの歴史学者、H・ウェルズは終戦直後、大東亜戦争で日本が果たした世界的役割について、「大東亜戦争は大植民地主義に終止符を打ち、白人と有色人種の平等をもたらし、世界連邦の基礎を築いた」と述べています。このような世界民族平等の理念は、現在の国際連合(UN)発足の基礎にもなったものです。

大東亜戦争はアジア解放のための戦いでした。結果的に日本は敗れたとはいえ、その戦争目的は最終的に達成された。これをどうして「侵略」とただ単純に東京裁判で裁くことができるだろうか。ちなみに「大東亜戦争」という呼称は、戦後GHQの思想改革によって禁じられ、「太平洋戦争」という言葉に変えさせられたのです。

公文書ではもちろん禁止、一般書物でも事後検閲で発禁処分となったため、大東亜戦争という言葉は事実上、日本から消えたのです。石原莞爾平和思想研究会の同志はそのくらいのことは知っています。是非、会員になっていただきたい。4年近い戦いの末、兵士約230万人、一般人約70万人、合わせて300万人という尊い国民の命が失われた。

また200以上の都市が空襲に遭い、223万戸の家屋が焼失し、970万人の人が被災した。都市では多くの工場が焼かれ、国内産業の過半を無力化され。戦前世界3位を誇った海軍は壊滅し、数百隻の艦艇と数万機の飛行機が藻屑となった。そして日本は明治以来手に入れてきた海外の領土と、そこに長い間かかつて投資した資産をすべて失ったのです。

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