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とらえなおしー自分を知る方法ーコミュの飯田博久さんの、とらえなおしー自分を知り・自分を変える方法ー

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(サブ註ースキャンしたばかりであり、少しづつ修正してゆきます)
 (P1)
  

  とらえなおし一自分を知り・自分を変える方法一

とらえなおしとは自分の心を「捉え」、共に生きることを難しくしているところ

を「直す」という事と、共に生きる存在としての様々な関係から傷つけられた

り傷つけたりしてきた過去を「捉え」、過去を変えて心と身体の関係を「治す」

という両方の意味が含まれています。「直す」を中心とする犯罪のとらえなおし

と、「治す」を中心とする関係障害のとらえなおしがありますが、それに使う言

葉は互いに共通しています。


自分史の記述

とらえなおしは自分の記億している事を最も古いものから順にノートに書き

出していく事が基本となります。この作業の助けとして社会の出来事の年表や

新聞の縮尺版を利用したり、テレビや映画のDVDを年代順に編集したものを

BGMにしていくとか、当時よんだりした本や聞いて歌ったりした歌を流してい

くのも記憶の甦りに有効です。記憶を現在の所まで記述してくるわけでずが、

ただ思い出すままを記述するにあたって、とらえなおしの記述のルールがあり

ます。第一回目の白分史の記述ルールは三点あります。


「過程の省略を避けるルール」(因果律のルール)

物事や人間関係には1・原因があり 2・それが他の人や物に作用し 3・

動機を発生させたり、感情を抑制したりして 4・知覚を生じたり行動したり、

その行動を制止するなどして 5・意味付けや対応・結果を招くということが

あります。それらのひとつひとつを全て記憶しているとは限りませんが、起承

転結といったものではなくとも、1から5までの過程を省かないように思い出

ぜる眼り思い出して、それを記述することを第一のルールとします。

ルールの理由は自分史の第一回記述文を基にして、とらえなおしのチェック

や考察をする原資料となるからです。欠落があると欠落の理由をとらえなおす

ので、単純に面倒だから書かなかったのか、「言うに言えない」何かの理由があ

って書かなかったのか等と、複雑化して誤解を生じやすいのと、この想起をき

ちんとルール通りしないと、とらえなおしの効果が得られないことがあるから

です。

               1

コメント(16)

         (p2)

「過去の出来事で自分の知っている言葉でうまく表現できないものは、新たに

その事態を言葉に作り、内容はこういう意味で使っていると「定義して」記述

するルール」(新概念定義のルール)


 これはとらえなおし独自のもので、専門用語を使って事態を記述するのでは

なく、現に今の状態でどのように過去の事態を白覚しているかという現在の只

今の状態を記述し、自分の言葉で表すことが白分を捉え、直す(治す)には不

可欠だからでず。

ルールの理由はうまく言葉で言い表せないとき「わからない」とか「うまく

言い表せない」という言葉で済ますと、そのうまく言い表せない真の背景理由

が覆い隠されて記述者自身の大切な「気づき」にたどりつけないことがあるか

らです。自分の記憶している事態は白分の心の一部に他なりませんから、それ

を記述していくことは、白分の心を言葉という容器で外に汲み出すという事に

なります。心を水にたとえてみますと、心が凍って氷になっている時、コップ

やバケツで汲もうとしてもうまくゆきません。ノコギリで切り、縄で縛った方

が取り出せるでしょう。テーブルにこぼれた水はコップよりも台布巾で拭く方

が理にかなっていますし、天井からの雨漏りしている水滴はバケツや洗面器で

受ける一方、屋根を直す必要があるでしょう。問題は水蒸気になっている水は

冷やして凝縮させてからでないと汲み出せないというように、熱を持った心は

言葉で直接取り出したりずる事が難しい時があります。そのような時、新しく

言葉を造語して、その言葉の内容を説明(定義)していく事で水蒸気を水にし

て汲み出すことが出来ます。定義をしないで自分だけがわかる言葉を造語する

と「造語症」という精神障害の症状とみなされる危険もあります。



「可能な限り具体的に詳紬に記述し、それが赤裸々で下品で露骨と思えても、

ありのままを記述するルール」(具体的真実のルール)



自分の記憶を言葉で汲み出すとき、私達は素直に言ってしまえない記憶が

多々あります。性に関する事柄はその代表的なものですが、罪に関する事柄や

嘘や虚偽、あるいは自分の誇りを傷つけるような記億なども素直には書き表し

難いものです。差恥の思いが湧く記憶を汲み出す時、飾ったり、遠回しに間接

的に表現したり、代名詞で「アレ」とか「コレ」と言ったりします。差恥や屈

辱の思いの為、素直に表現できない場合、その表現を阻むものをどのように理

解しているでしょうか。とらえなおしは他者に公表するのが前提ではありませ

ん。白分が自分白身をよりよく理解し、自分自身との関係や他者と共に生きる

上での不都合なところを自ら「直し」「治す」為に行うものですから日記に等し

いプライベートなものです。自分の心を外に汲み出す記憶の描写に倫理的制限

は一切ないし、制限を加えてもいけません。制限されればその制限を受けたと

                2
ころは外に汲み出されないことになります。「捉えること」「直すこと」「治す

ごと」が出来ないからです。

ただし例外があります。それは犯罪のとらえなおしです。何故犯罪に至ったか

を一切明らかにしていく事が、責任を取る大前提だからです。そうすること

によって犯罪発生を少なくしていく為には、どうしたらいいかが明らかになる

からです。人の命を奪った殺人では命を償うことは不可能ですが、未来に奪わ

れるかも知れない命を少しでも少なくする為の努力は余生の務めです。その為、

差恥や屈辱の思いの伴う記憶や差別やあざけりに会うかも知れない公表に伴う

社会や周囲の反応の予測といった利害損失の打算を超えて公表することを前提

としていかねばなりません。しばしば公判報道で、被告が真実を全て吐露して

いないと感じられると、証拠と供述との矛盾があげられますが、被告自身が「言

いたくても言えない」闇の感情にとらわれている可能性があります。そういっ

た事も含めて、ありのままを記述すること出来ればとらえなおしは成功するで

しよう。


白分史の区切り


自分史は三つに区切って下さい。幼児の時代から第二次性徴があらわれた時

までを初期、第二次性徴があらわれてから学校卒業までの中期、社会に出てか

ら現在までの後期です。

学校は中卒なら中卒までが中期で、高卒なら高卒までが中期です。中退も中退

までが中期となります。 区切る理由はふたつあります。第一の理由は、白分史は

一気に記述出来ないで時間がかかること、一回書いて終わりでなく.とらえな:濾

のヂ講ッ:クをして部分的に自分史を差し替えるとらえなおしをするので、ある程

度の長さで区切った方が分かりやすいという事、第二の理由は生育上の臨界期で

区切った方がとらえなおしに都合がいいからです。

臨界期とは、定義すると『人はそれまでの知識や体験で身につけた人や物事の

理解の仕方では、理解できない事態に出会ったり、矛盾した事態、思春期の性

的成熟に伴って、性行動の刷り込みのように身体と心の形態が大きく転換する

場合、あるいは多重拘束の事態に出会って、いずれもどう対応したり、対処し

たらよいのか不明となった時、理解の仕方そのものや対応b対処の仕方そのも

のを変化させ、再編成して新たな理解の仕方などを生じるが、その再編成完了

までの時期を臨界期といい、ごくわずかな手掛かりや情報に対して敏感になる

など感性が高まってくる。理解や洞察の妥当性は発立つ手掛かりや情報に左右

される』で、鳥類の卵から孵化後10数時間の間、ひなの鳴き声に応じた声の


3
持ち主に親としての追随反応を生じる刻印づけ(刷り込み)が臨界期と呼ばれ

たり、子犬の生後6週から8週を愛着形成の適切な臨界期と言われるように、 

人間にも生後1年位の間が臨界期とされていますがそういった臨界期が適応不

能の事態にも、再適応の為の臨界期が人間にはあるといえます。その臨界期で

自分史を区切ります。

自分史の初期までを綴ったら、それを原資料として、とらえ直しに入っても

いいし、自分史を続けて中期や後語に一気にゆかれてもかまいません。


  記述の要約


白分史を一日2時間程かけて記述したとします。その日の分を要約するとい

う作業を必ず別のノートにでも記して下さい。要約は短ければ短い程とらえな

おしにはプラスになります。

理由はふたつあります。ひとつは学習場面でよく生じることですが、学校か

ら帰ってきて宿題をして、後はテレビやゲーちるいは塾に行くなどして、そ

れで終わってしまい、今日は何を学んだか復習する習慣がない子供は努力の割

にそれが報われず劣等感を持ちやすいのですが、復習をただの反復学習ではな

く、何を学んだかと自分に間いかけ、何々を学んだと要約できれば中々忘れな

くなります。つまり簡単に思い出せます。これは意識化しやすいということに

他なりません。これが狙いです。過去を意識化しやすい程、その過去は無意識

の覆いの下で悪戯できなくなるからです。

もうひとつの理由は、要約することにより重要なものとそうではないものを

選り分けることになり、記憶の混乱・錯乱が整理されると同蒔にょり意味漣は

2き-り堕確になる.からです。過去をとらえなおすとは過去を変えるという側面

があります。過去の記憶は出来事や体験の記憶に重ねて、その出来事や体験の

意味の記憶とそれに伴った感情の記億が重なっています。この意味と感情の記

憶はとらえなおしで生じる意味の転換で変えることが出来ます。従って要約で

意味を明確にしていく事は大切な作業となります。


 五

とらえなおしの5本の柱

とらえなおしを支えている基本的な考え方が固つあります。背景となってい

る考え方は次の通りです。人間は本質的に一人では生きられない、他者と共に生

ききる存在であり、その関わりから全ての意味が派生してくるので、共に生きる

対象との関係が変わると、それに伴って意味も変化するという考え方で、共に生

きる対象を選択し

              4

(サブ註 上の下から4行目の 次のとおりです。人間は  のところは、人間は

 のところから段落を下げて

1、人間は   と続いていきます。コメントは修正できないので、ここで修正

します)

(以下が、4の続きです。)


て異質な存在との共生を拒否す搭所に様々な間題が発生すると考えます。

2. 人の心は通常、全体としてひとつの構造化されたまとまりから現れる機能を

有し、各々の構成要素の持つ機能が統合されて、その機能を果たすと「正常」

となり、どこかに不都合があれば、それに応じた「異常」な心の働きとなる

という考え方。。二台の全く同じ車の内一台を全て分解し1か所にまとめ、

これを「総和」と名付けます。バラさなかった方を「全体」と名付けます。

部品を部分と呼びかえて「全体は部分の総和とは異なる」というものの見方

を形態(ゲシュタルト)と言います。


3.「過去」は変えられるという考え方。私達は常に現在に生きています。過去

は過去という記憶で現在に至っており、その記憶は三つの記憶で成り立ち、

出来事そのものの記憶、その出来事の持つ意味の記憶、意味の記憶につなが

った感情の記憶が一体となっていまず。この意味の記億はとらえなおして別

の意味に気付くと変わります。意味の記憶が変わると感情の記憶も変わりま

すから意味や感憤の拘衷(とらわれ)から解放されます。


4.人間は過去に拘束されている事が多いのに、その拘束を自覚しようとしない

為に同じ事を反復してしまう傾向が作られてしまうという考え方。精神的外

傷(トラウマ)があるのに思い出すのが辛いからと回避して、白分白身との

共に生きる関係がズレてしまったりする事が多々あります。これを関係障害

といいます。六章「インサイダー意識・アウトサイダー意識」の例の中で、

万年筆の盗みを言うに言えなくなり、それを勇気がないと白分を責め、勇気

や度胸があると証明する行為の方に向かい、校長室に行き「万年筆を私が盗

ました」と告白ずるのが共に生きる方向だったのに、それとズレてしまっ

 た関係障害がありました。

以上5つの柱を基本にしています。1章から7章までは白分史の初期と中期か

ら例を引いてとらえなおしを説明しています。「8章関係障害 9章抹殺の思

想一殺人のトライアングルー」は、後期から例を引いてとらえなおしの説明を
                     
していますが、とらえなおしを白ら実行されていひとにはやや説明不足に

感じられるかも知れません。いずれにしろ、とおしは別の意味にも気づく


という体験(心理学用接でいう「アハー体験」「洞察」「態度転換」と同じもの)

を不可欠としているので、知識として理解するだけでは25%位の理解にしか

なりません。とらえなおしで自分史を記述されて、色々な感情を再体験される

中で各章を味わっていただければ体験に裏打ちされた理解となり成りますから

50%位理解していただけた事になります。そして、とらえなおしによって御

自分の自分吏の中にどんな問題があり、なにに由来したのかという「気づき」

が生じれば75%程の理解をしていただけた事になりまず。そして、とらえな

おしには全てすべての人に共通する部分と、ある人達と共通する部分、そして
誰とも共通しないオンリーワンの部分がありまずから、このオンリーワンの部

分でのとらえなおしで独自の発見がなされた時、とらえなおしは

100%以上に理解していただけた事になります。そしてこれは難しいことで

はなく、とらえなおしを実行される方がどんな視点で.なにを捉え「なおす」

のかで新たな発見が生じます。このとらえなおし自身もまだまだ新しい発見や

気づきが生じていて完結されたものではありません。それをより良いものにし

ていく事が出来るのは、とらえなおしを実行していかれる一人一人の方々のそ

の実行の他にはないでしょう。私もその中の一人としてさらなる努力をして行

きたいと思います。

            6 
とらえなおしの上で生じる危険性とその対処


 とらえなおしは過去を思い起こして記述する為、精神的外傷(トラウマ)と

なる苦しみに満ちた体験などがある場合や、悲痛な体験などが有る場合、その

記憶め蘇りと共に、その体験に伴う感情も一緒に蘇ることになります。とらえ

なおしはその感情のひとつひとつをきちんと言葉にくくっていく記述も当然行

うわけですが、その際にとらえなおしで「気づき」が生じた場合、新たな感情

が生じる時が多々あります。

 例えば、自分が殺人を行ったのは共犯の殺人命令に従わなければ自分の方が

秘密を知った者として殺される危険があったので、白分の命を守る為仕方なく

命令に従った、と思っていた事が、自己中心的な物事の見方をしていた白分の

誤りで殺す相手が他人だったから命令に従ったのであり、家族を殺せという命

令だったらその命令を出した共犯の命令そのものに抵抗したり戦うという思い

を持つ白分に「気づく」と、それまでの仕方がなかったのだ、という感情が一

転して、白分の差別視や共感性のなさによって殺人を行ってしまったという自

分の主体的責任の重さが実感されて、切ない思いなどと、申し訳ない取り返し

のつかない大変な事をしてしまったという思いに包まれて死にたくなるような

気持になったことがあります。強烈な腹痛に襲われ腸が引きちぎられるような

切ない苦しみになったり、強い便秘が続いたりします。あるいは肺から原因不

明の出血が生じたり、視野にギラギラ輝く光点が出現し激しい頭痛が生じたり

することもあります。眠れなくなったり眠っても悪魔のようなものや不気味な

ものが登場する悪夢にハット目が覚める事もあります。

それらのひとつひとつがとらえなおしで必ず生じるわけではありませんが、

先を急いで色々な思いを言葉にしてくくって行かないと、言葉でくくられなか

った感情に伴う身体の反応が残ってしまう事があります。色々な感情を言葉で

くくってゆくと、それだけでトラウマの苦しみが低減していきますが、それを

第三者に伝えると更に苦しみは低減します。何故なら言葉にしてくくるという

事と他者に伝えるという事は両方とも、それは共に生きる存在関係の中 そ

の体験を共有するという事に直結しているからです。この時、その「他者 」や

生身の友人に打ち明けるという事が出来なければ、他の方法を取って下さい。

クリスチャンであれば、牧師や神父のもとへ行くか手紙での告白や相談が出来

ますし、同信の人々もその相手となってくれるはずです。仏教徒も同じで僧侶

に打ち明けることもいいでしょうし、僧伽の中で話すこともなされています。

そういう信仰の集まりを知らない方なら「いのちの電話」といった民間のボラ

ンティア団体に 相談や告白をされても大丈夫ですし、信仰していない入でもキ

リスト教の教会は救いを求めて訪れる人を推んだりはしませんからどうか心の





             7

苦しみを光に当てて癒されることを求めて下さい。このような方法を取りたく

ない入は、白分白身の思いに徹底的に向きあい、その根源を求めてとらえなお

しを積み重ねて、様々な思いが終局の所では人との関係の中に収束されていき、

それ以外は神や仏の領域となることに自ら直入するしかないでしょう。いわゆ

る悟りの世界に至るしかないでしょう。理想的にはとらえなおしを共に行う関

係の中でとらえなおしをするのが一番危険も少なく成果も上がる、とこれまでの

体験からはそう言えます。


8

1章劣等感をとらえなおす

 まずとらえなおしを麦の会(サブ註1)ではなぜ始めたのか、という点を言います

と、有実の犯罪を犯した人は当然何故その罪を犯したのかという動機の解明と、

その動機で何故その犯罪を犯せたのかという動機を抑制する力がなかった点

の解明の、二本の大きな柱があり、これらの解明をしないかぎり、当人がいくら

もう二度としないそと決心しても原因となることが本人に解っていない為、条件

次第で再び犯罪に走ってしまうという点からでした。つまり端的に言えば、犯罪

を犯した自分を、犯罪を犯せない白分に変えるためには、犯罪を犯した自分を

きちんと知る必要があるという訳です。更生の努力は必ずこのとらえなおしの

道を歩むことになります。

  私の例:私が不良化しだしたのは中学時代で授業がわからず、白分の頭が悪

いからだと劣等感をもち、クラスで孤独なので面白くなくて苛々し、喧嘩ばか

りしていました。特に数学や英語はさっぱり理解できず、授業中小説本を読ん

だり便所で煙草を吸ったりという生徒でした。私は長い間、自分自身のことを

頭が悪いと思い、高校進学をすすめる母と養父のすすめを断って、中卒と同時

に同畏龍白動車修理工として「志村タクシー」という会社に就職し、家等出毛

寮に入りました。このグレだした原因の劣等感を作った頭の悪さのとらえなお

しを記します。

私は小学6年の頃、ラジオの組み立てが趣味でした。中学になってから他の

科目はダメなのに理科のテストでいい点を取ったことから、カンニングをした

だろうと疑われ悔しい思いをしました。次のテストの時、私はクラスのトップ

の点をとりました。先生の注目の中、トップだったので実力だったとわかった

ようですが、種明かしをすると真空管を4本使ったラジオの配線図を読めた私

にとって、鉱石ラジオのあれこれを間うテストは実に簡単だったのです。担任

は「理科が得意なら数学も出来るはずだがなア」とよく言っていました。何故、

数学と英語がダメなのか、私にもわかりません。頭に入らないし、やっている

と苛々してきて大声をあげて暴れだしたくなるので、頭が悪いところへ詰め込

むからむからだと思っていました。

今回、殺人事件を起こしたことで、、一審の時、自分の生育史を上申書とし

て書き出し、書き出した上申書を見ながらノートや便箋に、何が間題だうたかを書

いて、その間題に関係することを上申書の生育史からピックアップしていった

のです。すると数学と英語以外は平均位だったし、理科・国語はそこそこだっ

たことを思い出し、担任以外の教師が数学と英語を教えていたことを思い出し、

思い出せることをノートにメモしている内に、国語のT(サブ註2)先生が自分の

初恋の人
上のページの、サブ註1は、麦の会のことです。
麦の会は、1980年ころ、拘置所などに収容されていた、死刑判決を受けて裁判中の人たちが中心になり、死刑廃止を求めて活動し始めたグループ、会のことです。

サブ註2は、氏名をイニシャルにサブが変えたことからつけたものです。
であり、そのT先生のアパートが火事で焼けた時、数学の山岡先生の家に同居

ずるようになったことと、英語の教師は妊娠していて、眉毛の抜けた顔がとて

も不快だったことを思い出しました。ここまで思い出した事をノートに書いて

いる内に、生育史の方で私は小学校6年の頃から、母とその相手の中村という

男から、性教育的な二人の性交を見せられる生活をしていた事、その後も養父

と母の夜の営みを、眠っていると起こされるという形で見せられていた事を思

い出したのです。そこまで思い出した時、私は山岡教師の数学の授業中に、山

岡教師と堤先生が、養父と母のしているようなシーンを想像してしまい、その

事で山岡教師が言うこと一切を拒否していた事や、英語の女教師に対しても、

妊娠する行為を想像して嫌悪の思いが生じ、拒否していた事、この事にただひ

たすらこだわっていた事に気付いたのです。私は頭が悪くて数学や英語が出来

ないのではなく、教える教師を通して白分の嫌悪している養父と母の夜の営み

を見せられること、それは、夜になると変身する化け物のような印象があって、

不安や不信の思いが湧くことだったからだ。とわかったのです。

この事がわかってから、私はそのとらえなおしの結果が正しかったかどうか

実証しようと、刑務所で募集していた「高校卒業程度学力認定試験」(略して高

認)を受験するための勉強を始め、二年前の八月六日・七日と受験し、九月一

日に合格しました。

八科目を二回に分けてでしたが、現代社会・国語・数学・日本史A・世界史A・

英語・科学・生物・以上が合格で、大学受験の出来る資格を得たわけです。英

語も数学もちゃんとやればやっただけ頭に入りました。これが中学生の時にで

もわかっていれば、少なくとも高校に進学したし、グレたりしなかった可能性

があります。

2章 過程の省略一抽象表現ではなく具象、具体的に一

今までは目に見えない自分の心を少しでも知る為に、自分が生まれ育って、

現在に至る白分の記憶を綴る白分史を書き出してみることの大切さを少しでも

わかって貰えればと思って、数学と英語が中学生の時、なぜ駄目だったのかを

例にとってみました。

この自分史を書き出すという作業は.自分の内面を記述という形で外に取り

出し、もう一人の自分を見るように点検・考察するので「対自化」と言います。

わかりやすく言うと、自分を客観的に見直すと言うことになりますが、実はこ

の白分を第三者の立場から見る客観視がなかなか出来ないのです。白分中心で

生きてきた人ほど、白分の言葉や態度が他者にはどう思われるかという所から

白分を振り返るという事が出来ないのです。仮にしたとしても自分に都合よく


                10
他者の思いを解してしまうでしょう。

こういう風に他者の立場に立って自分をとらえられない状態を「即自」とい

いますが、少年院や刑務所で始められているロールレタリング(役割交換書簡

法)という方法は、手紙を被害者に書き、その手紙を自分が被害者として受け

取って読み、加害者(である自分)に向けて返信するという作業を繰り返す形

で、つまり加害者と被害者の両方になって、自分が白分に手紙を出すという形

で「対自化」をおこさせるものなのです。相手の気持ちになりきるという形で

共感性が回復することが大きな狙いです。内観法という方法も、白分と関わり

の深い相手(父母など)との関係を、子供の頃から現在までいくつかに区切って

「相手からしてもらったこと」「相手にしてかえしたこと」などのテーマにそっ

て思い起こすという形で共感性を回復させる為の「対自化」をうながす方法で

す。とらえなおしは、これらの方法が特定の相手に焦点をあててしまうとか、

特定のテーマ(例えば、相手にして貰った事とか迷惑をかけた事とかの)で拘

束してしまう為、白分白身を知るという面があまり含まれておらず.言いたく

ても言えないできた思い(ぼくはこれを名付けて「闇の感情」と呼んでいます)

とか、「理解を超えた事態」に出会った時の精神的なショックが何を生じたかと

か、人間不信や共感性喪失の原点や源泉が発見出来にくいという事があります。

その点、とらえなおしでの白分史の記述にはそういうことがありません。ただ

し、自分史の記述にあたってはいくつかの注意すべき点があります。

ひとつは「過程の省略」記述をなるべく避けるという事、これです。

どんな記述が「過程の省略」になるのかというと、記憶があるのに小学1・2

年をとばして3年から記述すれば生長過程の省略になります。文学的表現や婉

曲表現で上品に記述しようとすると、事態や展開の過程の省略になってしまう

こともあります。例えば「愛を交わす」と婉曲表現では、これを小学生低学年

の白分史の記述で父母の行為を描写する言葉として使うと、その言葉をどのよ

うに知ったかという過程を省略したことになります。大なり小なり記述の中に、

後からわかった事や後で知った言葉でくくった記述が出てくるのは避けられま

せん。でもそれは一種の言葉で生じる虚偽なので、なるべく飾ったりせず露骨

で下品で恥ずかしくてもありのままの姿を記述するようにします。何故なら、

白分の心を言葉でくくって外にとりだす作業がとらえなおしの第一歩だからで

す。具体例をあげます。私の初期のとらえなおし第一回目の一部です。


 私の4才頃、4畳半一間のアパートで、父母・私・父方の祖母の4人で暮ら

していた。ある夜、夫婦の営みを途中で拒否した母に対し、父が完遂しようと

ナタで母の頭を一撃して失神させ、母が失神している間に父は事を終えた。

この日から祖母は行方不明となり、私は近所に何日か預けられてから、母の実

家に預けられた。父母は仲良く暮らしていたと後年母から聞いた。

11
て止めようとすると、父が布団をはねのけ後ろから挿入しなおずので、はずそ

うと操み合い立ち上がって拒否した所、父がナタをふりかぶったので逃げよう

としたらガンときて気を失ってしまった。気がつくと父にお尻を抱えられて性

交をされていたけれど動いたり拒否したりすると殺されると思い、父が気をや

るまで気絶しているフリをしていたという。・-・





以上の記述の内、私自身の記憶を述べた所を見てください。私は夫 婦の営み

も見ていないし、その途中で拒否した母の姿を見たのでもありませんし、

ましてやそれを完遂しようとナタで一撃して母を失神させ、ことを終えた父の姿を見たわ

けでもありません。私がみたのは夜、突然父が母をナタで殴って血まみれにし、

母が死んだように見えた事態であり、私にとっては「理解を超えた事態」とい

う事であったのです。それはこの事態の後、祖母は行方不明となり、私は母の

実家に預けられたのに対し、母と父は一緒に仲良く暮らしていたという事が母

の口からわかった(小学校3年の時、父母に引き取られて)のです。夜中に突

然ナタで殴るような父と仲良く暮らせる母は、私をばあちゃんに預けてしまう

母でもあったのです。このように私にとって、父母は、父は恐ろしく母は何か

理解できない人として心に刻まれたのでした。

もうひとつ問題があります。原文の中に私がどんな感情や疑問を抱いたかと

いう記述がありません。母が寝ているのに身長の方向に揺れ息をはずませてい

る。普通、そこで何故揺れているのだろうと疑問に思うでしょう。母が何故腰

巻を捲ってお尻を出した姿でいて、何故四つん這いで前に進もうとしているの

か、何故父はナタで母を叩いたのか.血まみれの頭で倒れている母のお尻を何

故抱えあげているのか、そういった何故、どうしてという疑問がまったくあり

ませんし、ナタで叩こうとする父に「やめて」という思いをまるで持たなかっ

たようでもあります。人間は眼前の事態が理解出来ないまま圧倒されてしまう

と、いわゆるパニック状態になり、思考がストップして原始的反応をすると言

われます。私はこれを「理解を超えた事態」として次のように定義しました。

このようにとりあえず言葉でくくっておくわけです。

『理解を超えた事態:体験的理解やそれに基づく共感的理解が成立せず、類推

によっても帰納や演繹的な理解も成立し癒い事態でありありながら、その事態

と白己とが何らかの密接な関係を有するという認識がある為、無視出来ない事

態として立ち塞がり、何らかの意味付けをせざるを得ない切迫感を伴う』

このようにして心を外に取り出す為に、事態を具体的な具象として記述しま

す。あたかも、写真を逐一言葉で説明するように、です。描写が抽象的になる

婉曲表現だと、心が受けた刻印がなんだったのか、とらえなおせない事が多々あ

りまず。ありのままを具体的に記述すると、例えばとらえなおし第二回目の文

の、後年母から聞いたとして記述している中に「勃起している陰茎」とか「性


               14
あ2 飛んでるので、修正のためです

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