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Christianコミュのヘンリ・ナウエン「わが家への道」

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ヘンリ・ナウエン「わが家への道」(実を結ぶ歩みのために)工藤信夫訳
                        (発行所、あめんどう)

わたしたちの世界は、引き裂き、破壊する悪魔的な力が支配しています。
イエスの無力さにおいて、またその無力さを通して、神はこうした力を解除されました。
しかしこの神秘は、新しい非常に困難な問いをわたしたちに突きつけます。
それは、無力である神に倣う者として、この世をどう生きたらよいのか、
また、愛と平和の神の国をどう築いたらよいか、という問いです。
 
 無力であるとは、どん欲に力を追い求める実社会のなかで、足ふきマットの役割に甘んじよという意味でしょうか。
もの柔らかで、受け身的で、人にへつらうのがよいというのでしょうか。
わたしたちの生活を闇の力の支配に任せてよいのでしょうか。
経済的、組織的、肉体的、情緒的弱さが、いまや美徳として数えられるので
しょうか。
 

 仕事にありつけない貧しさの中にある人々を、神の祝福を受けた人々と持ち上げてよいのでしょうか。
「力は弱さの中でこそ充分に発揮される」(?コリント9)と
いうパウロの言葉を読んで、福音を宣べ伝えるときに、自分のセルフーイメージの低さを論証すべきだと思うでしょうか。
 

 わたしたちはここで、弱さの神学が持つもっとも危険な罠の一つに触れることになります。
わたしたちを隷属させようとするこの世の力からの自由が、弱さに隷属
することでしか得られないなら、神の側に立つより、サタンの側に立つほうがよっぽどましに思えます。
もし弱さの神学が、弱体化を歓迎する神学となれば、それは、
無能さ、隷属、自己卑下、また敗北したときの格好の言いわけを提供するでしょう。
 

 しかしそれは、理論上まったく考えられません。
たしかに、経済的、知的、霊的弱さが、神から与えられた特権であるかのように解釈されることが少なくありません。
また、神のために苦しまないよりは苦しむほうがよいという判断で、
充分な医学的、心理学的な援助が遅れたり、妨げられたりすることが珍しくありません。
 

 また、慎重な計画、積極的な募金活動、考え抜かれた将来構想が、
「無力」という理念に従っていないと不興をかうことがあります。
さらに、病人、貧しい人々、ハンディを負った人々、苦しみにあるすべての人々が、
その宿命から解放されるための充分な支援を受けるどころか、
神の特権にあずかった子どもたちだと美化されることが少なくありません。
 

 哲学者のニーチェは、まさにこの弱さの神学を鋭く批判しました。
彼にとってそれは、貧しい人々を貧困のなかに閉じ込め、身を低くして服従させ、
既存の宗教組 織の支配者に、見せかけの「信仰深さ」を保たせる神学だったのです。
 
 実際、無力さ、弱さ、小ささを指向する霊性は、きわめて危険な存在となることがあります。
とくに、神の名において語り、行動するように召されていると思っている人々の手にあるときはそうです。
そうした人々に、あるときイエスは次のように語りました。

「彼らは背負いきれない重荷をまとめ、人の肩に載せるが、自分では
それを動かすために、指一本貸そうともしない」(マタイ23・4)
 

 弱さの神学は、この世で言われる弱さ、つまり社会や教会の勢力に操られる弱さではなく、
徹底的に、また無条件に神に依存するほかない弱さに目を注ぐようにとわたしたちにチャレンジします。
それは、傷ついた人間性を癒し、罪に支配されたこの世の現実を新たにする神の力の、
真の通路とわたしたちがなる道を開きます。

 弱さの神学は、まことの神の力、すなわち、すべてを変革する愛という力を明らかにします。
 

 じつに弱さの神学とは、人間が権力獲得のゲームに興じていることに涙を流し、
いわゆる信心深い人々も、どん欲に同じことを追求しているのを見て怒る神の姿を示す神学です。
じつに弱さの神学とは、徹底的に無力な姿をとって神が歴史に介入することで
この世界や教会のパワー・ゲームの内幕を暴露するものです。
 

 しかし、弱さの神学は、最終的には、わたしたち人間がこの地上を凛とした姿勢で、
自信を持って歩く力を神が与えてくれることを示すものです。




「力は弱さの中でこそ十分に発揮される」(?コリント12・9)



わたしたちが積み木を手に持ち、
「これはわたしのだ」「これはあなたのだ」 と言い張っている限り、
小さなパワーゲームは、だんだんと大きなパワーゲームにエスカレートし、
憎しみや暴力、そして戦争へとわたしたちを導くでしょう。
 
 わたしたちの人生を下から見るなら、そこがどこであろうと、
恐れや不安から、 わたしたちは積み木をつかもうとします。
しかし、あえて積み木を手放し、手を空にし、
まことの避け所であり、まことの砦である方に向かって手を差し伸べるなら、
わたしたちの貧しさは、上からの力を受け取る窓口となります。
そして、そこから受ける力は、わたしたちを癒し、わたしたちにとって、
またこの世界にとっても、まことの祝福の力となるでしょう。
                      (まことの力への道より抜粋)

コメント(1)

「力ある主」が選ばれたのは無力であること。
この弱さを感謝します。

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