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石原莞爾平和思想研究会コミュの孫文の対日批判について

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昭和15年3月30日に南京に国民政府を作った汪兆銘は、東亜連盟を支援する姿勢を示しました。膠斌だけではなく、汪兆銘もまた孫文の大アジア主義を継承しようとしたのです。
ところが、孫文の『大亜洲主義』講演関係の資料集を編集した安井三吉氏は、汪兆銘は孫文の晩年の厳しい対日批判の側面を切り落としてしか大亜洲主義を提示できなかったと指摘しました。

これに対して、明治大学教授の土屋光芳氏は、必ずしもそうではないと主張し、汪は日本への批判を持ちながらも、日本との抗戦よりも和平が望ましいと判断したからこそ、「和平運動」に着手したと見ています。

土屋氏は、汪が孫文の大亜洲主義を掲げたのは、大亜洲主義が前提とする東洋=王道政治論が日本の大陸政策に対する批判であったばかりでなく、日本に対して欧米流の侵略主義的政策を放棄するよう求めるものだったからだと言えるであろうと述べています。 (土屋光芳 「江精衛の「和平運動』と『大亜洲主義』」『政経論叢』平成4年12月)。

石原莞爾も、孫文の大アジア主義演説を重視していました。戦後まもなく、石原莞爾は次のように書いています。この講演で孫文は日本がアジアの各国に先んじて不平等条約を撤廃し、次いでロシアを打破ってアジア人に光明を与えたことを賛美した後、仁義道徳こそが我が大亜細亜主義の基礎である点を強調。

「日本民族は既に一面欧米の覇道の文化を取入れると共に、他面アジアの王道文化の本質をも持っているのであります。今後日本が世界文化の前途に対し、西洋覇道の犬となるか或は東洋王道の干城となるか、それは日本国民の慎重に考慮すべきことであります」と結び、日本の大陸政策に対しひそかに厳重な抗議を提出したのです。

日本人はこの忠言に耳を藉さなかったのみか、支那事変勃発後も、自称大亜細亜主義者すら覇道の犬たる行為を反省せず、ついに今日の結果を招いたのである。『石原莞爾選集 七 新日本の建設』

「西洋の覇道の番犬となるのか、東洋の王道の干城となるか」という言葉から、覇道を戒めた点で、汪兆銘と石原莞爾は一致していたということでしょう。木村武雄の日中国交正常化─王道アジア主義者・石原莞爾の魂・坪内隆彦 (著)参照。

石原莞爾平和思想研究会 (ishiwara-kanji.com)

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