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空気を読む〜Air Reading〜コミュの空気を読みすぎると、、、。

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『常識』や『ルール』『マナー』って言葉は周りに合わせる

という意味もあるよね。

人の目を第一に考えるというか?

社会生活には必要なことだとは思うけど、

一方、『自分らしさ』も必要じゃないかな?

空気や常識、ルール、マナーを無視してでも実行しなければな

らない時ってあるよねー。

この書き込み自体、空気読んでないかもね。

コメント(29)

・・・・・自滅or自爆・・・
  意識しすぎるのもいかんね。
はじめまして。
周りを意識しすぎて、言いたい事も言えない状況じゃ、本当によりよい生活なんて送れない・・・って思う。
大切なことが言えない空気なら、読まなくていい・・・って思ってしまうことがよくあるなぁ。。
『常識』や『ルール』『マナー』は誰が作ったのでしょう?

雰囲気や空気に飲まれて、本意でない行動はしたくないです。

でも周りに合わせているほうが、楽だし、お得な時もあるんだ

よねー。
前者は『遵法精神』、後者は『個性』に例えられるような気がする。

前者は何も法律のことを言ってるつもりではなく、当然の時に当然の行動ができるということだね。 
当然の時に、誰が当然と認める行動をするのでしょうか?

行動規範に照らし合わせて自分が望む行動をするのか、その他

誰かが望む行動をするのか?
空気を読まなければいけないタイミングを読むのも空気を読む力なのではないでしょうか。

私なんかは年がら年中気を使ってしまって疲れてしまうことが多いのですが。。。
『常識』『ルール』『マナー』
『自分らしさ』を出しつつ、他人がその事を不快に感じない
という『最大公約数』かな?と思いました。

空気を無視して言った時に、他人が
『は?何で今そんなこと言うんだ?意味わからん』と思うか
『お!いい事言ってる。自分もそう思ってた』と思うか
後者が多ければ、『常識』『ルール』『マナー』は
変わっていくものですよね。

『自分らしさ』って出そうとしなくても、
勝手に出てきてしまうものだと思ってます。
『個性』って伸ばそうと思わなくても、
勝手に伸びてきてしまうものだと思ってます。

今、書きながら、こんな考えが浮かんできました。
mixiをできない年齢のうちは、周りが自分の
『個性』を伸ばしてくれようとするけど、
mixiをできる年齢になったら、『個性』を自分で自覚して
『自分らしさ』として社会生活へどう表現していくのか
が大切なのかな。。。

、、、ふう、えらそうに書いてますが、
空気読めずに行動して反省したり、
空気読みすぎて、何もせず後悔したりを繰り返してます。
でもね、めげずに繰り返して、空気読める人になりたいです。
空気を読んで行動するのに慣れてくると、人との付き合い方に余裕が持てるようになって、自分らしさも(空気を読まない)たまにはいいんじゃないんですか??
私はその場の空気を濁してしまったな、と思ったら、その挽回に必死に努める姿勢を見せます。そしたら周りから「空気が読めないヤツ」ってとがめられる事もないし、たまには「空気ばっかり読む」ことから息抜きできるし、って感じで...$$

「周りに合わせて行動しているのが楽」という上記の中の意見にもうなずけるときがしばしばあります。私も人一倍正義感が強いので、たまーにやりきれない怒りで内面が真っ黒になったりします(苦笑。
 でも、私は周りにはいつも合わせるわけではない代わりに、チームワークが必要なときは協調性を自分の中から引っ張りだして来たり、たまには合わせてみたり、とかまだイロイロ研究中です...。
空気が読めないって言われている人、まずはそれを素直に受け入れて自覚するだけでも、何の自覚もない人よりは遥かにマシですよ〜♪たまには話し手でなくって、ずーっと聞き手に回ってみるとかして、周りの皆の様子を観察する事に力を注いでみましょう☆すると、意外なあの人の一面等も見えてくるもんですよ(^_^#)

人間と付き合うにおいては、知識よりも経験が物を言う、ですねw
皆さん、「エアーリーディング」そこそこに頑張りましょう♪
空気を読むのは時と場合と言うよりも、その目的が重要なのかもしれませんね。

『空気を読む』を『協調』の一断片と考えると、
『仕事で何かをするために空気を読んで、みんなで力を合わせる』とか『この飲み会を楽しいものにしたいから、空気を読んで盛り上げる』とか具体例で考えるとわかり易いかも。
「空気を読む」ことってとても奥深い。

はじめまして。

私は、空気をなかなか読んでくれない子についにブチ切れ
決別宣言をしてしまいました。

>たるさんの
『空気を読む』を『協調』の一断片と考えると・・・

そう!私はその子から協調性が感じられないのです。

でも、これって
「じゃーこうしたら」ってこっちが
なかなか、言えることじゃないと思うんです。難しいですね。

私の中での常識は、その子にとって常識とは限らないし・・・
結構イイ年ですが、
この頃やっと協調の意味が分かりかけてきたレベルなので、
現在でも試行錯誤中です。

ヤラカしてしまって、誰かに拒絶されたり、それこそ切られたり、追い出されたり、自分より凄く若い人に説教されたり。
 
結構ツライ場面もあったけど、
それが、真剣に考えるキッカケになったので、
今では、言ってくれた人達には感謝しています。

だから、空気読む、読まないにしても、
協調できていないと思った人に文句を言うにしても、
チョットだけ相手の事を考えてから、
自分の信じる事をしてしまえば良いのではないでしょうか?

少々の摩擦は必要でしょう?
摩擦を少なくする言葉もあるかもしれないし!
>shina、しなさん
コメントありがとう。

そうですね。何が私にとって不快だったのか・・・
自己主張、多かったです。

主張するのはいいんですが、人任せなところもあり
ほんと主張のみ。

振り回されました。
いろいろ話した結果、本人はもちろん無意識だったみたいで
周りの者がいい気がしてないことも気づいてなかったよう。

そんなことが続くと
同じことを別の人からされたり、言われたりしても何とも思わないのに
その子から受けると腹が立つんです。

これは、無理だと思ってとりあえず、私からフェードアウト。
>shina、しな。さん

「でもさ。」

とか

「だけど・・・」

みたいな、BUT、NO。みたいな話になりがちな子だったのかなあと、今思います。

まさにその通り!!!

自分の「悪いところ気がついたらそのときに言って欲しい」って言われ
すぐには直すの無理やと思うけど、言ってもらわないとわからんからって・・・

それって結構、めんどくさい。そして受身!?って感じで。
言ったら言ったで、「でも・・・」「うちだって・・・」
って始まるんです。

で、自分の優れた(と、本人が思い込んでる)ところを引っ張りだしてきては、カオさんと競争して、自分が勝ってる。て確認しだしたり・・・
これもある!!
なんか、やたら私に対抗意識みたいなの持ってるなと思ってた。
そのくせ、「カオちゃんは、いいよね」ってすぐ人のことをうらやむ。

こんなつたない文で断片だけなのに
こんなにわかってくれる人もいれば、張本人はまったく・・・

shina、しな。さん、ありがとう。
人間、角取れて丸くなってくると、協調性も生まれて、
空気も読めるようになるかもね。

特徴そのままの、若い頃は自分のこと考えるので精一杯だって言う人もいるし、大人の皮かぶった子供みたいなもんだと。

うワッ、あたしってさめてるっ!
空気読みすぎると困ることがあります。

読まなければ、自分の意見をどんどん言えるはずだけど。
打ち合わせとかで、現実的でないけどようやくでてきたアイデア。今ケチをつけると意見をだしてくれた人のモチベーションを下げる可能性があるとその場の空気を感じて、なかなか本音を言いづらかったりして結局少しその案をだらだら展開してみて無理やりその案から別の案へとそらしてみたり。本人に気づかれづに変更したり。


わざわざ来てもらった講師が最後に質問は?と全員に聞いたとき一定時間誰も質問がない時、妙に自分にプレッシャーがかかる。この微妙な空気の流れを変えるには、手をあげなくてはせっかく来てくれた講師に失礼だし、その講師を呼んできた講師の顔がたたないと。でも、特に質問する内容が思いつかずに、他人からみたらなんでそんなに焦ってるんだってくらい焦ってたり。


一応、円滑に進むからいいんだけど妙に疲れてならない。誰かが不快に感じていないかと常に気にしすぎるから。だから、休みの時はいつも1人家で閉じこもっていろいろと遮断したくなる。

こういう人はいます?
僕もそうです。
だから、人付き合いは上手くやるのに、一人でいるのが多いです。
物事を円滑にするのは、手段であって、目的ではないと思うけど、手段に取り込まれる僕がいます。
ん〜、ROMしてたけど思わず書き込みします。

な〜んか、方向性が違っていってるような気がするな・・。
周りに気を使うのと空気を読むのはイコールではないよ。

>ルール、マナーを無視してでも実行しなければならない時ってあるよねー。

いや、ルールやマナーに則って実行すべきでしょ・・。
>>0
そうですね、世界的に見ても
「空気を読む」ことよりも「自分らしさを持つ」
ことの方が重要視されてます。

実際、自分の意見もきっぱり言えない
日本人は外交的に見ても全然成功してないですからね。
 
第一水準
「空気が読める」「読めない」の水準。
第二水準
「空気にあった行動をする」「空気に合わない行動をする」

本来この二つの観点から見るべきところを
一緒にすると話が混乱しますよ。

空気が読めても
その空気が間違っていると感じたら
同調しないときだってあるでしょう。
どのあたりまでの空気を読むのがよいだろうか、と考えることがあります。

話し相手の空気を読んだ言動と、その周囲にいる他人も含めた空気を読んだ言動では異なってくる場合があると思います。

自分の中の雰囲気だけを理解してする行為、社会全体が向かう先の雰囲気まで理解しようとする行為の間には、いくつも雰囲気の段階があるのだろうか。

映画「マザーテレサ」を見たとき、マザーは空気の読めない素晴らしい人だと思いました。

空気の読めない私のコメントなので、空気の空気を読み違えていたらごめんなさい。
>映画「マザーテレサ」を見たとき、マザーは空気の読めない素晴らしい人だと思いました。
この視点って、大事だと思います。
人と、真剣に向き合わなければいけないときに、空気を読む必要は無いと思います。もし、自分の発言に問題があれば、相手も真剣に指摘するでしょうし。

「皆が楽しめる空気」を作るために空気を読むのはいいけれど、「皆が責任回避をするための空気」を作ることには加担したくないですね。

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